お茶の水から上野にかけて散歩をしました。

 

「明治大学リバティタワー」の横の坂を上がって駿河台の上へ。
1937(昭和12)年築、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計による「山の上ホテル」です。ヴォーリズ設計の建物としては、お茶の水には他に「主婦の友ビル」がありましたが、「お茶の水スクェア」に建て替えられました。また、「明治大学記念館」が「リバティタワー」に建て替えられ、既に20年以上も経っています。今や「タテカン」のタの字もありません。すべては変わっていきます。
そんな中で、「山の上ホテル」はいつまでこの姿を留めているでしょうか。意外ですが、ホテルとなったのは戦後の1954(昭和29)年です。元々は、「佐藤新興生活館」という生活改善・社会改良のための活動の拠点でした。戦後、GHQに接収され婦人部隊宿舎となり、米軍から「Hilltop」と呼ばれたことが名前の由来です。
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コーヒーパーラー「ヒルトップ」でケーキセットをいただきました。
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明大通りをお茶の水駅まで進み、「お茶の水橋」を渡って、「聖橋」脇の階段を昇って着いた先は「湯島聖堂」です。
菅原道真を祀る「湯島天満宮」と混同されがち(私だけ?)ですが、こちらは日本における儒教の本拠です。
「杏壇門」。この名称は、中国山東省曲阜市(孔子の故地)にある「孔廟」から採られています。扁額は徳川綱吉と同時代の公家、持明院基輔によるものでしたが、関東大震災で罹災してしまいました。現在のものは、徳川家十六代家達の書です。
儒教は江戸幕府による支配思想の根本であり、林羅山により朝鮮から流入した朱子学の整理が行われました。
五代将軍綱吉が元禄3(1690)年に孔子廟を造営し、上野にあった林家の学問所も移転してきました。その約百年後、寛政9(1797)年に至り、幕府の「昌平坂学問所」となりました。
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「大成殿」。「湯島聖堂」の正殿です。こちらも本家の「孔廟」の名称と同じです。掲げられている扁額は綱吉によるものだったのですが、やはり関東大震災で罹災してしまいました。現在のものは、伏見宮博恭王の書です。ここは日本の学校教育の発祥地で、現在の東京大学、筑波大学、お茶の水女子大学、東京国立博物館、国立科学博物館の源流となっています。
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「湯島聖堂」を出て、次に向かうのは「神田神社(神田明神)」です。江戸の総鎮守、祭神は大黒様、恵比寿様に平将門。平将門が本社祭神に復帰したのは、1984(昭和59)年になってから。
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豪華な「隨神門」。1975(昭和50)年の再建です。
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「社殿」は、関東大震災後、1934(昭和9)年築。鉄筋コンクリート造であったため、東京大空襲では焼け残ったそうです。
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「神田明神」のある本郷台地から、秋葉原方面に下る「明神男坂」です。
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秋葉原から御徒町の間のJR高架線下に整備された「2k540 AKI-OKA ARTISAN」。デザイナー、職人の人たちが運営するショップ、工房、カフェなどが集まっています。「2k540」とは、東京駅からの距離、2.54kmを表しているそうです。御徒町辺りは、ジュエリー街もあり、もちろんアメ横あり、広小路ありと、少し歩いただけで、いろいろな顔を見せる一帯です。
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上野駅から東に向かって、国道4号・首都高速を越えた一帯には、韓国料理の店の集まっている一角がありますが、そこに隣接して「上野イーストタワー」という高層オフィスビル・ホテルが2016(平成28)年に開業しました。
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そして夕闇迫る上野駅。この駅舎は本当に風情があります。
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