2021年9月26日(日)。天気曇り。涼しく過ごしやすい日でした。
昨日、丹沢の鉱泉に行ったことに引き続き、本日は東京都内の鉱泉に行ってみます。
「江戸東京<奇想>徘徊記」(種村季弘:著、朝日新聞社、2003年)には、「森ヶ崎鉱泉訪問記」という章があります。
森ヶ崎へ行くには、大森、蒲田、川崎から京急バスに乗って、いずれも終点が「森ヶ崎」になります。海のドンツキになるのです。私は、蒲田駅東口から出発しました。
蒲田で昼食をとりました。いったん、京急の「蒲田駅」近くまで行き、「蒲田八幡神社」に寄って、
「蒲田八幡神社」を突き抜けた先の「京浜蒲田商店街あすと」にある中華料理店「金春」を訪ねましたが、満員で入れませんでした。
そこで、JR「蒲田駅」近くに戻って、やはり餃子で有名な「春香園」へ。「金春」の姉妹店みたいですね。
ランチセットでラーメンと、
餃子を頼みました。ラーメンは、昔懐かしい味がしました。
この店の近くに、「森ヶ崎行き」のバス乗り場があります。終点「森ヶ崎」まで乗って行きました。
折り返し場には、大森、蒲田、川崎からそれぞれ終点まで来たバスが休んでいて、行き止まり感が強く漂います。
以下「江戸東京<奇想徘徊記>」から一部引用します。
「バスを降りたところに巨大な労災病院がそびえ立っている」。
「病院の真ん前が巨大な下水処理場(注:森ヶ崎水再生センター)」。
「病院と下水処理場にはさまれたバス道路のどん詰まりが長い長い堤防で、」
「堤防の向こう側は羽田空港と昭和島が目と鼻の先に見える海である」。
森ヶ崎は、明治になってから鉱泉が掘り当てられ、関東大震災前後の頃に賑わった二業地(料理屋と芸者屋)になりました。
再び上記本から引用します。「蒲田と大森が底辺の逆三角形の頂点に当たるところにあり、お茶屋・カフェ―・バーが引けると銀座新橋からここまで遠出ができたのである。明治大正の熱海箱根はまだ遠かった。(略)市中から日帰り気分で人力車・円タクで行ける温泉があらまほしかった。そこに森ヶ崎鉱泉が湧き、料理旅館が出現し、芸者置屋ができて新興の二業地がおめみえしたのである。人気観光地にならないわけがない」。
森ヶ崎十字路の景観。今ではそのような面影はほとんど残っていません。
「森ヶ崎本通り」。かつては、この通り沿いに料理旅館が建ち並んでいたようです。
このマンションの建っている箇所が、芸者屋の並んでいた一帯のようです。
「三縁山法浄院」、通称「森ヶ崎観音堂」。1938(昭和13)年、森ヶ崎上空で航空機の衝突事故があり、墜落した航空機が引火爆発し、近付いた群衆が被害に遭って、死者85名、負傷者100数十人という大惨事になりました。この観音堂では、犠牲者を供養するための地蔵尊も建立されています。
森ヶ崎には巨大なボラの養魚場がありました。現在、その敷地は、「森ヶ崎水再生センター」の一部になっています。その施設は、かつての養魚場を思わせるものです。
森ヶ崎は多くの文人にも利用されており、尾崎士郎は「人生劇場」をここで書いたと言われています。
「防波堤の下には広い養魚場があって温泉宿の二階からみると湖水のやうな感じをあたへる。夕方は海から来る。帆の影が空に映ってまるで蜃気楼を見る思いである」と、森ヶ崎の様子を書き記しています。
「森ヶ崎水再生センター」の施設の上は、サッカー場やテニスコートの整備された「大田区立森ヶ崎公園」になっています。
日蓮宗の寺院「魄光山大森寺」。通称「森ヶ崎題目堂」。ここには、「森ヶ崎鉱泉源泉碑」があるとのことですが、入口の門が閉まっていたため、その碑は背面からだけしか見ることができませんでした。
このお寺の裏に、「光遊館」という旅館があり、その建物も1965(昭和40)年頃に取り壊され、森ヶ崎鉱泉は全滅しました。
きっかけは、戦争です。森ヶ崎の料理旅館は軍需工場工員の寮に割り当てられ、戦後も引揚者や戦災者の寮になったそうです。それでも、古そうな建物が、ところどころに残っています。
帰りは、バスで京急線の「大森海岸」に出ました。
本日の中京競馬場メイン11Rは、例年は阪神競馬場で開催されている菊花賞トライアルの3歳馬重賞「第69回神戸新聞杯(GII)」(芝・左・2200m)。10頭の少数精鋭によるレースになりました。すべて牡馬です。
馬場は雨の影響で不良。
1番人気は、「ダービー(GI)」馬、ディープインパクト産駒「⑩シャフリヤール」(福永祐一騎手)。
2番人気は、「皐月賞(GI)」、「ダービー」とも3着のバゴ産駒「⑤ステラヴェローチェ」(吉田隼人騎手)。重賞は、昨秋の「サウジアラビアロイヤルカップ(GIII)」優勝の実績があります。
3番人気は、前走「青葉賞(GII)」2着で「ダービー」を回避したドゥラメンテ産駒「③キングストンボーイ」(C.ルメール騎手)。本レースが弔い合戦だ!
4番人気は、「青葉賞」優勝で「ダービー」に挑んで10着だったルーラーシップ産駒「②ワンダフルタウン」(和田竜二騎手)。重賞は他に「京都2歳ステークス(GIII)」も優勝しています。
5番人気は、「京都新聞杯(GII)」優勝で「ダービー」に挑んで11着だったディープインパクト産駒「⑦レッドジェネシス」(藤岡康太騎手)。藤岡康太騎手とは初コンビになります。
レースは、スタート後、「⑨テイエムタツマキ」(富田暁騎手)<10番人気>が先頭をとり、2角を回って向こう正面の直線に入ったところで1馬身半ほどリード。これに「④モンテディオ」(池添謙一騎手)<8番人気>が続きます。1000mは1分3秒のペース。そのまま3・4角に入り、最後の直線を向いたところで「④モンテディオ」が先頭、この「④モンテディオ」の内に位置していた「⑤ステラヴェローチェ」と「⑦レッドジェネシス」の2頭が抜き出て、ゴールに向かって2頭の争いになります。ゴール手前で「⑤ステラヴェローチェ」が前に出て、半馬身差で優勝、2着に「⑦レッドジェネシス」、3着にはがんばった「④モンテディオ」が入りました。4着「⑩シャフリヤール」はともかく、「③キングストンボーイ」は5着、これは無念。