ようやく特定秘密保護法が成立しました。
個人的には、やっと成立したかという印象です。
採決にあたっては、強行採決だの、国会議事堂の前での反対運動だの報道されていたわけですが、個人的な思いを言えば、このような反対運動の方が、よほど反民主的であるように感じられてしまいました。
もちろん少数意見を軽視しようなどとは思ってもいません。
今回の法案に対しては、私は勉強不足ですので、ここではこの法案の成立の経緯や審議の詳細には触れず、別の視点から思うことを書いてみたいと思います。
・反対運動は教育の賜物
統一教会員にとって、この法案の成立は感慨深いものがあるのではないでしょうか。
この法案の前身は、勝共連合が推し進めた「スパイ防止法」だと思います。
私が教会に来た高校生の頃、授業中に校舎の外を走る勝共連合の街宣車が「スパイ防止法の制定」と大きな声で訴えていたのがよく聞こえて来ました。
いつもうるさいなと思うと同時に頑張っているんだなんて勇気をもらっていました。
今回、反対する人の姿を見ながら、私もあの中のひとりになっていたかも知れないと思うことがあります。
私の通った高校は公立高校でしたが、学校長こそ保守系の方でしたが、教員の半数は日教組、教師の中にはバリバリの共産党員が3名いました。
当時の社会科のカリキュラムには「現代社会」という科目があって、実教出版社の教科書の冒頭は「国家とは」という定義から始まります。
そこには「国家とは警察などの国家権力により国民を抑圧する強制装置である」と定義されていました。
共産党の先生は良い方です。学級新聞をマメに発行し、社会問題に対して関心を持つことの大切さを教え、教員の労働者としての権利を主張し、不当な権力に立ち向かう立派な先生でした。
まさに共産党こそ、変わることなく真実を主張し続けていると学びました。
それが統一教会に来て、セミナーを終え、主を証される段階になると共産主義はサタンであると学ぶわけです。
高校生が学校と教会で正反対のことを教えられる、この混乱の中で、私は後輩を大混乱の中に落としてしまいました。
アベルにつなぐことが救いの道だと、事情の分からないアベルを鵜呑みにした自分が悔しくてなりません。
話がそれてしまったのですが、私がここで言いたかったのは、どのような情報を得て、どのような教育を受けたかで、人の捉え方など大きく変わってしまうということです。
・社会の変遷
「スパイ防止法」の時代から、「特定秘密保護法」に至るまでに社会は大きく変わってきました。
スパイ防止法の頃は、東西冷戦のまっただ中、共産主義の脅威に対して防備しないといけない時代でした。
日本国内において、警察が北朝鮮のスパイを捕まえても、北朝鮮に強制送還するしかないというなんとも馬鹿げた対応しかできないと聞きました。
その後、バブルが崩壊し、そしてエンロンの不正会計事件を発端に、世の中がコンプライアンス(法令遵守)を叫ぶ時代に入りました。
そして今日、中国を始めとする、目をつむる事のできない脅威に対して、再び防備しないといけない状況があります。
・法は正義なのか(法の上にあるもの)
法律とはその書面自体が正義として存在するというものなのでしょうか。
私は専門家ではありませんが、法律とはいかに運用されるかによって正義となりうると思うのです。私の考え方は、記事【愛と正義(Justice)】を見てください。
例えば、銃刀法がなければ、ナイフを持つ容疑者をナイフ所持を理由に逮捕できません。
しかし、銃刀法を文字道理に運用してしまえば、おかしなことになってしまいます。
東京などでは、銃刀法の規制以下の刃渡りのナイフ所持の場合は、軽犯罪法違反で没収されるといいます。(アーミーナイフなど)
法律には趣旨があると思います。どのような趣旨で運用しているのかを監視することは重要だと思います。
・知らせてはいけないこと(公益の優先)
知る権利について、科学者の方の意見がテレビで紹介されていました。
数学の新しい解法があるそうですが、それを応用すると潜水艦の位置を推測できてしまうため、公開できないそうです。公開することが科学の発展につながるので、公開すべきという意見でした。(すみません。私がよく理解できていません。)
果たして、そんな単純なものなのでしょうか。
現在、発見されている大きな素数は厳重に管理されているといいます。
素数というのは、1 と自分自身以外に正の約数を持たない自然数です。
この素数を探す解法の発見には、IT業界や防衛関係?が目を光らせてチェックしています。
私たちが日頃使うインターネットでは、情報を暗号化する際、この素数を利用しています。
いまだ、この素数を見つける計算式は発見されていません。
それゆえ、大きな素数を発見するためには、自分自身でしか割れない数をひたすら探さなければならず、途方も無い時間がかかります。
もし、この素数を簡単に計算で見つける方法が見つかってしまえば、あっという間に暗号が解読され大混乱をまねくことになります。
このように見た時、知る権利ひとつとっても、広い視点での議論が必要になります。
・最後に
とはいうものの、ここブログ村で、統一教会の隠蔽され続けてきた問題が暴露されていることを思うと、どのように運用されるかという点に対しては、お上任せにするのではなく、国民が関心を持ち続けないといけないと思いました。
政治問題は不慣れです。お粗末な内容で失礼しました。

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個人的には、やっと成立したかという印象です。
採決にあたっては、強行採決だの、国会議事堂の前での反対運動だの報道されていたわけですが、個人的な思いを言えば、このような反対運動の方が、よほど反民主的であるように感じられてしまいました。
もちろん少数意見を軽視しようなどとは思ってもいません。
今回の法案に対しては、私は勉強不足ですので、ここではこの法案の成立の経緯や審議の詳細には触れず、別の視点から思うことを書いてみたいと思います。
・反対運動は教育の賜物
統一教会員にとって、この法案の成立は感慨深いものがあるのではないでしょうか。
この法案の前身は、勝共連合が推し進めた「スパイ防止法」だと思います。
私が教会に来た高校生の頃、授業中に校舎の外を走る勝共連合の街宣車が「スパイ防止法の制定」と大きな声で訴えていたのがよく聞こえて来ました。
いつもうるさいなと思うと同時に頑張っているんだなんて勇気をもらっていました。
今回、反対する人の姿を見ながら、私もあの中のひとりになっていたかも知れないと思うことがあります。
私の通った高校は公立高校でしたが、学校長こそ保守系の方でしたが、教員の半数は日教組、教師の中にはバリバリの共産党員が3名いました。
当時の社会科のカリキュラムには「現代社会」という科目があって、実教出版社の教科書の冒頭は「国家とは」という定義から始まります。
そこには「国家とは警察などの国家権力により国民を抑圧する強制装置である」と定義されていました。
共産党の先生は良い方です。学級新聞をマメに発行し、社会問題に対して関心を持つことの大切さを教え、教員の労働者としての権利を主張し、不当な権力に立ち向かう立派な先生でした。
まさに共産党こそ、変わることなく真実を主張し続けていると学びました。
それが統一教会に来て、セミナーを終え、主を証される段階になると共産主義はサタンであると学ぶわけです。
高校生が学校と教会で正反対のことを教えられる、この混乱の中で、私は後輩を大混乱の中に落としてしまいました。
アベルにつなぐことが救いの道だと、事情の分からないアベルを鵜呑みにした自分が悔しくてなりません。
話がそれてしまったのですが、私がここで言いたかったのは、どのような情報を得て、どのような教育を受けたかで、人の捉え方など大きく変わってしまうということです。
・社会の変遷
「スパイ防止法」の時代から、「特定秘密保護法」に至るまでに社会は大きく変わってきました。
スパイ防止法の頃は、東西冷戦のまっただ中、共産主義の脅威に対して防備しないといけない時代でした。
日本国内において、警察が北朝鮮のスパイを捕まえても、北朝鮮に強制送還するしかないというなんとも馬鹿げた対応しかできないと聞きました。
その後、バブルが崩壊し、そしてエンロンの不正会計事件を発端に、世の中がコンプライアンス(法令遵守)を叫ぶ時代に入りました。
そして今日、中国を始めとする、目をつむる事のできない脅威に対して、再び防備しないといけない状況があります。
・法は正義なのか(法の上にあるもの)
法律とはその書面自体が正義として存在するというものなのでしょうか。
私は専門家ではありませんが、法律とはいかに運用されるかによって正義となりうると思うのです。私の考え方は、記事【愛と正義(Justice)】を見てください。
例えば、銃刀法がなければ、ナイフを持つ容疑者をナイフ所持を理由に逮捕できません。
しかし、銃刀法を文字道理に運用してしまえば、おかしなことになってしまいます。
東京などでは、銃刀法の規制以下の刃渡りのナイフ所持の場合は、軽犯罪法違反で没収されるといいます。(アーミーナイフなど)
法律には趣旨があると思います。どのような趣旨で運用しているのかを監視することは重要だと思います。
・知らせてはいけないこと(公益の優先)
知る権利について、科学者の方の意見がテレビで紹介されていました。
数学の新しい解法があるそうですが、それを応用すると潜水艦の位置を推測できてしまうため、公開できないそうです。公開することが科学の発展につながるので、公開すべきという意見でした。(すみません。私がよく理解できていません。)
果たして、そんな単純なものなのでしょうか。
現在、発見されている大きな素数は厳重に管理されているといいます。
素数というのは、1 と自分自身以外に正の約数を持たない自然数です。
この素数を探す解法の発見には、IT業界や防衛関係?が目を光らせてチェックしています。
私たちが日頃使うインターネットでは、情報を暗号化する際、この素数を利用しています。
いまだ、この素数を見つける計算式は発見されていません。
それゆえ、大きな素数を発見するためには、自分自身でしか割れない数をひたすら探さなければならず、途方も無い時間がかかります。
もし、この素数を簡単に計算で見つける方法が見つかってしまえば、あっという間に暗号が解読され大混乱をまねくことになります。
このように見た時、知る権利ひとつとっても、広い視点での議論が必要になります。
・最後に
とはいうものの、ここブログ村で、統一教会の隠蔽され続けてきた問題が暴露されていることを思うと、どのように運用されるかという点に対しては、お上任せにするのではなく、国民が関心を持ち続けないといけないと思いました。
政治問題は不慣れです。お粗末な内容で失礼しました。

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