生卵事件やON対決での悔し涙… V4達成の王会長が“戦友”に送った1通のメール    ダイエーの球団本部長、球団代表を務めた瀬戸山隆三氏【 写真:編集部 】

 

【第4回】1996年に起こった伝説の生卵事件、

瀬戸山氏は「ヘルメットを被ってでも守れ!」2020.12.21 07:50

 

 2020年のプロ野球はソフトバンクが圧倒的な強さを見せつけ日本シリーズ4連覇を

飾った。投打でスター選手を揃え12球団随一の育成力で“常勝軍団”を作り上げたが、ホークスの福岡移転となった1988年は苦しいスタートだった。当時、ダイエーの

球団経営に携わり球団本部長、球団代表を務めた瀬戸山隆三氏が福岡移転の真相、

王貞治監督誕生など当時を振り返る。第4回は「生卵事件」から悲願のON対決。

 

 王ダイエーの初陣となった1995年。西武からFAで工藤公康、石毛宏典、そして

メジャーリーガーのケビン・ミッチェルを獲得するなど大型補強で優勝候補に

上げられたが借金18のリーグ5位に終わる。1996年も開幕から最下位に低迷すると

5月9日の近鉄戦(日生球場)ではとんでもない事件が起きる。

2-3で敗れた試合後に激怒したファンが王監督、選手らが乗ったバスを取り囲み

生卵が投げつけられた。今では考えられないが、当時はファンがグラウンドに

降りてくるなど球場警備も手薄な時代だった。瀬戸山氏は当時を振り返る。

「絶対に王監督に危害がないように! と。仮に卵が当たった写真を

マスコミに撮られたりしたら生涯の汚点になる。マネジャーとかには

『 ヘルメットを被ってでも守れ!』と、もう必死でした」

 

 発煙筒、生卵、ゴミが次々に投げられる屈辱を味わった王監督。宿舎に帰るバスの中で怒りを爆発させるかと思ったが、チーム、ナインに口にした言葉は違った。

「情けない試合をするからこんなことが起きるんだ。

悔しかったら勝つしかないんだ」

 

 王監督から常に巨人と比べられる日々を過ごしてきたナインの中には、この言葉を重く受け止めるものも少なくなかった。瀬戸山氏は「バスの後ろに陣取っていた

ベテランの中には『何言ってんだよ』という顔もしていたが、当時、3年目だった

小久保は言葉を受け止めていた。『監督の言うことは当然ですよ』私の耳元で

口にしていました」。負け癖がついたチームの中で希望が見えた瞬間だった。

 

ON決戦で敗れ、バーを貸し切ったミーティング会場で

流した王監督の悔し涙

 

 なかなか勝てない時期が続くが “王イズム” は、しっかりと受け継がれる。

小久保裕紀、城島健司、松中信彦、井口資仁らが着実に成長すると1999年に

リーグ優勝、そして日本シリーズでは中日を破り悲願の日本一を達成。

翌2000年にはリーグ連覇、そして日本シリーズでは、中内オーナーらが待ち望んだ

巨人との「ON決戦」が実現した。残念ながら根本氏は、1999年にこの世を去り、

念願だった「ON決戦」を見ることはできなかった。二人三脚でホークスの下地を

作った瀬戸山氏も「20世紀までに……と仰っていたが何とか間に合った。

その瞬間に根本さんが立ち会えなかったことが唯一の心残り」と振り返る。

 

 同シリーズでは敵地で連勝スタートも4連敗で終戦。日本一を逃した第6戦終了後、都内の宿舎ではユニホーム姿の王監督が報道陣に対応した。その後は、ごくわずかな人数だけでミーティングを行ったが、そこには涙する指揮官の姿があった。

「バーを貸し切ってミーティングをするつもりだった。もちろん、優勝を想定して

いたが負けてしまった。選手、コーチ連中もいなくて部屋に返して、5人ぐらいで

話をした。王さんは放心状態で、少しすると子どものように悔し涙を流されていた。それだけ悔しかったのでしょう」

 

 昨年、そして今年と圧倒的な強さを見せ巨人を下し日本シリーズ4連覇を果たした。2019年は「ON決戦」以来、19年ぶりの巨人との日本シリーズで “借り” を返した

かのように見えたが、瀬戸山氏は当時、王会長から届いたメールを振り返る。

「 巨人に勝っての日本シリーズは気持ちが晴れました。だが、今年は(リーグ)

2位からの日本一。来年は1位になって日本一になります 王貞治 」

 

 パ・リーグを制し、日本シリーズで巨人に勝つまで納得はできない。

瀬戸山氏は、2000年に味わった悔しさはまだ晴れていない印象を受けたという。

そして今年は、3年ぶりのリーグ優勝を果たし日本一となったが、その後に来た

メールにまたも驚かされた。

「 ありがとうございます。よい戦いができました。もっと強くなりたいです。

選手の成長が楽しみです。まだ頑張ります。 王貞治 」

 

 圧倒的な強さを見せ日本シリーズ4連覇を果たしてもまだ、満足していない姿に

「凄いですよね、王さんはまだ頑張ると仰った。もっと強くなると……。

多分、巨人のV9を超えるV10まで頑張るということでしょう」。

瀬戸山氏も王会長が見据えるホークスの未来像には驚かされるばかりだった。

 

 歩みを止めることないホークスは、ヘッドコーチに小久保氏を招聘。

瀬戸山氏と小久保氏には切っても切れない縁がある。球界に激震が走った

巨人への無償トレードにはナイン、ファンが涙したのだった。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

  

 

球界揺るがした小久保裕紀の無償トレード…

非情通告した身に残り続ける苦渋の思い    2020.12.24 07:50

 

2003年のオープン戦で靭帯を断裂した小久保、

アメリカでの手術を行うが…

 

 2020年のプロ野球は、ソフトバンクが圧倒的な強さを見せつけ日本シリーズ4連覇を飾った。投打でスター選手を揃え12球団随一の育成力で “常勝軍団” を作り上げたが、ホークスの福岡移転となった1988年は苦しいスタートだった。当時、ダイエーの球団経営に携わり球団本部長、球団代表を務めた瀬戸山隆三氏が福岡移転の真相、

王貞治監督誕生など当時を振り返る。最終回はホークスを変えた男・小久保裕紀。

 

 1993年のドラフト1位で入団した小久保裕紀は間違いなくホークスを変えた男

だった。中内オーナー、根本陸夫監督が熱望し獲得した将来の幹部候補について

瀬戸山氏は「誰よりも練習する姿、チームを引っ張るリーダーシップ、

そして実力もこれ以上にない男」と目を細める。

 

 プロ2年目の1995年には、28本塁打を放ち本塁打王のタイトルを獲得。

その後も主軸としてチームに無くてはならない存在となったが、2003年に球界を

揺るがす事件が起こった。同年のオープン戦で本塁へ突入した際に右膝の靭帯を断裂するなど大ケガを負う。球団からは当初、全額負担でアメリカでの手術を承諾したが「あの話はなかったことにしてくれ」と急転。その他にも、当時の球団社長に冷遇

されるなどフロントに不信感を抱いた小久保は同年オフに退団することを決意する。

「手術の費用が出せない件も私が伝える役割だった。心苦しかった。納得できない

部分は誰もが分かっていた本人は『選手会長として僕は見過ごすことはできない。もうこの球団ではできません』と。その後、巨人の渡邉恒雄さんに話を持っていき

巨人とのトレードが決まった。こちらからお願いした立場、誰かと交換してくれと

いう訳にもいかなかった。小久保も膝を断裂して、来季活躍する補償は

どこにもなかった」

 

今年からヘッドコーチで、小久保氏が球団に復帰

「本当に喜ばしいこと」

 

 小久保が不在の中、皮肉にもチームは阪神を破り日本一に輝く。

だが、その裏で “ミスターホークス” と呼ばれた男はチームを去ることを決断し、

巨人との無償トレードが決まった。「トレードの話を伝えるのも僕の役目だった。

これまで長い付き合いで小久保のこともよく知っている。もう、私も辞める決意が

できていた。こんな状況はあまりにも酷かった。だから『小久保、もう飲みに

行こう』と誘い巨人へのトレード話を伝えました」

 

 2人は福岡・西新の飲食店で濃密な時間を過ごした。

小久保は、その翌日に記者会見を開き、巨人への無償トレードが発表された。

中内オーナー、根本陸夫、王貞治らと共にチームの基盤を作った瀬戸山氏のホークス最後の仕事は、チームの精神的支柱だった男へのトレード通達だった。

このトレードは、チーム内でも波紋を呼び同年の優勝旅行をボイコット、ファンからの信頼も失うことになった。それでも、紆余曲折を経て小久保は2006年オフに

FA宣言でホークスに復帰。2012年に引退すると、その後は侍ジャパンの監督に

就任するなど球界を支え、来年からはヘッドコーチとしてソフトバンクホークスに

指導者として復帰することになった。「王イズムを受け継いだ小久保が指導者として戻ってきたことは本当に喜ばしいこと。今シーズン終盤まで優勝争いを繰り広げた

ロッテには井口監督がいる。これからも球界を盛り上げていってもらいたい。

私は、もうプロ野球に関わっていませんが陰ながら応援していきたい」

 

 プロ野球界に足を踏み入れ、経営者としての立場としてもホークスが “常勝軍団” になる過程を歩んできた瀬戸山氏。南海の買収、王貞治氏の招聘など大役を全うした

男は、これからもホークスの成長を見守っていく。(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

 

  

松下電器ホークス?消えた球団買収、30年目の真実

ダイヤモンド編集部  土本匡孝:記者 特集パナソ二ック老衰危機  

パナソニック 老衰危機_#08_企業スポーツ死守

 

手元資金が潤沢な時代はプロ野球球団の買収すら検討したが、今や金欠で成長戦略を描き切れず、業績も芳しくない。特集「パナソニック老衰危機」(全10回)の#08では、そんなパナソニックが七つ( プロサッカーチームへの出資を含めれば八つ )もの企業スポーツを抱えている背景を分析した。(ダイヤモンド編集部 土本匡孝)

 

天敵のダイエーにさらわれた「プロ野球球団」買収の夢

 

 かつて野村克也選手、門田博光選手などが在籍した在阪プロ野球球団「南海ホークス」の身売り話が浮上した1980年代後半、松下電器産業(現在のパナソニック)が

球団買収を検討していたことがダイヤモンド編集部の取材で分かった。

当時を知る松下電器元幹部が証言した。

 

 パ・リーグの古豪、南海ホークスは80年代、Bクラス(6球団中4位以下)

入りが続いて人気が低迷。球団経営が厳しくなっていた。

 

 前出の元幹部によると、南海ホークスの身売り話が浮上したのを受け、松下電器の上層部は一時買収を検討した。だが、「プロチームは持つべきではない。

(松下電器のアンチファン)をつくってしまう」との買収反対派の意見が勝り、

“松下電器ホークス” 誕生は幻に終わった。一方で当時の松下電器は、強豪の企業

スポーツチーム(野球、バレーボールなど)を保有していた。

つまり当時の松下電器は、「プロはダメ。アマチュアならOK」と線引きしたのだ。

 

 パナソニック広報担当者は「昔のことで分からない。少なくとも私は聞いたことがない」と困惑するが、松下電器は大阪に本社があり、同じく大阪が本拠地だった

南海ホークスと相性がいい。加えて当時の松下電器は「松下銀行」といわれるほど

潤沢な手元資金を抱えていた。背景からして信ぴょう性が高い。

 

結局、南海ホークスは88年、ダイエーに買収されて福岡ダイエーホークス(その後

さらに身売りして福岡ソフトバンクホークス)となり、福岡に本拠地を移した。皮肉にも、引受先のダイエーは、家電の安売り戦争で松下電器を苦しめた天敵だった。

そんな経緯のある松下電器が、93年開幕のプロサッカー「Jリーグ」には、なぜ企業

スポーツ母体のガンバ大阪(現在パナソニックが70%出資)を加盟させたのか。

前出の元幹部の説明は、「だって既に幸之助さんは亡くなっていたし、正幸さん

(幸之助氏の孫)がサッカー好きだしね」。つまり、それまでの松下電器にあった「プロ、アマの線引き」は、創業者の松下幸之助氏(1894~1989年)の

意向が大きかったようだ。

 

 松下電器のフィロソフィーの変遷はさておき、プロチームを巡る昔話は

いずれも松下銀行と呼ばれた羽振りの良い時代の出来事だ。

松下銀行の面影は、今のパナソニックにはなく、多額のスポンサー費用を

投入するガンバ大阪すらリストラの例外ではないはずだ。

 

日本製鉄、東芝、日産…

レガシー企業の止まらぬスポーツ離れ

 

 名門でも、常勝でも、人気があっても関係ないのか――。

Jリーグ関係者やサポーターの間に2019年夏、激震が走った。

その中にはガンバ大阪のサポーターもいたことだろう。震源地は、国内外で

主要タイトルを20も獲得してきたJ1屈指の強豪クラブ、鹿島アントラーズだ。

ルーツの「住友金属蹴球同好会」創設から70年余り。Jリーグ開幕時から加盟する

鹿島アントラーズの最大株主である日本製鉄(12年に新日本製鐵と住友金属工業が

合併)が19年7月、メルカリに対し、所有する大半の株(持ち株比率で61.6%)を

約16億円で売却すると発表したのだ。

 

 日本製鉄が表向きに挙げた理由は、「メルカリの持つテクノロジーと経営ノウハウが鹿島アントラーズのさらなる経営基盤の強化につながる」。もっともな理由だが、日本製鉄の資本効率を上げることこそが本音ではないだろうか。

社内で住友金属色が薄まってきていたのに加え、製鉄業界にいわゆる “鉄冷え” が

来るのが見えているからだ。大胆な決断に、住友金属OBから悲鳴が上がった。

近年のレガシー企業のスポーツからの撤退は、東芝(プロバスケットボール)、

四国電力(陸上競技)、エスビー食品(同)など、枚挙にいとまがない。

それでも、プロ野球に次いで国内第2位のプロスポーツ市場規模である 

Jリーグからの撤退は反響が大きく、慎重にならざるを得ない “奥の手” のようだ。

日本製鉄は、メルカリと共に記者会見を開いて懇切丁寧に経緯を説明しており、

また経営不振の日産自動車は、野球、卓球、陸上と次々に企業スポーツを切って

きたが、J1の横浜F・マリノス(日産が74.6%出資)だけはいまだ手放さない。

 

 ガンバ大阪はJ1で18年度2位の入場料収入を誇る人気ぶりで、Jリーグ開幕時から

加盟している名門クラブ。仮にパナソニックが今後、スポーツ支援から手を引くに

しても、後回しになるに違いない。それでも鹿島アントラーズに起きたことは、

ガンバ大阪にとって対岸の火事ではないのだ。

 

企業スポーツで日立は11、シャープは0
大手電機は対応二手に分かれる

 

 企業がスポーツを支援する理由としてよくいわれる3要素は、

「企業のブランド価値や知名度の向上」「社員の団結力アップ」「社会貢献」。

いずれも費用対効果が判然とせず、企業価値の最大化に寄与しているかどうかは、

疑問符を付けざるを得ない。だからこそ経営不振の折には、

容赦なく休部や廃部に追い込まれる。

 

 ダイヤモンド編集部はパナソニックなど、大手電機の企業業績、国内連結従業員数、スポーツ種目数(出資するプロスポーツを含む)を比較してみた。業績は企業

スポーツの存続と経営体力の関係、従業員数は企業スポーツの存在理由の一つ

「社員の団結力アップ」との関係(ダイヤモンド編集部は「団結力アップには従業員数に比例してスポーツ種目数が必要」だという仮説を立てた)を見るためである。

 

大手電機の経営規模と種目数の推移
 企業における適正なスポーツ種目数を測る「物差し」はないとはいえ、

熱心なグループ(日立製作所〈11種目+プロサッカー+プロバスケ〉、パナソニック〈7種目+プロサッカー〉、三菱電機〈4種目+プロバスケ〉)に対し、消極的な

グループ(ソニー〈3種目〉、シャープ〈0種目〉)という違いが浮かび上がる。

ちなみに東芝は、経営不振でも「数億~十数億円」の年間運営費がかかるといわれる

野球とラグビーだけは手放さず、種目数は少ないが熱心なグループといってよい。

 

 パナソニックでも特に熱心な同社幹部に話を聞くと、「いずれも成績が良く、

ブランド価値の向上に貢献している」と鼻息が荒い。至極まっとうな意見だが、

月並みともいえる。一方、あるシャープ関係者の意見は興味深い。「うちは70年の

大阪万博ですら出展をせず、開発投資費に回したようなわが道を行く会社。

メーカーの社会貢献は生活を豊かにする機器を提供し、利益を出して税金を納める

ことだ。費用対効果が分からない企業スポーツにお金はかけない」。

 

パナ12年の巨額赤字計上の後は、

さすがにバスケ、バドを休部

パナソニックの企業スポーツ一覧

 近年パナソニックがやめた企業スポーツは、男子バスケ(パナソニックトライアンズ)と “オグシオ”(五輪日本代表選手の小椋久美子、潮田玲子ペア)を輩出した

バドミントン。共にパナソニックが7721億円もの巨額最終赤字を計上した

12年3月期決算の約半年後に発表された。

 

 パナソニックは当時、「業績回復に向けたさまざまな経営合理化の取り組みを

進めており、企業スポーツの在り方についても多面的に検討してきた」

「多くのファンに支持され、常にトップを目指すスポーツに集中していく」と説明。要はお尻に火が付いて初めて、企業スポーツにおける選択と集中を進めたのだ。

当時のパナソニックのトップは就任したばかりの津賀一宏社長だ。

パナソニックは、翌13年3月期にも2期連続の巨額最終赤字(7542億円)

計上したが、追加の休部はなかった。男子バスケ、バドミントンの休部は、株主らの批判から他の企業スポーツを守るために「先手を打った」「いけにえとなった」と

みることもできる。

 

 バドミントンは、11年に完全子会社化した三洋電機にルーツがあった故に、

休部は仕方なかったのかもしれない。ではなぜ松下電器発祥の古豪、男子バスケが

やり玉に挙がったのか。社内外でうわさされているのは、当時の社内力学だ。

休部させるからには、販管費削減のメリットを見いだせることが重要だ。

「数億~十数億円」と、特に運営費がかかっているのは野球(パナソニック野球部)、男子バレー(パナソニックパンサーズ)、ラグビー(パナソニックワイルド

ナイツ)、アメリカンフットボール(パナソニックインパルス)、男子バスケと

みられる。特にスター軍団のラグビーは、選手の約半数がプロ契約のため、

15億~20億円ほどかかっているようだ。

 

 11年に完全子会社化したパナソニック電工(旧松下電工)発祥のアメフトは

「旧松下電工の人材輩出部門であり、精神的柱」(パナソニック社員)、三洋電機にルーツを持つラグビーは「休部すれば三洋発祥の企業スポーツがなくなる」(同)、故に選択肢から除外。残る野球には鍛治舎巧専務役員(現岐阜県立岐阜商業高校野球部監督)、男子バレーには森下洋一・元松下電器社長・会長(故人)という

有力な後ろ盾がいた。2人は各チームの経験者だ。そこで、消去法的に男子バスケが

休部候補に挙がったようだ。

 

 現在のパナソニックに残る、運営費が特に高い企業スポーツを見ると、

「野球=相対的に戦績で見劣り」「男子バレー=バレー自体の人気に往年の勢い

なし」「ラグビー=ワールドカップ効果で人気大だが費用も大」「アメフト=

他の企業チームは、ほぼクラブチーム化」と、ツッコミどころが少なくない。

だが、企業スポーツ再編に着手するうわさすら聞こえてこない。

 

 いみじくも松下幸之助氏の孫、正幸氏(07年当時松下電器副会長、ガンバ大阪非常勤取締役)は関西経済連合会の機関誌で、「既に知名度のある企業には知名度向上の必要はないし、企業一家意識が薄れている現代では昔ほど社員の一体感を醸成する

必要もなくなった」「社会貢献という理由だけでは、企業が特定のスポーツの

一チームを支援する根拠にはなり難い」と、前出の企業スポーツの3要素(「企業の

ブランド価値や知名度の向上」「社員の団結力アップ」「社会貢献」)を否定。

さらに、「株主を重視した企業経営が求められる昨今、企業がスポーツを

支援しにくい情勢であることは否めない。しかし支援をやめてしまっては、

日本のスポーツは育たない」と悩める心境を吐露している。

 

 とどのつまり、費用対効果を測りかねるスポーツ支援にパナソニックが

なぜ今でも手厚いのか。その答えは、事業再編を徹底できない

「パナソニックの経営の縮図だから」と言わざるを得ない。

Key Visual & Graphic designed by Noriyo Shinoda, Kaoru Kurata

 

 

 

1996年も開幕から最下位に低迷、5月9日の近鉄戦(日生球場)で起きた事件。

2-3で敗れた試合後に激怒したファンが王監督、選手らが乗ったバスを取り囲み

生卵が投げつけられた。

この数年前に、たかじんさんがTVで「コンサート前になると、嫁のひろちゃんに

生卵をぶつけていた」と言っているのを思い出しました 物申す パンチ!

 

選手、コーチ連中もいなくて部屋に返して、5人ぐらいで話をした。

王さんは放心状態で、少しすると子どものように悔し涙を流されていた。パンチ!

小柳ルミ子さんが大澄賢也さんと付き合う前に、こんなシチュエーションが びっくりあせる

 

2019年は「ON決戦」以来、19年ぶりの巨人との日本シリーズでダイエーが勝利。

占い師の母が2005年12月22日に亡くなって、今年で19年になります ウインク おばあちゃん 虹

 

2003年のオープン戦で本塁へ突入した際に、小久保選手が右膝の靭帯を断裂するなど大ケガを負う。球団からは当初、全額負担でアメリカでの手術を承諾したが

「あの話はなかったことにしてくれ」と急転。その他にも、当時の球団社長に冷遇

されるなどフロントに不信感を抱いた小久保は同年オフに退団することを決意。

この数年後に、清原さんが足のケガで入院して手術をした時、球団からお見舞いに

来てくれて、中村ノリ選手がオリックス時代に怪我をし入院した時、なぜ自分の時は来てくれなかったのか?と愚痴を言っていたのを思い出しました ムキー パンチ!パンチ!

(待遇が違うと比較していました。)

 

小久保さんの発言が理由?で、ここまでするのかな?

なにも悪いことを言っていないし、していないのに。

球団も従わないといけないことでもあったのかな?

何らかの力が働いたとしか言いようがない プンプン おばあちゃん 爆弾 パンチ!パンチ!

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート