2023年8月13日(日)。天気晴れ一時曇り一時スコール。不安定な天候でした。

間もなく78回目の終戦記念日を迎えます。こんな時期なので、世田谷にある軍隊関連の跡地を訪ねてみました。出発点は、東急田園都市線「池尻大橋駅」です。

「池尻」バス停から、東急バス「渋32野沢龍雲寺循環」に乗車して、「自衛隊中央病院入口」バス停で下車します。ここまでは、「三軒茶屋駅」から歩くこともできますが、暑さの中でなるべく体力を使わないように気をつけました。

「世田谷区立世田谷公園」です。この辺りは、戦前、陸軍の「駒沢練兵場」であり、隣接して多くの軍施設が立地していました。

この地図は、「世田谷公園」の中にある「平和資料館」で配られていたものです。大正末期は、未だ世田谷区が成立していなくて、東京府荏原郡駒沢村でした。1897(明治30)年に「駒沢練兵場」が設けられ、1899(明治32)年には、近衛師団に属する「野戦重砲兵第4旅団」司令部が置かれました(現・三宿中学校)。

「世田谷公園」は、広さ約8ha。広々とした景観が拡がっています。

園内を歩いていると、踏切がありました。

これは!!私は、ベトナム・ハノイの公園内にあった線路を思い出しました。線路は、だいぶ小さいですけどね。軌間は、220mmとのことです。

「C57 57」号機に牽かれたミニ列車が通ります。

こちらがミニSLの駅です。「キンカン三姉妹SL」とはどういうことなのでしょうか。調べてみると、キンカンの「金冠堂」がネーミングライツを獲得したものということです。

駅の近くには機関庫があります。中には、「D51 272」号機が入っていました。

ターンテーブル。

駅に憩う「C57 57」号機。

「世田谷公園」の東隣は、「自衛隊中央病院」などがある「自衛隊三宿駐屯地」です。ここも「駒沢練兵場」の敷地でした。この中には、「近衛野砲兵連隊」と「野戦重砲兵第8連隊」の記念碑があるそうです。この2つの連隊は、「野戦重砲兵第4旅団」に属していました。

終戦40周年の翌年、1986(昭和61)年に造られた「平和の祈り」像。作者は、世田谷区在住の彫刻家・佐藤助雄氏です。

本物の「D51 272」号機。1939(昭和14)年・川崎車輌製。デフレクター(煙除け)の形が、いわゆる門デフ型です。

寄付を募って塗装をしたそうです。たいへん美しい保存状態です。

車掌車(緩急車)ヨ5000形(ヨ14740)が連結されています。

「世田谷公園」内にある「世田谷区立平和資料館(せたがや未来の平和館)」。

館内では、先の大戦中の人々の暮らしや戦争による国内外の惨状の様子などが展示されています。また、日本で戦争が終わった後にも、世界中で繰り返し戦争が続いていることにも触れられています。出征時の日の丸の寄せ書き、千人針、赤紙など。寄せ書きには、硫黄島で玉砕した栗林忠道中将の名前がありました。

軍服の展示。原爆の被害で破れたワンピースの展示もありました。

太平洋戦争中のアジア地図。

「世田谷公園」の西側には、公務員住宅や都営住宅、学校などがあります。この一帯は、戦前は砲兵連隊の兵舎などが並んでいたのです(上の地図参照)。「昭和女子大学」の敷地には、かつて「近衛野砲兵連隊」がありました。

その向かいの都営住宅の敷地には、「野戦重砲兵第8連隊」がありました。現在は高度経済成長期の住宅の建て替えが進んでいます。

フェンスに仕切られた一角に、「馬魂碑」などが安置されていました。都営住宅内の公園にあったものを移し替えたようです。

「馬魂碑」。これは、野砲兵第1連隊のものです。1939(昭和14)年に、留守部隊長によって建てられたものです。第1師団に属する「野砲兵第1連隊」は、226事件後の1936(昭和11)年に満州に派遣され、その後、レイテ島に転戦してほぼ全滅してしまいました。

その他、馬頭観音などあります。これらは、第1野砲兵連隊の僅かな痕跡です。

「野砲兵第1連隊」の兵舎が残っています。戦後の建物すら、建て替えが進む中にあって、奇跡的なことです。現在は、「東京世田谷韓国会館」として使われているようです。

このような兵舎が建ち並んでいたのでしょう。

建て替え前の住宅。

「弘善湯」という銭湯がありました。かつてのこの一帯の雰囲気を彷彿とさせます。

「三軒茶屋駅」に向かう商店街の様子。奥に「キャロットタワー」が見えます。

東急世田谷線「三軒茶屋駅」の入る「キャロットタワー」。

世田谷線に乗り込みます。

スコールの降った後の府中駅前の「けやき並木」。

昼食を「くるる」の中に入っている「焼肉名門」でいただきました。中華料理店「祥龍餃子房」が閉店して、隣の「焼肉名門」がそのスペースを拡張リニューアルしました。

食後は、「ミッテン府中」の「ノースリンク」に。

先日亡くなったアイルランドの歌手・Sinéad O'Connorさんの葬儀が、Wicklow Co.のBrayで行われたというニュースを見ました。私は、最近、彼女の「Nothing Compares 2 U」をよく聞いています。ここでも、この曲を聞きました。オリジナルはPrinceの曲ですが、どちらも素晴らしい作品です。皆、いなくなってしまいます。