2024年5月3日(金)。憲法記念日。天気晴れ。再開発で変貌著しい新宿駅西口を見回りました。先ずは、「甲州街道」から向かって右に折れると新宿駅西口に向かうこととなる「西新宿一丁目交差点」。1963(昭和38)年までは、京王線が「甲州街道」との併用軌道で地上を走っており、この交差点を曲がって「新宿駅」に向かっていたなど、とても信じられない思いです。更にその前、1945(昭和20)年の空襲で変電所が被災するまでは、京王線が「甲州街道」を更に真っ直ぐ進んで南口の省線陸橋を越え、現在の「新宿三丁目駅」(元の「新宿追分駅」)まで通じていたことは、もはや歴史の彼方に消えてしまっています。

ふと気づくと、「西新宿一丁目交差点」角の「大黒屋」のあった一角が、すっかりなくなっていました。

「ルミネ」は健在です。

「京王百貨店」はどうなるのでしょうか。京王線「新宿駅」地下開業と同じく、1963(昭和38)年に開業しています。

遠く「東京都庁」のビルを望みます。

私が東京の建築の中でも特に格好良いと思っていた「明治安田生命新宿ビル」(1961(昭和36)年築)がなくなって、既に長い月日が過ぎています。

そして、「小田急百貨店」(1967(昭和42)年築)はすっかり解体されてしまいました。この再開発計画は、新宿に何の思い入れもない発想の中で計画されている、と感じてしまいます。そうでないと、やりきれないです。

このバスターミナルも生き残れないでしょうね。

「小田急百貨店」は一部を「小田急ハルク」(1962(昭和37)年築)に移しているので、現段階では「小田急ハルク」は健在です。

「新宿スバルビル」(1966(昭和41)年築)も地上から姿を消して、既に5年が経過しています。

「スバルビル」の地下では、「新宿の目」がまだがんばっています。

新宿副都心の「新宿三井ビルディング」(右)と「新宿住友ビルディング」(左)。ともに1974(昭和49)年築です。

私の中では、「新宿住友ビルディング」といえば、その「展望ロビー」だったのですが、何と7年も前に閉鎖されていました。

ということは、この光景もそんなに久しく見ていなかったのでしょうか。

以前は48階にあった「平和祈念展示資料館」も33階に移っていました。これは6年前のことだそうです。そんなに長い間、来ていなかったのかと思いました。

出征した兵士の展示もあるのですが、特に力を入れているのは、シベリア拘留と満州からの引き揚げです。

満州で生まれた、もしくは育って引き揚げを経験した漫画家の人たちがイラストを寄せています。上田トシコ、赤塚不二夫、山口太一、古谷三敏、ちばてつや、森田拳次、山内ジョージ、北見けんいち、林静一。

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ここの展示を見ると、満州ではないのですが、一族が外地からの引揚経験者であるせいで、ぐっとくるものがあります。