引用:リサ・レネイ People Taking Offense- ブログ (energeticsynthesis.com)

 

  ほとんどの人は、実際に起こったことではなく、自分が想像したことに腹を立て、実際に起こったことを検証する為に正確な情報を得るために必要な時間を浪費しています。

 通常その人は、最初に起こったことではないことに対して怒っていたり、心の中で何かを想像したり、メッセージを誤解したりして、自分の個人的な妄想の物語を延々と続けながら、気分を害し続けています。

 

 この不安定な行動を実際に見ていると、批判的思考・精神的明晰さやバランスの取れた知覚の急速な脱線に加えて、敬意と人間的な礼儀を持って他人を扱うことが酷く崩壊しているように感じるので、非常に不安になることがあります。

 ネガティブエゴの限定的なレンズと、後天的に獲得された3次元の分断の信念体系から、個人的な解釈が偏見が集められ、ごくわずかな情報の向こう側を見ることができなくなっています。

 

 長年に渡り、ニューエイジのスピリチュアルコミュニティのお花畑にいる人には、すぐに腹を立てるパターンがあることに注目していました。

 彼らが本当に愛と光を識別しているのであれば、彼らが他者に対する愛と親切を全力で伝播させるのは理にかなっているいるように思われますが、 そのほとんどは見せ掛けです。

 

  長年にわたって出会った中で、最も残酷で不安定な人たちの中には、偽りの笑顔と美辞麗句をを添えたアストラルの至福に誘い込む為の媚薬を定期的に摂取している人達もいました。

 

●何かによって腹を立てる
●何かによって侮辱されたり、気分を害したり、恥をかいたり、侮辱された・恥をかいたと感じる
●誰か又は何かに侮辱されて(誰かまたは何かに対して)腹を立てる

●”招待しなかったことで彼が怒るとは思わなかった”といったように、憤りや感情的な痛みを感じる


 多くの人にとって、些細なことで腹を立てる傾向は、その人の信念体系や精神的な知覚に従って、ネガティブエゴが外側の現実の性質として作り出した安全性についての誤った視点に根ざしています。

 その現実感や個人的な期待が自分が望んでいたように満たされないと、エゴは気分を害し、怒ります。

 

 この種の行動は、ミレニアル世代やZ世代で増加していることがわかります。

 この世代では、”ガラスの世代”という蔑称が使われるほど、独自性や不当な権利意識が肥大化していたり、感情的になりやすかったり、怒りやすく、反対意見に対処できない人が含まれることがあります。

 

 全ての人は、個人的な安心感と安全を望んでいます。

 ほとんどの人は、他人から良い評価を受けることを望み、自分が何かに属していると感じたいと思っています。

 社会では、常に真実に基づいているのではなく、受け入れられ、所属する為に他人に見せる偽りの仮面の外面的なパフォーマンスやイメージによって、良い評価を確保しようとする傾向があります。

 どこかに所属したいというこの欲求は、自分が何をするか、どのように話し、どのように服を着るか、自分の世界でどのように自分自身を表現し、他の人に自分自身を提示するかに影響を与えます。

 
 ”安全性”が、外面的なパフォーマンスやイメージに基づいている場合は、誰かが自分について否定的であったり、悪印象だったと思われることを表現すると、脅威を感じることがあります。

 その脅威に対する訓練されていない潜在意識と顕在意識の反応は、気分を害したり、怒ったりすることです。

 何気ない発言・軽薄な発現・素っ気ない対応により、心が蝕まれ、平和が奪われることがあります。

 

 腹を立てるのを防ぐ方法は、自己認識と、核となる本来の自己を構築することにより、個人的な安全の欲求に対処することです。

 安心感がネガティブエゴと偽りの自己に根ざしている限りは、些細なことでも腹を立てる傾向が続きます。

 しかし、安心感が、外側のパフォーマンスやイメージに対するネガティブエゴの認識に根ざしていなければ、視点が変わるので、他人の行動やコメントに対する反応は、遥かにバランスのとれたものになるでしょう。

 

 無条件の愛が私たちの新しい統一原理として生まれ変わり、真の自己の霊的な力と人間の尊厳が表面化すると、信じられないほどの強さを獲得し、人生の状況に打ち砕かれたり圧倒されたりすることはなくなります。

 

 ここで、認識された攻撃が怒りと憤慨を帯びて、自己愛性に発展する重度の自我の歪みの別の要素を追加してみましょう。

 これらの人々は、怒りを別のレベルで捉えており、それは、精神的に不安定な不特定多数の人々からの爆撃や言葉のチョイスで表面化する可能性があります。 

 

 明らかに私達は、スピリチュアルな触媒として、不特定多数の人々の目覚めを引き起こすので、ネガティブエイリアンは様々なレベルの嫌がらせの為に闇のポータルを送り込んできます。

 それでも、YouTubeを見たり、ソーシャルメディアに触れたりすれば、侮辱・罵詈雑言・名誉毀損の戦術が、一般大衆にとっても全く新しいレベルに達していることは明らかです。

 大衆の潜在意識の内容は、全員が目撃できるように表面に吐き出されています。

 

これはシャリー・スタインズの記事です。
「自己愛性を持つ人が犯罪行為を認識した場合にどのように反応するか」

 多くの人は単に「自己愛的な傷」の概念について教育されていないので、自己愛性を持つ人を怒らせると理解を超えた怒りを買ってしまうことになります。

 典型的な人は、気分を害すると、傷ついた感情を経験したり、侮辱されたり、怒りを感じたりすることがあります。 

 しかし、気分を害した人は、最終的には違反を犯した人と話し合い、関係を修復して前に進む意欲を持つこともあるでしょう。 

 これには時間がかかる場合があります。

 

 一般に絆は「破壊と修復」のプロセスを通じて形成され、強化されます。

 人は、人間関係における破綻や対立が、やがてより深い絆や修復に繋がるのを見て、時間をかけて信頼を築き、人間関係の不安に対処する方法を学んでいきます。

 自己愛の場合はそうではありません。

 自己愛性の人格を持つ人を怒らせると、即時に、永続的な取り返しのつかない影響に繋がる可能性があります。

 そういった人に対処する時のルールは異なります。

 これは人間関係のあらゆる側面に言えることですが、ここでは自己愛的な傷に焦点を当てています。

 このような傷は、他のタイプの対人関係の破裂とは異なります。

 これらの違いを以下に示します:

典型的な破壊のテーマ:
*傷ついた感情
*反応は攻撃の認識とより一致する傾向があります
*怒りを引き起こす可能性があります
*修復に時間がかかる場合があります
*最終的に解決
*通常
*気分を害された人は、怒り、引き籠り、又は修復可能な報復として反応する可能性があります

 

自己愛的な傷のテーマ:
*恥ずかしいから攻撃する
*極端な過剰反応

*激怒の結果

*関係に実存的な脅威を引き起こす

*決して解決されない

*病的
*ジキル博士がハイド氏になる

*自己愛性持つ人は、違反者を処罰、追放、価値を下げる、又は捨てるという反応をします

 

 自己愛性のある人は自分自身について歪んだ見方をしているので、ポジティブなやり取りは期待通りに、ネガティブなやり取りは個人攻撃として認識する傾向があります。

 他者との関係において、自分自身についての疑似現実又は妄想状態中で生きているので、ネガティブな攻撃と捉える事に関して特に敏感です。

 彼らは自分が他の人より優れていると心から信じているので、肯定的な反応が来ると、それを当然のことだと思うかもしれません。

 

 彼らは一般的に内面の虚空を感じているので、妄想的な現実感を維持する為に、他者からの肯定的な動力を必要とします。

 誰かが自分に対する空想的な見方に反論すると、耐え難い虚無感に近づくので、切迫した不全感を止める為に激しく反応します。

 

 自己愛性がある人は、慢性的な内側の怒りを持つ傾向があります。

 ほとんどの人が怒りを感じますが、これは通常、何らかの脅威に対する反応です。

 怒りは、私達が行動を起こす必要があるときに、素早く気づくのに役立ちます。

 通常、人は怒っている時に、一時的に認知機能と共感を大幅に停止し、その場しのぎで行動する傾向があります。

 自己愛性がある人は、内面の羞恥心の裏返し常に怒りに満ちているので、この内なる怒りと羞恥心の闘争による圧力の一部を解放する為に、どんな些細な事でも言い訳にすることがあります。

 ペインボディの中のネガティブエゴと感情の歪みを取り除くことに継続的に専念することで、本質的に自分に絶対的な価値を置くことを学び、感情的な引き金に対して自分で責任を持たなければなりません。

 私達はまた、健全な境界線を設定し、自分を悩ませるものを手放す方法を知る必要があります。 

 私達が生きているこの時代には、それを手放す方法を学び、他人から言われた傷つく言葉や有害な言葉が自分の心を蝕み、心の平安を乱さないように、放っておくことが重要なツールです。
 

 すぐに腹を立ててしまう癖は、誰もが克服することができます。
 それは通常、他人の行動を変えようとする戦略を支持して、自分の感情を充分に理解していないからです。

 しかし私達は皆、自律的な存在なので、自分自身を変えることしかできません。

 これには、周りの世界を理解し、どのように反応するかが含まれます。

 自分が望む変化を他人に押し付けるのではなく、自分を変えることに取り組むことは、謙虚さとオープンマインドを必要とする貴重な選択です。

 

 この記事が、外界でエスカレートしているように見えるこの種のシナリオに対処するのに役立つことを願っています。