文化とはなんだろうか?数年ぶりに故郷の街に戻り、筆者が肌感覚で感じたのは「この街には文化が無い」という感覚だった。もちろんそれは極論であり暴論だ。もともと「文化」とは広範な意味を含み定義することが難しい。超乱暴に言えば、人が生き向上するために必要な何か、とも言えるだろう。

 

我が街にももちろん立派な市民会館はあるが、それは入れ物でありそれ自体は文化ではない。催事を見る限り近隣の興行会社や施設の運営を委託された事業者の手配する、どちらかと言えばパッとしないものが多い。もちろん筆者が不勉強なだけで小規模ながらもっと気の利いたものがあるのかもしれないし、そうであってほしいと願う。むしろ興行など文化の一要素でしかない。

 

筆者が故郷に移住し直面したのは、仕事が無い、好みのマスタードが無いという事象だった。実際には選ばなければ仕事はあり、もちろんマスタードも存在する。だから正確に言えば「自分にフィットする」仕事が無い、マスタードが無い、だ。それはわがままだ、贅沢だと一笑に付せば話はそれで終わりだ。

 

しかしもう少し考えてみたい。マイユのマスタードの存在すら知らなければ、食べてみたいという衝動も起こり得ない。近所のスーパーのパートマダムはアンチョビソースの存在を知らなかった。これまでアンチョビソースとは無縁の人生を送ってきたのだろう。それをどうこう言うつもりは毛頭無いが、つまりは選択肢の問題なのだろうと思う。

 

「この街には文化が無い」は「この街には選択肢が無い(少ない)」の勘違いであった。仕事にしろ食事にしろ大きな街に移り住むことによって、初めてその選択肢の存在と内容をリアルに知るということもあるだろう。

 

地方都市は魅力ある選択肢を用意できない故に実質的な人口流出に苦しむのだろう。自己責任を標榜する新自由主義の世において地方都市は地方都市故に為す術もないだろう。全国の全ての地方都市に街興しに必要な素材が揃っているとは到底思えない。悲観的な考え方だが自分に街を変える覇気が無いのなら街が変わるのを待つより自分が変わった方が早い。