ちょっとおかしなタイトルですね。
いつもと嗜好のちがうブログを書いてみようと思います。
韓国語の話ですがお付き合いください。

このブログには韓国在住の方も訪ねてくださっているので、ご意見をお聞きできると嬉しいです。

私が韓国で、心情とは?、恨とは?、侍るとは?
とこんなことを尋ねながら歩んでいたころ、韓国人の教会員から教えてもらったことです。

教会員と話ながら、
日本人が韓国人の心情を理解できないという話の中で出た言葉のニュアンスについてです。

韓国語では「しなければならない」という表現には大きく分けると2通りの言い方があります。

一つは
 해야 됩니다(ヘヤデムニダ)
もう一つは
 하지 않으면 안됩니다 (ハジアヌミョン アンデムニダ)

です。
どちらも日本語では同じ「しなければならない」ですが、その持つニュアンスは大きく異なります。

前者は無理に直訳すると
 「してこそ、なります」というところでしょうか。
後者は、文字どうり日本語と同じ
 「しなければ(ハジアヌミョン)、なりません(アンデムニダ)」です。

前者に対するニュアンスには、強制する意味合いが含まれません。
つまり自分の意志で選択する「しなければならない」なのです。

その時、たとえで、
 A:今日は断食しないといけません。
 B:わかりました。それじゃ、食事に行ってきます。
こんな会話が成り立つと聞きました。
もう15年以上経つので、たとえは正確に覚えていませんがこんな雰囲気でした。

私はキョトンとしながら、どうにも納得できないままでしたが、初めて理解できたのは、
最近のことで、私のブログの【不思議な心情】の中でそのことに少し触れました。

後者に対するニュアンスは、ほぼ日本語のニュアンスと一致するようです。
日本語と同じ二重否定の表現となっており、非常に強い強制する意味合いを持ちます。

よく「言うことを聞かない」と言われる韓国人にもこちらの言葉で伝えれば、
日本人と同じように伝わるといいます。
でも、こんな強い表現は普段使いません。

そもそも韓国語ではあまり二重否定の表現は使わないです。
感情が伝わりにくいからです。
日本語では相手の感情に配慮したり柔らかく伝えるために二重否定を多用します。

日本語では「私は、あの人のこと嫌いではないのだけど」ですが、
韓国語では「私は、あの人のこと好きですが」となるわけです。

もちろん伝えたい気持ちをくみ取り、訳す必要があるわけです。


以前に日本人の地区長からこのような話を聞いたことがあります。
お父様に会われたとき、
「先生の生涯の誇りは、食口に強制したことがないんだよ。」
と言われたといいます。そのとき地区長は
「え゛~。ずっと強制されてきているのではなかったのか」
と語ってくださいました。
この方もとても情の深い、これまたお父様にまっすぐな地区長でした。

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