こんな記事を読んだ。全文引用します。

「はまなす号、40年目の峠道 Uターン整備士「次はハンドル握る」」

【水無月町】

水無月町の早瀬地区と水無月港を結ぶ住民出資の乗合バス「はまなす号」が8月30日、運行開始40周年を迎えた。全長6.7キロの急坂路線を守り続けてきた記念式典で、3年前に大阪からUターンした高浜蒼介さん(26)が、来月に大型二種免許試験を受けると発表した。

高浜さんは実家の「高浜自動車整備工場」を継ぐため町に戻った。転機は昨年9月の台風接近の夜、40年選手の旧型車体が早瀬地区の急坂で立ち往生したことだった。専属運転士の蓮池茂雄さん(66)から連絡を受けた高浜さんは、工具箱を積んで真っ暗な峠道に駆けつけ、懐中電灯だけを頼りにファンベルトを応急修理。始発の運行に何とか間に合わせた。「バス1台が動かないだけで、翌朝病院に行けない人がいると知った」と高浜さんは振り返る。

式典には「はまなす号を守る会」会長の桶谷君子さん(70)、路線存続運動を1986年の開業前から支えてきた米山フサさん(83)、水無月高校2年の遠野さくらさん(16)ら約45人が集まった。米山さんは「あの頃は署名だけで精いっぱいだった。まさか整備士の青年が跡を継ぐ気になるとは」と声を弾ませた。通学に利用する遠野さんは「故障しても誰かが直しに来てくれると分かって、安心して乗れるようになった」と話す。

高浜さんの姿に触発されたのが、隣接する古町区からの移住を検討していた大場健斗さん(24)だ。式典を見学に訪れた大場さんは翌週、町が開く整備士養成講座に申し込んだという。「地元に戻って手に職をつける道があると初めて実感した」と大場さんは語る。

町地域振興課の荻野学係長(48)によると、はまなす号の1日平均利用者はピーク時の120人から31人まで減ったが、この3年は横ばいが続く。運賃は大人210円のまま据え置かれてきた。

高浜さんは来月10月、大型二種免許の試験に臨む。合格すれば来年3月に引退を予定する蓮池さんの後任として乗務する見通しで、町も同じ10月に40周年記念の感謝祭を早瀬地区の集会所で開くと決めている。峠道のバス停には、次の40年に向けた新しい時刻表がすでに張り出されていた。」

運行40周年を迎えた住民出資バスの記事。台風の夜に旧型車体が坂で立ち往生したとき、Uターンしてきた整備士が懐中電灯だけを頼りにファンベルトを応急修理して始発に間に合わせた、というエピソードが載っていた。

「バス1台が動かないだけで、翌朝病院に行けない人がいると知った」というコメント、地方のインフラの薄さを一言で言い表してる気がした。