昨日、病院の帰り道、息子は言った。
「新型コロナウイルスって無茶苦茶怖い。」
私は、
「そうだな。今、お父さんが咳をしていて、
 変だなと様子をみていたら、3日後に入院して、
 3日後にICUに入って、すぐ死んだらどうする?」
と話したら、
息子は真剣な顔をしていた。

私は、
「遺言になんて書こうかな。
 自分のことは、自分で出来るように、かな?」
と話した。

何気ない自分の言葉に、今自分が子供に望んでいることに
気づかされた気がした。
昔、6500双の先輩が、個性完成を、
「自分のことを自分で出来るようになること」と表現した
言葉を思い出す。

我が家では生活で原理用語を使うことはまずない。
うちの子供たちは、神様、ご父母様という言葉は知っていても、
授受作用や堕落、蕩減などという言葉は知らない。
聞いたら「何それ?」と言うことだろう。

家内も原理講論を読んだことはないと思う。
そもそも家内の母国語に翻訳された原理講論はあるのだろうか


どうやって教育しているのかって?

自分のことだけ、考えていたらダメだよ。
正直なことが大切なんだ。
人を助けてあげるのがいいよ。自分も助けてもらっただろう。
みんなが嬉しくなるようにしないといけないんだ。

授受作用から四位基台だとこんな感じだろうか。

そして、自身の責任で決めることは干渉せず結果を主管する。
このあたり、家内が理解できず過干渉になるので、私と喧嘩になる。

息子の学習机を買ってあげたのが小3のとき、娘は小1のときだった。
息子は、娘が早く買ってもらうのをみて、泣いて怒った。
あのとき、お前は妹が買ってもらえないのが嬉しいのかと話した。
息子は泣きながら受け止めていた。あれからずいぶん、大きくなったと思う。


先日、家内が友達のことで泣いていた。
霊感が強く、占いでネットで仕事をしているというが、最近、食口が
怖いと言って近寄らないという。うちも最近は会っていない。
私は
「あれほど言ったのに、天狗になっているのだろう。
 霊能者は上に立ったらサタンが入るよ。原理講論に書いてある。」
と家内に話した。私はこんな感じで家では原理を使う。
家内は言う。
「あなたの語る原理は他の人と違う。
 同じ本を読んでいるのに、どうしてそんなに違うのか。」


以前、書いたかも知れない。
いつか自分の子供たちが、この道で迷うようになったときのために
書き残しておこうと、そんな思いを込めて書き始めたのがこのブログだった。
私の遺言という意味も含んでいた。

でも、この遺言は自分の子供には必要ないのかも知れない。
新型コロナウイルスで、家にいる時間が長い中で感じる、

生活で伝えることこそが大切なことなのだと思うからだ。

 

 

 

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