【作品#0109】ケス(1969) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

 

ケス(原題:Kes)

 

【Podcast】

Podcastでは、作品の概要、感想などについて話しています。

 

Apple Podcastsはこちら
Google Podcastsはこちら
Spotifyはこちら
Anchorはこちら

【概要】

 

1969年のイギリス映画

上映時間は110分

 

【スタッフ】

 

監督はケン・ローチ※当時の表記はケネス・ローチ

撮影はクリス・メンゲス

 

【キャスト】

 

デヴィッド・ブラッドレイ(ビリー)

コリン・ウェランド(ファーシング先生)

 

【感想】

 

バリー・ハインズの小説「ケス」の映画化。ちなみに「ケス」というのは本作に登場するハヤブサの学術名である。本作は興行的に失敗して、後にケン・ローチがしばらく映画を製作できなくなってしまったのだが、それが驚きなほどの素晴らしい作品であると感じる。

 

まず、本作の製作される1960年代のイギリスは英国病という社会問題を抱えていた頃である。戦後のイギリスでは「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる社会保障制度が成立し、石炭や交通などのあらゆる産業を国有化して小さな政府を目指していた。それによりイギリス国内での競争力が落ちて行き、輸入が増え、給料も上がらず、労働環境の悪さからストも多発し、国内の資金も海外へ流出していったという厳しい時期を迎えることになったのである。そういった時代や社会の閉塞感ややるせなさを少年ビリーから見た作品と言える。

 

イギリスは階級社会としても知られるが、本作の主人公のビリーの住む家庭は明らかに下流であり、その象徴とも言えるのが炭鉱とサッカーである。さらに舞台となるのはサウスヨークシャーという炭鉱で栄えた町である。

 

そんな社会を象徴するかの如く、主人公ビリーは家庭内でも学校でもうまくいってない。父親は蒸発し、母親は新たな相手を探すのに夢中、兄は炭鉱で働くチンピラである。母親も兄も同じ酒場で出会いを求めているのもこの田舎町故の閉塞感が表現されている。さらに学校では校長や教頭が威張り散らしており、目を付けられているビリーは度々体罰を受けている(特に尺を取って描かれるサッカーシーンは強烈な印象に残る)。子供にとって居場所となるのは主に家庭と学校であるが、ビリーにとってはそのメインとなる2か所が大きくやられいる感じである。

 

さらにビリーは早朝から新聞配達の仕事までしている。ただ、その合間に牛乳配達している車から牛乳を盗んだり、サボって漫画を読んだりしている様子はいかにも少年らしい。ただ、何かを盗むことが当たり前になっているのはこの社会や環境が生んだ弊害であろう。そして、ビリーはハヤブサのヒナも盗んで持ち帰ることになる。家庭も学校も居場所のないビリーにとって自然こそが彼の居場所であり、そこでハヤブサのヒナに興味を持つのも当然だろう。そしてそのヒナに「ケス」と名付けて、育て方は盗んだ本から勉強して育てていくことになる。

 

そんな中でも本作で唯一救いとなるのが担任のファーシング先生だろう。中でも中盤の授業中に「事実とは何か」というテーマが取り上げる一連のシーンは白眉だろう。そのテーマで話すことになったビリーは「ケス」について先生や他の生徒に話し始める。それまで何でもなかった少年ビリーが、他の誰でもない「ケス」を訓練する少年ビリーとして輝くのである。ハヤブサの訓練方法なんてほとんどの人が知らなくて興味をそそられると同時に、このビリーが一生懸命に訓練した様子を話す姿がとても健気でである。

 

その後、ビリーは他の生徒から親の悪口を言われたことで喧嘩することになる。そこで仲裁に入ったファーシング先生がビリーに家庭事情などを心配してくれる。また、ビリーが本音を語ったことで、ファーシング先生はビリーに「ケス」を見せてほしいと頼んで見に来てくれることになる。その「ケス」を見に来たファーシング先生は、ビリーの姿に感心して褒めてくれるわけであるが、ビリーにとってはこういったファーシング先生のような父なる存在が必要だったんだろうなと感じさせられる。

 

それから、学校では就業面接が行われる。当時のイギリスでは中学校を卒業したら、高校に進学するのか、就職するのかの二択であり、おそらく斡旋業者が生徒をまとめて面接して適当な場所に振り分けていたのだろう。ここで面接官の男はビリーに「事務の仕事か肉体労働か」の二択を迫ってくる。ここでビリーは「自分は選ぶ立場にありません」と答えている。ビリーは自分が下流の人間であることを理解し、またどれを選んでも大差ないだろうと感じていたことだろう。仕事が二択で選べるわけがないし、ある程度決まった将来であるとビリーが感じていることも、当時の英国病を抱えるイギリスの閉塞感を表現していると言える。

 

ラストは、ビリーが大切に育てていた「ケス」が兄によって殺されてしまう。ビリーの唯一の居場所だった「ケス」が殺されるというバッドエンドである。振り返ると、ビリーに訓練された「ケス」こそがビリーそのものでもあると言える。外で「ケス」を放ったらもう帰ってこないかとビリーは不安になったが、「ケス」はビリーのもとへ戻ってきた。ビリーも「ケス」も自由や外の世界を全然知らないのである。この田舎町を飛び出せばこの町以外の世界は無限に存在するわけである。ただビリーはそんなことは知らないし、それを教えてくれる存在はいない。それは図らずも「ケス」も一緒である。自然であちこち飛び回るハヤブサの「ケス」が、ビリーに訓練されたことで鳥小屋の中と、ほんの少しの外の世界しか知らないのである。「ケス」は飛び出す自由は与えられたのにビリーのところへ帰ってきた。ビリーも飛び出す自由はあるはずなのに、この地域、家庭に生まれたことでそこに気付けずにいるのである。

 

最後に「ケス」が殺されたのと同じ結末をビリーが迎えないように応援したい。まさに英国病という病に悩まされていた当時のイギリスの閉塞感と、ビリーが成長して少し世界が広く見え始めるあたりのバランスが見事に表現された傑作。

 

 

 

取り上げた作品の一覧はこちら

 

 

 

【ソフト関連】

<DVD>

言語
├オリジナル(英語)

 

<BD>

言語
├オリジナル(英語)