先日、脳裏に浮かんだものがあった。
夢ではない。
想像に近い。
でも自分で意識したものではない。

なぜ、こんなものが思い浮かぶのか。

遠くて小さくて顔がはっきり見えないが、
こちらを見て笑っている人の全身像。

誰かに見える。
顔はハッキリ見えない。
でも、イメージは伝わってくる。
そう、霊の親だ。
でも、霊の親とは違う。

なぜ、笑っている姿が目に浮かぶのだろう。
もう25年以上、恨んでいる存在だ。
未だ、毎日のように、悔しかった思い、
そして、私がバカだったという思いが募る。

祝福を破壊され、
信仰の友の家庭を窮地においやり、
長い間、経済的に自由を拘束された。

いくら恨んでもあまりある存在。
み言葉に出会ったあと、
顔を合わせた数回以外に私に益をもたらす
存在ではなかった。

私が青年部で問題児と言われたとき、
上級トレ?という実践トレに掘り込み、
こちらが指摘した問題も伝わらず、
彼にはさらに、私の人格に問題があると扱われた。

彼の事業に巻き込まれたとき、内容が分かりにくいからと
私は内容をまとめ直した。
それを、関わる信仰の友に伝えようとしたとき、
「本当にみんなはそんなことを求めているのかな」
とそれらしい言葉を語り、
自分の嘘を隠して誤魔化し、私を利用した。
そして、多くの被害者を生み出した。

なぜ、そんな人物とイメージの似た人が
笑っている姿が脳裏に浮かぶのか。

今は、霊の親のトラブルに巻き込まれ良かったと思う。
もう、これ以上、お金を無心されることはない。
この出来事は、私と彼の間のファイヤーウォールと
なっている。

もちろん、こういう意識があれば自分が天国には
行けないことは分かっている。

いつかは蕩減しないといけない。
でも、今はその蕩減に取り組むべきときではないと
思っている。

あと3ヶ月、あと3ヶ月で、み言葉に出会って、
40年を迎える。もう終わる、そう思って来た。

あの幻影は何なのだろう。
私の潜在意識だろうか。
もしそうなら、自分のお人好しさにヘドが出てくる。
自分の人格を否定したくなる。

ただ、ふとこんな思いが湧いて来た。
私の先祖の誰かなのか。
私の40年の歩みを通して、救われたよ、ありがとう
そんな風に言って、手を振っていたようにも見える。

もう、そうなら、
私の40年の歩みも無駄でなかったのかも知れない。
 

 

 

 

 

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