【作品#0283】ソロモンの偽証 前編・事件/後編・裁判(2015) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

 

ソロモンの偽証 前編・事件/後編・裁判


【概要】

2015年の日本映画
上映時間は121分(前編)/146分(後編)

【あらすじ】

1990年のクリスマスの朝、2年A組の藤野涼子と野田健一は校舎横で雪に埋もれた同級生である柏木卓也の遺体を発見する。警察は自殺と断定したが、藤野涼子と学校宛てにこれが殺人事件であるという告発状が届く。

【スタッフ】

監督は成島出
音楽は安川午朗
撮影は藤澤順一

【キャスト】

藤野涼子(藤野涼子)
佐々木蔵之介(藤野剛)
夏川結衣(藤野邦子)
永作博美(三宅未来)
黒木華(森内恵美子)
小日向文世(津崎正男)
尾野真千子(神原涼子)

【感想】

宮部みゆきが2012年に発表した全6巻の原作小説を2部作にして映画化。邦画史上最大規模のオーディションの末、当時14歳だった藤野涼子が主人公役に抜擢され、監督とプロデューサーの提案により、実名と同じ役名を演じることになった。2015年3月に前編が、4月に後編が公開されたが、合わせて13億円程度のヒットにとどまった。

流行の2部作構成だが、やはり後編ありきの前編という形に見えるし、尺伸ばしではないかと思うほど話が進まない場面や関係ない出来事を無理やり繋げている場面もある。例えば、告発状を破り捨てたと疑われる森内先生が涙ながらに潔白を訴えても、同僚たちはそれを絶対に信じない。この告発状は隣人が盗んでいたことが後に判明し、この隣人は森内先生に大怪我までさせている。柏木卓也の件で何の関係もない森内先生の隣人がこのような形で関わって来るのかは理解しがたい。生徒と向き合わなかった森内先生への天罰と言う意味合いなのだろうか。

セリフが浮いている場面も多い。何ならオープニングの大人になった涼子と校長の会話シーンでさえも、小説の文言をそのまま喋っている感が強い。後の(時系列的には過去の)出来事を想起させる会話シーンと言うことだろうが、ちょっと説明的すぎてこのオープニングは失敗していると言える。後の遺体を発見するシーンはなかなかインパクトがあっただけに、現在のシーンが映画に引き込むうえで邪魔な要素になっている。さらには前編にはなかった大人になった涼子のナレーションが後編のいくつかの場面で挿入されており、演出としての中途半端さに感じる。そのナレーションがなければ理解できないシーンならまだ分かるがそうでもない場面で急にナレーションを入れる必要性は感じないし、色んな意味でノイズになっている。

また、中学生がメインキャラクターだが話している内容があまりにも大人びている。まだ未熟な中学生故の苦労とかもあると思うのだが、裁判に至るまでも、裁判が始まってからも驚くほどにトラブルなく進んでいく(展開上のトラブルはもちろんあるのだが)。その中学生故の苦労を時には大人の力を借りて乗り越えていくべきだと感じるし、理解者や適任者があっさり見つかる展開はかなりご都合主義に映ってしまう。このあたりこそ、理解者や適任者を探すべく奮闘する様子はいくらでも描けたのではないかと思う。また、裁判を参考するためにビデオを見ると言う場面があったが、それが映画ならタイトルくらい言ってほしいものだね。

そして、藤野涼子が神原を怪しいと感じる描写が後編に入ってからあるのだが、どう見ても不自然。柏木卓也の家への電話が柏木卓也本人であるという仮説を神原が立てるはずがないと涼子が感じたところで、柏木卓也の葬儀に彼が来ていたことを思い出す。そこで神原が何か嘘をついていると疑うのだが、彼が葬儀に来ていたことは前編の時点で気付けたことだろう。しかもそのことを追及しても、神原は「裁判ですべて明らかにする」と言ってもったいぶる。樹里にも同じくもったいぶられる場面があるのだが、尺伸ばしにしか見えない。結局、神原が最初から正直に話していれば後に死者が出なかったわけで、「自分を裁いてくれ」と言ったところで自己満足でしかない。彼が真相を話さなかった理由も後に説明されるが、納得しがたい。映画的には「彼も中学生なのだから…」で済ませている気がする。しかも、神原の父が母を殺した過去を持っていると言うのも取ってつけたようだった。

それから本作の一番の問題は、前編で柏木卓也が3人に屋上から突き落とされるフェイクの映像があったことだ。フェイクの映像を観客に見せるのは「絶対になし」だわ。このフェイク映像を観客に見せたせいで、終盤の神原の言っていることも「実は嘘なんじゃないか」という疑問が残ってしまう。映画的にはフェイク映像を入れたことで、真相を明らかにしたいと願う主人公の気持ちを踏みにじる形になっていないか。結局、「死人に口なし、真相は藪の中」と思われてもしょうがないよ。

さらには、柏木卓也の自殺した理由が映画的にいい加減なのも気にかかる。「生きている理由がない」と言う場面はあるのだが、なぜそう思うのかが観客側にさっぱり伝わってこない。何なら製作者側は描く気すらなかったように感じる。他殺ではないかと疑って動き始めた話が結局自殺だった。この話において自殺の理由はもっと明確にしてほしい。

また、上述のように現代パートも不要に感じる。この裁判があったから以降の校内でいじめもなくなったというのは強引だ。学校内でのいじめはもちろん地域性などもあるだろうが、この映画で描かれる地域ならそう簡単になくなりそうにないと感じる。また、藤野の苗字が神原になっていることで彼らが結婚したことを示したいのだろうが、粋ではないね。

中学生視点で見れば、良くも悪くも人生で最も大きな体験をしたことになるだろう。だが、どう見ても(特に神原の)私的裁判だし、涼子の父親が言うように「真実を暴くことで傷つく人が出てくる」わけである。結果的にすべてこれで良かったというような描かれ方だったが、主人公が「間違っていたこともあったかもしれない」という自己批判的な視点は必要だと思う。映画的には主人公はあまりにも大人びているが、この視点を欠いている以上まだ子供とも言える。だからこそ、現代パートは過去の裁判を伝説として扱うのではなく、大人になった涼子がその時のことを多少自己批判的に話す必要があると思う。もちろん熟慮の末、「いや、あれは間違っていなかった」と思うならそれはそれで良いが。また、結果的に2人が死に、体や心に傷を負った者がたくさん出た一連の出来事に子供たちが全力で向き合ったなら、それを見た周囲の大人たちが何かに気付かされたり、突き動かされたりしても良いような気がする。映画的に悪役だった楠山教諭と尾崎教諭は中盤以降はは出番がないし、柏木卓也の遺族も出てこない。ここは主人公と最後に対峙させても良かったとは思う。

前編と後編合わせて4時間半はやはり長い割には、自殺した柏木卓也、ずっと真相を黙っていた神原の心理が見えてこないのは痛い。2部作構成ではなく、連続ドラマで描くべき題材だろう。ただ、演技レベルに差はあれど、若者の演じる姿を割と正面から描いているところは好感が持てた。




取り上げた作品の一覧はこちら

 

 

 

【配信関連】

<Amazon Prime Video>

言語
├オリジナル(日本語)

 

<Amazon Prime Video>

言語
├オリジナル(日本語)

 

【ソフト関連】

<BD(3枚組/コンプリートBOX)>

言語
├オリジナル(日本語)

映像特典(Disc3)

├メイキング・オブ・ソロモンの偽証