文先生の聖和(逝去)後、統一教会は3つに分裂しました。
私は顕進様が一番、文先生が示した道に近いと考えてきました。
それは、今も変わりません。
 

顕進様の言葉から感じる香りには、文先生の香りを感じます。
そして時々、私の琴線を震わすものがあります。

先日、たまたま見た「顕進様」の語った言葉に、こういうものがありました。

『奉仕は自分自身と自分の活動に対する自負心を感じさせる一種の慈善行為ではありません。(省略) それはお互いを分離させるすべての障壁を撤廃する力にならなければなりません。(省略) みなさんすべてが共に共有し各自の地域社会で実践しなければならない課題であると確信します』

こういう言葉は、私が今まで考えてきたことを、うまく言語化してくれています。

顕進様が言ったから、良いとかいうものじゃありません。
顕進様が言おうが言うまいが、関係ないのです。
顕進様が否定したって、私の神様が良いと言えば良いのです。
それが、神様との縦的な世界じゃないですか?

私の発想は単純です。単純なつもりでいます。

アベルカインとは何か、
愛の怨讐を越えて神様を探すものです。

復帰とは何でしょうか。
神様と縦的につながる?
神様に繋がってから、人を愛する?
ふざけたことを言わないでほしい。
昔の統一教会がそうだった。

自分はアベルだから神様に繋がるとでもいうのか?
まるで神様のことが分かっているとでもいうようだ。

もちろん、人の本心は神様につながるよ。
良心というレベルではね。

だったら、はじめから神様に繋がれるのなら、
わざわざ復帰の道を歩む必要なんてないんじゃないの?
復帰とは、神様との関係を取り戻していく道じゃないの?

かつてイエスキリストは怨讐を愛せと言った。
原理講論の授受作用には、
『キリスト教は、兄弟姉妹の横的な愛の関係を回復することにより、

神様との縦的な愛の関係を回復する愛の宗教』だと書いてあるはず。

兄弟姉妹が愛し合うことで、一歩、また一歩と神様の心情に近づく。
復帰するんじゃないの?

だから、柔和と謙遜を忘れてはいけないということになる。

万物を愛しながら、神様の心情を探して取り戻していく。
人を愛しながら、さらに一段上がって神様の心情を探して取り戻していく。
そして、最後に神様の深い心情世界を探していく。

それが復帰じゃないの?

家庭連合も、七男派も三男派も何も変わっていない。
昔の統一教会と何も変わっていない。

私は30年以上前から、このことを語って来ました。

ブログ村に来て、10年以上、語って来たつもりでいます。

 

でも、こういう話が通じる人は、みな組織には所属していないみたいです。
 

若き時代に自分が信じた理想郷を探すには、
今は組織を離れて各自で歩みながら、
いつか兄弟姉妹と一緒に活動できる時が来ることを

信じて待つしかないのかも知れないです。

 

 

 

 

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