山口組五代目と山段芳春の会談の真相
《 同和のドン 人権と暴力の戦後史 》現代ビジネス 2023.02.10
同和のドン
伊藤 博敏ジャーナリスト
プロフィール
永田町(政界)、霞が関(官界)、経済界、任侠界を縦横無尽に飛び回る部落解放
運動家──通称「同和のドン」と呼ばれるフィクサーがいる。1945年生まれ。現在も存命の上田藤兵衞(うえだ・とうべえ)氏(「自由同和会」創立メンバー)だ。
写真は2022年6月、亡くなる1ヵ月前の安倍総理とともに写る上田氏だ。
自民党政経文化懇談会(2022年6月)で、安倍晋三元首相とともに
骨太ノンフィクション『 同和のドン 上田藤兵衛「人権」と「暴力」の戦後史 』は、ジャーナリスト伊藤博敏氏が、上田氏の激しく蠱惑的なパーソナルヒストリーに
迫る。いよいよ2月10日に発売された本書には、自民党の歴代総理大臣経験者や経済人、広域暴力団の親分衆の実名がこれでもかと躍る。マスメディアでは報じられない
アンダーグラウンドな戦後日本史のエッセンスを紹介しよう(以下、文中敬称略)。
『 同和のドン 上田藤兵衞 「人権」と「暴力」の戦後史 』連載第4回後篇
同和事業によって築かれた基盤
自民党中枢にもヤクザにも太いパイプをもつ許永中は、政財界と闇社会に「旋風」を巻き起こす。関西で許永中に対抗できる人間は、もはや上田藤兵衞しかいなかった。
〈 伊藤寿永光の許を評する造語に「空想のディズニーランドをつくる天才」というのがある。華やかなプロジェクトを次々に立ち上げ、多くの企業、人物を巻き込み、
金融機関からカネを引き出し、旋風を巻き起こすが、地道な事業実態を伴わない
「空想の産物」で、プロジェクトはやがて雲散霧消。カネは溶かされ、
企業も人も散り散りになる。伊藤はそれを「許永中旋風」と呼んだ。
許が、最初に基盤を築くのは同和事業によってだった。
1947年生まれの許は、大学中退後、無頼の生活を経て、東京のフィクサー大谷貴義のもとで秘書を務めて、政治家と経済界と暴力団とのトライアングルを知る。20代半ばでそれを切り上げ、大阪に戻った許は、大淀建設という土建会社を支配した。
そのうえで同和とは縁もゆかりもないものの、「在日」として「差別を受けたもの
同士」という理屈で、部落解放同盟西成支部の「支部長付」という肩書を得て、
同対法施行後の’70年、大阪に設立された同和建設協会(同建協)の会員となる。
やがて大淀地区の同和事業を独占するようになり、予算面で2〜3割高の工事を
丸投げして利益を得て、電気・ガス・上下水道といった分野にも進出した。
だが、「同和系土建屋の親父」に満足する男ではなかった。彼が京都で巻き起こした旋風により、「陰の支配者」といわれた山段芳春(さんだん・よしはる)京都自治経済協議会理事長、内田和隆・KBS京都社長、白石浩子・京都新聞社会長、福本邦雄・KBS京都社長、(略)太田清蔵【※東邦生命社長】などが巻き込まれていく。
そんな彼らがこぞって頼った相手こそ、上田藤兵衞だった。
この頃、許は無敵の力を誇った。「同和」と「在日」というマイノリティに基盤を
持ち、暴力団社会には西にも東にも兄弟分がいる。大阪ではフィクサー・野村周史、東京では「政界動物園の切符切り」という存在の福本邦雄を通じて、
竹下登、渡辺美智雄といった大物政治家にもパイプがある。
京都でこの許に対抗できる唯一の存在が、「政」「官」「財」「暴」に
人脈を持つ上田だった。〉(『同和のドン』205〜206ページ)
京都のフィクサー・山段芳春が頼った相手
前出の山段芳春(京都自治経済協議会理事長)とは、京都では名うてのフィクサーだ。〈人脈と情報の力で、市政、金融、財界、公共工事、マスコミなどのあらゆる
分野を掌握した。影響力は京都に限られていたものの、京都府警OBの就職を斡旋
することで警察権力とのパイプを保持していたし、終戦直後からの暴力団との
付き合いは、その後も続いていた。〉(『同和のドン』209ページ)
大物ヤクザとツーカーである山段芳春の存在を、許永中はまるで怖れもしない。
〈京都に根を張り、怖いものなしの山段に、ストレートで攻め込むのが許の凄さ
だった。許は、イザとなれば、180センチ100キロの体をかけて凄む。
肉体的言語を持つ者は、やはり強い。自伝『海峡に立つ』には、1984年春、
山段がひとりでいる時間帯の午前9時45分を狙って急襲する様子が描かれている。
「誰の紹介ねんな?」と尋ねる山段に、「誰の紹介もおまへん。
KBS京都の内田のことで話があってきただけですわ」と、許が答え、緊迫する。
〈「藤田〔許は夫人の藤田姓を名乗ることがあった〕はん。アンタ、ワシのことを
わかって来たいうけど、チョット無茶と違うか?」
「いや、理事長。無茶は理事長さんですがな。話がつかんかったら、
私はこのまま手ぶらでは帰らんだけの話です。簡単な話ですがな」
完全な脅しである。山段は間を置くようにお茶を手に取り、ゆっくりと飲んだ 〉(『海峡に立つ』)
山段は、許に呑まれた。というより、自分の老練なテクニックで、味方にすれば
いいと思ったのかも知れない。〉(『同和のドン』210ページ )
強引な許永中に取りこまれかけた山段芳春は、上田藤兵衞に助けを求める。
そこで許永中対策のために、神戸刑務所時代の “同窓生” である
山口組五代目・渡辺芳則との会談を上田が取りつけたのだ。
〈 山段は、「京都の枠」に収まりきらない許に不安を覚えた。
牽制のために山口組五代目の力を借りようと頼ったのが、上田だった。
「山段さんの顧問弁護士で、私も親しくしている先生から電話がかかってきたん
です。『すまんけど、一度、神戸(渡辺五代目)に会わしてくれへんか』という
ことやった。そこで私がセッティングして、先生と山段さん、それに秘書の女性を
連れて行きました。神戸の山手にある、渡辺さんがよく使う天ぷら屋です。
貸し切りだったんですが、私と先生と秘書は別テーブル。山段さんと渡辺さんは
3時間以上、二人で話し込みました」(上田)
京都における山口組対策、許永中対策を相談したのだろう。だが、上田は話には
加わらなかった。当事者になるつもりがなかったからだ。〉
(『同和のドン』211ページ)
2011年8月頃、あの子が伊藤英明さんに、あの人に会わせてほしいと言って
お願いし、3回目でOKをもらいセッティングをし、あの子が白いホッパンをはいて
来た時に、「強い若い生き物が前から来た!」とラジオで言ってました
上田と親しいことが「保険」となった
前出の東邦生命社長・太田清蔵のことを、許永中は著書の中で「恩人」と
称している。上田藤兵衞は、その太田清蔵とも昵懇の仲だった。
〈 山科の町内に散髪屋があり、そこの娘が美容グループ「ヤマノビューティメイト」の山野彰英と結婚した。その山野が支配権を握っていたのが日本レースで、
その後見人が太田だった。代理人を通じて上田に連絡があり、
上田は京都ブライトンホテルで太田に会った。
シベリア開発、朝鮮半島へのトンネル掘削といったスケールの大きな話を
次々に繰り出す太田に圧倒されるが、最後に持ち出した「お願い事」が、
「日本レースの経営を任せたい」だった。これも断ったが、突っ走る許の防波堤、
諫(いさ)め役を期待されたのだろう。
丁重に断ったものの、上田と太田の関係は継続した。上田は太田のスケールに惹かれた若手実業家が組織する「21の会」に参加し、「平安京21の会」の副会長に就いた。
太田は、「太田クリニック」と自称するほど企業再生に力を入れ、それゆえトラブルが発生することもあった。そこから逃れようと太田夫妻が、京都で正月の1週間を
過ごしたことがある。上田はスケジュールを立てて、下にも置かぬもてなしをした。
内田【※和隆】、伊藤【※寿永光】といったイトマン事件の主役たちに対する対応もそうだ。一流どころで歓待し、祇園で遊ばせはするが、具体的に相談を引き受ける
ことはない。実際のところ彼らも、上田と親しいことが「保険」になればいい。〉(『同和のドン』211〜212ページ )
おいしい話が持ちかけられようが、パクッと食いつきもしない。政財界、そして裏
社会で棲息する癖だらけの住人と絶妙な距離感を保ち、許永中のような怪物とも対峙
しながら、上田藤兵衞は「同和のドン」への階段を駆け上がっていくのだ――。
独立した伊藤英明を待ち受けるイバラの道
「ガーシー砲」余波でスポンサーがおよび腰
“人生の師” 津川雅彦さんが創設した事務所をわずか2年で退所
1日に所属事務所から退所、独立した伊藤英明(48)の動向が注目を集めている。伊藤は25年間在籍した「A-team」を2022年に辞め、"人生の師"と仰ぐ故・
津川雅彦さんが創設した「グランパパ」に移籍。それからわずか2年で独立した。
「機を見るに敏な伊藤が『A-team』から退所したのも、創業者の死去に伴う事務所内のゴタゴタを見越してのことでした。師と仰ぐ津川さんの名前を前面に出しての、美談仕立ての移籍でしたが、事務所が持ってくる仕事に不満タラタラだったとも
聞いています」( 芸能プロダクション関係者 ) 伊藤は「グランパパ」移籍直後、
津川さんに「主役もできて当り前だけど、早く脇役をね、しっかりできる俳優に
なってほしい」と教えられたとインタビューで明かしている。しかし実際はギャラも安い、ちっぽけな番手の役に悶々としていたのだろうか。 「これからも日本国内、
国外の様々な作品に携われるように精進したいと思っております」と将来の展望を
語った伊藤だが、多くの芸能関係者は今回のリ・スタートを"前途多難"と見ている。最大の理由は "お騒がせ男" という称号をいまだに外せずにいることだろう。
伊藤英明、独立を発表 恩人津川雅彦さんが代表務めた
事務所に2年間在籍「心から感謝」2024年7月1日 日刊スポーツ
伊藤英明(48)が1日、インスタグラムを更新し、22年3月に移籍した津川雅彦さんが所属、経営したグランパパプロダクションを退所し独立すると発表した。
「皆様へ この度、私、伊藤英明は株式会社グランパパプロダクションを退所し
独立しました事をご報告申し上げます。
社長、土井さん、事務所の皆様に心から感謝申し上げます」
伊藤は、所属事務所Aチームを退社し、16年秋に米国に移住した際、推薦文を
書いてもらった津川さんが立ち上げたグランパパプロダクションに移籍。その際
「津川さんと出会い、こんなに尊敬する大先輩が、真剣に俳優という仕事に向き合い、己の老いと戦いながら居心地悪そうに切磋琢磨する姿、そして自分にはまるで
なかった本当の意味での『努力』を目の当たりにし、ある種嫉妬の気持ちすら感じて津川さんを羨ましく思っておりました。津川さんが遺した空気、そんなものがまだ
グランパパの至る所に残っている様な気がしています。それを消す事のない様、
非力ながらここでまた一からご指導ご鞭撻を賜りながら居心地悪く俳優として
邁進して行きたいと思っております」と決意をつづっていた。
伊藤は2年3カ月での退所、独立について「これからも日本国内、国外の様々な作品に携われるよう精進したいと思っております。関係者の皆様、そして応援して下さっている皆様には深く感謝を申し上げますとともに、今後とも変わらぬご支援ご鞭撻のほど何卒よろしくお願い申し上げます。令和6年7月1日 伊藤英明」とあいさつした。
あの2人を引き合わせたことは、自分のせいだと責めていたと聞きました。それが
理由で、こんなことになったのかも。失言も、あの三女に言わされた事
10年程前にジュピターという占いサイトから、有靖さんから「今まで、いばらの道を歩いてきた」というメールを送られてきたのを思い出しました
自宅、買い物、散歩まで、ストーカーのように着いて来ないで
思考低下、感情、パワーを抑えないで。目の錯覚、ぼーっとさせないで
人の後ろに憑かない、憑依しないで。泣かせないで、人をコントロールしないで
水晶で人の過去を見ない。プライバシー侵害、個人保護法違反。連帯責任で
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました