今週末、私のメンタルはひどく落ちていました。

やはり、心に傷をつけてしまったダメージが強く、

次に職場に行って、また見ているだけの時間を過ごすことを思うと

苦痛で仕方ありませんでした。

 

心が重苦しい。一日中。笑っている時間もずっと。

 

夕方になり、いよいよ明日の出勤が憂鬱すぎて、

本当に泣き出したい気持ちになったとき、

ひとつのアイディアが浮かびました。

 

新しい職場では、パートさん達が

釣銭の小銭をプライベートで集めていました。

(個人クリニックにはよくあること)

土曜日に500円玉、50円玉が足りない!

と話していたことを思い出したのです。

 

その二つは不足しがちであると聞いていたので、

ちょっと前から、少しずつ、貯めていたのです。

 

そうだ、明日はその小銭を持っていこう。

何にも役に立ってない(と思っている)私。

ひとつだけだけど、役に立つこと、できるじゃない。

 

そう思ったら、少し安心して、

夜もきちんと眠ることができました。

 

そして今日、500円玉を20枚、50円玉を10枚持っていきました。

 

「え~こんなに集めてきてくれたんですか!ありがとう」

「これでしばらく、安心だね」

「本当に、ありがとうね」

 

他の皆さんに口々に言われました。

そこで、私も思い切って尋ねることができました。

 

「私、もう入職して3週間もたつのですが、

 見ている時間が多くて、こんな感じで良いのでしょうか」

 

すると、こう言ってくれました。

この職場(整形外科の受付兼医療事務)は

忙しいので改めて研修する時間が取れないの。

ごめんなさいね。

いろいろ複雑なケースが多くて、見ていてもらって

その都度教えるので、ゆっくりで大丈夫よ。

 

今週半ばから病院が夏休みなので、今日は特に忙しかった。

私も電話を取ったり、手が回らない患者さんの対応をしたり、

わかる範囲でサポートしたりしていたら、

「有里さん、休み明け直後の日は休みなんだ~」

「残念、いてくれたら本当に助かったのに!」

と言ってもらえました。

「また次の勤務、よろしくね!」と。

 

あぁ、今日は良いことがたくさんあったなぁ。

ほっとした。

でも、今回メンタル落ちてしまったのは、どんな意味があったんだろう。

それを知りたくて、近所の神社にお参りに行きました。

 

天照大神様に尋ねると、次のように教えてくれました。

母親のことを許せたこと。これは本当に素晴らしいこと。

過去の見方が変われば、現在や未来が変わっていく。

ただ、それは毒親という原因に対するマインドが解決されたという事であって、

結果=毒親につけられた傷、そのものが治るというのはまた別のこと。

 

たとえばあなたが毒親のせいで目を失ったとします。

目を失わせた親のことをずっと恨んでいた。

でも、それを許せたとします。

でも、目、そのものは回復しませんね。

 

けれども、目を失ったままでも、

人は工夫をして生活し、幸せになることはできます。

 

あなたの心の傷とは、そうしたもの。

傷は、仕方がありません。

それがあっても幸せになれるよう、

対処する方法を見つけていくのです。

 

今日もひとつ、見つけて実践しましたね。

両替の小銭を持っていき、自分のできることで役に立とうとした。

あなたが前向きなエネルギーを放ったから、

周りの人からも前向きなエネルギーを受け取れましたね。

幸せだと感じることができたはずです。

 

もし、いじけた後ろ向きなエネルギーのままであったなら、

今日も辛い一日であったはず。

こうして対処法を見つけていくのですよ。

 

私は毒親を自分が赦すことができたなら、

それで心の傷も無かったかのように

いっぺんに解決すると思ってましたが、

そうでは無いようですね…


でも、マスターに聞くこともでき、

自分である程度、解決できるようになってきた。

これは嬉しい発見!


今回の一連の出来事を通じて、

私が何を見つめて何を学んだのか。

そして、今後の課題。

さぁ、またがんばらないと。