この春、私にはいろいろな転機が訪れていました。
毒親を許せたこと。(←これはまた別にブログにします☆)
転職したこと。
新しい職場は、皆さんとても良い人ばかりで、
こういう人たちに出会えたのは、やはりスピリチュアルの勉強をして自分を見つめ、癒してきたからなんだろうな。。
と思うと、毒親の克服も併せて、勉強を続けて良かった、と思っていました。
良かった…
と安心して、過ごしていればいいのですが、
またもや、心に問題が起きて来ました。
大事にされすぎて、入職して半月以上、仕事をさせてもらえないのです。
「この職場は複雑でいろんなパターンがあるから、まずは見てもらって、流れを把握してね」
と言われているので、ひたすら座って皆さんのすることを見ています。
経験ありで入職しているので、もう大体の流れは理解でき、なんなら仕事できそうなんですが…?
別に、嫌われているとかではありません。
私って、本当に座って見ているだけでいいんだろうか
私は必要なんだろうか…
自分は本当に面倒くさい奴だと、自分でも思いますが、
ここに居ていいのかな?
と思ってしまい、いたたまれない気持ちになってしまいました。
今日も今日とて、見るだけの一日。
帰り道、なんだか泣きそうになりました。
わかってる。
今は、仕事を任されないけれど、皆さんのペースもあるし、
本当にいるだけで良いのはわかってる。
でも、自分のような毒親育ちには、「ただの待機」が
「私は必要とされていない」「居ていいのかどうかわからない」
という過去の傷に直結して、傷がうづき、泣きたい気持ちになってしまうのです。
紆余曲折あり、毒親であった母親のことは、心から許すことができました。
でも
心の傷の方は、それとは別に、こころにあり続けるのだなぁ、と
あらためて知りました。
わかってる。
居ていいんだよ。だって、そう依頼されていて、そうするのが仕事なんだから。
わかってても、過去の傷はうづくね。
でも気づいて、相手は毒親じゃあない、仕事の同僚、
しかもみんないい人ばかりなんだから。
だから過去とは別物。
こころの傷って、目に見えないけれど、
絶対にそこにある。
毒親を許せたら、それは消えるのかと思っていたけれど、
そういうものでも無いみたい。
幼少期に問題があって、こころに傷を負っている。
それが生涯にわたって影響を及ぼしているとしたら、
それは一種の「障害」と言っても過言ではないのではないでしょうか。
(マインドセットの一つとして)
だから、それをどうにかする、というよりは、
うまく、付き合う。
そういう自分なんだと認めてしまって、ではどうするか?考える。
そして障害があっても、ひとは幸せな人生を送れる。
私も傷を持ったままでも、幸せになれる。
それだけは、絶対。
だから、あきらめないし、そういう自分に付き合っていきたい。