先日アップした「京都慕情/渚ゆう子」の記事を改めて読み直してみると、内容が情緒不足で余りに事務的だと反省しました。 

 

そこで今朝、BS11で山鉾巡行のテレビ中継を見ていて思いついたのが、「京都慕情・お楽しみクイズ」です。みなさん京都にお詳しいかたが多いのでちょっと気恥ずかしですが「武田カオリ/京都慕情」の歌にのせて作られたYouTubeのこの動画にでてくる場所を当てるクイズを5問考えました。 (長尺で9:23あります)

 

 動画の時間(〇分〇秒)に登場する以下の5問〇〇にあてはまる文字お答えください。回答は来週の後祭りの日にでもアップします。

 

 

 

【問題1】 (2:35あたり)妙心寺や相国寺など、主だった禅寺の法堂の天井には雲龍図が描かれていますが、この動画の雲龍図は〇〇寺のものだと思われます。 

 

【問題2】 (3:56あたり)祇園の切通しを抜けた白川のほとりにある〇〇大明神の御祭神は狸だそうです。 

 

【問題3】 (4:00あたり)四条大橋の畔に建つ老舗の北京料理店「〇〇菜館」には、日本で一番古いエレベーターが現役で使用されています。ヴォリーズによる建築も見事ですね。 

 

【問題4】 (5:33限定)この店「〇〇〇」といえば、鯖寿司の名店。敦賀から鯖を運んだ鯖街道ゆかりの店ですね。

 

 【問題5】 (6:07あたり)鴨川に平行した細い路地でお馴染み〇〇町。五つの花街は、それぞれがちょうちんの絵柄で決まっていますが、ここは千鳥です。 

 

この動画を投稿されたgotto510諸行無常さん、映像編集と繰り返し流れる武田カオリの歌がマッチしていて素晴らしく、勝手に使わせていただきました。ありがとうございました。

 

 popfreak

追記、今朝の山鉾巡行で鶏鉾の車輪が故障して立ち往生していました。それを次々と山鉾が交わして追い越してゆくという見たこともない光景に仰天しました。

 

{作詞:林春生、作曲:ザ・ヴェンチャーズ、編曲:川口真}

 

 前の東京オリンピックの開催された1964年は、アメリカでビートルズブームが巻き起こり、日本を始め世界中に飛び火したことは広く知られていますが、ほぼ同じ頃に日本では、ヴェンチャーズによるエレキギターブームも同時進行して、若者たち向けの音楽が主流となりました。 ビートルズの来日は1966年ですが、それによって日本ではGS(グループサウンズ)旋風が吹き荒れることになりますが、今日のテーマは「ヴェンチャーズ歌謡」。

 

つまり, ヴェンチャーズが日本人向けの曲を書いて、それを日本人歌手が歌ってヒットさせるという一連のエレキ歌謡がヒットしました。 最初のヒット曲は、和泉和子と山内賢のデュエット「二人の銀座」(1966年)ですが、奥村チヨ「北国の青い空」(1967年)と欧陽菲菲「雨の御堂筋」(1971年)の間に、渚ゆう子の「京都の恋」と「京都慕情」が大ヒットします。特に「京都慕情」は、元は「Reflections in A Palace Lake」というタイトルのインストルメンタル曲だったそうです。 

 

歌詞は、林春生。東京のテレビ局のディレクターで、先輩だったすぎやまこういちに勧められて、歌詞を手掛けるようになったとのこと。筒美京平作曲の「サザエさん」(♪お魚くわえたどら猫・・)の作詞もこの方です。 さて渚ゆう子は元はハワイアン歌手だったそうですが、なぜか「京都の恋」の歌を歌うことになり、そのヒットに次いで「京都慕情」の連続ヒットで人気を博しました。 では、まずは渚ゆう子のレコード音源です。1970年といえば、昭和45年。♪こんにちわこんにちわ、の大阪万博が終わった年の12月に発売になりました。

 

 

やはり歌謡曲のカヴァーは、テレビ番組かカヴァーアルバムに収録されたものくらいでしか、聴けませんね。これは前者、藤あや子の「京都慕情」です。(メドレーなので、この曲は2分30秒あたりからです)

 

隠れた人気カヴァーは武田カオリの「京都慕情」。もう10年ほど前になるのでしょうか。NHK—BSの不定期放送のドラマで、京都を舞台にした『京都人の密かな愉しみ』の主題歌として、毎回淡々と流れていたのが印象的でした。番組のゆったりしたテンポにマッチしていたと思います。どういうシンガーなのか詳しいことは分かりませんが、とにかくヴェンチャーズのエレキギター感のない歌唱が素敵でした。YouTubeには、ドラマの紹介には相応しいオープニングからタイトルが流れる映像がありました。武田カオリの歌は2:30あたりから流れます。

 

 

ちなみにこのドラマで教授役を演じた団次朗(次郎、時朗の名も)は、京都市の生まれ育ちで高校野球で有名な高校の卒だとか。ちょうどそのころに資生堂の大胆なCM展開が始まった(前田美波里を起用して人気を博していた)60年代の後半に、団次郎が男性化粧品MG5(デザインがチェック柄がスマートだった)の宣伝に起用され、左京区の銀閣寺近くにある京都大学の人文科学研究所の中庭で大型犬と一緒に撮影された写真で人気モデルとなりました。ポスターや広告がカッコ良かったですね。popfreakは同じ京都の生まれ育ちでありながら、どこまで違うねん(苦笑)と思っていました。   

 

それとローカルネタですが、上京区に生まれ育ったボクには、このドラマには見覚えのある商家や町家がいろいろ登場します。まずは主人公役の常盤貴子は和菓子老舗の跡取り娘という役柄ですが、その和菓子店は室町上立売下がるの「俵屋吉富」(あんこのロールケーキみたいな「雲龍」が有名)に違いないとみていました。そこは細長い店で、烏丸通りと室町通りの両方に入り口があり、ドラマでは室町通り側が写っていました。それに中京区の新町通り六角付近が、団教授の住まいの町家でしょうか。

 

その他にも京都の密かな名所でさりげない演出があって、とても楽しみに見ておりました。 さて本家ヴェンチャーズのインスト盤「京都慕情(原題:Reflections in A Palace Lake)」です。

 

 

 

これもギタリストCharによるインストヴァージョン。2011年のライブ『TRADROCK』での演奏で、味のあるギターはさすがです。

 

 

やはりオリジナル歌唱者以外の歌ヴァージョンが少ないのが残念ですが、最後も渚ゆう子の2008年収録のTV番組での歌唱です。本人コメントもありますが、ご本人は当時アラカンくらいです。

 

 

 

『京都人の密かな愉しみ』は放送開始から2年ほどで終わり、若手の俳優陣による『京都人の密かな愉しみ Blue修行中』という新シリーズも放送されていましたが、ボクはあまり見なくなってしまいました。もう終わったのでしょうか。 

 

NHKは、BSが1チャンネル減ってもなお再放送ばかりしているのですから、この『京都人の密かな愉しみ』もぜひ再放送で観たいものです。

 

 

{作詞・作曲 M. パガーノ, A. ソリチッロ, F. マレスカ、日本語詞:見尾田みずほ、編曲:小森昭宏}

 

 昭和20年代から30年代前半、カヴァーポップスが人気になるまえは、童謡歌手がアイドル歌手並みに人気があり、子供向けの歌をヒットさせていました。 

 

川田正子、川田孝子、川田美智子(いわゆる川田三姉妹、中では正子が歌った「みかんの花咲く丘」は代表曲)、松島トモ子、小鳩くるみ、伴久美子、安田章子(後の由紀 さおり)、姉の安田祥子、などが少年少女の心をつかんでいました。

 

 それからいく時代かが過ぎまして、子供向けの童謡など忘れてしまっていた1969年に突然登場したのが、皆川おさむの「黒根のタンゴ」でした。当時6歳だったそうで、歯が抜けた前歯でたどたどしく歌って大ヒット。オリコンの11月10日付チャートで1位となり、以来翌年の2月9日まで14週トップを独走したようです。同誌によると、売上223万枚だったそうです。 ここではYouTubeに上がっていた当時のテレビ出演時の映像がなんともカワイイです。  

 

元はといえばこの曲は、同年にイタリアで大ヒットしています。当時4歳だった女の子、ヴィンチェンツァ・パストレッリの歌でヒットし、その日本語カヴァーが皆川おわむ盤というわけでした。オリジナル盤の「黒猫のタンゴ」です。  

 

イタリアで昨年制作されたニュー・ヴァージョンです。子供が15人くらいで合唱して、メインは男女デュエットの構成です。グループ名は「Piccolo Coro dell'Antoniano」となっています。

 

次は、イタリアのアニソン歌手(この分野のシンガーもいるのですね)で、女優のCristina D'Avena(クリスティーナ・ダヴェーナ)がテレビ番組で歌っています(2曲目の曲は、「Le tagliatelle di nonna Pina」という曲だそうです)。2017年、イタリアの国営テレビでの歌唱です。

 

 

意外と国内カヴァー盤が少ないのは、皆川おさむの歌で聴きなれてしまって大人の歌では違和感を感じるためでしょうか。 80年代に声楽家として大変人気があった鮫島有美子さんは、「黒猫のタンゴ」日本語版のカヴァーをアルバム『ドレミの歌』に収録しています。ストレートに聴けてさすがです。

 

 

最後は、姉妹のユニット、チャラン・ポ・ランタンの「黒猫のタンゴ」です。アコーディオンを弾く姉とヴァーカルの妹ももの歌唱が、聴きどころ。ももは、最近ボクがたまたま買って聴いた椎名林檎の新アルバムに椎名さんとデュエットしていました。とても歌が魅力的です。

 

 

ところで皆川おさむの近況は?とWikiを開いたところ、ある児童合唱団の代表を務めておられることが分かりました。御年61歳。今も児童の指導にあの歌を歌っておられるのかな?

 

 あれから55年。思えば1969年は、東大闘争やウッドストック・ロックフェスがあった激動の1年でした。