【作品#0160】別離(2011) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

 

別離(英題:Nader and Simin, A Separation)

 

【Podcast】

Podcastでは、作品の概要、感想などについて話しています。


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【概要】

2011年のイラン/フランス/オーストラリア映画
上映時間は123分

【あらすじ】

結婚して14年目を迎えたナデルとシミンは、11歳になる娘と認知症のナデルの父との4人暮らし。シミンは娘の将来を案じて海外への移民を考えているが、介護が必要な父を置いていくことはできないとして2人は対立する。

【スタッフ】

監督/脚本はアスガー・ファルハディ

撮影はマームード・カラリ

 

【キャスト】

ペイマン・モアディ(ナデル)
レイラ・ハタミ(シミン)
サリナ・ファルハディ(テルメ)

 

【感想】

 

普段ニュースで見聞きしても、国民の暮らしぶりまでなかなか見ることのないイランについて少し知ることのできるアカデミー賞外国語映画賞受賞作。

 

冒頭の長回しから観客を映画の世界に引き込む。ここではカメラが夫婦を正面から捉えるショットで、正面から見て右側に夫、左側に妻が映されている。イスラム圏では左よりも右が優先されており、それが本作においても画面構成としてかなり意識されている。夫婦が映る場面では夫が右側に、それ以外の場面でも力関係が上の人が右側に映されているため、イスラム圏の映画を見る上でこの辺りを意識してみても面白いだろう。

 

妻のシミンは娘の将来を案じて、国外での生活を考え移民を考えている。イスラム圏でも比較的女性の権利が認められているイランにおいても、女性が一人で移民許可証まで発行してもらうと言うのはなかなかのことだろう。後に出てくる家政婦のラジエと比べても、車を所有し、服装も比較的ラフで、イスラム教への信仰心もそこまでではないというどちらかというと都会的な女性である。

 

夫のナデルは娘の宿題を手伝う教育熱心な父親に見える。イランの国語に当たるペルシャ語を間違えないように教えたり、セルフのスタンドでお釣りをもらうように娘に言ったりする姿から、ナデルが娘をイラン国内で育てていこうという意思表示にも見える。ただ、女性への態度はやや高圧的で、洗濯機の回し方が分からないところを見るに普段あまり家事をしていないのが分かる(ただ、イスラム教では夫が妻を養い、妻が家庭を守るという側面はある)。さらに、認知症の父親が事故の後に喋らなくなるが、その前に喋っていた少ない言葉は皮肉なことに、すべて彼の妻の名前であるシミンを呼ぶものであった。

 

そしてこの家にやって来る家政婦のラジエ。妊婦の身であるにもかかわらず、トラブルを起こして失業中の夫の代わりに働きに出てきたのだ。小さな娘もおり、この夫婦の家に来るまでにはバスを乗り継ぎ2時間もかかると言うのだから、田舎で貧しい生活をしてることは想像がつく。実際に終盤に出てくる彼女の家は何世帯もの家族が同局する場所であった。田舎や貧しさは宗教へより強い信仰心を抱かせるもので、本作においてこのラジエは最もイスラム教への信仰心が篤いキャラクターである。そしてその信仰心の篤さは利用されることにもなってしまう。どうしようもない状況に陥った時に、電話で罪に当たらないかを確認する場面は興味深い。

 

その夫のホッジャト。彼も貧しい暮らしで、思ったことをはっきり言ってしまう性格から過去に何度もトラブルを起こしていたことが分かる。ただ彼も妻と同様にイスラム教への信仰心が篤いキャラクターである。夫婦を庇ったと思った教師に、「俺のコーランに誓え」と詰め寄る場面では、その教師がコーランに誓うとそれ以上何も言わずに立ち去ることになる。

 

そしてナデルとシミンの11歳になる娘のテルメ。両親に離婚してほしくないために奮闘するキャラクター。父親から間違いを正すように言われて育ってきたテルメは、父親に嘘をついていないか何度も確認する。当初のセリフ量からすると、事態が深刻になるにつれてテルメの口数はどんどん少なくなっていく。

 

この映画の決着は、ナデルとシミンがラジエに「自分がラジエを流産させたことをコーランに誓ってくれ」と迫るところになる。ラジエはお金を受け取ると罪になると聞いたが、お金を払わないとホッジャトがどんな嫌がらせをしてくるか分からないというどうにもならない状況になる。ここへきてラジエは真相を話さざるを得なくなり、ラジエを信じていたホッジャトは裏切られ、慰謝料で解決するはずだった金銭問題も解決できず、という誰も得しない展開となる。そしてラストはナデルとシミンが離婚することになり、娘のテルメが両親のどちらについていくかを裁判官に話さなければならなくなるところである。この決断を映画内で描かなかったのは監督の優しさだと察するが、このような大人の争いごとで割を食うのは結局弱者や子供である。たとえナデルとシミンがテルメに離婚理由をどれだけ時間をかけて説明したって理解してもらえない。テルメがこの時に負った傷は癒えるのだろうか。

 

この映画を見るに、社会の変化と人々の準備というところをすごく感じる。社会や制度がどれだけ変化しても変わらないものや変えられないものはたくさんある。イスラム教への信仰心や理解も人によって異なるが、ラジエのように信仰心の篤い人が、周囲の環境の変化や状況に応じて行動するとそれが罪になったり結果的に人を傷つけてしまうことになってしまう。また、高齢者への介護の問題があるのに、イラン国内での生活に不安を感じて移民を決意するというのもナデルからすると大きな変化であろう。何かを受け入れるには一個人としてだけでなく家族や市民といった大きな枠組みでの意識の変化が付いて来ないと、それは事故や悲劇を生みかねない。大きな行動には大きな代償を伴うものだが、その代償があまりにも大きかったり、その被害に遭う弱者や子供たちのことまで本当に考えられたものなのか改めて考えなければならない。

 

 

 

取り上げた作品の一覧はこちら

 

 

 

【配信関連】

<Amazon Prime Video>

言語
├オリジナル(ペルシャ語)

 

【ソフト関連】

<DVD>

言語
├オリジナル(ペルシャ語)

映像特典

├インタビュー集
    ├アスガー・ファルハディ監督:映画制作について
    ├アスガー・ファルハディ監督:『別離』について
    ├レイラ・ハタミ:『別離』について
├日本版劇場予告

 

<BD>

収録内容

├上記DVDと同様