【作品#0110】スケアクロウ(1973) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

 

スケアクロウ(原題:Scarecrow)

 

【Podcast】

Podcastでは、作品の概要、感想などについて話しています。


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【概要】

 

1973年のアメリカ映画

上映時間は113分

 

【あらすじ】

 

刑務所から出てきたマックスは、船乗り生活を終えたライオネルと知り合い洗車ビジネスを始めようと誘い、カリフォルニアからピッツバーグへ向かうのだが…。

 

【スタッフ】

 

監督はジェリー・シャッツバーグ

音楽はフレッド・マイロー

撮影はヴィルモス・スィグモンド

 

【キャスト】

 

ジーン・ハックマン(マックス)

アル・パチーノ(ライオネル)

 

【感想】

 

アル・パチーノが映画初主演を飾った「哀しみの街かど(1971)」で監督したジェリー・シャッツバーグ監督作品。カンヌ国際映画祭で計4度パルム・ドールにノミネートされたジェリー・シャッツバーグ監督にとって唯一のパルム・ドール受賞作品。

 

マックスとライオネルという、金もない2人の男がその日暮らしをしている。飯食って、酒飲んで、女抱いて、寝て、働いて、笑って、喧嘩して…。割と安定した生活をした人間からすると、こんな暮らしはできないなと思ってしまうものだが、見ている分にはなぜこうも楽しめるのかと不思議な気持ちになる。何といっても「彼らが生きてるな」と感じられるし、そのキャラクターに命を吹き込んだジーン・ハックマンもアル・パチーノも彼らのベストアクトと言っても過言ではない素晴らしいものだった。

 

オープニングは、マックスとライオネルの出会いが描かれる。ほとんど車の通らない道路脇でのヒッチハイク。マックスはイライラしており、その様子をライオネルが眺めている。なかなか縮まらない距離感を人懐っこいライオネルが埋め、最後はタバコが彼らを繋げる。決して口数も多くない冒頭で、彼らのキャラクターを描き分けるセンスは見事である。またそのシークエンスの最後で空にある雲が道路と同じような形をしているのも美しい。

 

その後、彼らはダイナーで自分たちの素性を明かして、マックスの誘いで共に洗車のビジネスを始めるという話になる。マックスは自分の体の大きさと態度の大きさ、握手という行為でライオネルを裏切らせないようにしているように見える。握手を何度も求めることでマックスは実は他人をあまり信用していない繊細なキャラクターであると言える。そんな彼が厚着で10枚ほどの服を重ね着しているところも象徴的である。

 

ロードムービーのごとく、街から街を移動し、彼らは安宿に宿泊することになる。そこで映画のタイトル「スケアクロウ(=案山子)」についての説明が入る。映画の序盤近くでタイトルの意味について話すのはなかなか挑戦的であると感じるが、要するにライオネルの自己紹介みたいなものである。これが後にポイントになっていく。

 

その後の酒場ではマックスは喧嘩を起こしてしまうが、ライオネルが道化になってけんかの仲裁をする。喧嘩が終わり、マックスが女性を宿に連れ込むと、ライオネルはまだ道化のごとくふざけている。ここではライオネルの構ってほしいという幼稚さや、後に判明する自分の子供から逃げた事実に繋がる行為を茶化したいと考えている。後にマックスの実家でマックスがフレンチーという女性と仲良くしていると、ライオネルがわざと邪魔をするところなんかも同様である。

 

そして4人で酒場へ行くとマックスはまた喧嘩を起こしてしまい、巻き込まれたライオネルまで更生施設送りになってしまう。マックスは手帖に書き込んでいた計画が実現できずに逆戻りになってしまったと考え、完全に不貞腐れてしまう。

 

マックスは悪くもないライオネルとも会話しようとしなくなる。そこでライオネルが同施設内の男からの暴力に屈すると、マックスは自慢の暴力でその男をねじ伏せることになる。

 

そして更生施設を出たマックスはまたもや酒場で喧嘩を起こしそうになる。呆れたライオネルがその場を後にしようとすると、マックスはライオネルの得意技である道化になって自らが笑い者になることで喧嘩を収め、酒場内の人気者になってしまう。今まではライオネルが道化になる役割だったのに、マックスが成長して喧嘩を収めてしまった。自分は成長していないのにマックスだけが先を行っているように感じ、さらに友人だったマックスが誰かに取られて遠い存在になってしまったかのように感じているのだ。その時のライオネルは笑っていない。

 

ライオネルは恋人アニーが妊娠した事実を知り、怖くなって海軍に逃げてしまった男である。近場で買えばよい子供へのプレゼントをライオネルはずっと持っている。絶対に子供へ渡すんだという彼なりの決心にも見える。ところが、アニーに電話すると、子供は流産だったと告げられてしまう(観客にはアニーの子供は映っており、アニーがライオネルに嘘をついていることは分かる)。ちなみにアル・パチーノで流産というと、本作の翌年「ゴッドファーザーPARTⅡ(1974)」でも同様の場面がある。

 

電話の後ライオネルは、もし流産でなければ同学年くらいであろう子供たち相手に遊び始める。そしてついに精神状態を維持できなくなったライオネルは噴水の中に入って粗ぶってしまい、最終的に病院送りになってしまう。いつ治るのかもわからず、暴れないようにとベッドに手足を固定されている。まるで案山子のごとく。

 

マックスは決心してお金があると言っていたピッツバーグへ向かうことにする。そこで彼は戻って来ることを決心しているかの如く往復チケットを購入する。冒頭にライオネルが最後のマッチをマックスにくれたように、マックスは革靴の底に隠していた最後のお金に手を付ける。ライオネルの病気は治らないかもしれない。仮に治ったとしてマックスの計画する洗車のビジネスもうまくいくとは限らない。力だけに頼って生きてきたマックスと、真剣なことを茶化して逃げてきたライオネル。喧嘩っ早いマックスはライオネルのおかげで成長することができた。そんな彼を見捨てることはできないとして革靴の底からお金を出すラストシーンは胸に来るものがある。

 

ニューシネマ期において、この大男ジーン・ハックマン演じる「マックス(Max)」が自分の力に頼って喧嘩ばかりする様子はアメリカそのものを感じるし、目の当たりにしたくない現実に直面して精神をきたすライオネルはベトナム戦争からの帰還兵を思わせる。主人公が死ぬなど悲しい結末で終わるニューシネマ期の作品群において、本作は主人公が少し成長して友人のために前向きに動き出すところで映画は終わるのでそこまで悲観的にもならない。

 

 

 

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