前回の記事をあげてから、まだそんなに時間が経っていないのに、もう随分長い間、ブログを書いていなかったような感覚になります。それだけこの数日間の出来事は、めまぐるしい変化だったということなのでしょう。数日前に書きかけたままになっていた記事なのですが、はや陳腐化しているようです。
亨進様のメッセージが反響を呼んでいます。私は暴露とは別で気になっていることがあります。hiruma さんの記事『教会の未来(亨進さまの説教文を読んで)』に共通点を感じるのですが、この記事はとても大切なことを示唆していると思います。
1990年の頃でしょうか。私がアベルカイン観に悩んでいた頃、ホームにいた原研出身の先輩に聞いたことがあります。その時、先輩は「俺の宝物だ」と言って、そっと古いファミリー(教会の冊子)の切り抜きを貸してくれました。当時の私にはみ言葉の趣旨がとららえられずはじめの方しか読めなかったのですが、それはのちに配布されるようになった「アベルの正道」のみ言葉だったと思います。あの時はまだ神山会長が日本に来られる前ではなかったでしょうか。
異原理。この言葉はその兄弟が、教会で食口が語る原理を、非原理をもじって命名したものでした。彼は既に礼拝への参加率が悪くなっていました。彼の分のファミリーを受け取りに行った私に青年部のスタッフは、「礼拝にも来ない人にはファミリーは渡せない」と言いました。彼は言います。「お父様のみ言葉を読んでいない人ほどそういうことを言うんだ。お父様のみ言葉で、み言葉を読むようにという言葉はあっても、読むなという言葉はない。」 分かっている人は分かっているんだと思いました。青年部の部屋の壁に貼られた4種類の堕落性本性をみて努力する食口を見ながら「何を馬鹿なことをして」ともらしていました。彼の言葉は示唆に富んでいました。
私が、教会で教えていることが統一原理と違っていると一番はじめに気がついたのは以下の内容でした。教会では「神様との縦的関係を確立してから兄弟姉妹の横的関係を確立する」と教えます。しかし、原理講論に書いてあることは、その逆です。授受作用のところに書いてあります。「キリスト教は、(省略)、人間同士がお互いに横的な授受の回路を回復させることによって、神との縦的な授受の回路を復帰させようとする愛の宗教である。」とあります。教会で教えていることは、真逆ではないか? 心情復帰の路程も真逆です。長成期の人を愛する、兄弟姉妹を愛するところを通過してはじめて、神様の心情世界を訪ねていけるのではないでしょうか。これらアベルカイン問題をはじめ、異原理を排除して原理をきちんと整理出来なければ、伝道が進まないどころか、まともな人間として生きることも出来ないのではないでしょうか。
亨進様が教会幹部の解任の指示を出されました。私は幹部は従わないと思っています。聖書にある、父に従わない労働者が子に従わない話の如くです。結末は、父から、主よ主よと言われてもお前を知らないと言われるだけでしょう。でも私は教会幹部が亨進様の指示に従わないことを願っています。私は悪い人でしょう。なぜそれを願うのでしょうか。教会幹部が亨進様に従わなかったらどうなるでしょうか? 内的に見た時、私が27年前に体験したことが、未だ目を覚まさない食口達に再現するのです。そう、自分の前に、亨進様と目の前のアベルという2人のアベルが立ち、全く逆の指示をするのです。
【このテーマで発言する理由について】参照
この出来事は、私に大きな混乱を引き起こしましたが、だからこそ私は何が正しいかを探すようになりました。ですから、亨進様のみ言葉が広く拡散されて、教会本部と対立することを期待しています。文先生が「日本のカインアベルは間違っている」と言われても解決されず今日まで来たこの問題に対して、今だ目を覚まさない日本の統一教会員が、異原理ではなく原理を探す出発点になることを期待したいです。
【統一原理に対する勘違い】参照
(追記)
記事のタイトルを、「統一異原理」から、「異原理を越えて」に変更しました。

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亨進様のメッセージが反響を呼んでいます。私は暴露とは別で気になっていることがあります。hiruma さんの記事『教会の未来(亨進さまの説教文を読んで)』に共通点を感じるのですが、この記事はとても大切なことを示唆していると思います。
1990年の頃でしょうか。私がアベルカイン観に悩んでいた頃、ホームにいた原研出身の先輩に聞いたことがあります。その時、先輩は「俺の宝物だ」と言って、そっと古いファミリー(教会の冊子)の切り抜きを貸してくれました。当時の私にはみ言葉の趣旨がとららえられずはじめの方しか読めなかったのですが、それはのちに配布されるようになった「アベルの正道」のみ言葉だったと思います。あの時はまだ神山会長が日本に来られる前ではなかったでしょうか。
異原理。この言葉はその兄弟が、教会で食口が語る原理を、非原理をもじって命名したものでした。彼は既に礼拝への参加率が悪くなっていました。彼の分のファミリーを受け取りに行った私に青年部のスタッフは、「礼拝にも来ない人にはファミリーは渡せない」と言いました。彼は言います。「お父様のみ言葉を読んでいない人ほどそういうことを言うんだ。お父様のみ言葉で、み言葉を読むようにという言葉はあっても、読むなという言葉はない。」 分かっている人は分かっているんだと思いました。青年部の部屋の壁に貼られた4種類の堕落性本性をみて努力する食口を見ながら「何を馬鹿なことをして」ともらしていました。彼の言葉は示唆に富んでいました。
私が、教会で教えていることが統一原理と違っていると一番はじめに気がついたのは以下の内容でした。教会では「神様との縦的関係を確立してから兄弟姉妹の横的関係を確立する」と教えます。しかし、原理講論に書いてあることは、その逆です。授受作用のところに書いてあります。「キリスト教は、(省略)、人間同士がお互いに横的な授受の回路を回復させることによって、神との縦的な授受の回路を復帰させようとする愛の宗教である。」とあります。教会で教えていることは、真逆ではないか? 心情復帰の路程も真逆です。長成期の人を愛する、兄弟姉妹を愛するところを通過してはじめて、神様の心情世界を訪ねていけるのではないでしょうか。これらアベルカイン問題をはじめ、異原理を排除して原理をきちんと整理出来なければ、伝道が進まないどころか、まともな人間として生きることも出来ないのではないでしょうか。
亨進様が教会幹部の解任の指示を出されました。私は幹部は従わないと思っています。聖書にある、父に従わない労働者が子に従わない話の如くです。結末は、父から、主よ主よと言われてもお前を知らないと言われるだけでしょう。でも私は教会幹部が亨進様の指示に従わないことを願っています。私は悪い人でしょう。なぜそれを願うのでしょうか。教会幹部が亨進様に従わなかったらどうなるでしょうか? 内的に見た時、私が27年前に体験したことが、未だ目を覚まさない食口達に再現するのです。そう、自分の前に、亨進様と目の前のアベルという2人のアベルが立ち、全く逆の指示をするのです。
【このテーマで発言する理由について】参照
この出来事は、私に大きな混乱を引き起こしましたが、だからこそ私は何が正しいかを探すようになりました。ですから、亨進様のみ言葉が広く拡散されて、教会本部と対立することを期待しています。文先生が「日本のカインアベルは間違っている」と言われても解決されず今日まで来たこの問題に対して、今だ目を覚まさない日本の統一教会員が、異原理ではなく原理を探す出発点になることを期待したいです。
【統一原理に対する勘違い】参照
(追記)
記事のタイトルを、「統一異原理」から、「異原理を越えて」に変更しました。

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