2020年12月29日(火)。天気晴れ。

年末の休みを利用して、行ってみたかったけれど、今までなかなか訪ねることのできなかった場所に向かいました。

東武伊勢崎線(別名スカイツリー線=もうこの名前はやめた方が良いのでは?)北千住駅から。

降り立ったのは、2駅先の「五反野駅」です。

戦後間もない1949(昭和24)年7月5日朝、自宅を出て丸の内の国鉄本社に向かったはずの下山定則総裁が、車を日本橋の三越前に待たせたまま失踪しました。翌深夜、常磐線の北千住-綾瀬間の線路上で、下山総裁の轢死体が発見されます。この間に、下山総裁と思われる人物の姿が、この東武伊勢崎線五反野駅周辺で多く目撃されています。

北千住を出て、荒川を渡った東武伊勢崎線は、まず小菅駅に到着します。この駅の横には小菅の拘置所があります。小菅を出た東武線は、同じく北千住を出て荒川を渡った後、その進路を大きく東方向にカーブさせる国鉄(JR)常磐線の線路と交差します。位置関係は、東武線が上、常磐線が下です。現在は双方とも高架線になっていますが、当時は、常磐線は地上を走り、東武線は土手状の盛土の上を走っていたようです。この東武線・常磐線の交差付近が下山総裁の轢死体発見現場です。

この事件を皮切りに、1カ月ほどの間に、三鷹事件、松川事件と国鉄にまつわる不可解な事件が相次ぎ、大規模な人員整理に反対する労働争議との関わりなど、様々な観点での捜査・検討が行われましたが、真相は今に至るまで謎のままです。下山事件は、自殺か他殺かも分からず、松本清張が「日本の黒い霧」で取り上げるなど、謀略説が根強く残るままになっています。

下山総裁と思われる人物は、五反野駅に降り立ち、駅員にこの辺に旅館はないかと聞いたといいます。

そして、駅員に紹介をされた「末広旅館」という所で数時間滞在します。「末広旅館」のあった場所。

駅の直ぐ近くです。

そして夕方にかけて、東武線の線路が通る土手などの付近で、下山総裁の姿が複数の人に目撃されています。

当時は、田園地帯であったこの辺りで、背広・革靴で歩く姿は、だいぶ奇異に見られたようです。

東武線のガード。線路沿いのあぜ道などを歩いていたようです。

東武線の高架に沿って、「五反野親水緑道」と名付けられた水路が流れています。当時もあぜ道際に、このような水路があったのでしょうか。

しばらく進むと、常磐線の高架線下のガードに行き着きます。

このガード脇に「下山国鉄総裁追憶碑」が静かに置かれていました。付近の度重なる工事によって、何回かの移転をしているようです。

私には、下山事件の真相が何だったのかは全く分かりません。しかし、時代との相関が極めて強くあり、下山総裁自身もそれに翻弄されたということは確実だろうと思うのです。今の時代においても、我々は知らず知らず、自分の運命が見えない力で左右されることが多いのではないでしょうか。下山総裁のような重要人物でなくとも、自分ではどうすることもできない力に取り囲まれていることを、ふと感じる瞬間があります。特に今のような、コロナウイルス感染拡大の局面で、時代は大きく変わろうとしています。この変化を自分のために利用しようとする人もいるでしょうし、全く新しい価値観を見出す人もいるかも知れません。変わりたくないと思っていても、これが足元から崩れてしまうことがあるのです。以前から、下山事件は、私にそのような運命を感じさせる事件なのです。

 

さて、北千住付近で、もう一か所行ってみたい場所がありました。小菅駅から北千住駅に戻り、西口のバス乗り場から都営バス「王子駅」行きに乗り込みます。

「千住桜木」で下車して、隅田川の川岸を目指します。「帝京科学大学」の大きな建物が見えてきます。

隅田川の川岸に出ました。尾竹橋が見えます。

そして、「帝京科学大学」の校舎壁面も利用して、「お化け煙突モニュメント」がありました。

「お化け煙突」とは、1926(大正15)年から1963(昭和38)年まで、この隅田川沿いに立地していた「東京電力千住火力発電所」の4本の巨大な煙突のことです。煙突は、翌1964(昭和39)年に解体されました。

この煙突の景観は、東京の下町を代表するものだったといいます。今のスカイツリーのような感じなんでしょうか。解体時には、それに反対して煙突によじ登る人も出たそうです。

私は、この煙突のことは、つげ義春の漫画「おばけ煙突」で初めて知りました。この漫画は、1958(昭和33)年に貸本雑誌「迷路1」に掲載されました。私は友人の紹介でこの漫画を読みました。もちろん、既に煙突の現物は存在しない頃です。そして、今まで私が思っていた漫画とは、全然違う表現であることに大きな衝撃を受けました。出だしは、「東京のはずれに不思議な煙突がある。ひし形に並んでいるので、見る場所によって、4本が3本、3本が2本、1本と見える。人呼んでおばけ煙突と言う」。

この漫画はまっさらな気持ちで読むことがお奨めなので、ここまででやめておきます。

円形のモニュメントの上半分は、本当のお化け煙突の断面です。公園のすべり台として使われていたとか。下半分をつなぎ合わせると、煙突の巨大さがよく分かります。「お化け煙突」とは、煙突が巨大さに由来する名前なのかも知れません。

「4本が3本、3本が2本、1本」。

こんなモニュメントの場所を提供してくれた「帝京科学大学」に感謝です。

尾竹橋から望むお化け煙突(現・帝京科学大学)。

帰りに都営バスで動坂下に出て、前から行ってみたかった「動坂食堂」へ。

「豚生姜焼き定食」をいただきました。

先日、私は、「有馬記念(GI)」をもって今年の競馬は終了のような失礼なことを書いてしまいましたが、違う違う、今日は大井競馬場メイン10Rで「東京大賞典(GI)」(ダート・右・2000m)が開催されました。

結果は、1番人気「⑦オメガパフューム」(牡・5、M.デムーロ騎手)が、見事クビ差で激戦を制しました。なんと、「⑦オメガパフューム」とM.デムーロ騎手のコンビは、「東京大賞典」を3連覇です。今年は、5月の「平安ステークス(GIII)」優勝(騎手は北村友一騎手)でしたが、続く2戦「帝王賞(JpnI)」及び「JBCクラシック(JpnI)」はともに「クリソベリル」の2着(騎手はいずれもM.デムーロ騎手)だったので、最後にモヤモヤを晴らせて良かったです。それとも、「クリソベリル」が出ていないので、まだモヤモヤは残ったままでしょうか。

2着には、9番人気の「⑭カジノフォンテン」(牡・4、張田昴騎手)が入りました。南関東(船橋)所属で、中央からの参戦馬をおしのけての健闘です。

3着には、3番人気の「⑨ウェスタールンド」(せん・8、藤岡佑介騎手)が入りました。今年は、2月の「ダイオライト記念(JpnII)」2着、4月の「アンタレスステークス(GIII)」優勝、8月の「エルムステークス(GIII)」2着、そして前走11月の「浦和記念(JpnII)」3着と、ずっと複勝圏内を確保してきた手堅い成績でした。「ダイオライト記念」(川田将雅騎手)を除くと、今年はずっと藤岡佑騎手とのコンビでした。

前走「浦和記念」を優勝した2番人気「⑤ダノンファラオ」(牡・3、川田将雅騎手)は、12着に沈みました。この馬は、けっこう波がありますね。

これで、本当に今年の競馬は終わりです(よね?)。本当にどうもありがとうございました。