差別について | ポポのブログ

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 よく差別について考えます。これは、社会格差の原因であったり、戦争を引き起こしたり、はるか昔から人間が抱える問題です。

 ですから、非常に深く重い問題とされ、差別被害者の扱いはデリケートです。近年では、差別被害者を厚遇するあまり、逆差別という問題も生まれてきています。

 


 しかし、自分は差別とは単純に好き嫌いの問題ではないのかと思っています。好き嫌いの原因もさまざまです。生理的な好き嫌い、メリット・デメリットの観点からの好き嫌い、思い込みに夜好き嫌い。思いつくのはこのくらいですが、他にも分類できるかもしれませんし、この分類が相互に作用した好き嫌いもあります。



 さて、私が差別という言葉を聞いて思い出す物語があります。それは、御宿かわせみという時代小説シリーズです。短編連作のシリーズなのでしょうが、その物語は幕末から明治初期を経ており、また世代も三世代が登場しますから大河長編シリーズという感じです。

 そのシリーズの中の確か、狐の嫁入りという題名の話を思い出すのです。

 その話のあらすじは、やくざまがいの金貸し夫婦の息子へ借金の形として嫁がされる美人な女性を主人公が狐の嫁入りを装って救出し、ついでに借金の証文も他の人のも含めて全部燃やしてしまうというなんだか痛快そうなストーリーだったと憶えています。

 まあ、一見痛快そうですが、この話自分にはなんとも後味が悪くことあるごとに考えてします。

 その金貸し夫婦なのですが、慈悲も涙もない悪人として描かれています。しかし、彼等は法に触れることはなくだからこそ、主人公は、狐の嫁入りという妖怪騒動を偽装しなくてはなりませんでした。

 そして、その息子なのですがどうも醜男らしいのです。それだけでなく、今で言う発達障害があるらしく、つまり馬鹿か阿呆らしい。

 美人女性の縁者に主人公達は、こんな男の嫁になるのは嫌だろうということで救出作戦を立てるのです。


 しかし、ここで真に注目すべきなのは、金貸し一家とくに夫婦なのではないかと思うのです。この夫婦、慈悲も涙もありませんが、息子の幸せを願っているのです。息子は馬鹿で阿呆ですから、事業で成功することは難しいでしょう。加えて醜男でもありますから、女性にも恵まれないでしょう。

 ですから、夫婦は自分の息子に嫁を与えてやろうとしたのだと思います。自分達の将来や金貸し事業の安泰を画するのならば、誠実で頭の良い娘でかまわない。別に美人ではなくても外見に拘る必要はない。

 しかし、自分の息子の幸せを願うのならば、美人であればなおのこといい。たとえ、事業が上手く行かなくても、ある程度の蓄えを残して、自分達が死んだ後も息子が妻を愛し幸せを感じて細々と生きていけるならばそれがいいと考えたのではなかろうか。

 馬鹿で阿呆な息子が妻を愛せるには美人が一番だろうと考えただと思うのです。


 主人公達は、息子に恵まれなかったそんな金貸し夫婦の願いをぶち壊したのではないかと思ってしますのです。

 金貸しというだいたい世間一般から憎まれる職業と馬鹿で阿呆で醜い男を差別して貶めたのが主人公達ではないかと思うのです。


 著者がそのようなアイロニーを作品に含ませたかどうかはわかりません。でも面白いのは、当の嫁に行く女性の気持ちがあまり描かれていなかったような気がすることです。


 

 つまりは、差別とはこういうものではないかと思うのです。