2018年GW、横浜に出かけました。
まずは「中華街」。
こちらは、「関帝廟」ではなく、新しい方の「媽祖廟」です。新しいといっても、2006年建立なので、既に10年以上経っています。「媽祖」は海上安全の神様で、中国人が移民した先にはこの「媽祖廟」があります。
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「中華街」はたいへんな混雑だったので、昼ご飯を食べただけですぐに退散して、「山下公園」方面に向かいました。
「グランドホテル」の中庭。
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「グランドホテル」の玄関から2階ロビーにに上がる階段。
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「グランドホテル」のロビー。豪華な雰囲気。大連の「大和ホテル」を思い出しました。
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「山下公園」もバラが盛りになっていました。バックに「グランドホテル」と「マリンタワー」。
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日差しが強かったので、木陰に入っています。「こどもの日」の平和な光景。
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「神奈川県庁」の「本庁舎」が一般公開になっていました。関東大震災(1923(大正12)年)後の1928(昭和3)年築。帝冠様式の代表的な建築です。
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「本庁舎」内の旧議場(大会議場)です。
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上階の傍聴席から。
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次に「横浜開港記念会館」へ。横浜開港50周年を記念して1917(大正6)年に竣工しました。ということは、関東大震災に被災しており、内部は全焼したものの、1927(昭和2)年に復元されました。
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横浜大空襲も生き残りました。この印象的なドーム屋根は、関東大震災で損壊してしまいましたが、1989(平成元)年に復元されました。
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「横浜開港記念会館」でも普段は公開されていない講堂が公開されていました。
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神奈川の風景を描いた見事なステンドグラス。
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黒船「ポーハタン」のステンドグラス。安政5(1858)年、「ポーハタン」船上で日米修好通商条約が締結されました。また、万延元(1860)年に派遣された遣米使節が乗船したのも「ポーハタン」です(この時に護衛の副使が乗船したのが「咸臨丸」)。また、嘉永7(1854)年に吉田松陰が密航を企てて乗船したのも「ポーハタン」です。
有名な狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず」の四杯は、初めて黒船が浦賀沖に現れた嘉永6(1853)年のことを指しており、この時やって来たのは、「サスケハナ」、「ミシシッピ」、「サラトガ」、「プリマス」なので、「ポーハタン」は含まれていません。

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「横浜開港記念会館」の塔屋「ジャックの塔」に上がっていくためのらせん階段。

「神奈川県立歴史博物館」。1904(明治37)年に「横浜正金銀行本店」として建てられました。やはりドーム部は、関東大震災で破損してしまいましたが、1964(昭和39)年に復元されました。
「神奈川県立歴史博物館」は、約2年間休館していましたが、このGWからリニューアルオープンしています。
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「神奈川県立歴史博物館」玄関ホール天井のステンドグラス。
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旧「第一銀行横浜支店」(1929(昭和4)年竣工)と「横浜ランドマークタワー」。旧「第一銀行横浜支店」の後ろは、「横浜アイランドタワー」(2003(平成15)年竣工)。

この旧「第一銀行横浜支店」について特記すべきことは、元々この場所にあったわけではないということです。約100m東側にあった建物のうち玄関部分だけを切り離し、現在地まで曳家されてきました。さらに玄関部分に続く建物部分の復元工事を経て、「横浜アイランドタワー」に接続されました。
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