作成者 / cactus
朝青龍はおもに2000年代に活躍した第68代横綱で元大相撲力士です。
現役時代はその引退際までさまざまなことで注目されました。ここでは朝青龍の嫁・
子供情報と引退理由(被害者は関東連合)、そして現在についてまとめています。
朝青龍のプロフィール
出典:http://blog-imgs-46.fc2.com/
四股名:朝青龍明徳(あさしょうりゅうあきのり)
本名:ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ
出身地:モンゴル・ウランバートル
国籍:モンゴル
生年月日:1980年9月27日
身長:184cm
所属部屋:若松部屋 → 高砂部屋
朝青龍は第68代横綱で幕内優勝25回を誇る元大相撲力士です。
1999年1月場所で初土俵を踏み、2001年1月場所にて新入幕、2003年1月場所後には
一部から品格に問題ありと判断される中、第68代横綱への昇進が決まりました。
初土俵から25場所目での横綱昇進は最速 (年6場所制において) でした。
2004年1月場所以降は、朝青龍の ”一人横綱” 時代が次の白鵬が横綱昇進する
2007年5月場所まで続きます。現役中は相撲でもプライベートでも
話題に事欠かない力士でしたが、2010年1月場所にて引退。
横綱在位だけでも42場所、幕内優勝は25回、最多連勝記録35勝という成績を残しました。
朝青龍の家族(嫁・子供)情報まとめ
朝青龍の嫁・タミル夫人
出典:http://livedoor.4.blogimg.jp/
名前:タミル・ゴンブトゥレン
生年月日:1980年2月13日
出身地:モンゴル・ウランバートル市
タミル夫人について。
両親は母国で屈指の資産家で兄1人。モンゴル第54 小、中学時代は勉強、
スポーツともにトップクラスだった。99年からドイツのセレネ大学と
バイロット市立大学に留学してドイツ語を勉強。
朝青龍とタミル夫人は2003年12月30日に結婚。中学時代にタミル夫人に一目惚れした
朝青龍は長距離恋愛を実らせ、22歳の時にゴールインしました。
結婚会見で見せた二人のラブラブぶりには和みます。
ゴンボツェレン・タミルさん(22)とそろって都内のホテルで記者会見し、
「すごく優しくて料理も上手。目がとてもかわいい」とのろけた。
中学生のころ知り合い、朝青龍が一目ぼれして付き合いがスタート。
その後、タミルさんはドイツの大学に留学したが、まめに連絡を取り合って交際を
実らせた。部屋のおかみさんにプレゼントされた着物姿を披露したタミルさんは、恥ずかしそうに「必ず目標を実現するところにひかれた」。
さらに「妻は料理が上手で相撲に勝てるパワーをもらえる。100点満点だと思う」とのろけると、タミルさんは「(横綱は)格好良くて優しい」と照れた。
引用:結婚会見でおのろけ
二人は2002年末に結婚し2003年4月には第一子に恵まれていますので、
いわゆるできちゃった婚でした。
朝青龍は嫁と離婚危機?を乗り越えた
仲睦まじかった二人に離婚危機も??
中学時代に出会い、その後22の年に結婚した朝青龍とタミル夫人でしたが、
2009年に離婚を発表。マネージャーのブログを通し朝青龍は
「二人で話し合いを重ねた結果、離婚しました」という旨のコメントを出しました。
当時の報道を見ると朝青龍の女性問題を離婚原因とするものがあり、
さらにお相手の女性はタミル夫人似という情報まで…。
横綱朝青龍(28=高砂)と妻ゴンボツェレン・タミルさん(29)との離婚は、
朝青龍の強い要望によるものだったことが6日、分かった。朝青龍は同日未明、
専属マネジャーのブログで離婚を発表。近い関係者によると、女性問題を
きっかけに07年春場所後、タミルさんをモンゴルに帰す形で別居生活に突入。
子供2人のことも考えて復縁を望むタミルさんに、今年1月に離婚届を渡し、
4月末に離婚を成立させたという。既にタミルさん似の女性と交際しているとの
情報もあり、早期再婚の可能性もある。
その他にも朝青龍のDV、タミル夫人の豪遊などさまざまな離婚原因が
飛び交っていましたが、2010年にはなんと二人の復縁が判明!
出典:http://livedoor.blogimg.jp/
2010年の引退式に朝青龍夫人として寄り添う
タミルさんは朝青龍との間に生まれた二人の子供を連れ、引退式に登場。
「(朝青龍と) 一緒に頑張っていきます」などと発言し二人の復縁が判明しました。
しかし後々朝青龍が語ったところによると、そもそも離婚でも不仲でもなかったという
新事実が判明しています。
朝青龍は2011年1月のテレビ番組出演時に、タミル夫人との離婚はなく、
ただの別居だったということを明かしています。
元々、離婚はしておらず、結果として復縁でも、復籍にも該当しないという朝青龍。番組では「今までも、今も、二人は夫婦のままです」と仲の良さをアピール。離婚報道があった当時、すでに妻・タミルさんと子どもたちは生活環境を整える
ため、拠点をモンゴルへ移していた。モンゴルでは、夫婦が離れて暮らすことは
よくあることのようで、これが日本では「別居=離婚」と取りざたされたのが、
ブログでの離婚発言に繋がったと真相を明かしている。
公式的に朝青龍から ”離婚” というコメントが出ていましたので、この真相には少し驚きです。
また、その後も現在までタミル夫人と離婚したという情報はありませんでした。
朝青龍とタミル夫人の間には子供が二人!
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子供が二人いる朝青龍
娘と息子が一人ずつです。
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2003年4月に生まれた長女(手前)
イチンホルロちゃんというお名前です。
画像は2010年の引退式の時のものなので少し前ですね。
出典:https://www.japantimes.co.jp/
2005年に生まれた長男!
ジャミアンドルジくん。こちらも同じく2010年引退式での写真です。
朝青龍は結婚時に息子が生まれたら ”親子同時関取になる!” と意気込んでいましたが、
ゆくゆくドルジJr.が日本の相撲界にきてくれることはあるのでしょうか。
朝青龍の引退理由は、関東連合との喧嘩だけじゃない?
【 横綱の品格 】
朝青龍の引退のきっかけは、2010年泥酔暴行騒動
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横綱朝青龍は、2010年1月場所にて引退。本人は現役続行の意向だったといいますが、
理事会からの聴取を経て、また横綱審議委員からの「引退勧告書」を提出されるなどした
朝青龍は引退を表明しました。原因は朝青龍が1月場所中に起こした泥酔暴行騒動です。
ことの発端は、2010年1月に週刊誌「Friday」で朝青龍が場所中に泥酔し暴れたと報じられた
ことから。当初は”暴行”部分について被害者は当時マネージャーであった一宮章広さんだとし、その旨を大相撲理事長に報告し厳重注意とされました。しかし、その直後に週刊新潮が
被害者が一般男性であったことを報道しています。朝青龍側と被害者側の言い分が違うところも
ありましたが、両者間で示談 (1500万といわれる) が成立。ただこの泥酔暴行事件のち、
相撲協会等から引退勧告がなされた朝青龍はそれを受け入れる形となりました。
朝青龍の引退のきっかけは、泥酔暴行騒動。
被害者として朝青龍の個人マネジャーが名乗り出たが、その後、実は暴行した
相手が一般男性だったことが判明。男性は警察に「車内で暴行された」と訴え、
鼻骨骨折などの診断書を手に同署に相談に訪れていた。
朝青龍は「殴った記憶はない」と主張。
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結局、両者の間では示談が成立したが、事態を重くみた日本相撲協会は同2月4日、本人を聴取した上で引退勧告。朝青龍は同日、協会に引退届を提出した。
同7月9日、警視庁が傷害の疑いで元朝青龍関を書類送検した。
(なお朝青龍は2015年に日本のテレビ出演した際にも「殴ってない。振り払ったのが
かすっただけで、張り手がかすったようなもの」とコメント)
相撲協会の理事会から聴取を受けたのちに引退を表明した朝青龍ですが、
その時の様子を朝青龍の元マネージャーのブログから発見したのでご紹介です。
会議室から親方達と出てきた横綱は、自分に向ってちっちゃく指で×を作った
辞める気なんてなかったし、協会に呼ばれてからも0パーセントの可能性の中でも望みがあるなら現役続行に最後の最後まで横綱は可能性にかけてました。
そんだけ相撲が好きで感謝していたから。
でも最後まで精一杯やった結果だし、引退しか道がなかったし、
このまま解雇になって土俵に上がれずに終わるよりも
引退相撲で皆さんの前に出る事を横綱は最後に選択しました。
引退が決まって国技館のトイレに2人で入って
洗面台の前に並ん時
鏡越しにお互い目があって・・・
2人で号泣しちゃいました。
こうして引退を選択した朝青龍は解雇にならずにすんだことより、退職金 (3685万円) や
特別功労金 (1億2000万円※当時歴代2位の高額)、懸賞金の協会積立金などと合わせ3億円以上もの大金を得たと言われます。(朝青龍に功労金など3億!やりすぎだ!)
朝青龍の引退のきっかけを作ったのは、関東連合元リーダー
朝青龍、泥酔暴行の被害者は関東連合だった!
一般男性と報じられた朝青龍の暴行被害者ですが、その人物は
関東連合の元リーダー・川名毅さんであったことがわかっています。
川奈さんは朝青龍の暴行被害者である以外に、酒井法子さんの覚せい剤事件とも
関係ありとされる曰く付きの人物です。
朝青龍の暴行”被害者”は、当時からなんだか不自然な動きをしています。たとえば何回か朝青龍の暴行について警察に相談するも被害届は出さないまま、また騒動の最中に「暴行されたと
いったのはウソ」という証言を相撲協会に提出するなど、どこか疑問を感じる言動でした
もともと朝青龍の泥酔暴行騒動は、川名毅さんのクラブにおけるいざこざが原因だとされます。
引退につながった騒動の場は、朝青龍がお気に入りの六本木の「フェリア」というクラブ。朝青龍が、客の女性に手を出し、いさかいとなって店を出た泥酔状態の
朝青龍に、「もう来ないでくれ」と、告げたのが「フェリア」を任されている
川奈毅氏だった。その言葉にキレた朝青龍は川奈氏を車の中に拉致監禁、殴って
鼻骨骨折の重傷を負わせた。怒った川奈は、診断書を持って麻布署に駆け込んだ。民事刑事で朝青龍を痛い目に合わせようとした。
しかし、横綱の “ややこしい筋” のつきあいも半端ではない。川奈の断りきれない暴力団関係者などが何人も登場、彼らのメンツをつぶすわけにはいかず、結局、1500万円の示談金で決着した。
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引用:関東連合元リーダー川奈毅(本名・川名毅)の現在wwwまた逮捕www【顔写真画像あり】2ch「朝青龍が引退する原因になったクズか」「ずいぶんしょぼい事件で捕まったな」
横綱の他の筋 (ヤクザ) との関係もあり結局示談になったとありますが、
被害者は朝青龍にもっと高額な示談金をふっかけていたとの話もあります。
ちなみにその後、川名毅さんは暴行で逮捕されたとのことです。
元横綱・朝青龍から「殴られた男」、暴走族「関東連合」の元リーダー・川名毅・容疑者(40)が、今度は六本木のクラブで男性客を「殴って」逮捕された。
関連記事
・川奈毅(川名毅)の現在!関東連合と逮捕事件~家族や経歴など総まとめ
朝青龍の引退理由は、泥酔暴行だけじゃない?「横綱の品格」とは
2010年に泥酔暴行騒動を起こし引退に追い込まれた朝青龍ですが、きっかけは本当にそれだけだったのでしょうか。被害者についての怪しい情報があり朝青龍自身は引退したくなかった中、引退勧告がなされた理由は常に言われていた「横綱の品格」の問題があるのかもしれません。
もちろん泥酔暴行騒動は決して褒められた話ではありませんが、朝青龍は現役時代から幾度と
問題行動で世間を騒がせた横綱でした。現役中は、その強さもさることながら複数回の
厳重注意・2場所出場停止など、良い意味でも悪い意味でも一等目立った力士でした。
出典:https://iwiz-chie.c.yimg.jp/
2007年、骨折中に母国でサッカー騒動
朝青龍は骨折などを理由に場所後の夏巡業を休みましたが、母国で中田英寿さんや
現地の子供達とサッカーを楽しんでいたことが報道されました。
これにより2場所出場停止と減棒30%4ヶ月、そして謹慎などの処分を受けました。
当時のことを語る朝青龍。なんとギリギリの骨折?だったとのこと!
2007年の横綱在位中に名古屋場所後の夏巡業を休んでモンゴルに帰省した際に、
元サッカー日本代表MF中田英寿氏らとサッカーをしたことが問題となったことに
ついては、「(巡業休場理由の)骨折はしてなかったが(問題発覚で)全体的に “骨折” した」などと、心身ともに負い目を感じた様子を振り返った。
当時について朝青龍さんは、ダウンタウンの松本人志から「ホントに骨折してたん?」と振られると、「ギリギリの骨折」と実際には骨折はしてなかったと吐露。治療のために帰国した時、子供たちが集まったグラウンドで偶然、中田氏やそのスタッフと出会い、「(自分は)国のヒーローですから」とサッカーに
参加しないわけにはいかなった思いを話した。
厳重注意も複数回
・2009年夏場所前のゴルフ問題(白鵬などのモンゴル力士らと)
・2006年に場所開催中の支度部屋でモンゴル巡業に関する署名活動
など。
その他、厳重注意と行かないまでも「横綱の品格」を問われるような言動・トラブルを
おこしています。
現在でもたびたび話題となる「横綱の品格」。横綱となるには力量だけではなく
品格も必要とされ、その基準には以下のようなものがあります。
横綱は力量だけでなく、品格抜群とされるからこそ横綱とされる建前である。
これは横綱昇進条件ともなっている。横綱の品格基準は日本相撲協会によると:
- 一、相撲に精進する気迫
- 二、地位に対する責任感
- 三、社会に対する責任感
- 四、常識ある生活態度
- 五、その他横綱として求められる事項
引用:横綱 wikipedia
歴代さまざまな横綱がいたわけですので、全員が品格あるという訳にはいかないかも
しれませんし、実際成績を満たせば横綱昇進となる現状があるといいます。
しかし2010年引退のきっかけとなった泥酔暴行事件や、それまでのさまざまな問題を見れば
朝青龍の「横綱の品格」がどうであったのかはわかりますね。もちろん、いろんな意味で
朝青龍が大相撲を盛り上げてくれた横綱であったことも間違いないでしょう。
朝青龍の現在は実業家!今後は政治家転身も?
朝青龍の現在の活動は実に多彩です。
・モンゴルレスリング協会会長(2013年〜2016年)
・日本担当の大統領特使(2017年8月から)※元横綱・朝青龍、モンゴルの日本担当特使に
これは2017年9月に行われた日本・モンゴルの首脳会談の場に「朝青龍がいる!」と話題にも
なりましたね。その知名度やスポーツ交流などを期待した起用だったと言われます。
いずれはモンゴル国会議員への転身を狙っているのではという噂も。
・実業家としての大成功
現役引退後、モンゴルに帰った朝青龍は手広く事業を展開し、現在ではかなりの資産家と
なっています。テレビ取材を受けた際に自身の事業や今後の展望(野望?)について説明。
モンゴルで関ジャニ∞・大倉忠義(31)の直撃を受け、手がけているビジネスを
紹介。ドルジ氏によると旅行業、農業、不動産などを手広く行っており、首都ウランバートルに東京ドーム5個分の土地を所有。「日本で言えば、銀座や表参道。
新しい街づくりを考えている」と話した。また国営のサーカス団を3、4億円で
買収。隣接する場所にドイツ料理屋も展開している。さらに11年前にモンゴル国民投資銀行を買収しており、東京23区の面積とほぼ同じとなる5万ヘクタールの
農場で “そば” を栽培して、日本に輸出していることが紹介された。
大倉から年収を問われたドルジ氏は金額こそ明かさなかったが「(モンゴルの)
長者番付の47、48位」と明言。「大統領になる気は?」と聞かれると「思ってませんよ」と即答。だが「なれないことはない。国民のこと国家の事を考えていると
なれる。トランプが(米国の)大統領になれたんだから、頑張ろうと思っている… そんなことない。冗談、冗談…」と首を振り、ウソとも本気ともつかない “答弁” で煙に巻いていた。
他番組では資産について驚きの額を明かしています!
ダグワドルジ氏に総資産を尋ねると「100億円程度ある」と告白。
朝青龍は現在もたびたび話題となる
皆大好き朝青龍?
2010年に現役引退した朝青龍ですが、現在も「その後」に密着するテレビ番組に取り上げられたりモンゴルの日本担当特使になるなど、日本との関わり合いがあります。
その他、朝青龍のTwitterは主にモンゴル語で書かれていますが、日本に関する話題では
まれに日本語でツイートしてくれ、それがメディアに取り上げられることも多いです。
やはり中でも相撲に関するツイートでは”ご意見番”的な注目をされます。
・ 朝青龍、稀勢の里優勝に「泣いちゃった」 Twitterで祝福
・朝青龍がTwitterで日本人の弱さをズバリ指摘「日本からとうぶん横綱誕生ないだろう!!」
現在でも相撲を好きな様子が伺えて嬉しいですね。
また2017年に相撲界を揺るがす大問題となった日馬富士暴行問題にも言及し、その発言が再び注目を集めています。
・元横綱・朝青龍、日馬富士の暴行報道に「ありえない」 怒涛のツイッター更新など。
(※日馬富士暴行問題については過去の記事でまとめています)
【補足】
川名毅の経歴
川名毅は、1980年代に暴走族集団としての「関東連合」の中核をなした暴走族
「ブラックエンペラー」の後継の暴走族チーム「三軒茶屋愚連隊」立ち上げメンバーの1人で、その後犯罪行為を繰り返し準暴力団指定を受ける「関東連合OB」の面々(見立真一、
松嶋クロス、邑井祐介ら)の「S53」世代よりも数世代上にあたります。
この川名毅は、自身の持つアウトロー人脈を駆使して、芸能界とのコネクションを作り上げ、
アダルト女優専門の芸能事務所の立ち上げや、麻薬ビジネスなどによって莫大な資産を
築きました。川名毅の後輩にあたる「関東連合」のメンバーらは、後にこうしたビジネス手法を真似る事で莫大な資金を獲得し、次第にマフィア化していく事になります。こうした点から川名毅は半グレ集団として恐れられた「関東連合」の土台を作った人物とも目されているのです。
そして、「朝青龍暴力事件」では、この川名毅が被害者となった事こそが、現役横綱である
朝青龍さんが引退に追い込まれるほどの大騒動に発展した大きな要因の一つとなったのです。
次の見出しでは、それについても詳しく紹介します。
朝青龍暴力事件の原因や真相は?
まずは、「朝青龍暴力事件」が起きた原因についてを詳しく見ていきます。事件が発生した2010年1月16日、朝青龍さんは東京六本木のクラブ「フィリア」を訪れました。
このクラブ「フィリア」の事実上のオーナーだったのが、上述の関東連合OB・川名毅
その人です。
その日の朝方近くまで同店で飲食し、泥酔状態になっていた朝青龍さんは、他の女性客に
絡み始め、最終的に手を上げる騒ぎを起こします。この騒動を見て、オーナーである川名毅は、朝青龍さんに「もう2度と店に来ないでくれ」と出入り禁止を告げます。
するとこれに朝青龍さんが激昂、荒ぶって店内で暴れまわり、最終的には川名毅さんを自分の
車の中に拉致監禁し、顔面を殴って鼻の骨を折る全治1ヶ月の大怪我を負わせたのです。
ただし、これについては、殴ったというよりは、朝青龍さんの振り払った手が鼻にあたり、
結果的に骨折したのが真相という情報もあるようです。
朝青龍さんのこの時の荒ぶりは凄まじかったそうで、関東の不良達の間で「狂犬」とまで
恐れられた川名毅さんが泣いて許しを請うほどだったといいます。
朝青龍を引退に追い込んだ川名毅が危機的状況に
出典:http://www5.nikkansports.com/
通常であれば即被害届を出しそうな事件ですが、川名毅はあえて被害届を出しませんでした。
当時の朝青龍さんは横綱として全盛の時期にあり、事件化して引退に追い込まれる事は
絶対に避けたいはずと考えた川名毅は、多額の示談金をふんだくれると踏んで、
3000万円とも5000万円とも言われる金額を要求したというのです。この時、川名毅は自身の
アウトロー人脈を駆使して、暴力団関係者の力も借りて追い込みをかけようとしたそうです。
しかし、朝青龍の「タニマチ(支援者)」には、アウトロー世界の大物も大勢おり、朝青龍
サイドは、川名毅との示談金交渉の席に、アウトロー世界の超大物を連れてきたといいます。
これに、川名毅はすっかり腰が引けてしまい、朝青龍サイドの提示した1000万円から1500万円ほどの示談金で決着がつく事になったそうです。
しかし、事はこれで終わりませんでした。2010年1月30日になって「朝青龍と被害者の間で
示談が成立」という報道が流れましたが、時すでに遅く、朝青龍さんが一般人に暴行を働いた
という事件は大ごとになっており、大相撲協会は朝青龍さんを「引退勧告」か「解雇」という
厳しい処分を下す他ありませんでした。
これに怒ったのが、朝青龍さんのアウトロー世界の大物支援者達でした。「朝青龍を解雇に
追い込んだ川名毅を許すな」という声が上がり始め、川名毅は、身の危険を感じて朝青龍さん
から受け取った1000万円から1500万円の示談金を持って海外逃亡してしまいます。
すると、今度は、朝青龍さんとの示談交渉時に力を貸した川名毅サイドのアウトロー達が、
力を貸した自分たちに一切分け前をよこさずに海外逃亡した川名毅への怒りを募らせ、
方々から狙われる事になってしまったのです。
焦りを覚えたのか、川名毅さんは相撲協会に「朝青龍を引退させないで」という
趣旨の嘆願書を提出していた事が2018年に明らかになっています。
しかし、朝青龍さんの引退が正式に決定すると、ほとぼとりが冷めたと踏んだのか川名毅は
逃亡先から極秘に帰国し、示談金を使って豪遊する姿が関係者によって目撃されています
朝青龍の現在はモンゴルで大物実業家に
さて、朝青龍さんは大相撲で偉大な実績を残し引退。その後は祖国のモンゴルへと帰国し、
現在は様々な事業を手がける大物実業家となっています。朝青龍さんは、モンゴルの首都・
ウランバートルの中心部にサッカー場4面分もの土地を所有するほか、銀行やレストランに
コーヒーショップ、サーカス団など、様々な事業のオーナーになっています。
また、朝青龍さんが現在力を入れて手がけているのが、蕎麦農場で、モンゴル内に東京都と
ほぼ同じ面積にあたる約20万ヘクタールもの広大な蕎麦農場を保有し、モンゴル大統領の
子息と共にこの農場を経営して、「青龍蕎麦」という商品として売り出しているのだとか。
この他、日本の伝統工芸など、様々な分野に出資しており、現在の年収は約2億円、
総資産は100億円を超えているという事でした。
自らの起こしたトラブルによって大相撲の引退に追い込まれた朝青龍さんでしたが、
日本での成功をきっかけにして、祖国モンゴルでも大成功を収められたようです。
今後は、モンゴルの大統領も目指すという事なので、もしそれが実現すれば
日本とモンゴルの友好にも大きく貢献してくれそうです。
朝青龍引退の原因を作った川名毅は、強盗致傷事件を起こし
現在は消息不明
一方、朝青龍さんを引退に追い込んだ川名毅の方はというと、どうやら現在はかなり
落ちぶれている様子です。2015年8月15日、川名毅さんはタクシーを利用しましたが、
酒に酔って釣銭を受け取らずに下車してしまいます。タクシー運転手が釣銭を渡すために
川名毅さんを追うと、突然、川名毅さんは運転手の顔面を殴り、「なんでタクシー運転手が
こんなに金を持ってるんだ」と意味のわからない因縁をつけ、タクシー運転手の胸ポケットから現金3万5千円を奪い、「強盗致傷」の容疑で逮捕されています。
この事件については示談が成立したため、刑罰を受ける事はありませんでしたが、
この事件後は川名毅さんの消息は不明となっている様子です。
朝青龍さんを引退に追い込んだ事で、川名毅さんの求心力が低下し、ナワバリだった
六本木界隈での影響力を失って落ちぶれたのでは?といった見方もあるようです。
まとめ
今回は2010年1月に発生し、現役横綱の引責引退という異例の事態に発展した
「朝青龍暴力事件」についてまとめてみました。
朝青龍さんは、その日、六本木のクラブ「フィリア」で明け方近くまで飲んでいて泥酔し、
他の女性客に手を上げるなどしたため、その店の事実上のオーナーだった、
元関東連合OB・川名毅さんが「もう2度と来ないくれ」と注意します。
それに朝青龍さんは激昂し、川名毅さんを自分の車に押し込み、顔面を殴って鼻の骨を折る
重傷を負わせます。最終的に1000万から1500万円で示談が成立しますが、その時には事件は
大ごとになっており、朝青龍さんは大相撲からの引退に追い込まれてしまいました。
自身の起こしたトラブルによって引退した朝青龍さんでしたが、現在はモンゴルに帰国して
実業家として活躍。様々な事業手がけ、年収は2億円、総資産は100億円とも言われています。
今後はモンゴルの大統領も目指すという事なので、今後の日本との友好に
架け橋になってくれる事にも期待したいですね。
色々問題を起こした朝青龍は、今は実業家で大成功していますね。
でも本音を言えば、もっと横綱として白鵬と戦ってほしかったです
これからも、実情家として頑張って、家族仲良くして下さい
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました