従業員数が400人近くなり、今後も増えることが予測され、労務管理のソフトを導入することに決めました。

 

 

このソフト導入により、入社書類、給与明細、年末調整などの膨大なペーパーのやり取りが解消されます。いわゆる「DX化」が進みます。

 

おもしろいことに、導入に向けてのヒアリングの中で、当社が創業以来構築してきた「自家製労務管理システム」のレベルの高さが判明しました。

 

したがって、導入するパッケージはソフト全体の一部に限られ、コストも最小限に抑えられました。

 

導入決定まで、ソフト会社から様々な提案(営業)を受ける中、私の脳裏に浮かんできた日本史の一場面(問い)がありました。

 

明治初期に来日したエドワード・モースが抱いた問いです。モースは、日本史に出てくるモース貝塚(大森貝塚)で有名な動物学者で、東大に招聘され文明開化時期の日本で過ごしたアメリカ人です。

 

 

 

↑ モースの日記

 

 

その問いはおよそ以下のような内容です。

 

長い鎖国政策の中、西洋文明に交わることなく日本の文化や文明は培われてきた。それらには秩序がありとても美しい。日本の子どもは明るく、労働階級の人々も礼儀正しく賢い。この極東の島国は、貧しくはあるが貧困ではない。このような国に西洋文明がなだれ込むことは正しいのだろうか?

 

DX化(労務管理のデジタル化)を進めることは正しい。だが、それにより失われる美しい文化はないのか?長い間培ってきた秩序(本当に有能な当社の事務の方々が作り上げてきた労務管理システム)を壊すことのインパクトについて思いが及んでいるのか?

 

当社では、毎月の給与明細に上長が手書きでコメントを入れる文化があります。創業からしばらくは全従業員に私がメッセージをそれぞれ違う文面で書いていました。今も店長など正社員には私が毎月書いています。

 

銀行に入金された給与を印刷された数字のみの明細書で眺めるのか?はたまた「今月もありがとうございました。よくがんばりましたね!」などの”気持ち”を感じながら確認するのか?

 

受けとる側の心象は当然のこと、上長力向上にもつながる極めて「秩序ある美しい文化」だと自負しています。

 

ソフト会社にモースの問いや手書きメッセージのことなどを伝え、DX化の功罪を共有し、我々の文化への対応をしてもらい、導入を決定しました。

 

維新後、西洋文明をアジア諸国に先駆けて導入し、日本は現代につながる発展を遂げてきました。

 

今回の労務管理ソフトの導入をポッポの次なる発展のきっかけにしたいと思います。