祭囃子が聞こえてくるところをみるとどうやら筆者の住むエリアは夏祭りらしい。窓の外を見下ろすと改造した大型トラックの荷台に子供と笛太鼓を満載したにわか作りの山車がゆっくりと通り過ぎていく。筆者も浴衣を着てあの荷台で太鼓を叩いたことがある。確か小学3年生の頃のことだ。同じ町内に住む田中くんに誘われたのだった。

 

1、2ヶ月程町内会の会館で練習し本番の夏祭りを迎えた。各町の山車が行列を作り市内の目抜き通りを進む様は子供の眼には壮観に映ったものだ。同じ町内に住む悪友たちはほとんど参加し、夜毎の練習はまるで夜遊びの萌芽の様であった。無邪気で幸せな時代だった。

 

田中くんとは3年生のクラス替えで一緒になり、何かと気が合って放課後は毎日の様に遊んだ。そんな時期が2年ほど続いただろうか。クラスが分かれると徐々に距離が出来、そのうちぱったりと付き合いはなくなった。

 

田中くんがその次に筆者の思い出に登場するのはなぜか高校を卒業した直後のことだ。進学について思い悩みながら街を歩いていると、パンチパーマにサングラス、ロングコートを羽織った小柄なチンピラの見習いの様な男がよおっ!と声をかけて来た。はて、こんな風体の男に知り合いがいただろうかと、よく顔を見ると田中くんではないか。

 

ムスッとした表情を装う顔からこぼれる笑顔は人の良さを隠しきれない。まるでマーティン・スコセッシのグッドフェローズのようだ。お互いに気恥ずかしさからか、ろくに言葉も交わさずにすれ違ってしまった。筆者はその直後に街を出て40年もろくに戻らなかったので、彼とはそれきりになってしまった。祭囃子がふとそんな彼の思い出を運んで来てくれた。

筆者も来月からスーツの人だ。夏の間はクールビズだが秋冬ともなればネクタイも締めねばならない。スーツが仕事をするわけでもあるまいに。まさかこの歳でスーツにネクタイとは思わなかったが致し方ない。35年前に3年程スーツの時期があったが、それ以降はほとんど着ることが無かったしネクタイも締めなかった。

 

そういう視点で街のスーツ姿を眺めるとなんともテキトーなスーツばかりで改めて驚く。そもそもスーツとは礼装をドレスダウンした略礼装の意味もあったと思うのだが、街ゆくスーツ姿の多くはヨレヨレのテレテレで、それ着て行ったら逆に失礼だろと思わなくもない。スーツさえ着ていればなんでも良いというものでもないと思うのだが、もはや筆者の感覚がズレているのだろう。

 

つい先々週着たばかりのスーツのズボンが入らなくなっている。やや、これはどうしたことか?とタグをよく見たら、てっきり処分したと思っていた似たスーツのズボンだった。かつて筆者はバブルの時代に「スーツは名刺代り」と言って憚らない業界にいた。周りを見渡しても高級ブランドばかりで、それこそ石を投げればアルマーニに当たるという時代だった。

 

その流れに逆らえず筆者も何着かブランドのスーツを着ていた。もっとも大半は百貨店の吊るしのスーツだったが、着ていて気分の良かったのはコムデギャルソン オムドゥのスーツだった。デザイナー氏がオーソドックスなスーツを意識して始めたラインで奇を衒うこともなく、縫製も上質でシルエットもごくシンプルなものだった。

 

なんだ、捨ててなかったのか!埃除けのビニールを外して手触りを確かめると、やっぱりスーツってこうだよなぁと思う。経済的に筆者が着る楽しみを謳歌出来るようになるのはいつのことだろうか。背に腹はかえられずファストファッションの店に駆け込む自らの姿が容易に想像できてしまい、暗澹たる気分になる。

♪連れて~ 逃げて~よ~

 付いて~ おいで~よ~

という演歌があった。筆者はその後に続く歌詞を知らなければ、その歌が描く全体の情景も知らないが、なんとなく全般的に昭和枯れすすき的な情景を感じ取っていた。

 

毎日通ったスーパーのパートマダム達の顔を見る度に何かが思い出せそうで、なかなか思い出せないでいたのだったが、ああ、これかとようやく思い至った。むしろ年季の入ったマダム達は生き生きとしているのだが、若妻さんと見られる比較的若いパートさんのごく一部に、非常に気怠そうで倦怠感満載の顔が見られる。

 

ここからは筆者の邪推でしかないのだが。

早めに結婚をして、子供を育て、家事をこなし、家計の補助にパートに出る。徐々に歳をとり、単調な毎日に自分の人生はこんな風に終わって行くのかと時々思うことがある。気分の風向きによては狂おしい程の退屈感に苛まれることがある。経験や価値観によっては100人にひとりくらいそういった人がいるかもしれない。

 

それが良い悪いの話ではなく(むしろ幸せなのかもしれないし)ただ、そういうこともあるだろうという話だ。洋の東西を問わずマジソン郡の橋はどこにでも架かっているのだろう。その橋は慌ただしい都会ではなく、ちょっと不便な田舎町に架かっていることが多そうなことに今回の滞在で気がついた。

 

そして奥様達は本来の鞘に収まっていく。だからこそ、上記の演歌も成立するしマジソン郡もモンタナの風も大人の胸を打つのだろう。しかし、現実にはそうそう簡単にクリント・イーストウッドはやって来ない。