以前に紹介した「魔法少女まどかマギカ ー アニメの紹介」記事の続編です。

15年ぶりに続編「ワルプルギスの廻天」が劇場公開されたので、

早速、見てきました。一人で映画を見に行くのは40年ぶりでしょうか。

 

今日の記事は、ネタバレを含みます。

まだ劇場公開中なので、ネタバレを望まない方は本記事はご遠慮ください。

 

この魔法少女アニメですが、子供たちより大人に受けているんですね。

また、ヨーロッパで高い評価があるのだとか。

 

AIで調べたのですが、ヨーロッパ文学を強く意識しているみたいです。

 

一作目の

・[劇場版]魔法少女まどかマギカ (前編)始まりの物語

・[劇場版]魔法少女まどかマギカ (後編)永遠の物語

は、ゲーテのファウストを日本的思考で昇華したとか。

 

二作目の

・[劇場版]魔法少女まどかマギカ [新編]叛逆の物語

は、くるみ割り人形と類似するとか。

 

そして、今回の作品

・[劇場版]魔法少女まどかマギカ ワルプルギスの廻天

は、ポーランド文学の「尼僧ヨアンナ」がモチーフではないかと思われます。

 

それではこのアニメ「魔法少女まどかマギカ」の主題は何なのでしょうか。

私はどうしても統一食口の視点から離れなれないのですが、

やはり一言でいうと、奇跡復帰(下記※参照)の限界を描いたものに見えます。

 

魔法少女となった彼女たちは皆、人生の苦痛を

奇跡によって乗り越える(奇跡を使って人を愛する)選択をしました。

その結果、その因果(蕩減)を背負って最後は自分が魔女となってしまうのです。

 

尼僧マルグリートは、苦しむ人々を祈りで救い続けた結果、

際限なく押し寄せる、救いを求める人々の声に押しつぶされました。

 

そして、その因果を断ち切ろうとした「ほむら」は、

時間を戻して何度も何度も、勝てるまで時間を戻して同じことを繰り返したのです。

 

まるで神様が蕩減復帰(下記※参照)のため、歴史を通して中心人物を変えて

何度も何度も、同じことを繰り返してきた姿にかぶってしまいました。

 

神様の歴史といっても、統一原理を知らない人、知っていても理解が浅いと

わけがわからないと思います。どこかで分かりやすく紹介できるといいのですが、

私の過去記事でも、ここに焦点を当てた記事はたぶんない(思い出せない)です。

 

アニメを見るときは、いろいろな視点で楽しめていいですね。

今回の私のように主題を推し量ってみたり、

前回紹介した「青春ブタ野郎」シリーズでは、登場人物に思いを寄せたり、

しばらくアニメには、はまりそうです。

 

 

※奇跡復帰とは、奇跡による救いのことを言います。

 統一教会では本来の救いは蕩減復帰といい、失った反対の方法でもとがえす、

 憎しみあったなら愛することが本来の道で、奇跡復帰は千年の穴をあけると

 強く戒めてきました。

 イエスキリストはあの当時やむを得なかったのですが、奇跡を使いすぎました。

 こういうことを言うから統一教会は既成キリスト教会から非難をされたのです。

 ですがキリスト教の歴史は迫害と殉教による蕩減復帰の道を歩んできました。

 十字軍のような蕩減復帰とは真逆の歴史も交えながら歴史が流れてきたのです。

 最近の統一教会は、教義からはずれ奇跡復帰が語られ、おかしくなりました。

 


 

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