東京五輪アスリートの肖像(10)
2016年リオデジャネイロ五輪では、大会直前に不祥事を起こし、出場機会を失った。
禊(みそぎ)を済ませ、戦いの場に復帰して世界ランク1位に上り詰めると、今度は命の
危険もあった交通事故に遭う。この5年間、辛酸をなめ続けた桃田はそれでも成長を遂げ、
「感謝」を胸に刻み念願の金メダルを狙う。
「第二のふるさと」で身につけた武器
堂々の世界ランキング1位として五輪に挑む。バドミントンの桃田賢斗(NTT東日本)は、
2018年9月から現在まで約3年にわたって男子シングルスの世界トップの座に君臨。
誰もが認める東京五輪の金メダル候補筆頭だ。
持ち味は、繊細なネットプレーとスタミナ。ネット際にポトリと落ちるテクニカルショットで
ポイントを手にしたかと思えば、コートの深い位置へ高くシャトルを返し、相手に強打を
させない。ラリーが続いた時の粘りは世界屈指で、豊富なスタミナでポイントを重ねて
いくのも桃田のスタイルである。だが、それだけではない。コートに這いつくばっても
すぐに立ち上がり、ひたむきにシャトルを追う姿から浮かんで見えるのは、この5年間に彼が
直面してきた数々の出来事だ。16年の違法賭博問題。20年の交通事故。辛酸を糧に世界の
トップランカーに成長した桃田には、東京五輪に懸ける特別な思いがある。
1994年、香川県に生まれ、小学1年でバドミントンを始めた。中学生になると親元を離れて
福島県浜通りの富岡町にバドミントン留学。富岡第一中学、富岡高校でインドネシア人
コーチらの指導を受け、高校3年の時に出た世界ジュニア選手権男子シングルスで、
日本勢として初優勝を果たした。
「インドネシア人のコーチが組む練習は、楽しむときはとことん楽しむ、
集中するときはとことん集中するというメリハリのあるスタイルでした。
僕は、富岡(出身)の選手はここ一番の集中力があると思っています」
練習で身につけた集中力も武器。桃田は「第二のふるさと」と言う富岡での思い出を、
懐かしそうに、誇らしげに語る。
五輪に向け練習する桃田。背後には「富岡魂」の文字が掲げられている
(2021年7月12日、東京都調布市・NTT中央研修センター)時事
謹慎中に取り組んだ走り込みと筋トレ
初めて日本代表入りしたのは社会人2年目の2014年。同年のトーマス杯(男子国別対抗戦)で
日本の初優勝に貢献すると、15年に男子シングルスの日本勢で初めて、BWFスーパーシリーズ(オリンピック、世界選手権に次ぐ最高峰の大会)を制した。世界ランキングの最高は、
15年が3位、16年は2位。ところが、世界1位を射程にとらえていたその時。リオデジャネイロ五輪を4カ月後に控えた16年4月、都内の違法カジノ店での賭博行為が発覚する。
日本バドミントン協会は桃田に無期限の公式戦出場停止処分を科し、メダル候補の
一角として期待が膨らんでいた8月の五輪出場は消えた。
出場停止処分が解かれたのは17年5月。世界ランキングは2位から282位まで落ちていた。しかし、桃田は謹慎中の走り込みやウエートトレーニングで以前よりも強い肉体を手に入れていた。
元々の強みであるネット際の繊細なテクニックに加えて、スタミナがついたことは大きく、
処分解除後は長いラリーの末に相手を仕留めるスタイルを確立していった。
18年1月に日本代表に復帰すると、その後は海外の上位選手との対戦を繰り返しながら
徐々に試合勘を取り戻し、好成績へつなげた。8月に世界選手権を初制覇し、
9月には初めて世界ランキング1位に輝いた。
翌19年は、それまで培ってきた守備力に加えて、攻撃のスピードアップに成功。1試合に要する時間が短くなったことで、体力を温存しながらトーナメントを勝ち上がれるようになり、
世界選手権で2連覇を達成した。同年の国際大会優勝数は、バドミントン史上最多の11回。
73試合を戦い、67勝6敗で勝率は9割を超えた。
選手生命を脅かしたマレーシアでの交通事故
しかし、良いことばかりは続かないもの。2020年は年明けのマレーシアオープンで
優勝する順調な幕開けだったが、優勝した翌朝、ホテルから空港へ移動している最中に、
まさかの惨事が起きた。桃田が乗ったワゴン車が前方のトラックに追突し、
運転していた地元ドライバーが命を落とした。
桃田自身も顎や眉間、唇を裂傷したほか、全身打撲の重傷を負い、一時は選手としての
再起が危ぶまれた。どうにか回復して軽い練習を再開したものの、2月には右眼窩(がんか)
底骨折が判明して手術。しばらくは「物が二重に見える」などの症状が残った。
だが、この間も桃田の心が折れることはなかった。
3月には新型コロナウイルス禍により五輪の1年延期が決定。国内外の大会が延期・中止と
なる中、「東京五輪の舞台で、これまで支えてくれた人々に恩返しをしたい」との思いで
体を鍛え直し、五輪イヤーの21年を迎えた。
事故後の初会見では、「たくさんの方から激励の言葉をもらった。
東京五輪では金メダルを狙いたい」と笑顔を見せた(2020年3月6日、東京都新宿区)時事
東京五輪開幕を間近に控えた今、桃田はこのように言う。
「本当に多くの人々のご尽力のおかげで、五輪で試合をできるようになっている。
やっと五輪に出られるんだという気持ちもある。リオ五輪の時は自分の軽率な行動のせいで
出場することができなかったので、そういう時でも支えてくれた人たちに恩返しをするんだと
いう思いでプレーしたい。雑念は気にせず、自分のできることを精いっぱい表現したい」
感謝の気持ちを忘れずにコートに立てば、おのずと良いプレーができるはず。
それが今の桃田が持っている信念だ。
2020年12月の全日本総合バドミントン選手権、男子シングルスで桃田は3年連続4度目の優勝。11カ月ぶりの復帰戦を飾った=時事
感謝ゆえの覚悟
バドミントンの東京五輪代表が出そろった今年6月の会見。日本代表の朴主奉ヘッドコーチは、リオ五輪後の5年間で最も成長した選手として「桃田賢斗」の名前を挙げた。
朴氏は、1980年代から1990年代半ばにかけて韓国代表として国際大会で活躍、2001年には
国際バドミントン連盟(現・世界バドミントン連盟)の殿堂入りを果たしている。
「尊敬する人物の一人である朴さんからそういう評価をいただけるのは本当にうれしい。
頑張ってきて良かった」桃田は笑顔を浮かべていた。
「自分が成長できたと思うこところはメンタル面。(16年の)試合に出られない期間から
自分と向き合い、地道に練習を重ねてきたつもりだし、試合に出られるようになってからも、
たくさんあった苦しいことから逃げず、しっかり頑張ってきた。
五輪では自信を持ってプレーできると思っています」
桃田は今、「16年以前のメンタルでは五輪で金メダルを狙いに行きますとは言えなかったが、今は覚悟を決めて言える」と胸を張る。
所属のNTT東日本とは今年4月からプロ契約を結んだ。それまでは社内業務もこなしていたが、今はバドミントンに集中できる環境が整っている。東京五輪で使うラケットとシューズには、
自ら要望して「感謝」の2文字を刻んでもらうなど、準備は万端だ。
支えてくれた人々へ感謝を伝え、恩返しをする東京五輪。男子シングルス決勝は8月2日。
子どもの頃から夢に見てきたという大舞台がいよいよ目の前にやってきた。
バナー写真:3連覇を達成した全日本総合バドミントン選手権シングルスの決勝で、
ひたむきにシャトルを追う桃田(2020年12月27日、東京・町田市総合体育館)時事
男子バドミントン・桃田を勘違いさせたもの
編集委員 北川和徳
スポーツを取材してきた記者として考えさせられることが多い事件となった。
男子バドミントンの日本の新旧エース、桃田賢斗(21)と田児賢一(26)らが違法な
闇カジノ店で賭博をしていたことが発覚、桃田は事実上決まっていたリオデジャネイロ
五輪代表の座を失った。国などから多額の補助金も投じられて五輪の金メダル候補にまで育ったスポーツエリートの不祥事は、日本のスポーツ全体への信頼を揺るがす事態になっている。
■なぜやめられなかったのかと問われ
8日、違法カジノ店での賭博について記者会見するバドミントンの桃田(右)と田児
8日に開かれた所属企業のNTT東日本による桃田と田児の会見。明るい色だった髪を黒く
染め直して現れた桃田の謝罪に「それを言ってしまうのか」とひっかかる部分があった。
なぜやめられなかったのかと問われ、「スポーツマンとして勝負の世界で生きている以上、
ギャンブルというものに興味があり、抜けられない自分がいた」。
違法行為について謝罪する場。これでは「スポーツマンだから違法なギャンブルもするんです。大目に見てください」と言い訳しているようなものだ。スポーツで結果を出せば何をやっても
許される。桃田が陥った悲しい勘違いがこの言葉に集約されている気がした。
テレビの識者のコメントでは「幼い頃からスポーツばかりしているから社会常識がない。
もっと社会人としての行動規範から教えるべきだ」などの意見もあった。正直、スポーツへの偏見ではないかと首をかしげたくなる。スポーツ選手の不祥事のたびにこうしたコメントを流すメディアほど、五輪でメダルでも取ろうものなら今度は選手の人間性を含めて無条件に称賛する。
違法カジノ店が別にスポーツ選手だけであふれているわけではないだろう。賭け金の高さから
いっても、客には様々な経験を積んだ社会的地位が高い人もいると想像できる。高学歴である
はずの政治家や官僚たちの耳を疑う愚かな行為だって後を絶たない。犯罪ではないが、先日も国会で大臣の答弁そっちのけで携帯電話をいじって読書をしている元新聞記者の女性議員がいた。社会常識としての行動規範を身につけていないのは一部のスポーツ選手に限ったことではない。
桃田選手謝罪会見での発言は、本人じゃなくあの三女が憑依して言わされた言葉です
■他の分野の成功者より危うい場所に
桃田も田児も違法行為であるという認識はあったという。だから余計に罪は重いわけだが、
結局は自分の立場を勘違いした、誘惑に流されてしまう弱い人間だったということだ。
この勘違いはスポーツ選手に限らず、政治家や官僚、有名タレントら世間から注目されたり、
社会への影響力を持ったりする「勝ち組」に必ず仕掛けられるワナだと思う。
ただ、その意味でスポーツ選手が他の分野の成功者よりも危うい場所にいるのは確かだ。
スポーツの勝者を無条件に称賛する、結果さえ出せばすべてが許されると思わせる風潮が、
選手の周囲だけでなく社会全体にある。昨年のスーパーシリーズ・ファイナルで優勝して
賞金8万ドルを手にした桃田は「派手な生活をしたい。それに "ガキんちょ" が憧れてバドミントンを頑張るように」などと話している。やんちゃな自分を自慢する調子に乗った幼稚な姿。
大人なら眉をひそめそうなこんな発言が、新しいヒーローの自由奔放な魅力として
肯定的に報道されている。
本来はスポーツ選手としての成功と人間性や品格とはまったく別のものなのに、厳しい鍛錬に
耐えて高い技量を身につけたトップアスリートたちは人格的にも優れた理想の人間だと勝手に
思い込んで持ち上げる。人気タレントらも同じ扱われ方をすることがあるが、普通の若者なら
「自分は特別な人間」と勘違いしてしまう。スポーツを伝えるメディアの一員として、
責任は我々にもあると思った。
大金を持てば変わる人もいるけれど、普通ここまで言わない。上記のように言わされたんです。
品格も最初はあったのに、段々と無くなっていった元横綱 白鵬を思い出しました
最近なら、大谷選手の元通訳の水野さんを思い出しました。リミッターを外され、
歯止めが利かなくなり、高額なお金を掛けるようになったんだと思います
■大金を手にし人間関係派手になると…
20年前だったらマイナー競技で五輪メダリストになっても一時の話題になるだけで、
経済的な恩恵などほとんどなかった。今は多額の賞金を手にする機会があるし、テレビの
バラエティー番組にも出演して有名人とも付き合う。大金を手にし、人間関係が派手になると、
危ない誘惑も増えてくる。そこに世間に持ち上げられて勘違いした若者が放り込まれたら……。その結果が会見でうなだれる桃田や田児の姿なのだろう。
日本オリンピック委員会(JOC)や各競技団体(NF)は、研修などで選手の人間教育を
徹底して再発防止に取り組むという。不祥事のたびに繰り返されるパターンだが、
昔と同じ意識でやっても意味はない。繰り返しになるが、NFの役員たちの現役時代と
今の選手たちを取り巻く環境は以前とまったく違う。
アスリートを八百長の世界に引きずり込もうとする反社会的勢力の存在もある。日本では違法なスポーツ賭博といえば野球やサッカーと考えがちだが、世界的にはどんな競技も合法な賭博の
対象となりうる。ネットを通じて海外から日本国内の試合も賭けられているという。あらゆる
アスリートが八百長を仕掛けようとする勢力のターゲットとなる。スポーツ界には再発防止のための取り組みというよりも、これはスポーツを守るための闘いだという認識と覚悟が必要だ。
■バドへの情熱は本物、再起を目指して
桃田も田児も、後悔や反省する以上に自分を不運だと嘆いているのかもしれない。
特に金メダル候補として初の五輪の舞台に立つ夢を断たれた桃田は、一般の社会人とは
比較にならない厳しい代償を払うことになった。だが、発覚しなかったらどうなったか。
後輩から借金をしてまで賭博をしていた田児の人生は転落するばかりだったろう。バドミントンに集中するためすでにやめていたという桃田も、リオでメダルでも獲得したら同じことを
繰り返してもっと深みにはまったのではないか。反社会的勢力に取り込まれる危険もあった。
むしろ幸運だったと考えて再起を目指してほしい。自分を勘違いした誘惑に弱い人間だったのかもしれないが、バドミントンに向けた努力や情熱は間違いなく本物だったはずだ。そうでなければ世界ランキング2位になどなれない。お前もアスリートに甘いじゃないかといわれるかも
しれないが、4年後の東京五輪のコートに立つ桃田の姿を見たいと願っている。
五輪バド金候補の闇カジノ賭博事件、謝罪会見で2人が隠した
「真実」 組長の隣で何度もプレイ 週刊現代 2016.04.10
闇カジノ通いが発覚した桃田賢斗選手。オリンピックの金メダル候補だったが…
〔photo〕gettyimages
まだ隠していることがある
「桃田と田児の謝罪会見をテレビで見ていましたが、彼らはまだ本当のことを隠しています。
とくに桃田です。闇カジノに通ったのが計6回、賭けた金額が50万円という数字は少なすぎる。また、二人とも店内で暴力団関係者を見かけなかったと話していましたが、
それは考えられないことです」こう語るのは、東京・錦糸町にあった違法カジノ店「P」の
事情に詳しい暴力団関係者である。リオデジャネイロ五輪出場が確実視され、金メダル獲得の
期待も高かったトップアスリートが闇カジノに通っていた……。読売ジャイアンツ所属選手の
野球賭博事件に引き続いて発覚した、新たな賭博事件が社会に波紋を広げている。
4月8日、桃田賢斗(21歳、NTT東日本所属)、田児賢一(26歳、同)両選手は都内で
記者会見を開き、’14年末から数ヵ月間、錦糸町の闇カジノに通い、多額の現金を賭けていた
ことを認め、謝罪した。
「本来ならば自分が止めないといけない立場で、そういった責任はあったと思うんですけど、
桃田や後輩のことを巻き込んでしまったのは全部僕なので……。自分が賭博をしていて言うのもあれなんですけど、自分がやっていたことも本当に申し訳なく思いますし、桃田に対して
申し訳なかったと思います」(田児)
「このような事態を招いてしまってバトミントン協会に多大なる迷惑をかけてしまった。
どういう処分になるか分からないんですけど、今までバトミントンに対して本当に全力で
やってきたので、どんな処分を下されてもしっかり受け止めて、しっかり自分と向き合って、
ちゃんと反省したいなと思います」(桃田)
溢れる涙をぬぐいながら、何度も懺悔の言葉を繰り返した田児。
この一件で、金メダル有力候補として期待されていた桃田のリオ五輪出場は絶望的になった。
田児には自分が誘わなければという、悔悟の念があったのだろう。
一方の桃田は、まだ事の重さを理解しきれていないのか、淡々とした表情を見せていた。
その言葉の節々にリオ五輪に対する未練もにじみ出ていた。
淡々とした表情などは、あの三女が桃田選手の後ろに憑いていたからです
病的なギャンブル依存症
週刊現代は3月下旬に「桃田と田児の闇カジノ通い」の情報をキャッチし、
独自に取材を進めてきた。「P」の店長だったA氏は本誌にこう証言している。
「2014年12月頃、田児はウチの店に一緒に飲んでいた友人を連れてやってきました。
その1週間後くらいに田児が桃田を連れてきた。ほかにも田児は後輩らしきジャージ姿の
バトミントン選手を何人か連れてきました。田児は病的なギャンブル依存症でした。
1日に3回も来店するんです。飲み会の前に軽く寄って、飲み会帰りにまたやってくる。
明け方まで打って帰ったと思ったら、また3時間くらいして戻ってくることもありました。
最終的には田児は1000万円以上、桃田も数百万円は負けたと思います」
この証言などをもとに、週刊現代は4月5日に、国際試合のためマレーシアに滞在中の桃田に
電話取材を試みた。だが、桃田は記者が名乗ると電話を切り、その後何度電話しても出ることはなかった。翌6日、本誌は日本バドミントン協会ならびにNTT東日本に質問状を送付。
7日に同社は桃田と田児の違法賭博の事実を公表し、冒頭の謝罪会見が開催されたのである。
スポーツ紙記者が語る。「今回目立ったのは、NTT東日本と日本バトミントン協会の対応の
差です。両選手ともマレーシアで国際試合に参加中でしたが、NTT東日本はすぐさま現地で
聴取を開始。本人たちが認めるとすぐに、試合日程をすべてキャンセルして、成田に早朝に
到着する便で二人を帰国させました。その翌日に記者会見をしたのです。
一方、バトミントン協会は対応をNTT東日本に任せきり。問題発覚から4日も経過した
4月10日になってようやく緊急理事会を開く遅さです。日本人初となる五輪でのバドミントン
金メダル獲得のかかった桃田を、なかなか諦められなかったのかもしれません」
たしかにNTT東日本の対応は早かった。だが、2人は身内の調査に答えたにすぎず、
すべてを正直に語ったかどうかは疑問が残る。
事実、複数の関係者が「2人は真実を語っていない」と証言するのだ。
占い師の母も「悪い事は早く報告しなさい。対処できるから」と言ってました
2人がついているウソ
その一つが、2人が闇カジノで暴力団関係者を見かけたことがないと話している点である。
「お店の中の印象としては、そういった暴力団の人というよりは、みんな自分の印象では
穏やかな感じで接してくれて、それで行きやすくなったんだと思います」(田児)
「自分も店内の様子としては反社会的勢力の、そういう人はいなかったように感じていました」(桃田)
冒頭で登場した暴力団関係者はこう語る。
「店の『ケツ持ち』は住吉会系の暴力団組長でしたが、組長は毎日のように店に顔を出し、
プレイしていました。田児は組長の隣で、声を掛け合いながら何度もプレイしています。
桃田も田児も間違いなく、組長の名前を知っていました。店のオーナーは別にいるのですが、
二人は組長がオーナーだったと勘違いして、『 Pは○○さん(組長の名前)の店でしょ 』と
周囲に話しているんです。
桃田は組長が面倒を見ている錦糸町の飲食店の常連客でもありました。組長の素性を知らない
なんて考えられません」また、「P」に出入りしていた回数や負けた金額についても、過小申告しているフシがあるという。田児は’14年の10月~’15年3月までに月10回程度、桃田は’14年
10月~‘15年1月まで計6回程度店を訪れ、それぞれ約1000万円、約50万円負けたと話した。
だが、A氏は首をひねる。
「田児については大体そんな程度だったと思いますが、桃田は少なく申告していますね。
もちろん、田児ほどではありませんでしたが、田児と一緒でないときを含めれば、
桃田も少なくとも10回は来ていましたよ。20回近くになるのではないでしょうか。
金額も、最低でも100万円以上は損をしていた印象があります。
桃田が’15年の1月以降に来店していないというのはウソです。
店が摘発される直前の3月下旬まで桃田も田児も来店していましたから」
あの姉妹が田児選手の後ろに憑いた後、桃田選手にも憑いたのが分かりました
この3月週刊誌にあの母親が娘の為に「早く帰らないと、ハニーが待っているから」と
ドラマ収録が終わった後に、みんなにこの言葉を言って帰って行ったのは、
あの姉妹があの人の後ろに憑いていたからです。リークをしたのはあの母親
( 言わされた後、スタッフが言ったと誤解いていたのが分かりました )
「闇カジノ」の実態とは?
桃田はリオ五輪への出場どころか、国内での選手生命が絶たれる可能性さえある。
もし真実を隠し通そうとしているならば、この期に及んで何を守ろうとしているのか。
「完オチ」しているようにも見える田児にも、自分が誘ったためリオ五輪の夢が潰えそうな
後輩の桃田だけはなんとしてでも庇おうとして、口裏を合わせている可能性がある。
記者会見でNTT東日本は、2人のほかに、6人のバトミントン選手が「P」に出入りしていた
ことを発表した。桃田、田児両名も含めて、バドミントン界の「賭博汚染」の深刻さが
今後明らかになっていくだろう。
「いけないことだとは分かっていたが、好奇心だったり、少し楽しんでいる自分もいた」
桃田は闇カジノにハマった心情を会見でこう語った。
では、バドミントン界の新旧エースが迷い込んだ闇カジノとはどのようなものだったのか。
「反社会的勢力」がどのように関与していて、桃田と田児は彼らとどのように関わっていたのか。週刊現代では、桃田と田児の通った闇カジノ店「P」の店長、暴力団関係者、常連客、
錦糸町の飲食店関係者など、複数の関係者を徹底的に取材し、トップアスリートのハマった
「鉄火場」を再現した。その詳細は明日(4月11日)発売号に掲載される。
「いいことも悪いことも経験できた」交通事故から4年、
桃田賢斗29歳の今 #ニュースその後 配信
「ただ車に乗っていただけなのに、なんで僕なんだろう……」。バドミントン元世界ランキング1位の桃田賢斗(29)は、選手生命の危機に見舞われた2020年1月の交通事故をこう語る。
あれから4年。五輪イヤーを迎えた今、桃田はパリ五輪選考レースで厳しい状況に置かれて
いる。なぜ挫折と復帰を繰り返しながらもコートに立ち続けているのか。昨年、本気で
引退を考えた桃田を突き動かす原動力とは――。激動の20代の日々とこの先の人生を聞いた。
(取材・文:金明昱/撮影:近藤俊哉/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
本心が垣間見えた一言
桃田賢斗は照れ笑いしながら自分の将来に少し悩んでいた。 「もちろん結婚はしたいです。
家を建てて、子どもとキャッチボールをしたいと考えることはあります。ただ、そんなに現実はうまくいかない(笑)」 バドミントンでは百戦錬磨でも、こと恋愛に関しては攻略の糸口を
見つけるのは難しいようだ。ただ、次の一言を聞いたとき、桃田の “本心” が垣間見えたような
気がした。 「子どもができたら、バドミントンはさせたくないです。大変なんで……。
やりたいって言ったら、いいかなと思いますけれど、強制してまでやらせてみようとは
ならないです」
2018年から約3年、男子シングルスで世界ランキング1位に君臨した桃田が言うのだから、
“大変”の一言には重みがある。あらゆる欲を捨て、過酷な練習に耐え、トップコンディションを維持することの難しさは想像に難くない。しかし、29歳の桃田にとって、20代は想像以上に
“大変” だったことだろう。 「この10年を振り返ると本当に早かったです。
いいことも悪いことも、全部含めて、いろんな経験ができた20代でした」
いま振り返る「違法カジノと交通事故」
“桃田賢斗”と聞いて思い浮かべるイメージは、日本代表として世界の舞台で活躍する姿の人も
いれば、違法カジノの賭博問題とマレーシアでの交通事故を思い出す人も少なくないはずだ。 当時の出来事をほじくり返す気はさらさらないが、過去に何があったのかは振り返っておきたい。 2016年4月、21歳のときに違法カジノでの賭博が発覚し、その後は無期限の競技会出場停止処分。17年に出場停止処分が解除されると、そこから約1年で日本男子初の世界ランキング
1位にまで上りつめた。
2019年に挙げた国際大会での11回優勝はギネス世界記録に認定
25歳のときにまたも試練が襲った。2020年1月、遠征先のマレーシアで交通事故に
巻き込まれ、運転手が死亡。桃田は全身打撲や右目の眼窩(がんか)底骨折を負った。
人生で初めて手術も経験し、回復まで約2カ月もかかった。 この2つの出来事をこう振り返る。
「21歳のとき、競技は競技で必死にやっていたのですが、私生活の部分で甘さがあったと
思います。交通事故に関しては、ショックはショックでした。何かの巡り合わせでこういう
ことが起きてるのかなとか、自分の人生ってこういうものなのかなと。当時は自分にも
勢いがあったし、力もちゃんとついてきたところだったので、しんどかったですね」
五輪がすべてじゃないですから
それでも桃田は選手生命の危機から立ち上がり、東京五輪に向けて復活した。
「『神様は乗り越えられない試練を与えない』って言うじゃないですか。
何回も心は折れかけましたけれど、やっぱりバドミントンを続けたいという思いが強かった。
それに言い訳できないくらい、周囲の人たちがサポートしてくれたのも大きかったです」
しかし、東京五輪では金メダルを期待されながらも、予選ラウンドで敗退した。
2019年に史上最多の年間11回優勝を果たした選手が、今も4年に一度の五輪での
金メダルからは見放されたままだ。桃田は “五輪” という大会をどう捉えているのか。
「今は『五輪だけが』っていう感じでもないです。本当にバドミントンを楽しくできたら、
自分らしくできたらいいなっていうふうに思っています」
桃田は自分自身に強くそう言い聞かせているのではないか。 「(東京)五輪で結果を残せなかったことについては、周りの人たちへの申し訳なさはあります。でも、そこまで固執はしていないんです。もちろん(五輪で)優勝できるに越したことはないですし、4年に一度の大舞台で、一発勝負で優勝するって本当にすごいことだと思います。だから結果を残せる人は尊敬します。五輪に出られなかったらやめるとか、五輪で燃え尽きるとか、そうはなりません。それがすべてじゃないですから」
やめどきが分からない
パリ五輪の代表争いがスタートした2023年。桃田は腰のヘルニアの症状が悪化し、「3週間くらい寝たきりで、ラケットは一度も握れなかった。本気でやめよう」と思うまで追いつめられていた。 大会欠場も続いたが、11月の韓国マスターズで2年ぶりに国際大会での優勝を果たすと、12月の全日本総合選手権で2連覇を達成。五輪イヤーとなる2024年は、4月まで続く代表選考レースで最後まで諦めない姿勢を示している。 「やっぱり“自分が楽しいからやってる”が一番強い。そうじゃないとここまで続けられないですよ。正直に言えば、もっとうまくなりたいって思っているんです。自分ができないことを克服して強くなりたい。上を見たらキリがないのですが、だからこそ、やめどきが分からない。ただ、選手としてもう厳しいと思うときは、いつかは来ますし、コーチをやりたいなって思ったら、いきなりやめるかもしれない」
全日本総合選手権で2連覇を果たして2023年を終えた(写真:長田洋平/アフロスポーツ)
賭博問題や交通事故があった際も、周囲の人たちは「やめてもいい」と言わなかった。 「母からは『自分が納得するまでやりきったらやめていい』と言われたことはあります」 インタビューの途中、桃田の表情が穏やかになった瞬間があった。家族の話をしているときだった。 「いろいろなことがあったけれど、一番支えになったのは両親です。節目に『勝ったね』とマメに連絡をくれるのは本当にありがたいです。それに姉も甥っ子たちの顔も思い浮かびます。ばあちゃんも連絡をくれるんですよ。『元気にしてますか』って。僕、おばあちゃんが大好きなんです」
賭博問題の後に教わった「当たり前のこと」
桃田は激動の20代を経験して、たどり着いた境地があるという。 「自分の行動や言動で、運の強さは変わる気がしています。何もしてないと、いい人にも巡り合えないし、自分がいいことをして頑張ってたら、いい人に巡り合える運も強くなると思うんです。周りの環境って、自分の現身(うつしみ)というか、いいことをしてたらいい人が集まってきて悪いことをしてたらよくない人間関係になる。周りのせいにしないことも大事かなと」 賭博問題の後、「人として当たり前のことを当たり前にする」ことを、2022年まで所属チームの監督を務めた須賀隆弘氏(現・法政大学バドミントン部総監督)から教わった。 「例えば、しっかりとあいさつをする。ゴミが落ちてたら拾う。トイレに行ったときにスリッパを並べる。そうした行動は当然のことなのですが、若いときの自分は意識ができていなかった。当たり前のことを当たり前にするのは、すごく難しいことだと思うので、謹慎していたときの須賀監督の言葉は今も大事にしてます」
引退後はひっそり生活したい
今年30歳を迎える桃田はラケットを置いた先の未来のことも考えている。 「ジュニア選手の育成やバドミントン普及のために自分の体育館も建てたい」 引退後は、テレビの解説者やバラエティー番組に引っ張りだこになっている姿も想像できる。バドミントンの地位向上のために一役買って出る活動にはもってこいの人物であるのは間違いない。 「引退後はメディア出演依頼がかなりあるのでは?」と桃田に話を振ると、苦笑いしてこう返した。 「もちろん注目されるのは嫌いじゃないです。誰でもそうなれるわけではないので、感謝しています。でも今は、なんていうんでしょうか、自分にもまだ需要があるんだって(笑)。それはそれでうれしい。
でも、現役が終わったら、たぶんそういうのも煩わしくなってくるかなと思う。
僕はひっそりと生活したいです」 最後は“冗談半分”にそう言って笑った――。
【補足】
長く金メダル候補と目されたにもかかわらず、オリンピックとは縁がなかった桃田。世界レベルの実力を活かしきれずに代表を引退することに、SNS上では同情の声が上がっている。
《 交通事故と不祥事さえなければ、きっと不動の世界一位だったと思う。
まあそのたらればが難しいわけで、運も実力のうち。これからも現役は続けるそうなので、
長く続けて活躍を期待します。何も日本代表のみが活躍の場ではないですからね 》
《 トラブルの多い選手だった。運が悪い面もあるだろうが、脇の甘さもあっただろう。
しかし、才能の上に努力に人であったことは間違いない。バトミントンは続けるという
ことなので、素敵な人生を送って欲しい 》
《実力は本当にあったと思うんだがなあ。なんかツキがなかったよなあ。
まあ運も実力のうちとも言われるが。残念ですが本人は競技人生目一杯やったと思うので
そういう意味では悔いはないでしょう 》
------------------------------- 桃田賢斗(ももた・けんと) 1994年9月1日生まれ。香川県出身。NTT東日本に2013年入社。2015年に全日本総合選手権初優勝。違法賭博問題で2016年4月から約1年の競技会出場停止処分を受けた。復帰後は2018年から世界ランキング1位を約3年間維持。2020年1月、マレーシアで交通事故に遭い、選手生命の危機に見舞われた。2021年の東京五輪では予選ラウンド敗退。2022年の全日本総合選手権で2年ぶり5度目の優勝を飾り、
2023年の同大会で連覇を果たした。
あの弟、人のPCやスマホに不法に侵入してきて、遠隔操作してくるの止めて
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