午前に母のうちにいってきました
母の病は
体が動きにくい
言葉がでにくい
表情がでにくい
という症状があります
最近は薬で言葉が
少しは出るようになったのですが
振り絞って出る声からは
「勝手にヘルパーに食堂に連れて行かれる」
「トイレは?と聞かれる」
とのネガティブな発言
ご飯を食べて
薬を飲んで
やっと出る言葉が
愚痴
〇〇させられた
〇〇しろと言われた
・・・・・・・
この言葉に隠された本意は
「自分の意思では生活ができない」
の歯がゆさでしょう
母は
スポーツも勉強も万能
おまけに手先が器用
若い頃は
ママさんバレーのエースアタッカー
母の打つアタックは
それはそれはかっこよかった
今の病状は
母にとっては
受け入れ難いものです
高齢になると
歯がゆいことだらけでしょう
なんせ
自分の思うようにいかないことばかり
きっと私もそうなるでしょう
ただやっと出た言葉が
愚痴なのは・・・
ほんとに残念
「今日もヘルパーさんが迎えにきてくれて
ご飯おいしかった」
「トイレに連れてってくれて嬉しかった」
のほうが幸せでいられるのにな
母の長年の思考グセ
なかなか治らないのでしょう
足りないところ
まだまだなところ
できてないところに
どうしても目がいってしまう
「ヘルパーさんは、
お母さんが転ぶ病気だから
食事の送り迎えしてくださってるんだよ
ありがたいよね?」
と私が聞くと
(ま、それも押し付けだが)
「どうしたら感謝できる?」
母の悩みだそうです
心理学的な方面からだと
自己受容の問題が大きくからんでいます
母の生い立ち
戦争中の子ども時代
食べるものはなく
でも姉妹兄弟の面倒をみなければならず
親から愛されなかったという強い想い
私に話してくれました
お母さん
お母さんは愛されてたんだよ
おじいちゃん
おばあちゃんは
精一杯愛してくれたよ
もし愛されてなかったと
万が一お母さんが感じてたとしても
お父さんには
たくさんの愛をもらってたよね
でも
母は受け取れないんです
それだけ
どこかでたくさん傷ついていた母です
私にとっての
たった一人の大切な母に
これからも向き合っていきたいと思います
最後までお読みくださり
いつもありがとうございます
今からライブで踊ってきます〜