クリスタルキングの現在!メンバー不仲説・田中昌之の事故・ヒット曲の動画も総まとめ | poohta8のブログ

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ドスの利いた低音と美しいハイトーンボイスを武器に一世を風靡したクリスタルキングですが、メンバーの不仲説や事故が話題です。今回クリスタルキングのヒット曲とメンバー不仲説、

田中昌之さんの不慮の事故、現在をまとめました。 NewSeeより

 

クリスタルキングとは

出典:http://img.hmv.co.jp/

 

クリスタルキングは、1970~1980年代にかけて一世を風靡したロックバンドです。

「低音のムッシュ」と評され、パンチパーマとサングラスがトレードマークのリーダー・ムッシュ吉﨑さん、唯一無二のハイトーンボイス・田中昌之さんによるツインボーカルが圧巻でした。

 

クリスタルキングのメンバー

ムッシュ吉﨑のプロフィール

出典:https://twitter.com/

プロフィール

 

名前:ムッシュ吉﨑

本名:吉崎 勝正(よしざき かつまさ)

生年月日:1948年12月25日

出身地:山口県下関市

担当:ボーカル(低)、 パーカッション

所属:株式会社クリスタルキングカンパニー代表取締役

 

かつて、クリスタルキングは7人組ロックバンドとして活動していましたが、

現在は “ムッシュ吉﨑さんによるソロプロジェクト” として活動されています。

クリスタルキングの最大の魅力である、ツインボーカルの一角を担った田中昌之さんは、

現在もなおライブを中心にアーティスト活動を続けています。

しかし、ムッシュ吉﨑さんとの溝はもはや修復不可能なほど深くなっていると言われています。

 

クリスタルキングの元メンバー

田中昌之のプロフィール

出典:http://hama-hako2.jugem.jp/

プロフィール

 

名前:田中 昌之(たなか まさゆき)

別名義:田中雅将、田中雅之

生年月日:1951年6月30日

出身地:佐賀県伊万里市

担当:ボーカル(高)

 

「 3オクターブの美声 」と賞賛されたテナーハイトーンボイスから、

和製ロバート・プラントの異名を博していた田中昌之さん。

クリスタルキングでは、ムッシュ吉﨑さんのドスの利いた低音と共鳴し合い、

お互いを引き立て合っていましたよね。

また、田中昌之さんはクリスタルキングの一部の楽曲の作詞や作曲も担当しており、

クリスタルキングにとっては不可欠なメンバーとも言えました。

しかし実は、田中昌之さんのクリスタルキングでの活動は、1973~1974年、1975~1986年、1995~1998年と、加入と脱退を繰り返していたりします。

 

その他の元メンバー

出典:http://thumbnail.image.shashinkan.rakuten.co.jp/

 

・内田 聖治(ボーカル) 1998~2002年

・山下 三智夫(ギター) 1975~1986年

・川上 聡(ギター) 1986年~

・上坂 哲史(ギター)

・福田 彰一郎 (ギター) ~1998年

・中村 公晴(ピアノ) 1975~1998年

・今給黎 博美(キーボード)

・野元 英俊(ベース) ~1986年

・尾町 英司(ベース) ~1993年

・秦 好樹(ベース・プログラミング) 1993~1999年

・金福 健(ドラム) ~1983年

・ファンキー末吉(ドラム) 1984年

・高木 和好(ドラム) 1985年~

・高岡 丈二(ドラム) ~1998年

【 補足 】

クリスタル・キング

出典:https://www.excite.co.jp/

 

ファンキー末吉( ファンキーすえよし )

担当: ドラム
生年月日: 1948年12月25日
現在の活動: 元「爆風スランプ」「X.Y.Z.→A」ドラマーで、金福健脱退後、

高木和好加入まで在籍。著作権料を巡ってJASRACとの紛争でも有名で、

2018年に『 日本の音楽が危ない〜JASRACとの死闘2899日〜 』を出版。パンチ!パンチ!

 

 

クリスタルキングの大ヒット曲「大都会」誕生秘話 

 

佐世保の米軍キャンプやクラブで腕を磨いたクリスタルキング

 

クリスタルキングは、1971年にムッシュ吉﨑さんを中心に長崎県佐世保市で結成されました。

長らく佐世保の米軍キャンプのクラブや、米兵が多く集まる佐世保市内のディスコを中心に、

主に米兵相手にアメリカ音楽を演奏していました。

クリスタルキングが佐世保で下積みしていた頃の心情を、切々と歌い上げた

クリスタルキングの隠れた名曲「SA・SE・BO」がこちら。

 

 

耳が肥えたアメリカ人相手に腕を磨いたクリスタルキングは、田中昌之さんの加入により、

低音のムッシュ吉﨑さんと高音の田中昌之さんによるツインボーカルが話題に。

主に九州を中心に、徐々に人気が出始めたと言います。

 

出典:https://www.youtube.com/

 

そして1975年には、博多のディスコから好待遇で引き抜かれたのですが、

そこで待ち受けていたのは厳しい現実だったそうです。

翌1976年に、カバー曲「カモン!ハッスル・ベイビー」でテイチクよりデビューを

果たすのですが、鳴かず飛ばずって感じで思うようにセールスは伸びませんでした。

 

ケジメをつけるために出場したポプコンで「夢想花」に破れる

「クリキンで6年間やってきたことにケジメをつけたい!」

 

グランプリを獲得して区切りをつけるつもりで参加した、1978年秋のポプコン本選大会

でしたが、そんな熱い想いも円広志さんの「夢想花」によって打ち砕かれてしまうんですよね。

 

 

この「夢想花」がグランプリを獲得し、クリスタルキングは入賞に終わってしまいました。

そんな結果に打ちひしがれていたメンバーを見て、ポプコンスタッフの1人が次のように

声をかけたと言います。

「お前ら、九州の男やったらもう一回勝負するよね?」

 

この言葉が、クリスタルキングに火を点けることに…!

 

出典:http://www.nicozon.net/

“つかみ” 重視の「大都会」の舞台は実は “博多” だった 

「 次は絶対にグランプリを獲る!」

 

クリスタルキングのメンバーがそう奮起して作った曲が…後にクリスタルキングの

最大のヒット曲となる「大都会」だったんですよね。

 

出典:https://ameblo.jp/

「前回はあの “夢想花” のサビのインパクトに負けただけだから、

とにかくサビのフレーズで審査員を驚かせればいい。田中の高音で

歌メロが始まればビックリして審査員がマルをつけるやろうって(笑)」

 

(中略)

 

「とにかくクリキンの最大の武器であるツインボーカルを活かすこと、

そしてハッタリを利かすために田中の高音を曲の冒頭に持ってこようと…

それだけで決めたんです。」

 

引用:大都会〜クリスタルキングが夢を賭けた楽曲の誕生物語〜 http://www.tapthepop.net/

 

クリスタルキングは、この「大都会」を引っさげて、翌1979年秋に開催された

ポプコンに登場すると、見事、宣言通りにグランプリを獲得しました。

ちなみに、「大都会」というと、東京やニューヨークなどの大都市を連想する人がほとんどですが、作詞を共作した1人の田中昌之さんによれば、「大都会」の舞台は“博多”を想定したそう。

この件について、田中昌之さんはとあるインタビューの中で、次のように語っています。

「佐世保から見るととにかく博多は都会だったんです。当時は博多に

行こうとすると選別を頂くくらいの距離感があったんですよ(笑)

佐世保に比べると道路が広くて足がガクガク震えた記憶があります(笑)」

 

引用:大都会〜クリスタルキングが夢を賭けた楽曲の誕生物語〜 http://www.tapthepop.net/

 

クリスタルキングのその他のヒット曲も紹介【 動画多数 】

この「大都会」は、その後同年の「第10回世界歌謡祭」でグランプリを獲得し、

それをきっかけにキャニオン・レコードより再デビューを果たしたクリスタルキング。

同年11月21日にリリースされたデビューシングル「大都会」は、累計150万枚以上の

ミリオンセラーを記録しました。クリスタルキングの快進撃は続きます。

 

1980年にリリースされた「蜃気楼」は、資生堂の「 輝け! ナツコSUN 」

キャンペーンソングとして起用に起用され、75万枚の大ヒットを記録し、

当時大人気歌番組「ザ・ベストテン」で、2曲連続の1位を獲得しました。

 

 

さらに、クリスタルキングは1984年6月に公開された阿久悠原作の映画

「瀬戸内少年野球団」の主題歌「 瀬戸内行進曲 」を担当しました。

また、同年10月に発表された「 愛をとりもどせ!! 」は、大ヒットしたテレビアニメ

「北斗の拳」の主題歌に起用されると、50万枚のセールスを記録しました。

 

クリスタルキングのメンバー不仲説 ① 田中昌之が脱退・

再加入・脱退を繰り返す 

 

そんなヒット曲を連発していたクリスタルキングですが、1986年になると

田中昌之さんが半ばケンカ別れするような形で独立してしまうんですよね。

 

 

この曲は、アニメ「北斗の拳」が大好きでこの曲をよく聴いていました。

野球のボールが喉に当たり、クリキン復帰時はハイㇳ―ンの声が出なく

ボーカル担当を変えて歌っていたのを思い出しました カラオケ  笑ううさぎ おばあちゃん 

 

出典:https://twitter.com/

 

脱退の理由は、バンドにありがちなメンバー間の方向性の違いだったようです。

特に田中昌之さんにとって、クリスタルキング内でのハイトーン・ボーカルをあまりにも期待され続けたことで、自分が本来歌いたいロックが歌えなかった…というのが大きかったそうです。

実際、田中昌之さんが1987年3月にリリースしたソロアルバム「クロスロード」では、

クリキン時代に見られた高音のシャウトはほとんど入れられませんでした。

いつまでも “クリキンのボーカル” と見られたくない…そんな気持ちから、

意識してシャウトしないようにしたそうです。

が、しかし!このソロアルバムのセールスは伸び悩むことに…。

そして田中昌之さんは、その翌年には地元・博多に戻って、ホストクラブで細々と歌う

落ちぶれた歌手” に成り下がっていたのだとか。

【 補足 】

田中昌之さんの主張は「クリスタル・キング」は、曲の外注をせず自作自演が前提でしたが、

ムッシュ吉﨑さんは他の作曲家に作って貰った歌を歌うのも良しとしていたためでした。

 

出典:https://twitter.com/

 

そして、1989年にはさらなる悲劇が田中昌之さんを襲います。

なんと不慮の事故により唯一無二のハイトーンボイスを失ってしまったんですよねぇ…。

この事故の詳細については、後ほど詳しく見ていくことにして、話を続けます。

 

ハイトーンボイスを失った田中昌之が再加入するも再び脱退!

2人の溝は決定的に 

 

ハイトーンからハスキーボイスシンガーへと変身せざるをえなくなった田中昌之さんは、

1995年にクリスタルキングに再加入しました。

しかし、1997年末には3人のメンバーとともに再び脱退してしまうことに。

再加入により一時は和解に向かっていたというムッシュ吉﨑さんとの関係は、

悪化の一途を辿ったと言います。

【 補足 】

脱退後の1998年に、田中昌之さんはポッカコーヒーのCM「クリスタルブラック」に

抜擢されて出演し、コミカルな演出から再ブレークを果たしました。

 

出典:https://livingroomcafe.jp/

 

一方、クリスタルキングに残されたムッシュ吉﨑さんは、

「40歳を過ぎてから声域が広がって高い声が出せるようになった」そう。

その頃から「愛をとりもどせ!!」など、過去のクリキンのヒット曲を単独で

セルフカバーする活動を始めています。そして現在では、クリスタルキングは

ムッシュ吉﨑さんの “ソロプロジェクト” と位置づけられるに至っています。

 

クリスタルキングのメンバー不仲説 ② 訴訟に発展 

そんな中、ムッシュ吉﨑さんは2009年3月に、商標権侵害の訴訟を起こす事態に発展しました。

田中昌之さんが「クリスタルキングはもう残念ながら解散したんですが」と発言したり、

自身のソロコンサートの広告に「大都会 田中雅之(クリスタルキング)」

表記したことを争ったようです。物申す おばあちゃん パンチ!パンチ!

 

出典:http://www.mam-1624.com/

 

2010年3月26日、「解散発言」は既に時効が成立、田中昌之さんが自身の経歴説明に

「クリスタルキング」と表記するのは問題ないとして、ムッシュ吉﨑さんの

訴えを棄却する判決が下りました。

「掲載時ではなく、曲がヒットした当時の所属バンド名を説明した」として、

商標権侵害には当たらないと判断。

その上で「脱退後に『 クリスタルキング 』の名前を使っても、

吉崎さんの活動に関する社会的評価を低下させない」と指摘した。

 

一方で、田中が脱退後の1998年ごろ、テレビ番組などで「クリスタルキングは

解散した」と発言したのを「吉崎さんの活動に支障を来す虚偽の事実の流布」と

認め、不正競争防止法違反に当たると判断したが、時効で損害賠償請求権は消滅

しているとした。

 

引用:「クリキン」使用OK!“仲間割れ”訴訟で判決 https://www.sponichi.co.jp/

 

クリスタルキングの現在

 

そんな訴訟沙汰もあり、もはやムッシュ吉﨑さんと田中昌之さん他、

元メンバーの関係は修復不可能なほど悪化していると言われています。

 

出典:https://www.s40otoko.com/

 

実際、2013年には地元九州で、翌2014年には関東でクリスタルキングの元メンバーが集結し、同窓会コンサートが開かれたのですが、残念ながらムッシュ吉﨑さんは不参加だったようです。

 

出典:http://www.tanakamasayuki.net/

元クリスタルキング 同窓会コンサート

 

出演:ファンキー末吉、上坂哲史、中村公晴、今給黎博美、山下三智夫、川上聡、田中昌之、

野元英俊、金福建、高岡丈二、高木和好  (ムッシュ吉﨑の名前は無し…)

 

クリスタルキングの元メンバー・田中昌之の事故と現在の活動

趣味の草野球でボーカルとしての最大の武器を失う

 

2018年1月15日放送「激レアさんを連れてきた。」に田中昌之さんが “激レア” さんとして

出演。3オクターブとも言われるハイトーンボイスを失った事故を告白し、話題になりました。

元々野球が大好きで、野球をするために歌っていると言ってはばからなかった田中昌之さん。

クリスタルキングから2度目の脱退をし、ソロ活動をしていた1989年6月、福岡空港近くに

あった野球場で、バンド仲間らによる草野球の試合中のことだったようです。

 

出典:http://tulip-kimkim2.jugem.jp/

 

サードの守備についてた田中昌之さんの元に飛んできた打球が、直前でイレギュラーし、

あろうことか田中昌之さんの喉を直撃してしまったのだとか。

その時、あまりの痛みに声が出なくなったそうなのですが、一時的なものと軽く考えた

田中昌之さんはすぐには病院へ行かず、そのまま野球を続けたそうです。物申す パンチ!パンチ!

 

野球好きにもほどがありますよね。

 

その後、すぐに地声は出るようになり、約3ヶ月後には痛みも取れたのですが…

あの美しいハイトーンボイスが戻ることはありませんでした。パンチ!パンチ!

 

全国各地の病院を回って検査を受けるも、骨にも声帯にも全く異常が見られなかったそうです。

そして遂には、「これは呪いに違いない(誰の?)」と考えるようになり、プンプン パンチ!パンチ!

霊能者を頼ったこともあったのだとか…。

 

出典:https://www.info-dive.net/

 

田中昌之さんはその時の心境について、後に次のように語っています。

「ハイトーンなら自分が一番」と思っていた、そのスキルがなくなった。

誇り高いはずの男が、人格を全否定された。生きる意味がないと思うわけですよ。それで「じゃあ、死のうか」と。

喉を痛めてからしばらく、死ぬことしか考えなかったですね。ムキー おばあちゃん パンチ!パンチ!

 

引用:時代を駆ける:田中雅之/6 喉にボール、「高音」失う http://archive.fo/

 

元クリスタルキング・田中昌之の現在は?

大好きな野球での事故で、最大の武器であるハイトーンボイスを失った田中昌之さん。

その後、ハスキーボイスでクリスタルキングに再加入するも、すぐに上手くいかずに脱退

その後は、やはり仕事も激減し、一時は食べることにも事欠いたそうです。

しかし、辛いリハビリに耐え抜き、名前を “田中雅之” に改名。仮面ライダークウガやウルトラマンガイアの主題歌を担当したり、様々なアニメソングを任されるようになったそうです。

 

ちなみに、現在は再び「田中昌之」に戻されているようです。

 

出典:https://www.instaghub.com/

 

残念ながら、田中昌之さんは現在もなお、あの美しく伸びやかなハイトーンボイスは

戻ってはいません。しかし、全盛期のような力強い歌声は健在ですし、

独特のハスキーボイスを活かして精力的にライブ活動などを続けているようです。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

パンチパーマとサングラスがトレードマークの “低音のムッシュ” と、唯一無二のハイトーン

ボイスが魅力の “アフロ田中” によるツインボーカルで、一斉を風靡したクリスタルキング。

そんなクリスタルキングのヒット曲の数々とメンバー、そして現在、“3オクターブの美声” 

と称賛された田中昌之さんの不慮の事故などについてまとめてみました。

 

メンバー間の訴訟沙汰などがあり、ムッシュ吉﨑さんと田中昌之さんを

はじめとする元メンバーとの関係は、もはや修復不能とも言われています。

しかし、またいつの日か完全体のクリスタルキングが復活することを期待したいですね。

 

 

元クリスタルキング田中昌之さん 心筋梗塞が人生の転機に

公開日:  日刊ゲンダイDIGITAL

退院後は100メートル歩くのもやっとだった(C)

 

「ガッ!」ときて「何だ!?」って思いました。よく「心臓をわし掴みにされる」といわれ

ますけど、まさにそんな感じ。そして、ものすごく熱かった。アゴの下から心臓まで

焼いた火箸をのんだような……。実際、のんだ経験はないですけどね(笑い)。

「急性心筋梗塞」で倒れたのは、2011年3月21日でした。東日本大震災の10日後だから

よく覚えています。深夜0時ごろ、自宅でマネジャーと次のライブの打ち合わせを

している時でした。突然、心臓にあの痛みがきたのです。

■AEDを3回やっても心拍が戻らない

 子供のころから不整脈があって、胸が苦しくなることはそれまでも時々ありました。いつもは深呼吸をしてあばらを開くと治っていたのですが、その時は何度、深呼吸しても楽にならない。10分ほどして「やっぱり駄目だ」となって、初めてマネジャーに救急車を呼んでもらい

ました。ただ、搬送される前に風呂に入ったんですよ。“もう死ぬんだな” と思ったから……。

ロックンローラーたるもの最後は身を清めないといけないと思ったんです(笑い)。

 

 脳に酸素が回ってないから、意味不明な行動をしながら救急車の到着を待ちました。パンチ!パンチ!

深夜のサイレンでご近所の人が集まってきてしまったので、そんな中をストレッチャーに

乗せられて運ばれるなんて死んでも嫌だったんですけど、「歩ける!」と言うオレの抵抗も

むなしく、結局、乗せられちゃいました。あまりのカッコ悪さに “もう終わったな” とがっくり

力が抜けました。覚えているのは、救急車の後部ハッチがバタンと閉まった瞬間までです。

 ここからはマネジャーに聞いた話になりますが、搬送中に心肺停止になりました。

AEDを3回やっても心拍が戻らなかったので、覚悟もしないといけないと思ったそうです。

でも4回目で蘇生しました。自分は覚えていませんが、その後は意識が行ったり来たりしていたみたい。おかしいのは、意識が遠のきそうになった自分に名前を呼びかけると、「ハーイ!」と元気に返事をしたってこと。長年染みついた反応ってすごいですね(笑い)。プンプン パンチ!パンチ! 星

当直がカテーテルの名医でラッキーだった

 運ばれたのは横浜市立みなと赤十字病院でした。ラッキーだったのは、その日、当直していたのがカテーテルの名医だったことです。心筋梗塞は、詰まった部分の血管を広げることが第一。脚の付け根の動脈から心臓付近までカテーテルを入れて、詰まっているところにステント

という血管を広げる金属製の網状の筒を入れたんです。オレの体には今、4つのステントが

入っています。ICUに3日間、一般病棟に4日間でもう退院でした。

カテーテルの名医のおかげだと思います。

 

 そのドクターに「何でこうなったか分かりますか?」と問われた時、

「ストレスですかね」と答えると、すごい目力でこう言ったんです。「たばこです!」と。

何を隠そう1日2箱のたばこを何十年も吸い続けてきたヘビースモーカーでした。

これまで何度も禁煙に挫折して、みんなに「オオカミ少年」と言われていたんですけど、

あれ以来、この6年間は一度も吸っていません。

 たばこをやめたのは長生きしたいからではなく、入院中の自分の姿があまりにみじめだった

からです。自分じゃ何もできないから仕方ないんですけど、“そこは自分でします”というところまで看護師さんがやってくれるでしょう? あんなみじめな思いは二度としたくない(笑い)。
退院後は体力のなさに愕然としました。散歩をしようと外に出たけれど、家からたった

100メートルで息が上がってしまってそれ以上歩けない。冷や汗をかきながら休み休み30分も

かけて家まで戻った時は、さすがにへこみました。でも「ここで負けたらロックンローラ

じゃない」と自分を奮い立たせて、翌日は100メートルプラス1歩、その次はプラス2歩と、

少しずつ距離を延ばしました。5日目ぐらいに突然タガが外れたように何キロも

歩けるようになって、歩き過ぎてタクシーで帰ってきたりもしました(笑い)。星 パンチ!

 

 振り返れば10代から “人嫌い” で、デビュー後もあまり人を寄せつけませんでした。パンチ!パンチ!

でも震災があり、病気があり、すっかり “人好き” になりました。去年は故郷の伊万里市の

観光大使になったんです。何十年かぶりに同窓会にも呼ばれたし(笑い)。

プラスマイナスゼロの人生になるように、だんだん “いい人” になってきました。

 悟ったのは、「人は意外と簡単に死ぬ」ということ。

だから人生に後悔をしないよう、特にステージでは1秒たりとも手を抜きません。

見に来てくれた人との縁を1ミリも無駄にしたくない思いが、より一層強くなりました。

【補足】

人間、自分に限界をつくると、そこがゴールになってしまう。少しでも限界を超えなければ

という一念で歩き続けましたね。もう一度ステージに上がることだけを考えました」

田中氏はステージに復帰できたものの、まだ心臓には爆弾を抱えている。

「動悸が半端でなく大きくなることがあるんです。'15年4月に渋谷のステージに

立ったときも発作が起きて、意識がないまま歌っていたらしいです。パンチ!パンチ! 星

心房細動と診断され、また手術を受けました」その後も田中氏はステージに立ち続けている。

目標は70歳、80歳まで歌い続けることだという。

「病気ってね、予想していないところから一気にくるんですよ。

超健康体だった人間が言うのだから間違いない。そうなってからは、気持ちの持ちようが

その後の人生を分けるのではないかな。僕の場合はステージに出ることでした。

そのためなら死んでもいい。ステージで死んでもいいという気持ちで立っています」

▽たなか・まさゆき 1951年、佐賀県生まれ。「クリスタルキング」のメンバーとして

79年にシングル「大都会」でデビュー。バンド活動の後、86年にソロとなり、アニメ主題歌やゲーム音楽など、幅広く活躍している。昨年リリースの洋楽名曲カバーアルバム

「 It’s MyLife」が好評を博している。

 

私は、急に誰も近寄らないでという気が感じた(そうなっていました)ので、

スーパーで知人が声掛けていいのか迷ったと言われました。2015~6年頃に人間不信も。物申す

 

日赤に運ばれた時に、名医の先生に診てもらえて本当に良かったですね。

 

クリスタルキングに復帰して、またあのハイㇳ―ンボイスが聴けたらいいのですが、

これからも自分が歌いたい曲を歌って下さい 笑ううさぎ おばあちゃん カラオケ

そして、家族や仲間といつまでも仲良く、心身ともに健康で、お仕事頑張って下さい 照れ

 

 

2015年1月29日ジュピター占い師の淡雪さんからメール

人は進こともあれば、止まることもあります。

止まることは、見え方によっては落ち込みやて停滞と感じることもあります。

しかし、止まることはある意味、冬眠の時期・・・畑は収穫の後にすぐに

その土に種を植えるのではなく、種を植える為に整えたりする準備が必要ですね。

進む事だけが良いこと、必要なことではありませんからね。

そういう時に私は、自暴自棄になってしまうことも今までは少なくなかったと思います。

自分から大切なものを手放したり諦めたりするのは良くないことですね。

今は、上手くいかないことがあっても、これから春を迎えるように

私の背中を押してくれるような風向きに変わります。

上手くいかない今あるなら、良くしようと思わないで、現状維持くらいでいいのです。

出来ることややる、過度に頑張らないのが今を乗り越えるコツです。

特に人間関係などの疲れを感じて、他のことに意識が向かなくなることもあるでしょう。

気持ちだけでなく、体調、体力的な問題にも逆らってまで努力しなくてもいいのです。

チャレンジする気持ちや積極的なことをすることも、気持ちや体力に

余裕があればいいですが、そうではない時は、今は負担を軽くしていきましょう。

これから切り替えの時というのがあります。

 

 

毎日毎日、本当にしつこい、あの母娘あの三女、弟 物申す パンチ!パンチ!パンチ! むかっ

契約書通り、私の言うことを聞く「1回は許すけど、2回はない!」 

 

X-japan のyoshiki さん、清原さん、新庄さんたちがインプラントをして、

昨日、将棋の藤井くんが歯を矯正しているのを見ましたが、

私も歯が急にガタガタになったので分かりました。ムキー パンチ!パンチ!パンチ!

ちゃんと請求通り違約金、ペナルティー、治療費は払ってもらいます。プンプン おばあちゃん パンチ!パンチ!パンチ!むかっ

 

人の邪魔をしないで、仕事の時も。人の後ろに憑かない、憑依しないで。

コントールしないで、マントを取って来ないで。水晶で人の過去を見て脅して来ないで。

個人情報保護法、プライバシー侵害、契約違反しないで厳守して ムキー おばあちゃん パンチ!パンチ!パンチ!むかっ

歯、足の爪などをいじって来ないで。思考低下させないで。自殺や病気にさせないで。

人に対する言葉使いを正して、人を斬らない、人を傷つけない。転ばさないで 物申す パンチ!パンチ! 

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました 愛飛び出すハート