《 追悼 》元横綱・曙太郎さん 病に倒れた7年前、 | poohta8のブログ

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直後にはプロレスイベントに出場予定だった

「週刊文春」編集部 source : 週刊文春 週刊文春2017年4月27日号

 

 大相撲の第64代横綱を務めた曙太郎さんが心不全で亡くなっていたことが

分かった。54歳だった。

 ハワイ出身の東関親方(元関脇高見山)にスカウトされて来日し、

18歳で土俵入り。2メートル超えの身長を生かして通算11度の幕内優勝を果たし、

貴乃花と「曙貴時代」を築いて大相撲人気を支えた。

2001年の初場所で引退後は格闘家としても活躍した。

 

 近年は闘病生活を送っていたが、今月に入り体調が急変したという。「週刊文春」

では2017年に、曙の身に起きていた “異変” と緊急入院について報じていた  パンチ!パンチ!パンチ!

当時の記事をあらためて公開する。(初出:「週刊文春」2017年4月27日号。

年齢、肩書き等は当時のまま)

 

曙太郎さん ©文藝春秋写真を見る

曙太郎さん ©文藝春秋

◆◆◆

「入院した曙さんの容態ですが、かなり厳しいという話を聞いています」

(事情を知るプロレス関係者)

 2017年4月12日、元横綱でプロレスラーの曙太郎(47)が福岡県内の病院に

緊急入院した。

 

 曙が福岡県内の総合病院に運ばれたのは、4月12日の朝。

前日には、熊本県益城町の小学校でチャリティーイベントに参加し、

その後は福岡県大牟田市で行われたプロレスの試合に出場していた。

 12日当日も岡山県で試合の予定だったが、本人が事務所関係者に電話して

欠場を伝えるよう依頼。主催する団体のホームページには「足の負傷」との

欠場理由が説明されている。

 曙は、15年に格闘技団体「王道」を設立し、数多くの他団体の試合にも

出場していた。一方で、昨年1月には皮膚の感染症の一種である蜂窩織炎ほうかしきえんなどで、

約3週間も入院するなど、体調に不安があったという。プンプン パンチ!パンチ!パンチ!

 

私の母親も似た病気になり、心臓まで菌が行ってなかったので助かりましたが、

それでも菌の炎症を抑えてから手術だったので、手が腫れたり痛いと言ってました ムキー

こんなに痛いのなら、殺してほしいと思ったと言ってました  叫びあせる パンチ!パンチ!パンチ! 星

激痛にさせたり、自殺願望を持ってこないで。

1995年の大相撲春場所千秋楽で、曙乃花(右)に寄り倒しで勝ち、優勝を決めた曙。2人はライバルとして「曙貴時代」を築いた ©時事通信社

1995年の大相撲春場所千秋楽で、曙乃花(右)に寄り倒しで勝ち、優勝を
決めた曙。2人はライバルとして「曙貴時代」を築いた ©時事通信社

心臓が一時停止し、集中治療室に

 12日に病院を訪れた当初、体調不良を訴えていた曙は、一般病棟で点滴などを受けていたが容態が急変。その日の昼に心臓が一時停止するなどしたため ムキー パンチ!パンチ!パンチ! 星

全館放送で医師が呼ばれ、集中治療室に移された。

「一部報道であったように薬で眠らされているというのではなく、

少なくとも13日の時点では意識不明の状態でした」(同前)

 

 一方で曙は、これに先立つ2週間ほど前の先月31日に放送された『今夜解禁!

ザ・因縁』という番組に出演。かつて交際していたタレントの相原勇と、

破局の真相について初めて対談している。パンチ!パンチ!パンチ!

 

 「なぜ面と向かって別れを告げてくれなかったの?」と責める相原に対して、

曙は「俺は別れたって伝えたつもり」と主張。自身が相撲で苦しんでいるときに、

相原から結婚を迫られたのが “別れた理由” と、怒りを露わにする場面もあった。

 

曙は周りには別れたと言っていたとTVで観ましたが、本人には言っていないはず 物申す

そして、相原さんに結婚をしたいという気持ちを、あの姉妹 ( 吹石一恵の母親と三女 )が高ぶらせたんです。この2人を別れさせたかった パンチ!パンチ!パンチ!

 
かつて曙と交際していた相原勇(所属事務所HPより)
かつて曙と交際していた相原勇(所属事務所HPより)

 

「97年の5月場所後に相原と破局した曙は、98年に知人の娘だった現在の妻と

婚約発表。その時点で彼女が妊娠5カ月だったため、相原が後に破局理由は

『二股だった』と発言し、曙が否定した因縁もありました」(スポーツ紙記者)

 

“青天の霹靂”だった緊急入院

「王道」は17日にホームページ上で、今後に予定されていたイベントの出場

および出演の取りやめを発表。今月29日のイベントに曙が出場予定だった

「がむしゃらプロレス」の矢野貴義統括プロデューサーは言う。

「曙さんの参戦は、一番の目玉でした。緊急入院の報せは青天の霹靂で、

こちらから容態を尋ねるわけにもいかないし……」

 本当の容態はどうか。

「本日(17日)、担当医師からは体内に菌が入った感染症との説明を受けました。

熱が出ているため、体温を下げつつ、菌を取り除く治療が始まったばかりです」

(「王道」関係者)

©文藝春秋

©文藝春秋

 

 土俵で、そしてリングで闘い続けてきた男が、病魔との闘いを制することを

期待したい。

 

 

【 元横綱・曙さん死去 】“記憶障害に苦しむ” 中で

口にした「リング」への思い…大切にしてきた“家族”

    めざまし8   

 

 恵まれた体格を武器に、大相撲人気を牽引した第64代横綱・曙太郎さん(54)。

2024年4月、心不全のため、都内の病院で亡くなっていたことがわかりました。

 

2003年に日本相撲協会を退職してからは、格闘家へと転身。多くのテレビ番組にも

出演し、土俵の上とは異なる愛らしい人柄で一躍人気者に。

その後、プロレスのリングへと戦いの場を移しますが、2017年4月、興行後に

体調の異変を訴え、急性心不全で入院。それから長い闘病生活を送っていました。ムキー

 

同じ東関部屋の先輩で曙さんと30年以上親交があった、中井勝也さんは、

当時をこう振り返ります。

 

30年以上親交のあった 中井勝也さん:
意識を取り戻して話せるようになったのが、(搬送されて)半年後くらいなんですよね。(記憶が)小学3年生、4年生くらいのレベルなんですよね。最近出会った人は

分からなくなって、2年前くらいまでに会ってる人は分からないんですよ、

ほとんど。記憶障害に苦しんでいたという曙さん。

その一方で、口にしていたのは「リング」への思いです。おばあちゃん

 

30年以上親交のあった 中井勝也さん:
「リングにもう一回上がりたい」って言っていて…。

立ってもいられなかったんですけど。

 

10年来のレスラー仲間のボディガーさんも、病床での曙さんの姿を見ていました。

 

10年来のレスラー仲間 ボディガーさん:僕が会った時で、(曙さんが)

体重140~150kgぐらいだったんじゃないですかね。イメージとしてはちょっと

痩せたなって感じでしたけど。会話していたら本当に笑顔で昔話をしたり、

やっぱりその場でみんなを笑わせようと面白いことを言っていましたね。

 

つらい闘病生活の中でも、周囲への気遣いを忘れなかったという曙さん。

それはリングの上でも同じでした。

 

10年来のレスラー仲間 ボディガーさん:一回、試合中にブレーンバスターで

曙さんを投げたんですよ。その時に左胸に負荷がかかりすぎて、胸の大胸筋が

「バチン」ってすごい音して切れたんですよ、僕の。(それで)フォールいったけど

返されて、その時、(曙さんが)「耳元で左胸がすごい音がして切れたけど、

このあと試合できますか?」って、すごく気遣ってくれたんです。

試合中に。すごい優しい方ですね。

 

大切にしてきた“家族”の存在

そんな 曙さんが、現役時代からとりわけ大切にしてきたのが、“家族”です。

引退後の2004年には、「日本のナイス・カップル大賞」でナイス・カップル大賞に

選出。その際、夫婦仲がいい秘訣について話していました。

 

――仲がいい秘訣は?
曙:相手のことを気にせずに自分勝手にやること。
――プロポーズの言葉は?曙:まぁ、しょうがないから結婚するか。

そういうような申し込みじゃないですかね。

 

――奥さまはプロポーズ覚えている?
妻・麗子さん:はい、覚えています。

「残りの人生を僕と一緒に過ごしませんかって」。
曙:言うわけがないよ~。
妻・麗子さん:言ってます~。

 

この時も照れ臭そうにするなど、人前では、素直に想いを語ることが少なかった

という曙さん。しかし、引退直後に綴った著書の中では、子どもたちに対する

率直な想いをこう明かしています。

 

「引退後、家族と一緒に過ごす時間が持てるようになったのが、

私にとって何よりも嬉しいことでした。僕とクリス(妻)の子どもとして

生まれてきてくれてありがとう
曙 太郎著「横綱」(新潮社)より

 

そして、妻・麗子さんに向けては…。

 

「何事もすべて自分で決めないと気が済まない、我がままで気難しく、

自己中心的な私とともに、毎日、苦労に耐えてよく頑張ってくれた。
君を幸せにすること。それは綱を守ることと同じくらい、私にとって重たい意味を

持っています。そのことをまず、君にわかってほしい。私は十三年の土俵人生を、

こうして無事に終えることができました。ほんとうにありがとう
曙 太郎著「横綱」(新潮社)より

 

家族に看取られて最期の時を迎えたという曙さん。

 

現役中も、そして引退後も家族と周囲への心配りを忘れない、

大横綱としての姿がありました。

(『めざまし8』 2024年4月12日放送より)

 

 

「憎いほど強かった」「勇姿を忘れない」 

元横綱・曙太郎さん死去で追悼の声相次ぐ

 

格闘技イベント「K-1プレミアム2003 ダイナマイト」 でボブ・サップ(右)と対戦する曙太郎さん=平成15年12月

格闘技イベント「K-1プレミアム2003 ダイナマイト」 でボブ・サップ(右)と対戦する曙太郎さん=平成15年12月

 

 大相撲の元横綱の曙太郎さんが心不全で亡くなったことが11日、分かった。

54歳だった。大相撲初の外国人横綱として若乃花、貴乃花らと名勝負を繰り広げ、

後に格闘家としても活動した曙さんの訃報に、SNSでは追悼の声が相次いだ。

 

プロレスラーの永田裕志さんは、自身のX(旧ツイッター)の公式アカウントで

「横綱とはプロレス入りされてお会いしてからとても仲良くさせて頂きました。

私の自主興行東金大会のメインでタッグを組ませて頂いたのはとても素晴らしい

思い出です。ご冥福をお祈りします」とつづった。

大相撲や格闘技ファンとみられるユーザーからは、「若貴兄弟とともに一時代を築き、憎いほど強かった横綱でした」「相撲、K-1、プロレスで闘い続けた

あなたの勇姿は忘れません」といった声が寄せられた。

Xでは「曙太郎さん心不全」や、格闘家に転向してから対戦した「ボブサップ」

などが一時トレンド入りした。

 

 

曙、心不全で記憶障害…70キロ激ヤセも“再び相撲を”

リハビリに励む日々 [ 2018年9月28日 22:24 ]  スポニチ

元横綱の曙太郎  Photo By スポニチ

 

 昨年4月に急性心不全のため入院した元横綱の曙太郎(49)が28日放送の

TBS「今夜解禁!ザ・因縁」(後8・57)に出演。1年半もの間、一切姿を見せて

いなかった病床の曙を番組が独占取材。210キロあった体重が140キロまで落ちた

元横綱の現在の姿が明らかとなった。

 

 曙は昨年、プロレスの試合に出場後、体の不調を訴える。試合を終えて戻った

福岡のホテルで胸をさすような痛みを感じたという。翌朝、自力で病院へ向かうと、その場で心機能が停止する緊急事態に。電気ショックと心臓マッサージで蘇生したが、心臓が37分間停止していたため重度の記憶障害に…。ムキー パンチ!パンチ!パンチ! 星

 緊急入院した病室に番組スタッフが入ることを許されたが、カメラがとらえた

のは、病気の影響で210キロあった体重が140キロまで減った曙の姿だった。

記憶障害に陥り、会話もおぼつかず、食事も着替えもままならない状態だった。

 入院中の曙にエールを送るため、現役時代の最強のライバルだった元横綱・若乃花の花田虎上が病室を訪問。花田の姿を見ると、曙は目に輝きを取り戻した。プンプン パンチ! 星

2人でしゃべっているときは終始笑顔。現役当時の記憶がよみがえった曙は「(若乃花の態度は)冷たかったよ」と笑いを誘った。花田は若い頃、曙にプライベートで遊びに誘われたが、約束をすっぽかしたという。理由について「遊びに行きたかったけど、行ったら勝負に情が入ってしまうから」と告白した。  

 花田が「当時は曙と貴乃花が人気ツートップ。僕が2番手でした」と話すと、

曙は「(若乃花は)大人気スーパースターだよ」と反応する場面も。いつの日か

相撲を再び取ることを約束した曙。全力でリハビリに励む日々を送っている。

スポニチアネックス取材班

 

この時、次女が記憶障害を治したので、当時の曙の記憶が戻りました びっくり

【 補足 】

2024年(令和6年)4月6日に心不全のため東京都内の病院で死去した。54歳没 パンチ!星

訃報は海外でも故郷ハワイの各メディアを始め、ニューヨーク・タイムズやBBCなどでも速報として伝えた。元横綱・若乃花の花田虎上は「切磋琢磨してライバルとして戦ってきた分愛情が深く 言葉で言い表せないものがあります」とコメントしている。また元横綱・貴乃花は「ハワイ諸島から来日し今日に至るまで日本の文化を感じて幾多の苦労があったかと思います。ハワイ巡業の際には地元ご家族も来ており、

穏和な挨拶を交わしたことは新しい記憶のように思い出しています。百折不撓の

人生観だったと思いますが、これからは身を楽にして安らかに」とコメントした。

生前の「明るく送り出してほしい」という遺言に従い葬儀はハワイ式で行われた。

 

 

 

《 家族と歩んだ優しき元横綱 》曙太郎さん、

人生最大の転機は格闘家転身ではなく、結婚だった 

2024.04.18 07:00       女性セブン

 

 巨星墜つ──大相撲史上初の外国出身横綱で、1990年代に“若貴”としのぎを削り、空前の大相撲ブームを起こした元横綱の曙太郎さんが4月上旬、心不全で亡くなった。まだ54才という若さだった。4月14日には都内で葬儀が行われ、元横綱・若乃花の

花田虎上氏(53才)や先輩の元大関・小錦(60才)らが参列。ただ、元横綱・貴乃花の花田光司氏(51才)の姿はなかった。

「“若貴”は絶縁していますからね。曙さんの葬儀といえども、兄弟再会の場には

ならなかった。しかし、貴乃花さんは故人を偲んでコメントを出した。いまや取材にほとんど答えない彼がメディアに対応したのは異例のことです。彼にとって、曙さん

との関係はそれだけ特別なもの。貴乃花さんだけでなく、多くの相撲関係者の心に

残る名横綱でした」(角界関係者)

 現役時代は身長204cm、体重233kgの巨漢で相手を秒殺する強烈な突っ張りが

トレードマーク。何かにつけ「ボクはヒールだから」と自虐的に語るほど、

国民的ヒーローの若貴兄弟の前に立ちはだかる憎きライバルの役回りだった。

しかし、その素顔は日本人以上に礼節を重んじ、愛の深い人物。

愛を貫いたがゆえに、安定を約束された角界を去った人生だった。

「彼の人生最大のターニングポイントは、総合格闘家に転身してK-1でボブ・サップ(50才)と戦ったときではなく、“できちゃった婚”したときでしょう」

 そう語るのは、大手メディアの大相撲担当記者だ。1998年初め、曙さんは、

すでにお腹の大きかったクリスティーン麗子さん(当時25才)を、師匠の東関親方(元関脇・高見山、79才)や自身の後援会に結婚相手として紹介した。

しかし、周囲は猛反対。婚約会見場には、親方も東関部屋や曙個人の後援会関係者も、誰も来なかった。世間も、その前年に婚約者のタレント・相原勇(57才)と

一方的に破局した恋愛歴を知っていただけに、冷ややかな反応だった。

前出の大相撲担当記者は曙さんに同情する。

「もともと東関親方は自分の娘さんと結婚させたがっていました。後援会も、

自分たちの東関部屋や曙さんへの影響力アップのためにと、何人もの女性を紹介していました。要するに政略結婚を目論む周囲を、曙さんは煙たがっていたのです」

 また、冷たい別れ方に見えた相原との破局にも、言い分はあった。2017年にバラエティー番組『今夜解禁!ザ・因縁』(TBS系)で、20年ぶりに2人が再会。相原から「何で(破局を告げる)代理人を寄越して終わらせたの? どうして面と向かって言ってくれなかったの?」と問われた曙さんは、「おれは伝えたつもりだよ。おれが(けがで)相撲が取れないとき、結婚ばかり迫られて、何で励ましてくれなかったの?パンチ!3 頑張りましょうって言ってくれなくて、気持ちが切れた」と、当時の思いを告白した。

 一方、横田基地そばの米軍ハウスに住んでいた麗子さんとは、彼女の両親を含めて英語で気兼ねない会話ができた。日本で孤独を感じていた曙さんが唯一、

素でいられる場所だった。

 

「後援会も曙さんに高級リムジンをプレゼントしたり、相原さんとの結婚披露宴に

帝国ホテルを押さえ、某有名政治家に仲人を頼んだりと尽力していたので、双方に

言い分はあったのでしょう。結果、この結婚を機に後援会は解散してしまった」パンチ!3

(前出・大相撲担当記者)

 

曙さんは、相原さんに別れ話を言ったと思い込んでいたというより、思わされた 物申す

これをキッカケに、あの姉妹によって解散をさせられたんです。

祭壇

祭壇

3人の子供を養うために

 その後の曙さんは、両膝がボロボロの中、「家族の前で優勝したい」と奮起。

もう2回の優勝を果たし、2001年1月に引退した。だが、後援会の解散で

資金援助が絶たれ、先行きは暗かった。

「当時、親方になるための年寄株を手に入れるには3億円が必須。さらに、師匠の

東関親方の娘との縁談を断った時点で、同部屋は継がせてもらえなかった。

自分で部屋を興すには約10億円が必要でしたが、支援してくれる後援会は消滅。

もう部屋を持つという道は閉ざされていたのです」(前出・角界関係者)

 部屋の弟弟子たちには人一倍慕われて、そのアドバイスも的確と評判だったが、

角界での自分の居場所を見失ってしまった。心に穴があいていたところ、K-1サイド

から声がかかり、2003年大みそかにサップとK-1で戦う道に進んだ。おばあちゃん

体が壊れて相撲を引退したのに、愛妻とまだ幼かった3人の子供を養うためにと、

格闘家、プロレスラーとして、身を削り続ける人生を選択したのだった。

「リングに立つだけでなくステーキ店を運営したりと、幅広く働いていました。

裕福ではなかったかもしれませんが、家族のために日夜汗を流していたのです」おばあちゃん

(前出・大相撲担当記者)

 そんな中、悲劇が起きた。2017年4月、北九州市でのプロレスの試合後に倒れ、

37分間も心臓が停止。一命をとりとめたが重度の記憶障害が残り、車いすとベッドを往復する生活となった。それでも麗子さんをはじめ、家族は変わらぬ愛で献身的に

看病し続けた。曙さんが子供たちに、よく言い聞かせていた言葉がある。

「常に謙虚でいること。誰のことも愛すること」

 

 現役時代、貴乃花に勝って手にした懸賞金を、帰り道でホームレスに差し出した パンチ!3

エピソードは有名だ。しこりの残る形で角界を去った後も、東関部屋に顔を出せば、必ず弟弟子たちにごちそうするのが恒例だった。

 若貴を倒して優勝した翌朝のスポーツ紙に「正義の悪役」とまで書かれた曙さん。打算的な人生を選ばず、名声を捨ててまで、唯一見つけた純愛を貫いた。今際の際の言葉は、麗子さんへの「アイラブユー」。家族愛にあふれた、見事な人生だった。

※女性セブン2024年5月2日号

 

この時代の懸賞金は凄い金額だったと思いますが、それをあの姉妹が憑依をして

ホームレスに渡したのは、神奈川県で少年がホームレス狩りをしていたので

贖罪の意味もあり、曙関にこういう行動をとらせた プンプン

 

相原勇さんと別れる時に、本人に直接話をして親方や後援会にも報告をした後に、

麗子さんのことを話しておけば、また違ったかもしれませんが、それでも、この人と一緒に歩んでいきたいと思ったので、周りが反対しても押し切って結婚した結果が、みんな離れて行ったのなら仕方ない。そして、亡くなる前まで奥さんの事を愛し

続けた曙さんは、幸せだったのが分かりました 照れ ラブラブ

 

若貴と曙さん達の頃は、私もTVで相撲を観ていました。

観ていて凄く面白く、小錦関や武蔵丸関などがいて対戦が楽しみでした。

 

また、こういうブームが来る人気力士を作ること。

人気だけじゃなく実力も伴う力士を育ててほしいです 照れ

 

 

曙さんのご冥福をお祈りいたします。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました 愛飛び出すハート