2024年3月9日(土)。富津を訪れた続きです。川崎長太郎の「ふっつ・とみうら」由来の国民宿舎跡を「富津公園」で確認した後、「日東交通」のバスでJR内房線「青堀駅」に戻りました。ここから館山(下り)方面に一駅先の「大貫駅」に向かいます。209系2000番台電車。
「大貫駅」の跨線橋から。遠くに「東京湾大観音」の後ろ姿が望めます。分かるでしょうか~。
「大貫駅」の駅舎も趣のある佇まいでした。
駅から歩いて10分少しの「岩瀬海岸」に向かいます。途中は、南国風の住宅地でした。気候も良さそうだし、こんな所に住んでみたい気もしました。
「岩瀬海岸」に立つオトタチバナの像。しかしながら、この碑は明治時代に国有地払下により成立した共有地「岩瀬共有財産」の歩みを記したもので、オトタチバナのことには触れられていませんでした。この辺りの人たちにとっては、わざわざ記すことのない当たり前の話なのでしょう。
「岩瀬海岸」から富津岬方面を見ると、まさにひとっ飛びで渡れそうなくらい近くに三浦半島が迫っています。
「大貫駅」近くの商店の街並み。
オトタチバナの櫛を社宝としていた「吾妻神社」が、「大貫駅」から歩いて30分の距離にありますが、時間と体力の関係でこちらを訪ねることはやめました。「地形の思想史」によると、この櫛は「先年焼失した」と境内の碑文に記されていたそうです。
再び内房線で「木更津駅」に向かいます。209系2100番台電車。
「木更津駅」の東口広場。木更津では2つの場所に行きました。
先ずは「木更津駅」の東にある「太田山公園」へ。太田山(標高44m)の山頂に「きみさらずタワー」(高さ28m)がそびえています。
太田山に至る坂道にとりつきます。
山頂に着くと、「きみさらずタワー」の威容が迫ってきます。
二本のタワーの上に、ヤマトタケルとオトタチバナが向かい合って立っているのです。私は素直に感動しました。
タワーの途中の展望台から、東京湾を望みます。ヤマトタケルもここからオトタチバナの沈んだ海を眺めて立ち去りがたく悲しんだそうです。「きみさらず」とは、ヤマトタケルの和歌「君去らず袖しが浦に立つ波のその面影をみるぞ悲しき」からとられていて、木更津や君津の地名の由来になっています。
「きささらずタワー」は、「ふるさと創生事業」で建てられたのですね。
「きみさらずタワー」の下には、オトタチバナを祀った「橘神社」があります。
「太田山公園」には、他にも「郷土博物館」や、
江戸時代中期の大きな農家などがあります。
次に、「木更津駅」の西側にある「吾妻神社」に向かいました。「大貫駅」近くの「吾妻神社」はパスしたので、「木更津駅」近くの「吾妻神社」に行くことにしました。「木更津駅」西口の商店街アーケード。
その途中で、魅力的な建物をいくつもみかけました。
交差点にある「金田屋リヒトミューレ」というお店。リヒトミューレ(ラジオメーター)を扱っているそうです。
眼科医院。
「右江戸、左吾妻神社」という道標。
そして「吾妻神社」。ヤマトタケルが、自分のために犠牲となったオトタチバナを思って、「吾妻はや」と嘆いたことから、日本の東を広く「吾妻」と呼ぶのは、このことによるとされています。東京湾に沿って、「吾妻神社」がいくつも見られます。この「吾妻神社」には、流れ着いた布が祀られています。
「吾妻神社」の拝殿。
境内には「鏡ヶ池」があります。ここにあった池で、命からがら海を渡って来たヤマトタケル一行が、身支度を整えたそうです。
また、「富士塚」もありました。私は、ここに「富士塚」があることは、たいへんふさわしい気がしました。
というのは、木更津の街の夕陽に映える富士山のシルエットを見ることができたからです。
帰りも「木更津駅西口」から「バスタ新宿」へ。