快晴の空の下、調布で散歩をしました。
「布多天神社」。調布を代表する神社です。甲州街道布田五宿の総鎮守。
イメージ 1


再びつげ義春のことになりますが、この神社は「無能の人」の第五話「カメラを売る」(1986年)の舞台です。
「毎月一度の天神様の縁日には古物仲間が店を出している」。
「オレは淋しくなるとそこへ出かけて行く・・・」。

また、「散歩の日々」(1984年)の中に出てくる、主人公が労務者風の男たちの博奕に参加して300円負けた神社も「布田天神社」ではないかと思います。
イメージ 2


漫画の情景とは全く趣を異にしますが、この鳥居に向かってのアングルは、「カメラを売る」のラストシーンで使われています。
この日は、奇しくも「ゲゲゲ忌」としてイベントを行っており、鬼太郎のチャンチャンコを着た人たちが露店を出していました。
イメージ 3


「祇園寺」です。深大寺を創建した満功上人により、奈良時代・天平年間(8世紀)に開基されたと伝えられます。
イメージ 4


イメージ 5
ここには、「板垣死すとも、自由は死なず」の板垣退助が手植えしたと伝えられる松の木があります。
1908(明治41)年、祇園寺の住職中西悟玄師主催により、「自由民権運動殉難者慰霊大法要」が催され、板垣退助も参列した際に植えられたそうです。

満功上人の父親は福満といい、この地の長者の娘と恋仲になったことから、長者が娘を湖の中の島に隠してしまいます。
福満が深沙大王に祈願したところ、霊亀が現れて福満を背に乗せて島まで渡ったということです。
その島のあった場所について、「祇園寺」から道をはさんで対面したところにある「神明宮」ではないかという話を、ずっと前に(小学生の頃)聞いたことがあり、私は今でもそのように思っています。
イメージ 6

「祇園寺」の門の所に対で建っている石仏。朝鮮風です。
つげ義春も、祇園寺によく散歩に来ていたようです。
「散歩の日々」の中で言われている「G寺」は、野川に沿って散歩しているので、「祇園寺」のようにも思えますが、湧き水を飲んだということなので、やはり深大寺のことなのでしょうか。
イメージ 7


この石仏については、「多摩の歴史をさぐる」(大久保清次:著、1972年、五輪社)に謎解きが書かれています。以下同書からの引用です。
「この石人は数年前他界されたこの寺の住職張堂和尚が、太平洋戦争後、元池貝鉄工所社長の別荘が近くの上野原小学校の近くにあったのが財産税のために物納され、その土地が市役所のものとなりこの石人は市から預かったものである。元来この寺には何の縁故もない石人である」。
イメージ 8


午後からは六本木へ。すっかり冬の気配を漂わせる景色になっています。
イメージ 9

イメージ 10