平成の始まりの1989年に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」で、
当時未成年で ”少年C” と言われた湊伸治が、46歳の中年となった
2018年8月19日に殺人未遂事件を起こして逮捕されました。
この記事では、事件の詳細や湊伸治の生い立ち、両親など家族、
結婚した嫁・娘など現在までの様子について詳しくまとめました。
湊伸治が関与した「女子高生コンクリート詰め殺人事件」
とは
被害者の女子高生に、殴る蹴るの暴行を加えた湊伸治
1988年11月25日の夕方頃に、事件主犯格の宮野裕史は湊伸治と通行人から
ひったくりをするか、女性を強姦しようと話し合いをし、埼玉県三郷市内を
原付バイクで徘徊していました。
そこにアルバイト帰りだった当時17歳で埼玉県立八潮南高等学校3年生の女子高生が自転車で通りかかったため、宮野裕史は湊伸治に蹴飛ばしてくるように命令され
湊伸治は言われるままに実行、少女は自転車ごと転倒してしまいました。
宮野裕史は「大丈夫ですか!?」と少女に駆け寄り、「あいつはキチガイだ。
俺もナイフで脅された。危ないから送っていくよ」と言葉巧みに少女を信用させて
近くの倉庫内へ連れ込みました。そして、宮野裕史は、やくざ関係者を装って少女を
脅迫し、同日午後9時50分頃にタクシーで少女をホテルへ連れ込み強姦しました。
宮野裕史は強姦した後、午後11時頃にホテルから不良仲間のたまり場なっていた
湊伸治の家に電話をかけ、少女を強姦したことを教えて近所の公園で落ち合い、
湊伸治の自宅2階の部屋に監禁することにしました。
湊伸治らは、少女を約40日間に渡って強姦や拷問を行い、少女が外傷性ショックで
死亡するとコンクリートで固めて東京都江東区内の東京湾埋立地に遺棄しました。
この「女子高生コンクリート詰め殺人事件」は、日本犯罪史上で最も残酷な
強姦事件として現在まで風化することなく語り継がれてきました。
湊伸治の生い立ち~両親と兄の4人家族の共産党員
一家だった湊伸治の実家は、女子高生殺害現場だった
共産党一家に生まれた湊伸治
本名: 湊 伸治(みなと しんじ)
出身地: 埼玉県川口市東内野 職業: 無職
家族構成: 父親・母親・兄の4人兄弟
湊伸治の実家は主犯格・宮野裕史ら不良仲間のたまり場となり、被害者少女を残虐に弄んだ上に殺害した場所は、湊伸治が父親、母親、兄と暮らす普通の一軒家でした。
場所はJR常磐線綾瀬駅から北へ15分ほど歩いた住宅街で、約100平方メートルの
敷地ギリギリに建てられた3DKの家であり、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を起こす13年前に足立区内から引っ越してきました。
湊伸治は ”足立の学習院” として知られる名門中学校の出身であり、
都内で唯一の化学専門工業学校に進学していました。
湊伸治の母親・父親・兄について
湊伸治の両親は共産党員だった
湊伸治の両親はともに共産党員であり、父親は共産党系診療所の事務局長、
母親は主任看護師を務めていました。湊伸治には1歳年上の兄がいて、
当時は17歳であり、犯行メンバーの小倉譲と中学時代は同級生でした。
湊伸治の父親は非常にスパルタであり、家の決められたルールを破ったりすれば母親から報告され、寝ていてもたたき起こされて暴力を交えた説教をされていました。
父親の暴力から逃れようと湊伸治が泣いて逃げても追いかけてきて殴り、
時には深夜に公園まで連れて行かれて走らされたこともありました。
毎晩のようにお酒を飲んで帰ってきた父親は酒癖が悪く、湊伸治と兄は事件時に
弁護士への証言として「週1回は必ず殴られていた。ゾッとするほど怖かった」と
語っています。凶悪事件が起きた時、その犯人の父親もしくは母親は、異常なほど
厳しかったりすることは珍しくありませんが、湊伸治の家庭も同様だったようです。
【補足】
湊伸治の父親と母親は、事件後に共産党から除名されています。
コンクリート事件の犯人4人のうち、ある1人の母親が報道番組の
インタビューに答え、その映像が放送されました。
インタビューを受けたのは、小倉譲の母親!
インタビューを受けたのは、順子さんへの暴力を黙認していた小倉の母親です。
母親は小倉に「結婚して子供でも作って普通の生活をしたら」と話したそうですが、それに対して小倉は「事件の子供と言われるから無理でしょう」と答えたといいます。その他にも、出所時やIT会社へ真面目に出社していた話なども取り上げられて
います。なお、一部の報道では小倉の母親は、遺族とトラブルも起こしていたようで、事件が発覚後に「私の息子は、この女のせいで人生を狂わされたんだ!」と
激高したことがあるようです。
被害者少女のお墓を破壊したともされており、トラブルが原因となり
遺族は、お墓を移す事態にも発展したそうです。
湊伸治宅で少女を40日間も監禁できた理由
少女を自宅に監禁しながら約40日間もやり過ごせた理由は、父親は日本共産党
機関紙「赤旗」の配達や集金に忙しく家庭を顧みることが無かったことと、
母親は少女の存在に気づいていましたが、一度逃がそうとした時に湊伸治から
1時間に渡って暴力を振るわれたため、見て見ぬふりをしたからでした。
また、兄は少女の監禁の一部始終を見ていましたが、同様に見て見ぬふりをし、
時には食事を運んであげたこともありました。
家庭が最初から異常だったため、犯行がまかり通ったと言えるでしょう。
【補足】
【監禁場所の少年宅】
少女は少年の内の1人の自宅2階の6畳間で監禁されていたのです。
1988年12月初旬監禁しいていた家の少年の部屋で寄声が聞こえた為、
少年の父親がうるさいと注意しましたが、よく聞くと女性の声だと気づき
女の子が遊びに来ていると思ったそうです。
12月下旬やはり女性が2階の部屋にいる事に気づき、両親が食事をあげるから
出てきなさいと言い一緒に夕食を摂しました。その際少女に「家に帰りなさい」と
注意したそうですが少女は、ほとんど話をしませんでした。
そこには、少年も同席していました。
寄声が聞こえて女の子が遊びに来ていると思ったとは、これだけの暴行をされて
いるのでただの寄声ではなかったと思われますが、家族は本当に知らなかったので
しょうか?本当は知っていたのでは?同じ家に住んでいて夕食で少女の状態も
見ていて何も感じなかったのでしょうか?様子がおかしかったのでは?
せめてそこで助けられていたらと思うと無念でなりません。
占い師の母が「見て見ぬふりはしてはいけない!」と言っていましたが、
父親は、少女の顔を見て気が付かなかったのか ? 不思議です
湊 伸治と家族のその後~事件後に自宅は取り壊されていた
湊 伸治、父親は2016年12月に病気で他界
父親はすでに病気で他界、母親・兄は不明
湊伸治らが事件を起こした後は、両親と兄は自宅にはいられなくなって
他所に引越し、その後自宅は取り壊されました。
その後、兄は独り立ちしているようですが、両親は1999年頃から、
さいたま市内にある一軒家を借りて住んでいたようです。
湊伸治の父親の姉の話では、父親は2016年12月に病気により他界したようですが、母親と兄の現在の様子は分かっていません。
湊伸治、出所後はムエタイの選手をしていた時期も
出典:https://no-tenki-e-tenki.com
湊伸治は少年法に守られていたたため、悪逆非道の事件を起こしても
懲役5年以上9年以下の不定期刑で済んでいました。
出所後、湊伸治はしばらく両親といっしょに過ごしていたようですが、
その後、埼玉県内にある1Kの家賃4万円の木造アパートで一人暮らしを始めました。
仕事は運送業で真面目に仕事をしていたようですが、湊伸治は1年ほどで
アパートを引き払い引越しました。
【補足】
湊伸治は、出所後に千葉県市川市から京都府伏見区に移り、さらに大阪、会津と
住所を変えていたといわれています。2018年に逮捕された際には、
住所は埼玉県川口市東内野だと報道されていました。
そのことから、ネット民によりアパート名が「コンフォートマンション東内野」と
いうことも判明していますが、現在も住んでいるかは不明となっています。
この頃、湊伸治は都内にあるジムでムエタイに打ち込んでおり、プロのライセンスを取得してデビューしましたが2戦立て続けに敗退し、周囲が「女子高生コンクリート
詰め殺人事件」の犯人だと気づき始めたため逃げるように引っ越したようです。
「彼がウチのジムにいたのは、97年にジムを起ち上げてまだ間もない頃。半年くらいしてプロ資格を取り、2試合くらいやっていずれも負けた記憶があります。仕事はトラックの運転手か何かをやっていて、徐々に自分の
過去がジムの仲間にバレていき、居づらくなってフェイドアウトした
ようです」(ジムの経営者)
その後、湊伸治は、10年ほど東京都大田区南蒲田にあるアパートで
生活していましたが、2018年6月頃に川口市内のアパートに引越し、
同世代と思われる彼女と同棲していました。
湊伸治は部屋を借りる時は「通販の仕事をしている」と嘘をついていたようですが、逮捕時は無職だったことから彼女のヒモだった可能性があるでしょう。
なお、湊伸治は、この彼女と同棲以前に結婚していたと言われています。
湊伸治、騒音問題を起こしてアパートを退去
度々トラブルを起こしていた湊伸治
東京のアパートに住んでいた頃、湊伸治は彼女との痴話喧嘩など度々
騒音トラブルを起こして他の住民から迷惑がられ、防犯カメラまで
設置される騒ぎになっていたようです。
「このアパートは騒音トラブルが多い。夜、男女が口論する声、特に
男性の怒鳴り声や何かを叩きつける音がしたことが何度もありました」(住人の一人)
今年に入ってからは、火災報知器がなるトラブルが幾度もあり、
さらに、「夜中にアパートの部屋の窓ガラスが割られたらしく、
管理会社の方から『防犯カメラを設置します。警察とも相談中です』
との連絡をもらいました」(別の住人)
この証言だけでも、いかに湊伸治が出所してから定住の場所がなく、
ストレスを抱えて生きてきたかがわかるようです。
アパートに防犯カメラが設置された直後に、湊伸治は居づらくなったのか、
更新月を待たずして管理会社に退去を申請し川口市に引っ越していったようです。
しかし、引っ越した先でも湊伸治の生活の質はまったく変わらず、
騒音問題を起こしていたようです。
火災報知器と聞くと、ホテルニュージャパンを思い出します
私も以前、騒音トラブルがありました。(明日、詳しく書きます)
湊伸治が結婚した嫁と子供(娘)について
湊伸治はルーマニア人と結婚していた?
湊伸治は、出所後にルーマニア人女性と結婚したという情報があります。
また、娘が1人いるという話ですが、後述する2018年の殺人未遂での逮捕の際には「独身の無職」と報じられているようなので、もし結婚していたのであれば離婚し、親権は嫁が持っているのでしょう。湊伸治に娘がいるという事実がおぞましく、
娘が可愛そうだと思う人は少なくないでしょう。
湊伸治の現在~殺人未遂事件を起こし逮捕されていた
湊伸治、2018年8月に口論となった男性をナイフで刺す
事件当時と本質がまったく変わっていない湊伸治
2018年8月19日の夕方頃に埼玉県川口市にて、湊伸治が32才男性Aさんを警棒で殴った上、ナイフで後頸部をナイフで刺したとして、殺人未遂容疑で逮捕されました。
Aさんの証言によれば、車を運転していたところ湊伸治が睨めつけてきたため、
車を止めて窓を開け「何見てんだよ」と咎めたところ、近づいてきて顔面を
数発殴られました。驚いた助手席の後輩が車を降りて湊伸治ともみ合いに
なっているところに、Aさんが湊伸治を引き離そうとして手が離れた瞬間に、
湊伸治は、警棒を取り出してAさんの肩を殴りつけました。身の危険を感じたAさん、
後輩に逃げるように促して車を発進させようとしましたが、空いていた窓から
湊伸治が刃渡り8センチの折りたたみナイフで後頸部を刺してきました。
2019年3月にさいたま地裁(結城剛行裁判官)で湊伸治の裁判が始まりましたが、
法廷に坊主頭に上下紺色のジャージ姿で現れ裁判官に食ってかかっていたようです。
湊被告 「医者が言ってるんだったら、それは捏造だと思う!」
裁判官 「『ナイフによる攻撃は首には当たってない、仮に傷があると すれば、それは医師の捏造だ』とあなたは主張するんですか?」
湊被告 「医師というより、警察!」
裁判官 「初公判の法廷では『右肩は殴ってない、その他に間違いはない』と言っていたけど、今の話は違うわけね?」
湊被告 「いや、それは理由あるわけ! 結果だけ求めないで!」
裁判官 「なんで主張が変わったのかは後で十分聞くから。あのね、あなたとこうしてやり取りすること、イレギュラーなんです。直接あなたから裁判官に言われても、気持ちが先に立ってて主張を整理できないんです。法律のプロである弁護士がついてるんだから、ちゃんと打ち合わせて、その上で主張を出してほしいんですよ。今のあなたの言い分、弁護士と
打ち合わせてください。あなたにとっても利益じゃないですよ!」
もはや救いようも更生の余地も無い湊伸治ですが、法廷では口答えが多すぎて
裁判官も困り果てており、裁判の長期化が見込まれているようです。
【補足】
女子高生コンクリ殺人 元少年が傷害事件の公判で
裁判官に噛みつく
「なんで?なんで?」
坊主頭にアシックスの紺色ジャージ上下で法廷に現れた湊伸治被告は、程よく肉付きのよい中年となっていた。「被害者Aさんの首の後ろの傷は自分がつけたものでは
ない」と主張するために必要な証拠を却下され、裁判官に興奮気味に問いかける。
「意見いいっすか、裁判官に手紙出したの届いてます? ナイフは頭に当たってない、捏造だと言ってるんです! 幅2センチ、深さ2センチの傷が……」
綾瀬・女子高生コンクリート殺人事件。東京都足立区で当時16歳から18歳の少年らが、見ず知らずの女子高校生(当時17)を拉致したうえ、一人の少年の家に監禁し、強姦や暴行を繰り返したのち死亡させ、その遺体をコンクリート詰めにして遺棄した凄惨な事件である。平成が始まったばかりの1989年に発覚し、世を震撼させた
この事件では、逮捕された主犯格の少年4人に対し実刑判決が下され、
服役ののちそれぞれ社会復帰していた。
ところが昨年8月、女子高校生を監禁した家に住んでいた当時の少年、懲役4年以上6年以下の不定期刑を受けた湊伸治被告(46)が、埼玉県で逮捕された。同県川口市の路上で、当時32歳の男性の肩を警棒で殴り、首をナイフで刺したという殺人
未遂容疑だ。その公判が現在、さいたま地裁(結城剛行裁判官)で開かれている。
初公判は2月1日に行われた。逮捕容疑は殺人未遂罪で、そのまま起訴されれば
裁判員裁判となるはずだったが、なぜか起訴罪名が傷害罪に変更されており、
一人の裁判官が裁く単独事件となっていた。
この日読み上げられた起訴状によれば、湊被告は昨年8月19日の夕方、川口市の
路上において、車に乗っていた男性Aさんの顔面を拳で数回殴り、その後車を降りた
Aさんの右肩を警棒で殴ったうえ、車に乗って立ち去ろうとしていたAさんの後頚部をナイフで刺したという。逮捕当初「殴ったり刺したりしたが、殺すつもりはなかった」と殺意は否認したものの行為自体は認めていた湊被告だったが、罪状認否では「えーと、警棒で右肩殴ったところ、ちょっと違う」と警棒で殴ったことを否認。
ナイフで刺したことは認めていた。
ところが3月5日に開かれた第二回公判で再び主張が変遷。
湊被告はAさんをナイフで刺したことも否認し始めた。弁護側が新たな証拠として、
Aさんの “現在の” 傷跡を撮影したいと証拠請求したが、裁判所は却下。
これに納得いかない湊被告の発言が冒頭のシーンだ。
どうやら、湊被告は「自分が刺してはいない」という主張を、事前に手紙にしたため裁判官に直接送付していたようだ。裁判官も大きな声をさらに大きくして湊被告に
呼びかけた。「弁護人をすっ飛ばして、頭越しにあなたと直接やり取りすることは
できないんです! その手紙は弁護人に渡してます! あなたの方でどう考えるか、
これ以上議論をするつもりはありませんっ!」
だが湊被告は止まらず、しばらく議論が続いたが「これから被告人質問であなたの
主張を言う機会はあるから!」と裁判官が発言を抑え込み、Aさんの尋問が始まった。
Aさんの供述によれば、事件の日、バーベキュー帰りに職場の後輩を助手席に乗せ、Aさんが運転する車で事件現場を通りかかると、湊被告が睨んでいることに気づいた。窓を開け「何見てんだよ」と言ったところ、湊被告に顔を殴られたという。
「ノシノシ歩いてきて殴られました。ん〜、5〜6発は入ってる。
メガネぶっこわれて右のレンズが吹っ飛びました」(Aさん)
助手席の後輩が車を降り、湊被告ともみ合いに。これを止めようと湊被告を
押さえつけ、手を離したところ警棒で殴られたのだと述べた。
「警棒で殴られて、よけて、先端が右肩に当たって切れた。そりゃ痛いっすよ。鈍器で殴られた痛みっすかね。(それが警棒だと分かったのは湊被告から警棒を)没収した時。そしたら警棒だった。すげえ、警棒普段から持ってんだ、やっべーと」(同)
その後、車に乗り込み立ち去り際に首を刺され、後輩に「血が出てます」と指摘を受け、首だけでなく警棒で殴られた肩からも血が出ていることに気づいたのだという。
「『大事になりそうだから行くよ』って(後輩に)言って二人で車に乗った。
窓を開けっ放しだったから、そこから(首を)やられた」(同)
その後、病院で、後頚部を縫う処置をしてもらったが、仕事が忙しく抜糸に行けず、自分で糸を抜いたとAさんは語った。最後に処罰感情を問われ「これで、拘置所に
入っただけで出てこられるんだったら、世の中ナイフで喧嘩しても出て
こられるんだと思っちゃいますよね」と、厳しい処罰を望んでいた。
当日の様子を赤裸々に語ったAさんの尋問が終わったのちも、湊被告は「自分が刺したのではない」という主張を変えなかった。そのため、当初は予定されていなかった
「Aさんの処置を行った医師」の証人尋問が今後行われる見通しだ。
そして閉廷直前にも、ふたたび裁判官と湊被告とのバトルが繰り広げられた。
声のボリュームはかなり大きめだ。
湊被告 「医者が言ってるんだったら、それは捏造だと思う!」
裁判官 「『ナイフによる攻撃は首には当たってない、仮に傷があるとすれば
それは医師の捏造だ』とあなたは主張するんですか?」
湊被告 「医師というより、警察!」
こういった、支離滅裂なやり取りがこの後も続く。
裁判官 「初公判の法廷では『右肩は殴ってない、その他に間違いはない』と
言っていたけど、今の話は違うわけね?」
湊被告 「いやそれは理由あるわけ! 結果だけ求めないで!」
裁判官 「なんで主張が変わったのかは後で十分聞くから。あのね、あなたとこうしてやり取りすること、イレギュラーなんです。直接あなたから裁判官に言われても、気持ちが先に立ってて主張を整理できないんです。法律のプロである弁護士が
ついてるんだから、ちゃんと打ち合わせて、その上で主張を出してほしいんですよ。
今のあなたの言い分、弁護士と打ち合わせてください。
あなたにとっても利益じゃないですよ!」
こうした議論を裁判官が打ち切り、今回は閉廷となった。「Aさんの首は刺していない」「警察の捏造である」と主張し始めた湊被告の公判はしばらく続く見通しだ。
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取材・文:高橋ユキ
傍聴人。フリーライター。『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、 『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、『木嶋佳苗劇場』(宝島社)、 古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。
赤く太字にしている時に、急に抜糸のところで「松岡さん」というあの子の声が
聞こえてきました。また、あの母親が水晶で私のプライベートを観たんでしょう
マウントを取りたい、人をコントロールしたいのなら、正当な方法でしてほしい
嘘をついたり、憑依して人に余計な事を言わさないで。4人組んで邪魔をしてこないで
湊伸治があの ”少年C” だとマスコミが報じず大炎上
マスコミが ”少年C” にプライバシーの配慮をした?
新聞社やテレビ局など、湊伸治が「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を起こした”少年C”であることを報じないため、ネット上で「少年法を湾曲して解釈している」として炎上騒ぎが起きていました。
「今回逮捕された男は、日本中を震撼させた凶悪事件の犯人。男の動向は、再犯の可能性も含めて社会全体として警戒する必要がある。である
から、その男が成人してから何をして、どんな事件を起こしたのかを
新聞は書くべきなのです。今回の新聞やテレビの報道姿勢を一言で
言うならば、“いびつな人権擁護” ですな」
引用:デイリー新潮 – 新聞が報じない少年法の敗北! またも逮捕「綾瀬コンクリ殺人」元少年 鬼畜を育んだ共産党員一家のその後
湊伸治以外の「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人らも一様に
同じような状態で犯罪を繰り返しており、全員特例として無期懲役に
するべきなのかもしれません。
「少年法があるから」という建前で、湊伸治らのような凶悪な人間にまで
配慮をする世の中では、「少年の内に凶悪犯罪をしておこう」と考える
未成年が増えてもしょうがないでしょう。そして、現実に少年法を盾にして
未成年に犯罪を犯させるやくざの存在もありますので、この湊伸治らの事件を
考慮して、今こそ少年法を見直す時にきているのかもしれません。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」
湊伸治についてまとめると…
・湊伸治は両親はともに共産党員で、事件現場となった実家は事件後に取り壊された
・湊伸治は出所後にルーマニア人と結婚、娘を1人授かるもその後に離婚している
・湊伸治は2018年8月に殺人未遂事件を起こし逮捕、現在も裁判が続いている
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」で鬼畜の所業を行った湊伸治について
総まとめしてきました。
湊伸治の態度から「女子高生コンクリート詰め殺人事件」での反省の色は皆無の
ため、今回の裁判では情状酌量の余地も無く重めの刑が下されるでしょう。
この裁判も、裁判官や被告人も、可笑しなやり取りだったので、人の迷惑な事は
2度と止めて。ストーカー行為も
詳しくは書きませんが、この記事をupして読んでいると、
どこかしら当てはまるところがあるのが不思議
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました