女子高生監禁陵辱殺人 「野獣に人権はない」 日本人よ、もっと怒りましょう | poohta8のブログ

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PRESIDENT Online 松井 清人文藝春秋前社長 2019/08/19 15:00

  

1988年、埼玉県の路上で女子高生が拉致され、40日間にわたって足立区綾瀬で

監禁されて暴行・強姦を受け続け、死亡。犯罪史上類をみない残虐な事件を

週刊文春はどう報じたか。立ちはだかったのはやはり「少年法」だった——。

※本稿は、松井清人『異端児たちが時代をつくる』(プレジデント社)の

第5章「『実名報道』影の立役者」の一部を再編集したものです。

 

女子高生コンクリート詰め殺人東京地裁法廷=1990年7月19日写真=毎日新聞社/アフロ 

女子高生コンクリート詰め殺人東京地裁法廷=1990年7月19日

 

「よし、実名でいく」

 腕を組み、目を閉じ、顔を天井に向けたまま、編集長の花田紀凱さんは

じっと考えていた。机の上には、一本の特集記事の最終ゲラが広げられている。

1989年4月11日火曜日の夜7時。翌々日発売号の校了は、この記事だけを残して、

すべて終わっていた。記事の執筆を担当した勝谷誠彦君がやって来て、

「やめましょうよ。実名なんか出したら大変なことになる。絶対やめたほうが

いいですよ」と話しかけるが、花田さんは一顧だにしない。

文藝春秋を退社後、コラムニストやテレビのコメンテーターとして活躍し、

2018年に57歳の若さで亡くなる勝谷君は、当時まだ20代の編集部員だった。

 

 犯罪史上に類を見ない、身勝手で残虐な事件を起こした少年たちの実名を出すか、イニシャルに

 

 

とどめるか、花田さんは締め切りギリギリまで決めかねていた。

記事の担当デスクだった私は、黙って判断を待っていた。

およそ15分が過ぎただろうか。とても長い時間に感じられた。

「よし、実名でいく」と花田さんは言った。

 

殺人犯4人の名前を特定した粘り強い取材

 

 私はすぐ席を立って、記者の佐々木弘さんが待機している会議室へ向かった。自分の仕事が終わったら編集部に長居することのない佐々木さんだが、この日は違った。犯行に関わった不良少年たちの中から、逮捕された4人の名前を特定できたのは、

佐々木さんの粘り強い取材があったからだ。編集長に向かって、「こんなに

ひどい犯罪なんだから、実名を出すべきだ」などと進言する人ではない。

その決定は編集長の権限とわきまえているから、わざと離れた会議室で待っていた。花田さんの判断を待つ15分は、佐々木さんにとっても長い時間だったに違いない。

「佐々木さん、実名でいきます!」

そう告げると、広い会議室にひとり、ぽつんと座っていた佐々木さんは、

立ち上がって私に「そう! ありがとう」と言って、ぴょこんと頭を下げた。

そして、「よかった。これで被害者もお父さんも、少しは浮かばれるよ」

と、ほんの少し顔をほころばせた。

 

 4月13日に発売された『週刊文春』4月20日号の特集記事

「女子高生惨殺事件第2弾 加害者の名前も公表せよ!」では、

〈 あえて実名を明らかにしよう。これまでに逮捕された殺人犯は次の4人である 〉

として、18歳ひとり、17歳ふたり、そして16歳ひとりの実名を書いている。

ただし、4人はすでに刑期を終えているため、現在ではすべて匿名にせざるを

えないことをお断りしておく。

 

鉄壁の少年法。大騒ぎになることは目に見えていた

 

 リーダー格のA18歳は、私立高校を一年の三学期で中退。

暴力団事務所にも出入りし、母校の中学校の窓ガラスを割って補導されるなどで

「保護観察処分」の前歴があった。

B16歳は、中学校でAの二年後輩だ。工業高校を一年の二学期で中退。

バイクの無免許運転で「保護観察処分」の前歴がある。女子高生の監禁場所と

なったのは、Bの自宅だった。両親は共産党員で、弁護士を通じた謝罪コメントを

『赤旗』にだけ発表している。

サブリーダー格のC17歳もAと同じ中学校で、一年後輩。私立高校を一年の二学期に

退学している。バイクの無免許運転で「保護観察処分」の前歴あり。

D17歳も、Aと同じ中学校の一年後輩で、工業高校を一年の一学期で中退。

自宅で暴れて「保護観察処分」を受けている。

4人とも高校中退後は職やアルバイトを転々とし、地元では有名な

手の付けられない不良グループだった。

 

 当時の少年法はまさに鉄壁で、今では想像もできないくらい厳しく守られていた。

週刊誌が実名を報道しても罰則こそないとはいえ、大騒ぎになることは

目に見えていた。法務省は必ず問題にするだろうし、良識派や人権派と

いわれるメディアから袋叩きにあう事態も容易に想像できた。

 

「加害者の名前も公表せよ!」の意味

 

 もちろん花田さんも少年法について学び、実名報道がどれだけハードルの高いことか充分に理解していた。その迷いが、「加害者の名前も公表せよ!」という

タイトルに表れている。歯切れのよさで知られた花田さんのいつものタイトルなら、

「加害少年の実名を公表する」とか「実名を明らかにする」と言い切るはずだ。

「公表せよ!」では、誰に向かって言っているのか判然としない。

タイトルの校了は記事よりも先だから、記事で実名を報じても報じなくても通じる

タイトルになっている。いま改めてこのタイトルを見ると、ギリギリまで

ゲラを目の前に広げて熟考していた花田さんの胸中が読み取れる思いがする。

<略>

 

読者はどう受け止めたか

 

 実名報道から約1カ月後の5月18日号に、読者からの投稿を集めた

 

「実名報道 私はこう考える」を掲載した。そのいくつかを紹介する。

〈 私は大阪に住む27歳のOLで、被害者の女の子とは一面識もない人間です。

立場も境遇も、何も共通点すらありません。それでもこの事件は、

人間として絶対に許せない。激しい怒りを感じ続けてきました。
マスコミも誰も、善人ぶってはっきり言わないけど、奴らは全員40日かけて

なぶり殺しにすべきです。これ以上ない地獄を味わわせてやるべきです。

本当に悔しくて涙が出てきます。奴らにも、奴らを許す世間にも。
正直言って、こんな事を考えたりするのは好きじゃないです。夢を食べて生きていたいし、何も知らないで楽しく生きていけたらと思っていました。そんな私がこんな

ふうに手紙を書き、先週は「性暴力を許さない女たちの会」という集まりにも行ってきました。それほど大きなショックだったのです、この事件は。私は今、独身ですが、将来男の子を産むのが怖い。ちゃんと育てる自信がないのです。(大阪府)〉

 

全ての大人たちよ。もっと怒りましょう

 

〈 犯人の実名報道、よくやってくださいました。
これがもし我が娘であったなら、私は必ず親としての弔い合戦をせずにはおきま

せん。たとえ自分の命にかえてでも。そうでなければ、あの世で娘に合わす顔が

ないではありませんか。「かたきは取ってやったよ」と言えぬではありませんか。
国家がそれをどうしても禁ずると言うのなら、納得のいく刑罰が加えられねば

なりません。少年法を改正すべきです。
全ての大人たちよ。もっと怒りましょう。真剣に。そうしないと私達は、

自分たちの社会すら守れなくなるでしょう。(愛知県)〉


〈 文春を見直しました。良識派ぶって実名を出さない朝日なんかよりよほど国民の

正義感に応えているし、少年法で刑罰が軽くなってしまう今回の事件においては、

実名を出してのキャンペーンはマスコミとしても義務だとさえ思います。
法律が少年の「保護」を言うのなら、せめてマスコミは声なき被害者と遺族の

「声」になってあげてください。人権云々は事件を担当した弁護士や判事が言えば

いいことです。私はクリスチャンです。しかし、私なら家を売り払ってでも

金を作り、計画を練り、人を頼んででも残りの人生を犯人への報復に賭けます。

こればかりは許せません。紋切り型に「赦しましょう」という神父など、

張り倒してやるでしょう。週刊文春は、どうかこれからも被害者と遺族の

「声」になってあげてください。「社会の歪み」がどうの、「人権」がどうのと

御託をならべるより、「声」を奪われた被害者、何を言う気力も無くしている

だろう遺族の「声」に。(茅ヶ崎市 会社員 28歳)〉

 

「野獣に人権はない」

 

花田編集長が覚悟を決め、「野獣に人権はない」と強い姿勢を貫いたことも、

世論を喚起する一因となった。『朝日新聞』同年4月30日日曜版のインタビューで、花田さんはこう語っている。〈 もちろん悩んだというか、すぐには決めかねました。うちは2回記事を出したんですが、1回目は仮名にしました。が、第2弾の取材をしているうちに、いかにひどいかということがわかってきて、編集部の中で、これは実名にすべきじゃないかという声が出てきた。要するに、(中略)野獣に人権はない、と。(中略)正直いって、反発の方が多いんじゃないかと予想してたんです。

人権うんぬんでジャンジャン電話がかかってくるだろうと考えたんですが、意外にも実際には2件程度で。『よくぞやってくれた』という投書が何十通もきて(中略)。

人権うんぬんという人にはね、『それじゃあ、殺されたE子さんの親御さんの前で、

そのせりふが吐けますか』と問いたい気持ちです」〉

賛否両論を予想した『週刊文春』読者の反応は、おおむね好意的だった。

編集部に寄せられた約50通の投書のうち、実名報道に反対する意見は4通だけ。

少年法改正への動きは、一気に加速するかに思えた。

 

少年法改正は、一気に加速はしませんでしたが、数年前に一部改正をしましたが

それでも、もう少し厳しくしても良いと思いましたが、法律が関係してくるので、

この問題は、もう少し論議をしてもう二度とこんな惨い事件が起こらないように

してほしいです。やっぱり、それには厳罰が良いと私は思っています 物申す おばあちゃん 

 

いつも思うんですが、被害者だけが実名で加害者が未成年というだけで、

匿名のなのか? 法律で守られているのなら、もっと被害者や家族を守ってほしいと

思います。そういうところも、議論をして欲しいです お願い

 

 

女子高生コンクリ詰め殺人事件の真相に迫る 

1988年11月25日  

事件概要

 この事件は、加害者が全て未成年者であったこと、犯罪内容が重大・悪質

あったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに

気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったことなどから、

社会に大きな衝撃を与えた事件となりました。


 犯行への関与が認定されたのはいずれも犯行当時未成年の4名でした。

少年らの先輩には足立区を根城にしている暴力団の組員がおり、

少年らは、その組の青年部組織を気取って「極青会」と名乗っていました。
少年らは、暴力団の花売りをしたり、町でひったくりを繰り返し、

少女の監禁中にも十数件のひったくりを重ねていたばかりか、

別の婦女暴行事件も起こしていたそうです。


 事件がおこったのは1988年11月25日夕方、少年らは通行人からひったくりを

するか、若い女性を狙って強姦しようとして、それぞれ原付バイクに乗って埼玉県

三郷市内を徘徊していました。その中で自転車でアルバイト先から帰宅途中の

女子高生を見つけ女子高生もろとも自転車を蹴倒して側溝に転倒させました。

少年らの一人は仲間ではないフリをしながら「今、蹴飛ばしたのは気違いだ。

俺もさっきナイフで脅かされた。危ないから送ってやる」などと申し向けて

少女を信用させて近くの倉庫内へ連れ込み、一転して「自分はさっきの

やつの仲間で、お前を狙っているヤクザだ。俺は幹部だから俺の言うことを聞けば

命だけは助けてやる。セックスをさせろ」「声を上げたら殺すぞ」などと少女を

脅迫して関係を迫り、同日午後9時50分ころ、タクシーで少女をホテルへ連れ込み

強姦に至りました。そこから少年らは合流し、少女を連れて翌26日午前零時半頃

公園に移動し、そこで少女をわいせつ目的で略取、監禁することを決めます。


 少年らは少女に対し「お前はヤクザに狙われている。仲間がお前の家の前をうろうろしているから匿ってやる」などと嘘を申し向けて脅迫し、4人で少女を拉致し、

同日からこの日から少女を殺害するまでの間監禁しました。少女連れ込んだ後、

4人は少女を交替で監視し、同月28日頃の深夜、4人に加えて不良仲間の2人の少年がたむろし、その際、仲間たちに少女を輪姦させようと企て共に代わる代わる覚醒剤を飲んで半狂乱になったように装って少女に襲いかかり、必死に抵抗する少女の

口や手足を押さえ付けて馬乗りになるなどの暴行を加え、少女の着衣をはぎ取り、

順に少女を強姦しました。その際、Aは剃刀を持ち出して少女の陰毛を剃り、

更にその陰部にマッチの軸木を挿入して火をつけるなどの凌辱に及び、

少女が熱がるのを見て仲間らで面白がるなどしました。

 

 少女は当初、逃げ出そうとしたり、隙を見て自宅に電話しようとしたが、

激しい暴行に加え、少年らがヤクザ言葉を使っているのに怯えて抵抗を諦めて

しまいました。しかし、同年12月上旬頃、少女が逃走しようとした上に警察への

通報を図ったことに腹を立て、少女の顔面を拳で多数回にわたって殴り、

少女の足首にライターの火を押し付けて火傷を負わせるなどします。

その後も、時に別の不良仲間を加えるなどして、少女を全裸にしてディスコの曲に

合わせて裸踊りさせたり、自慰行為を強要したり、少女の顔にマジックペンで

髭を描いて興じたり、少女の陰部に鉄筋を挿入して何回も出し入れしたり、

肛門にガラス瓶を挿入するなどの異物挿入をしたりしたそうです。そして、

少女にシンナーを吸引させてウイスキー、焼酎などの酒を一気飲みするよう強要し、

寒気の厳しい夜中、少女を半裸でベランダに出して牛乳や水などを多量に飲ませ、

たばこを2本一度にくわえさせて吸わせるなど度重なる暴行、凌辱を繰り返します。

同月中旬から下旬頃、少女が失禁した尿を踏んだということを口実に、

少女の顔などを拳で何度も殴りつけ、少女の顔面が腫れ上がり変形したのを見て

「でけえ顔になった」などと言って笑ったなどということもあります。

更に少女の太もも、手などに揮発性の油を注ぎライターで点火し、火が消えると

更に同じような行為を繰り返して火傷を負わせ、この頃になると少女は度重なる

暴行に耐えかねて「もう殺して」などと哀願することもあったそうです。

その後から少女は少量の食物しか与えられず、年末頃には牛乳をわずかに与えられる程度になり、栄養失調と少年らの度重なる暴行により心身ともに極度の衰弱状態に

陥り、食欲は減退して顔面は腫れ上がり、手足などの火傷は膿みただれて異臭を

放つなどし、階下のトイレへ行くことも困難で、終日監禁場所で横たわるように

なります。そして1989年1月4日、少年らは賭け麻雀に大敗した後、麻雀に負けた

鬱憤を少女へのいじめによって晴らそうと考え様々な方法で少女へのリンチを

開始しました。しかしこの頃には、少女はされるがままになっていました。

その日の一日の暴行は、当日の午前8時頃から10時頃まで、約2時間にわたって

休みなく続け、少女は重篤な傷害により、同日午後10時ころまでの間に

死亡してしまいました。

 

 その翌日、少年らは少女が死んでしまったことを知り、遺体を遺棄しようと企て、遺体を毛布で包み、大型の旅行かばんに入れてガムテープを巻きつけ、仕事先から

トラックを借り出したり、セメントを貰い受けて近くの建材店から砂やブロックを

盗み出し、トラックで遺体と付近で取ってきたごみ入れ用のドラム缶運び、

そこでコンクリートを練り上げて遺体の入ったかばんをドラム缶に入れ、

コンクリートをドラム缶に流し込み、更にブロックや煉瓦を入れて固定し、

ドラム缶に黒色ビニール製ごみ袋を被せてガムテープで密閉しました。

その後、トラックでドラム缶を運び東京都江東区若洲の埋め立て地に遺棄しました。

平成元年3月29日、被害者の遺体が発見されたことから事件が発覚します。

被害者とその遺族

被害者の女性は、かわいらしい17歳の女子高生・古田順子さんでした。

 

 当時身長165cmで事件前は体重が51kgあったそうですが、

遺体発見時にはなんと35kgにまでやせ細っていたそうです。

 

 被害者家族に対しては、当時はインタビューなども受けていましたが、その後

どうなったかはわかっていません。当時から比べると被害者への人権などに

重きを置く風潮も出てきているので、現在は知ることが出来ないでしょう。

噂では両親共に心を病んで自殺してしまったという噂もありますが、

それが本当かもわかりません。しかし、実の娘があんなにひどい被害に

あってしまえば、心を病んでしまうのは当然のことです。

犯人の詳細

本来ならば犯人の人権の為に本名などは公開されないのですが、

ある週刊誌は「鬼畜共に人権は必要無い」という編集部の判断から、

当時から実名などを公開していました。

 

リーダー格少年 宮野裕史

 宮野裕史は1970年4月30日生まれで、中学時代は柔道で軽量級の選手として

実績がありました。高校進学後は中退してしまい、暴力団と仲を深め

半グレ集団を立ち上げます。

懲役20年の刑を受け千葉刑務所に服役していましたが2008年に出所しました。

出所後、なんと2013年に振り込め詐欺容疑で逮捕されています。

結果的に反省することもなく事件を繰り返しているのですから、

やはり判決が甘かったのではないでしょうか。

ちなみに養子縁組し、名前を横山裕史と改名しています。

 

リーダーの右腕 小倉譲

1971年5月11生まれ、後に両親が別居するなど家庭環境には

恵まれていなかったそうです。私立修得高校に入学するも1年の2学期で中退し、

宮野裕史と共に事件を起こします。

裁判では5年~10年の不定期刑が確定し、1999年8月3日に出所します。

小倉譲は出所後は神作譲に改名し、なんと出所後に同じような犯罪を犯し、

逮捕されています。小倉譲に関しても同じような事件を起こしているということは

甘かったという他ありません。

ちなみに、息子の人生を狂わされたと逆切れし、

被害者の女子高生のお墓を小倉譲の母親が壊したそうです。

1998年8月出所しますが態度が改められることはなく、遺族へ慰謝料として

払うべきお金を使って、セルシオや高級住宅を購入しています。

コンピュータ会社にアルバイトとして勤務しますが、

事件のことが周囲に知られ辞職します。

 

 2002年中国人と結婚し、中国に行こうとしますが離婚してしまいます。

そして、暴力団関係者の事務所に出入りするようになります。

しかし2004年、母親が経営するスナックで知り合い男性を監禁、傷害したとして、「三郷市逮捕監禁致傷事件」を起こし、懲役4年の実刑判決となっています。

その時に、「オレは人を殺している。10年間懲役を受けた。アレ(コンクリート事件)は楽しかった。アレの主犯は本当は俺だ」と言っていたそうです。

 

 2009年に2度目の出所をしていますがその後は消息不明で、噂では大阪に潜伏

している、結婚して子供がいるなどの情報がありますが真相は定かではありません。

現在はさらに名前を変え、まったく別の名前を名乗っているとされています。

 

自宅を監禁場所とした 湊伸治

1972年12月16日生まれ、足立区内の名門中学校を卒業し、都内で唯一の

科学専門工業学校に進学する優等生であったものの、上記二人と親しく

なったことでコンクリート事件にも関わりをもってしまいます。

被害者女性を監禁した先の自宅は湊伸治の部屋で、

不良たちのたまり場になっていたそうです。

犯行現場の部屋の提供者である湊伸治は出所後は、ムエタイ選手としてデビューし、綾瀬のタイ料理屋で試合をしていたそうです。

当然の事ながら味方は少なく、入場するたびに彼を快く思わない観客から

ブーイングを浴びせられ、結果的に大した戦績も上げられないまま引退しました。

ちなみに観客に「コンクリ」というあだ名で呼ばれていたそうです。 

 

 現在は噂では嫁と娘をもうけて関東でひっそり暮らしていたのだが、

2018年8月19日、再び事件を起こして逮捕されています。

8月19日、埼玉県川口市の路上で、32歳の男性の肩を警棒で殴った上、

首をナイフで刺したとして45歳の男が殺人未遂の疑いで緊急逮捕された。

逮捕された男は川口市の無職、湊伸治――。

殺人未遂罪の法定刑は、死刑または無期懲役、もしくは5年以上の懲役である。

しかし、死刑や無期懲役になることはめったになく、多くは懲役3年前後から

およそ7年程度とされる。ちなみに正当な理由なく、刃渡り6センチを超える刃物を

携帯すれば、銃刀法違反で2年以下の懲役、または30万円以下の罰金となる。

「異常者は更生なんてしない」「死刑にするべき」とネットでは怒りの声が

飛び交っています。正確な出所時期は公表されていませんが、出所後運送会社で

働きながらムエタイをはじめ、プロデビューしています。

しかし事件のことがバレたのと、実力があまり振るわずすぐにやめています。

2006年頃ルーマニア国籍の女性と結婚し、娘がいるという噂がありましたが

確かな情報なのかは不明です。そして2018年8月19日に埼玉県川口市で45歳の

湊伸治が殺人未遂で逮捕されます。

軽トラに乗る男性を警棒で殴り、刃物で男性の首を刺して重症を負わせたのです。

この事件が起きる数か月前、引っ越した先のアパートの近隣住民からのも悪く、

隣人住人とトラブルを起こしていたようです。

この事件が発覚した時、ある報道では実名報道しかされず、湊伸治の前歴について

一切報道せれなかった事も問題とされています。この時懲役1年6ヶ月、

保護観察付き執行猶予3年の判決を受けますが、前科を考えると少し軽く感じます。

前科の事件が少年だったことと、20年以上前ということが考慮されたのでしょうか。

 

関与が薄いとされる 渡邊恭史

1971年12月18日生まれ、内気な性格であり、中学卒業後は定時制高校に

入学するもののすぐに登校拒否し退学します。退学後に宮野裕史と出会い、

犯行を共に行います。判決は5年~7年の不定期刑となりました。

渡邊泰史は引きこもり症候群になっているという噂があります。

小倉(神作)譲の再犯で世間が騒がしくなった時期には、報道ステーションに

渡邊泰史のインタビューが放送されたようです。

元々メンバーの中でも一番気が小さかったので、出所後の風当たりに耐えられ

なかったのかもしれません。出所後はしばらく母親と暮らしていたそうですが、

その後、姉夫婦と一緒に暮らしているそうです。姉は宮野祐史と付き合っていた

過去もあり、引き合わせたことを負い目に感じているのかも知れません。

目の病気を患ってるようで、現在は生活保護をうけながら生活しているようです。

いずれも4人中3人が再犯した結果となりましたが、どの事件の報道も

実名報道のみで、「女子高生コンクリート詰め事件」の事や顔写真など

触れないような報道がされており、少年法との関係が問題視されています。

事件発覚 

 

 警視庁綾瀬警察署と同庁少年二課は、前年12月に発生した別の婦女暴行事件及び、

さらに別の婦女暴行1件・ひったくり20件の容疑で逮捕されていた少年二人を

少年鑑別所で余罪について取り調べたところ、供述通り江東区若洲の埋め立て地で

発見したドラム缶の中から遺体を発見したため、翌30日に2人を殺人・死体遺棄

容疑で逮捕しました。

 

遺体の衣服は少年らが監禁中に与えたものらしく、失踪当時に着ていたものとは

違った上、腐敗が進んでおり、少女の家族も身元を確認できなかったため、遺体の指紋を少女の所持品の指紋と照合するなどして身元確認を進め、少女と断定しました。

 

裁判

東京地方検察庁は最初に逮捕された少年ら3人を、4月20日付で「刑事処分相当」の

意見書付きで、殺人、わいせつ目的誘拐・略取、逮捕・監禁・強姦、死体遺棄の

各罪で東京家庭裁判所に送致しました。 

更に警視庁少年二課・綾瀬署は4月24日、監禁現場となった家の少年の兄も殺人、

死体遺棄容疑で、同家に出入りして被害者に乱暴を働いたとして東京地検に

書類送検したました。

その後、東京家裁は5月18日までに、送致されていた少年ら4名を、

少年審判の結果「刑事処分が相当」として東京地検に逆送致します。

5月25日、東京地検は少年ら4人の少年を殺人、わいせつ目的略取・誘拐、逮捕・

監禁、強姦などの罪で東京地方裁判所に起訴しました。

1989年7月31日の第一審、東京地方裁判所刑事第4部にて初公判が開かれました。

罪状認否で加害少年らの認否を代弁した弁護人らは、故意による殺人を認め、

他の3人は殺意を否認し、傷害致死に留まると主張しました。

検察側は冒頭陳述で、加害少年らは監禁から約1か月後の12月下旬頃から、

少女の扱いに困り「コンクリート詰めにして海に捨てよう」などと話し合っていた

と指摘ました。更に4人は、本事件以外にも別の女性2人への婦女暴行、後輩への

リンチ、被害総額約220万円に上る店舗荒らし・ひったくりなどでも起訴されて

おり、閉廷と同時に、被告人のうち1人が気を失って倒れる程でした。

 

 第2回公判は9月4日に開かれ、加害少年らが非行に走った背景として、弁護側は「複雑な家庭環境や学校でのいじめ・体罰などがあった」と指摘した上で

「被告人らは、集団的なヒステリー状態とでもいうべき異常な心理状態の中で

犯行をエスカレートさせた」と主張します。

 

 1990年5月21日に論告求刑公判が開かれ、東京地検は「稀に見る重大・

凶悪な犯罪で、犯行の態様も極めて残虐・冷酷である。

人の仮面をかぶった鬼畜の所業であり、被告人らが犯行当時少年で、

うち3人は家庭環境が良好とは言い難いことを考慮しても、厳しい刑を

もって臨む以外にない」として、それぞれ以下のように求刑しました。

リーダー格に対しては「一連の犯行の首謀者」として無期懲役を求刑します。

リーダー格少年の片腕的な存在に懲役13年を求刑、他二人に対しては「被害者に

対する加害行為には積極的だったが、リーダー格少年の指揮下にあり、追従して

いた」として、それぞれ懲役5年以上10年以下の不定期刑を求刑しました。

 

 

 この事件は、悲惨というより狂気を逸している。一人がリーダーになって

指示をして、それに従わないといけない事件には見えません。

むしろ影響をされて、一緒になって残忍な事件を起こしたように思えます。

でも、自宅に監禁された時に、両親は知っていたはずなのに、あんなことを言って

逃げていた。もっと早く、周りが動いてくれていたら、あの被害者の高校生は

助かったのでは?と思ってしまいます プンプン おばあちゃん パンチ!パンチ! 星

 

いくら自分の息子が可愛いのか知りませんが、被害者のお墓を壊すなんて

言語道断で許されるべき行動ではない。息子の人生を狂わされたというなら

被害者女性の人生は、どうなるのかを考えて言ってほしかったです ムキー おばあちゃん パンチ!パンチ!

 

本当に、今後、こんな悲惨な事故や事件が無くなりますように お願い おばあちゃん 虹

 

被害者の高校生に、ご冥福をお祈りいたします。

天国で嫌な事を全部忘れて、楽しく過ごしてください 笑ううさぎ 虹

 

去年、阪神タイガースの岡田さんが「アレ」と言ってましたが、もしかしたら

言葉が出てこなくて、アレになったのかな? 本当は、優勝と言いたかったのに。

この事件のことをアレと書かれていたので、思い出しました 物申す パンチ!パンチ!

 

 

人に咳込まさないで、嗚咽も。人の後ろに憑かないで、憑依しないで、コントロールしないで。乗り物を運転中に邪魔をしてこないで。目の錯覚、老眼禁止 ムキー パンチ!パンチ!

人の思考を低くしないで。記憶障害も。中枢神経を触らないで プンプン パンチ!

ブログを書いている時に邪魔をしてこないで。体調不良をさせないで パンチ!パンチ!パンチ!

お母さんに責任を取ってもらう。期日は決まっている 物申す おばあちゃん パンチ!パンチ!パンチ! 星 むかっ

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました 愛飛び出すハート