{作詞・作曲;久保田早紀(現・久米小百合)、編曲;萩田光雄} 

 

テレビCMに使われた曲が大ヒットした時代の1曲。といってしまえばそれまですが、この曲の背景に流れる「サウダージ」感が、多くの人々に支持されたのだとボクは思っています。レコードでは中近東をイメージさせるサウンドでしたが、ボクはポルトガルのファドに通じる哀感に惹かれていました。

 

 CMは、三洋電機のカラーテレビのCMですが、後にソーラーアークのCMにも使われたそうです。そういえば東海道新幹線の岐阜付近で巨大なソーラーアークを何度もみかけましたが、あれは一体なにをするものなのか、三洋電機がパナソニックに吸収されたのちも分からず仕舞いでした。 

 

久保田早紀が自作して歌った「異邦人」は、1979年12月10日から翌年1月21日までオリコンの7週間連続一位を続け、1980年度の年間2位となる人気曲だったそうです。もう45年くらい前のことですね。 動画は、久保田早紀がテレビ初出演の「夜のヒットスタジオ」で「異邦人」を歌う映像が2本繋がっています。初出演は1979年11月19日。後半は 12月17日の生放送です。  

 

なおこの2本目の動画で歌う前のインタビューに本人のコメントで、「八王子で作った」と久保田自身が語っています。Wikiなどでは、国立で作ったと書かれていますが、八王子だったのですね。 

 

この曲のカヴァー録音は数多くあります。最初は、エレファントカシマシの宮本浩次がソロアルバムを出した時に収録された「異邦人」。このMVの良質感がいいですね。

 

 

次はボクの大好きなEGO-WRAPPIN'によるカヴァー。ヴォーカルの中納良江が、スカのアレンジで歌うバンドライブ映像です。なおこのグループの「色彩のブルース」は、平成歌謡ベストテンというランキングがもしあれば、ボクは文句なしに推したい名曲・名唱だと思います。

 

 

3番目はカヴァーアルバムで大人気を博した徳永英明、2008年のライブ映像です。スロ-な歌唱がグットきます  

 

4番目は、最近ボクがお気に入りの歌心りえが、福田未来というシンガーと二人でデュエットしている「異邦人」です。  

 

最後は、久保田早紀が1980年にポルトガルで録音した自身3枚目のアルバム『サウダーデ』に収録されたバージョン。このポルトガル・ギターに始まる哀感にしびれて買いました。1分40秒は飛ばさないで聴いて欲しいです。 なお、レコードがヒットした年にはまだCDは開発されていなくて、ボクが買ったのは後にCDとして再発されたアルバムです。  

 

後に久保田早紀は「今ではここまで愛される曲になって、非常に嬉しい。神様のプレゼントだと思っている。」とコメントしています。また現在も本名の久米小百合名義でキリスト教の音楽伝道者としての活動を続けているそうです。なお国文学者で文化勲章受章の久保田 淳氏は叔父にあたるそうです。

 

 蛇足ながら、この曲とアルベール・カミュ「異邦人」(1942年)とは無関係です。

{作詞・作曲:J.モラーリ、H.ベロロ、V.ウィリス、日本語訳詞:あまがいりょうじ}

 

 「オリコンNo.1ヒッツ」によると、西条秀樹にとってこの曲は「ちぎれた愛」「愛の十字架」(共に1973年)に続く3曲名の第1位曲。 作詞作曲クレジットを見て分かる通り、オリジナルは洋楽曲です。

 

アメリカの新興レーベル、カサブランカレコード(設立はそれ以前も数々のヒット曲を放っていたプロデューサー、ニール・ボガード)から発売されて大ヒットしたナンバー「Y.M.C.A.」で、これを歌っていたのは、6人組グループ『ヴィレッジ・ピープル』。

 

ヒデキの日本語カヴァー盤では、原題をカッコ付き副題としてタイトルを「YOUNG MAN」として発売、大ヒットしました。当時TBSで始まって人気音楽チャート番組となっていた『ザ・ベスト10』でも9999点の最高得点を記録した第1位曲となったそうです。 まずは1979年に日本歌謡大賞を受賞した西条秀樹の華やかなライブ映像で「YOUNG MAN」です。  

 

もう半世紀近い年月が経過しているので多くの方はご存じの通り、ヴィレッジ・ピープルは、フランス人の音楽プロデューサー、ジャック・モラリが「ゲイの象徴的グループを作ろう」という思いつきで始めたグループです。当初は6人組で、アメリカンネイティブのインディアンの羽飾りをかぶったメンバーが特に知られていますが、基本はゲイカルチャーをベースにした音楽で人気を博しました。 ヴィレッジ・ピープルのオリジナル・ミュージックビデオです。  

 

このあたりになると、ゲイカルチャー色は希薄になったのでしょうか、女性に大人気の日本ダンス&コーラスグループ、GENERATIONS from EXILE TRIBEによる「Y.M.C.A.」のMusic Videoです。  

 

ここまでくるとお子さま向けの楽しい動画音楽となっていますね。アニメキャラ、ミニオンズが歌う「Y.M.C.A.」です。  

 

どんな曲でもマイウェイにこなしてしまう桑田佳祐サンも歌っています。  

 

軽快で楽しいナンバー、「YOUNG MAN(原題:YMCA)」は、日本ではヒデキの代表曲となっているようです。

 

今年3月にNHKBSで放送された「アナザー・ストーリーズ~西条秀樹の“革命”」というドキュメンタリー番組で知ったのですが、ファン思いのヒデキが着想して開発・実践した3つの「革命的表現手法」があったとか。

 

 一つ目は、観客にペンライトを持ってきてもらって、コンサートの一体感を演出する手法。当時はペンライトが市販されていないので、懐中電灯を持参してほしいと事前に依頼したとのこと。二つ目は、大阪球場でのコンサートでできるだけファンに近づきたいからとの意向により、建築用重機であるクレーン車を会場に導入して、その先端にあるカーゴの中に本人が入って歌うこと。もちろん傾斜の急な球場に合わせて操作したそうです。三つめは、コンサートではファンの歓声が大きすぎて自分の歌が観客に伝わっていないことの改善のため、曲作りの時点で「コール・アンド・レスポンス」(ヒデキがワンフレーズを歌いかけ、それにに応じてファンが合唱して応える手法。ゴスペル教会などで一般的な歌唱法)を導入したこと。 いやー、いまさらながらヒデキのアイディア力とそれらを実践する実行力に感心しました。

 

63歳で亡くなったのが2018年5月ですから、亡くなって7年も経ったのですね。

 

 【蛇足ながら・・・】 

最近「Y.M.C.A.」をYouTubeで見ると出てくるのが、米国の現大統領がご自身の応援者集会で、この曲が歌われて会の盛り上げに一役買っている場面です。しかも大きな集会では、現在のメンバーによるヴィレッジ・ピープルまで会場に招いて歌い演奏させて、ご本人もお得意のあのリズム感を披露されている様子を見ることができます。

 

不思議なのは、彼のMAGAマガしいダンシング姿はさておき、元はといえばこの曲とグループの出自は、氏の大ッ嫌いな「ゲイカルチャー」振興ソングとして作られて世界中でヒットしたことをご存じないのでしょうかしらね、優秀な側近の誰かが教えてあげてほしいな、ということです。

 

 popfreakとしては政治的な色合いを排するため、集会の動画は貼り付けません。気になる方は、YouTubeで検索してご覧になってください。

 

 

{2曲とも作詞・作曲;平岡精二}なおシングル盤のジャケット写真は、「あいつ」(1962年再発売盤)のみです。「爪」は前回ブログの「ラ・ノビア」のB面だったため、ここでは略します。

 

 1958年といえば日本でテレビ放送が始まってから5年が経っていますが、1960年代に人気となった音楽バラエティ番組「夢で逢いましょう」(NHK)や「シャボン玉ホリデー」(NTV系)は、まだ始まっていません。 それより前の「ザ・ヒットパレード」(フジテレビ系)では、バンドマスターのスマイリー小原が派手な身ぶりで指揮をして、カヴァーポッポス人気の原点となりましたが、それも1959年6月にスタートしたのですから、映画「三丁目の夕陽」の時代(1958年=昭和33年)には、若者向けのテレビの音楽番組は皆無だったようです。

 

せいぜい玉置宏の司会でお馴染み「ロッテ歌のアルバム」(TBS系)が、その1958年5月からスタートしたくらいでしょうか。 その時代に、ジャズ歌手の旗照夫が歌った「あいつ」(1958年の発売盤はSPでした。ジャケット写真は再録音された1962年のシングル盤)や、ペギー葉山が歌った「爪(つめ)」(1959年)といった大人を感じさせる”語るような歌唱”に子供時代のpopfreakは、密かにしびれていました。また当時は認識していませんでしたが、ボクはシャンソンに触れてからは、この曲を作詞・作曲した平岡精二というビブラフォン奏者は外国の人なのかと思ったりして、とても興味を持ちました。

 

その頃の歌謡曲は作詞家が書いた詞に作曲家がメロディを載せる典型的な形式の楽曲が主流で、ましてやシンガーソングライターなどが登場するのは1963年ごろですから、なんてお洒落な曲を作る人なんだろうと、ボクは平岡精二に一人胸をときめかしておりました(笑)。 

 

平岡精二は、昭和6年東京麻布生まれ。生家は遡れば徳川家の家臣に辿り着く名家だそうで、ジャズ・シロフォン奏者でアメリカでも大活躍した平岡養一は叔父にあたります。その叔父にヴィブラフォンを習い、青山学院高等部に在学中から頭角を現し、レイモンド・コンデのグループなどに参加。同大学を卒業後は、自分のグループを結成して多くの楽器をこなし、またハイトーンヴォイスの歌唱も人気で、日本のチェット・ベイカーと呼ばれたそうです。 

 

では、最初の曲は「あいつ」です。旗照夫が発売した最初のSP盤をYouTubeで手回し蓄音器で再生している映像を見つけました。ほとんどSPなどご存じないかたに、78回転(1分間)のStanndard Playingの再生の模様をご覧いただくのも一興かと思います。

 

なおこのSP盤が明治~大正~昭和35年くらいまでは、シングル曲のレコードとしては主流でした。調べてみると1958年がSPからシングル盤(塩化ビニールを原材料とする通称、ドーナツ盤)に移行する時期にあたり、この前後にはSP盤とドーナツ盤で同時に発売されている曲も多くありました(popfreakは、以前金沢蓄音器館にて「嵐を呼ぶ男/石原裕次郎」のSP盤を館内で試聴したことがありますので、この曲はSPと両方発売されていたことを知りました)。  

 

次は、いかにも石原裕次郎が歌うのにふさわしい「あいつ」を歌う裕ちゃんのレコード音源です。  

 

最後は、平岡精二とブルー・シャンデリアによる「あいつ」。聴くと女性ボーカルかと思う方もおられると思います。なにしろ平岡精二は日本のチェット・ベイカーですから、キーが高いのです。

 

 

次は「爪」の音源再生です。 ペギー葉山のレコードです。「ラ・ノビア」とカプリング(B面)されています。  

 

大人の女性の魅力にあふれた沢たまきの「爪」。以前マイブログで取りあげました「ベッドで煙草を吸わないで」が彼女の代表曲だと思いますが、こちらは岩谷時子(作詞)といずみたく(作曲)のコンビによるものです。ちなみに、ペギー・リーの「Don't Smoke In Bed」(邦題:ベッドで煙草はよくないわ」)とは別曲です(笑)。  

 

この「爪」も平岡精二とブルー・シャンデリアのCDが発売されていますが、YouTubeからのリンクはNGでしたので、「つめ・平岡精二と~」で検索をお願いします。

 

最後にペギー葉山が、メドレーで「つめ~あいつ~つめ」を歌ったバージョンがありました。この録音の伴奏を務めたのは秋満義孝クインテットで、後年ペギー葉山が秋満の伴奏を得て録音したバージョンだそうです。  

 

2年ほど前に「平岡精二/ビクター・イヤーズ」なる2枚組CDが発売されました。喜び勇んで買って聴きながら、この才能溢れる音楽家の「時代を先取りする洒落た感覚」に改めてしびれているところです。 松尾和子にも楽曲を提供したトラックも数曲含まれていて、あまりの大人歌唱ぶりは夢のようです(笑、なおこの記事は、CDのライナーノーツを主に参考にしました)。