【作品#0829】天国の本屋 恋火(2004) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

天国の本屋 恋火

【概要】

2004年の日本映画
上映時間は111分

【あらすじ】

しがないピアニストの健太はある日、いきなり天国の本屋でアルバイトをすることになる。その本屋へピアニストを志すきっかけとなった憧れの翔子がやってくる。

【スタッフ】

監督は篠原哲雄
音楽は松任谷正隆
撮影は上野彰吾

【キャスト】

竹内結子(長瀬香夏子/桧山翔子)
玉山鉄二(町山健太)
香里奈(由衣)
新井浩文(サトシ)
原田芳雄(ヤマキ)
香川照之(瀧本)
大倉孝二(マル)
香川京子(桧山幸)
塩見三省(西山)

【感想】

松久淳と田中渉が2000年に発表した「天国の本屋」の映画化。

まずこの天国の設定がかなり受け入れがたい。一気に全部説明すると大変だろうから、映画ではこの天国という世界がどういう世界なのかを徐々に説明してくれる。原田芳雄演じる店長のヤマキが「人間の寿命が100年であり、早く死ねば逆算して残りの期間をこの天国で過ごすのだ」と言う。この時点でなんじゃそりゃって話である。なぜ本屋なのか、なぜ健太はアルバイトなのか、なぜこの人数しかいないのか…ただ、いくらでも湧いてくる疑問に対してすべて説明してくれるわけではない。もちろんすべて説明しろとは言わないが、観客が疑問に感じない程度にルール作りはしてほしいと思う。

しかも、天国という死人が行く場所かと思いきや、自殺しようとしたり人生に絶望したりしている人が来る場所でもあるらしい。てことはこの天国は死人とこの世で生きる人間の両方がいるってことか。まぁ天国なんて人間の作り上げた理想郷みたいなもんだからどんな場所でも良いけどさ…。

由衣や健太はアルバイトであり、由衣は弟を事故で亡くした責任から飛び降り自殺しようとしたところをヤマキに連れて来られ、健太はピアニストとしてうまくいかずに絶望していたところをヤマキに連れて来られたという設定だ。だとしたらヤマキが彼らを連れて来る場面は見せた方が良くないか。そこで観客向けにも説明できるじゃないか。また、ヤマキは健太に由衣はリハビリ中だと告げる。つまりは自殺したいという気持ちがなくなることを目指しているのだと。

それから、タイトルにもなっているこの本屋。なぜこの場所がレストランでもホテルでもスポーツジムでもなく本屋なのか。それはさっぱり分からない。タイトルにもなっているのにそれがただの場所だなんてもったいな過ぎないか。さらに、本についても特に取り上げられることはない。本屋なのに。

ただ、この本屋では客からのリクエストで本屋の店員やヤマキが朗読会を開催している。これについて翔子は本を「人の声で聴きたいことがある」と言っている。確かにそういう人はいるかもしれないし、本の朗読自体はマイナーながらもジャンルとして成立していると思うので分からなくもない。ただ、本屋でやることかね。そもそもこの場所は本屋というより図書館っぽいし。

そして、この天国では生前大切にしていた人には会えない場所であると説明される。大切にしていた人に会うために自殺する人がいると困るからだという。ここで大切な人に会えるかどうかはこの場所を知っていないと分からないわけだし、何とも納得感のない設定だな。さらに問題なのは、このルールを観客向けに提示しておきながら、由衣は事故で亡くなった弟と再会を果たしている。おいおい。この天国のルールはいい加減だな。その香里奈演じる由衣のエピソードはまるで本筋に関係していない。主人公が歩む道の先を行く存在として、「主人公には後にこういう将来が待っているのか」と思わせるだけのキャラクターである。

それからようやく本筋だが、かなり自己満足の物語になっていないか。特にこの世のパートは見ていてかなりきついぞ。町内の花火大会のために香夏子は、おばの翔子の片耳を不自由にする事故を起こして花火を作らなくなった瀧本のもとを訪ねる。翔子が「ピアノを弾けなくなったのは滝本のせいだ」と言ったことで、瀧本は事故を起こした責任を取る形で花火を作らなくなった。天国にいる翔子は健太に「本当は花火を辞めてほしくなかった。伝わらなかったのかな」なんて言っているが、何と無責任な人間なんだ。自分から辞めろと言っておきながら、本心では辞めてほしくないと思っていただと。そしてそれが伝わらなかったことを嘆いているが、辞めてほしくないならなぜ辞めてほしくないと言えないのか。素直になれなかったわけでもないだろう。念じれば気持ちは相手に伝わるものだと思っているようだ。しかも、それを反省している訳でもないので、本気でそう思っていたのだろう。天国にまで来てまだ分からないのかよ。残念な人間だな。

さらにこの世では姪の香夏子が瀧本に追い打ちをかける。何度も花火製作の依頼にやってくる香夏子を瀧本は何度も追い返すが、香夏子は「亡くなったおばがあなたの花火を待っている」と瀧本を嗾ける。そしてついに香夏子は瀧本の家に上がり込み、「逃げるな」と怒鳴り散らす。滝本だって苦しんでいるのが分からないんだろうな。人の負った傷に塩を積極的に塗りつけにいくスタイルには驚かされる。この一連の香夏子の行動は映画内で決して悪いものとして描いていない。むしろ、花火を作らない瀧本が少し悪いように描かれている。さらに、初回を除けば香夏子は瀧本と単独で会っているので、彼女の行動を戒めるキャラクターさえ出てこないのだ。彼女の行動を見ていると、町内会で周囲が協賛金を集める中、自分にも成果が欲しくて意地になって滝本に会いに行っているようにも見えるぞ。

また、たちが悪いのが、この翔子は花火の事故が原因で死んだわけではなくその後病気になって死んだという設定だ。確かに若者が病気で死ぬこともあるけどさ…。いくら何でも瀧本が可哀そ過ぎるわ。そして、必要もないのに翔子を病気で死なせるなよ。

そして、天国では翔子が作っていた「永遠」の10曲目の話になる。滝本の花火によって完成するんだったらすでに完成しているのは違うんじゃないか。

ついにクライマックス。花火は終わり、瀧本は花火を作らなかったのかと思われたが、瀧本にしか作れない「恋する花火」が打ち上がる。「恋する花火」という種類の花火があるのかと思ったが、これは本作の創作なのね。あと、打ち上がった花火を見ただけで「これが恋する花火か」とか「瀧本がようやく花火を作ったんだ」というのが伝わりにくい。「恋する花火」がどんなものかをイメージできるようにすでにそれを見たことのある人が見たことのない人に説明するシーンや辛うじて収められた写真などを見せて観客に共有するシーンが必要だったように思う。この「恋する花火」を見て、なるほどと納得のいくものが得られないものになっている。

また同時に、この世に舞い戻った健太が翔子の作った「永遠」を河川敷で弾くことになる。なんであんな場所にピアノが置いてあるのさ。誰が運んだんだい。いくら何でも無理があるわ。

ちなみに、健太は翔子のおかげで天国の本屋でのアルバイトを終えてこの世に戻ってきている。彼の絶望の始まりはコンサートでの五重奏で彼だけが実力不足でコンサートマネージャーからクビを言い渡されたところだ。別に自分勝手に演奏したわけではない。ピアノだけ実力の劣る健太を組み入れたチーム編成に問題があると思うわ。また、翔子に言わせれば肩に力が入り過ぎているからうまく弾けなかったという実力不足だろう。となると、健太はピアノが下手で絶望して天国の本屋でアルバイトすることになり、そこで出会ったピアニストの翔子から訓練を受けてうまくなったのでこの世に戻ったという話になってしまうぞ。人生に絶望しなくなったからこの世に戻るっていうのは分かるけど、映画的には彼が人間として成長していなければ意味がないと思う。健太は人として何か変わっただろうか…(ピアノが少しうまくなっただけやん)。

それから本作の大きな問題の一つ(一体いくつ問題あるねん)は竹内結子の一人二役である。彼女は天国で桧山翔子を、この世で翔子の姪である長瀬香夏子の二役を演じている。彼女らが別人であることは割と早めに分かるのだが、同じ竹内結子が演じていることで、地上パートは死ぬ前の出来事ではないかと観客が勘違いしてしまう恐れがある。それに、双子でもないのに一人二役はさすがに無理がある。おばと姪がそっくりなんてあり得るか。このファンタジー映画にリアリティを求めてもしょうがないかもしれないが、彼女らは別人が演じるべきだったと思うわ。せめて髪型とか化粧とかははっきりと違う人間と分かるくらいに変えた方が良かったんじゃないの。

結局、この物語で何を伝えたかったのだろうか。物語上の欠点だけでなく、キャスティングや設定などその他諸々でも雑音が大きすぎる。なかなかの失敗作。




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【書籍関連】

<天国の本屋>

形式
├紙
├電子
出版社
├小学館文庫
著書
├松久淳/田中渉
長さ
├146ページ