鑑賞したのは「大いなる自由」
日本では今回が初上映です。
ずっと見たかった映画なので事前にチケットを取ってこの日を楽しみにしていました。
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会場のスパイラルホールは後方にのみ段差が設営されていて前方はフラットでした。
スクリーンが高い位置にあるので視界はそこそこ良好です。
ただ椅子の座面がカッチコチに硬くてお尻が痛くなりました。
映画館の椅子がいかにありがたいかを実感した2時間。
画像引用 公式Twitter
上映前にはドラマ「ゲームボーイズ シーズン2」のトレーラーが流れました。
続いて映画「エゴイスト」の鈴木亮平さんと宮沢氷魚さんのレインボーリール用のコメント動画が流れ、短いトレーラーも見られました。
そして「大いなる自由」本編が始まりました。
下に英語字幕、右側に縦書きの日本語字幕表示です。
修正やボカシは入っておらず、オリジナルのまま上映でした。
1968年、戦後の西ドイツ。
男性同性愛を禁止する刑法175条により、何度も刑務所に送られるハンス・ホフマンが主人公。
物語は現在と過去が行き来する構成です。
ハンスが初めて収監された1945年、二度目の収監となった1957年、そして三度目が現在である1968年。
刑務所内での出会いと恋、また20年以上続く同房の男との変化していくつながりが描かれます。
同性愛者として人を愛し自分らしく生きるハンスが175条によって刑務所生活を強いられた日々。
そして175条改正をきっかけに、ついに自由を手に入れた彼の選ぶ道とは…
ほぼ全編、薄汚れて暗い刑務所内の出来事です。
華やかさ、エンタメ性はありません。
戦争とホロコーストの影もずっしりと重い。
それでもこの映画にはロマンスが息づいています。
反戦、反差別のメッセージと共に伝わるのは愛の物語。
予備知識は少し必要かもしれません。
まず第二次大戦中のホロコーストでは同性愛者(その多くはドイツ人男性)も迫害の対象となり強制収容され多くの犠牲者が出たということ。
また、ナチスによって改悪・厳罰化された刑法175条は戦後も廃止されずそのまま存続されていたということ。
▼ナチスによる同性愛者迫害、刑法175条についてはこちらが分かりやすいです
主人公ハンスは刑務所に収監される前には強制収容所にいました。
1945年に強制収容所が解放されたため、刑務所に移されたのです。
同房になったビクトールは最初そのことは知らずただ同性愛者のハンスを嫌悪していましたが、腕に囚人番号の入れ墨を見つけた途端表情が変わります。
「あそこにいたのか…」
言葉を失うビクトール。
ハンスはおそらくアウシュヴィッツに収容されていたのではないかと思われます。
▼各強制収容所の中ではアウシュヴィッツのみが囚人番号を入れ墨したという
「消してやろうか?」
ビクトールは番号の入れ墨を隠すようにハンスの腕にお手製タトゥーを施していきます。それをじっと見つめるハンス。
静かで親密な時が流れます。
2人の関係はこの後長い時を経て、少しずつ変化していくのです。
ハンスと美しい青年オスカーとのロマンスも印象深いエピソードです。
ハンスにとっての2度目の収監。恋愛関係だったハンスとオスカーは共に刑務所へ送られます。
刑務所内での手紙のやり取りや逢引きなど人目を忍んだ恋の切なさ、そして繊細なオスカーの苦悩と悲しい結末。
そんな2人を複雑な思いで見守るのはビクトールです。
たびたび美青年の登場がありながらも、実はこの映画、ハンスとビクトールのじわじわ変化していく関係性こそにBL的トキメキがあるように感じます。
ヘテロであるはずのビクトールの中に芽生えていく想い。小さな嫉妬や恋心への苛立ち。
まさにラブストーリーのような要素にドキドキしてくるのです。
過去と現在を俳優さんが見事に演じ分けているのも見どころ。
髭や髪型だけじゃなく、肌のハリまで若くなったり老けたりして見えるのは一体どういうわけなのか。
表情や姿勢、身のこなしでもうまく年齢を表現しているようです。
過去のハンスは肉体から若さが発散されているように見えるし表情も強い。一方老いた彼からは静かな雰囲気が伝わってきます。
ヨーロッパ映画らしい重厚なドラマでした。
殺伐とした刑務所で揺らめくロマンスの小さな光。愛は本能であり自分らしく生きる実感だと伝えてくれます。
戦争の影が暗くつきまとうためヘビーな映画ではありますが、見られて本当に良かったです。
全国で劇場公開されることを願います。
▼映画鑑賞後に「ピンク・トライアングルの男たち」を読みました。ドイツ国家の健全な維持を妨げるとしてナチスによる絶滅政策の対象とされた同性愛者たち。ほとんどが凄惨なリンチや強制労働の末に死んでいったそうです。