2019年12月14日。
この日付は、、「赤穂浪士の討ち入りの日」ですね!
「時に元禄15年12月14日。江戸の夜風をふるわせて 響くは山鹿流儀の陣太鼓」。
三波春夫先生の名調子が聞こえてきそうです。実際には、12月14日は旧暦の日付ですから、太陽暦では1月30日だったそうですが。
そんなわけでということでもないのですが、「両国駅」にやって来ました。討ち入りの目標であった吉良上野介邸のある「松阪町」とは両国にあります。たいへん印象的な駅舎。関東大震災後の1929(昭和4)年に竣工しています。御茶ノ水までの線路がつながる1932(昭和7)年までは、この駅が房総方面に向かう鉄道のターミナルでした。
私の中で「両国駅」というと、駅舎の中に「長谷川」と「三重ノ海」の優勝額が掲げられていたことでしたが、「三重ノ海」の額は残っていたのですが、「長谷川」の額はありませんでした。既に2014(平成26)年に変わっていたようです。
現在は、「武蔵丸」と「白鵬」の2横綱の額が掲げられています。
「アケボノ、ムサシマル アンド コニシキ」。この歌は中毒性があって、つい口に出てしまいます。
「両国駅」の駅舎内には、「‐両国‐ 江戸NOREN」という飲食店の集まった施設が造られています。
この中には、何と原寸大の土俵があるのです。
今は場所が開かれていませんが、お土産屋さんが細々と開業している「国技館」へ。
「白鵬」と「鶴竜」が迎えてくれました。
そして、「江戸東京博物館」へ。この建物は、本当に何と言ったら良いのか。
1993(平成5)年開業なので、既に四半世紀が経過しているのですが、依然として周囲と相容れない存在感を発揮しています。設計者の菊竹清訓先生は、不忍池ほとりの「ホテルCOSIMA(その後のソフィテル東京)」を設計された方です。
「江戸東京博物館」の常設展へ。館内の展示は、江戸から明治、大正、昭和へと、人々の暮らしがよく分かるようになっています。こちらは原寸大の「日本橋」。
日本橋北詰の町家の様子がよく再現されています。人の声も聞こえてきそうです。
長屋の中の寺子屋の情景。
指物師の家。
絵草紙を売っている店。
忘れてはいけない、江戸城「松の廊下」の模型です。
「中村座」。中村勘三郎が座元であった歌舞伎劇場で、最初は日本橋にありましたが、天保の改革で浅草猿若町に移転させられました。
文明開化の時代になって、銀座の煉瓦街が再現されています。かなり立派に見えますよね。
浅草の「凌雲閣」。通称「十二階」です。1890(明治23)年竣工。
これは、上に登るのはけっこう怖かったのではないかと思います。関東大震災で崩壊してしまいました。
東京を走り回っていた「円タク」。「フォードA型」です。
戦前の和洋折衷の家。
そして、戦時中仕様の室内。
永井荷風の企画展が開かれていました。
戦後になると、何と言っても「三種の神器」ですね。「東芝」のロゴが眩しい。
そして、夢の「公団住宅」です。
「ダットサン」のトラック。
「スバル360」。けっこう街を走っていました。
博物館を出ると、すっかり暗くなっていました。「回向院」だけ見て、引き返しました。