中学の同級生、金木犀の彼女と付き合い始め、その付き合いは高校、大学、そして社会人になってもしばらくつづいた。こう書くと幼馴染との幸福なハッピーエンド、あるいは不幸な終わりを告げた恋愛話のように聞こえてしまうが、ことはもう少々複雑であった。

 

長いこと付き合ってはいたがそれは断続的であり、その間には互いに別の異性と付き合っていた。彼女は高校時代にはバンドのコンサートを、大学時代には演劇公演を観に来てくれた。仕事帰りに丸の内でデートもした。東京駅で駆け寄るふたりはまるでトレンディドラマのようでもあった。それでも彼女とはなんとなく別れたり復活したりを繰り返していた。若さゆえ、無自覚に傷つけ合ったり、求め合ったりしていたのだ。

 

その後彼女はイギリス人の銀行マンと結婚し、ロンドンへ渡った。

冷静に考えると、筆者は一人の女性の少女から娘へ、大人の女性から母親へと変貌していく姿を目の当たりにしていたのである。御主人さえ大人になってからの彼女しか知らない。それがどうした、という話でもないのだがなんだか複雑な心境だ。2、3の成り行きが異なっていたら彼女と家庭を営んでいたかもしれない。

 

結婚式のポストカードや出産した息子さんの写真が送られて来たり、山ほどディズニービデオを送ったり、やり取りは断続的につづいたがそれもしばらくして途絶えた。これは願望でしかないのだが、夫婦や家族といった存在とは別の、人生の一時期を一緒に過ごした互いに大切な存在であったと思いたい。

今想えば彼女は欧米人が好む(らしい)東洋人の顔立ちをしていた。

木蓮の散り際はあまり美しくない、散り際には回り道をして散歩しよう。