( 平成5年11月25日最高裁 ) の要点をわかりやすく解説 

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ホテルニュージャパン火災 (監督過失)

平成5年11月25日最高裁 1993年

事件番号  平成2 (あ) 946

 

地下2階、地上10階のAホテルで9階の客室でタバコの火の不始末で

9階、10階の大部分が延焼し、当直従業員らも、火災の拡大防止や、

被災者の救出のための効果的な行動を取ることができませんでした。

結果として、この火災で宿泊客ら33名が死亡し、24名が負傷しました。

 

Aホテルは、消防当局から度重なる指導にもかかわらず、スプリンクラー設備などは、4階から10階まで設置されておらず、消防当局や専門業者による防火査察・

設備定期点検も拒否し続けるなど、防火管理体制の不備を放置してきました。

 

第一審判決では、

代表取締役のX、支配人兼総務部長Yについて、業務上過失致死罪の成立を認め、

原判決は、Xの控訴を棄却し、Xが上訴しました。

 

最高裁判所の見解

Xは代表取締役として、本件ホテルの経営、管理事務を統括する地位にあり、

その実質的権限を有していたのであるから、多数人を収容する本件建物の火災の

発生を防止し、火災による被害を軽減するための防火管理上の注意義務を

負っていたものであることは明らかであり、Aホテルにおいては、消防法8条1項の

防火管理者であり、支配人兼総務部長の職にあったYに同条項所定の防火管理業務を

行わせることとしていたから、同人の権限に属さない措置についてはX自ら

これを行うとともに、右防火管理業務については、Yにおいて適切にこれを

遂行するよう同人を指揮監督すべき立場にあったというべきである。

そして、昼夜を問わず不特定多数の人に宿泊等の利便を提供するホテルに

おいては火災発生の危険を常にはらんでいる上、Xは、( 1979年) 昭和54年5月

代表取締役社長に就任した当時から本件建物の9、10階等には、スプリンクラー

設備も代替防火区画も設置されていないことを認識しており、また、

本件火災の相当以前から、既存の防火区画が不完全である上、防火管理者である

Yが行うべき消防計画の作成、これに基づく消防訓練、防火用・消防用設備等の点検、

維持管理その他の防火災対策も不備であることを認識していたのであるから、

自ら又はYを指揮してこれらの防火管理体制の不備を解消しない限り、

いったん火災が起これば、発見の遅れや従業員らによる初期消火の失敗等により

本格的な火災に発展し、従業員らにおいて適切な通報や避難誘導を行うことが

できないまま、建物の構造、避難経路等に不案内の宿泊客らに死傷の危険の及ぶ

おそれがあることを容易に予見できたことが明らかである。

【補足】

本件火災当時、 主として客室、貸事務所として利用されていた四階から一〇階までの部分について は、スプリンクラー設備は設置されておらず、四階及び七階に代替防火区画が設け られていただけで、右各階を除き、客室及び廊下の壁面及び天井には

ベニヤ板や可燃性のクロスが使用され、大半の客室出入口扉は木製であったほか、

隣室との境が 一部木製板等で仕切られ、客室、廊下、パイプシャフトスペース等の

区画及び既設- 2 の防火区画には、ブロック積み不完全、配管部分の埋め戻し不完全

等による大小多 数の貫通孔があった。加えて、防火戸及び非常放送設備については、被告人が少額 の支出に至るまで社長決裁を要求し、極端な支出削減方針を採っていたことなどか ら、専門業者による定期点検、整備、不良箇所の改修がされなかった為、防火戸 は火災時に自動的に閉鎖しないものが多く、非常放送設備も故障等により一部使用 不能の状態にあり、また、従業員の大幅な削減や配置転換を行ったにもかか

わらず、 これに即応した消防計画の変更、自衛消防隊の編成替えが行われなかった。

 

したがって、Xは、本件ホテル内から出火した場合、早期にこれを消火し、

又は火災の拡大を防止するとともに宿泊客らに対する適切な通報、避難誘導等を行うことにより、宿泊客らの死傷の結果を回避するため、消防法令上の基準に従って

本件建物の9階及び10階にスプリンクラー設備又は代替防火区画を設置すると

ともに、防火管理者であるYを指揮監督して、消防計画を作成させて、従業員らに

これを周知徹底させ、これに基づく消防訓練及び防火用・消防用設備等の点検、

維持管理を行わせるなどして、あらかじめ防火管理体制を確立しておくべき

義務を負っていたというべきである。

 

そして、Xがこれらの措置を採ることを困難にさせる事情はなかったのであるから、

Xにおいて右義務を怠らなければ、これらの措置があいまって、

本件火災による宿泊客らの死傷の結果を回避することができたということができる

以上によれば、右義務を怠りこれらの措置を講じなかったXに、

本件火災による宿泊客らの死傷の結果について過失があることは明らかであり、

Xに対し業務上過失致死傷罪の成立を認めた原判断は、正当である。

【補足】

「業務上過失致死傷罪」で禁固3年の実刑判決

 

 よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、

 主文のとおり決定する。   平成五年一一月二五日    最高裁判所第二小法廷

 

全文はこちら(裁判所ホームページの本裁判のページ) → 詳しくは、このサイトを

ググって読んで下さい。

 

 

先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ 

 ホテルニュージャパン火災 増上寺「聖観世音菩薩」像

2021/6/15 先人からのメッセージ特集記事インタビュー

 

先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ ③

 

 「天災は忘れたころにやって来る」。物理学者・寺田寅彦(1878~1935)のことばと伝わります。備えをおこたってはいけないという戒めの名言として知らない人はいないでしょう。ただ、私たちはその重みをどこまで実感しているでしょう。近年の出来事を振り返ると「こんなこと想定外だった」と釈明されることが多すぎはしないでしょうか。実のところ人間は元々そう言いたがる生き物なのかもしれません。

そんな本性を知っていたから、先人は消してはいけない記憶を碑に刻んで後世に伝えようとしたのではないでしょうか。先人のそんなメッセージの遺る碑が日本各地に

あります。国土地理院は天災を後世に伝えるそうした碑の記号を新たに作り、2019

(令和元)年から「自然災害伝承碑」として地理院地図に載せ始めました。私たちも、人々の安全と安心を守るためのセキュリティ・ニュースを発信する会社として、

天災はもちろん、人が引き起こした禍の記憶を伝える碑も各地に訪ね、先人からの

メッセージを紹介したいと思います。「想定外」が一つでも減ることを願いつつ。

 

 

ホテルニュージャパン火災 増上寺「聖観世音菩薩」像

 33人死亡、厳しく問われた経営者の責任 

聖観世音菩薩像

世音菩薩像

 

碑の概要
碑名    聖観世音菩薩
災禍名    ホテルニュージャパン火災(1982年)
災禍種別    火災
建立年月日    1987年2月8日
所在地    東京都港区芝公園4-7-35(大本山増上寺境内)
伝承内容    ホテルニュージャパン火災で亡くなった人のみたまの安からんことを祈る

 

 どこにも逃げ場がなくなった時、人の目には地面が近いと映ってしまうのだろうか。それとも絶望のせいなのか。炎と煙に追い詰められた宿泊客が9階あるいは10階から飛び降りる衝撃的な映像が目に焼き付いている。1982(昭和57)年に東京であったホテルニュージャパンの火災。亡くなった人は33人、そのうち飛び降りて命を落とした人は13人にも上る。首都のど真ん中で発生した大惨事。ずさんな防火体制が明らかになり、経営者は厳しく責任を問われて実刑に服した。その悲惨な火災で亡くなった人たちの慰霊のために建てられたのが、大本山増上寺(東京都港区芝公園4丁目)

境内にある「聖観世音菩薩」の像である。

一般財団法人消防防災科学センターがウェブ上で運営する「消防防災博物館」の

火災事例資料によると、火災は1982年2月8日午前3時20分過ぎに発生した。火元は

9階の客室。宿泊した英国人(死亡)の寝たばこが原因と見られている。その後の

経緯は以下の通りだ。――フロント係が午前3時半ごろ、仮眠するために9階へ。

エレベーターを降りた時、客室のドアのすき間から煙が噴き出しているのを発見。

フロント係は1階に戻って2人の同僚に火事が起きたことを知らせ、電話で消防に

通報した。火事を知らされたルームサービス係が9階に行き、エレベーターホールに

あった消火器で消そうとしたが消しきれなかった。フロント係は9階の屋内消火設備の扉を開いて起動ボタンを押しホースを伸ばしたものの設備は作動しなかった――

 

火災を伝える写真(「東京消防庁事務年鑑昭和57年」から

火災を伝える写真   「東京消防庁事務年鑑昭和57年」から

 

 出火当時、宿泊客は10階に27人、9階に76人、8階以下には249人いた。

フロント係は出火場所付近の廊下にいた数人の客をエレベーターで避難させ、続いて到着した警備員がサービスステーション前にいた数人の客を避難階段に誘導した。

10階では別の警備員が廊下にいた数人の客を階段で避難させ、フロント係も2人を

階段に誘導した。しかし、初期消火に失敗した後、組織だった消火活動は行われず、火はまたたく間に広がっていったという。

 

 ホテルは1960(昭和35)年に建てられ、増改築を経て地下2階・地上10階建ての420室・収容人員2946人の規模で運営されていた。焼けたのは7~10階と

塔屋部分の4186㎡。特に9、10階の焼損が大きかった。

同資料は、火の回りが急激だった理由として以下の10点を挙げている。

 

①スプリンクラー設置の不備
②防火区画が不完全
③客室の出入口が木製
④客室相互の間仕切壁の天井裏部分にすき間が存在
⑤客室相互の間仕切壁の一部(窓際部分32㎝×140㎝)が木製
⑥客室内浴室横のパイプ・ダクトシャフトへ貫通する換気ダクト・

配管の埋め戻しが不完全
⑦パイプ・ダクトシャフトの防火区画の一部埋め戻しが不完全
⑧エレベーター枠上部区画壁の施工が不完全
⑨内装材(居室、廊下の壁仕上げおよび下地)に可燃材を多用
⑩面積区画(1500㎡)に設けられている防火戸の温度ヒューズは

溶解しているにもかかわらず、防火戸は開放状態

 

ホテルニュージャパンの跡地の今の様子

                            ホテルニュージャパンの跡地の今の様子

 

 消防からはポンプ車48台、はしご車12台、救急車22台、ヘリコプター2機などが

出動し消防士・消防団員計649人が消火・救助活動に当たった。彼らの懸命の働きで63人が命を救われた。しかし、余りにも延焼速度が速く33人が亡くなり、34人が負傷した。同資料は問題点として設備の不備・不適切を挙げ、死者のうち台湾人が妊婦を含め12人、韓国人8人、英・米人各1人であることを踏まえて外国人への適正な情報伝達方法の必要性を提起。防火管理については「管理権原者である社長は、防火意識に薄く、従業員等に対する防災教育、避難訓練等も実施しておらず、火災が発生した際の通報連絡、初期消火等の体制等も確立されていなかった」と厳しく指摘した。

ここで「防火意識が薄い」とされたのが当時の横井英樹・代表取締役社長である。

 

 横井社長は業務上過失致死傷罪に問われた。裁判記録などによれば、横井社長は1979(昭和54)年に就任して以来、消防当局からの度重なるスプリンクラーの設置指導を無視し、当局や専門業者による防火査察・設備定期点検も拒否し続けた。従業員の削減も続け、火災当時は就任当時から比べて半分以下の180人足らずに。消防訓練も実施しなかったという。東京地裁は1987(昭和62)年5月、横井社長に対し「営利の追求に腐心するあまり防火設備などの支出を極端に抑制して従業員の大幅な削減を行うなどした結果大惨事を招いた。多数の人命をあずかるホテル経営者として不可欠な宿泊客の生命と安全を確保するという最も重要で基本的な心構えに欠けていた」と指弾して、禁錮3年の実刑を言い渡した。裁判は最高裁まで争われたが、最高裁は1993(平成5)年11月、横井社長の上告を棄却。原判決が確定した。

像の台座部分
像の台座部分
像の裏側に記されている日付と名前
像の裏側に記されている
日付と名前

  

 慰霊の像を訪ねた。聖観世音菩薩像は、芝大門から三解脱門を抜けるとすぐ左側に立っていた。高さは5、6mほどか。厳かな表情をした立派な像だ。台座には「ホテルニュージャパン罹災者のみたまとこしえに安からんことをお祈りして」と刻まれて

いる。像がここに設置されたのは遺体の仮安置所になり、仮通夜も行われた縁だ。

立ち止まって見る人はいなかったが、供物台の上には湯呑とマスク、脇にはこぢんまりとした新しい花が置かれてあり、炊かれて間もないと思われる線香の灰もあった。同寺の赤羽海衆・総務課長によると、寺としてはそうした供養を今はやっていないが、遺族ら関係者が不定期に訪れているようだという。像の裏に回ると「昭和六十二年二月八日 株式会社ホテルニュージャパン 取締役社長横井英樹 建之」と記してあった。本人が裁判で争っているさなかではないか。台座に刻まれた追悼文が一瞬、むなしく思えてしまった。

 

 

今でいう、欠陥住宅だったことがこの火災で発覚したと記事で読みました。

例えば、ブロックやベニヤ板が使われていたと。 

横井さんは、ホテルに関してはド素人だったので、そこまで調べなかったのでは?

もっと人の言葉に耳を傾けていたら、気が付くのが遅かったんですね 物申す パンチ!パンチ!

 

 

「ホテルニュージャパン火災」~1982 

東京赤坂で未明の大炎上【 一部抜粋 】

ホテルの成り立ち

この敷地は二・二六事件の際、部隊が立ち寄った日本料亭「幸楽」の跡地でした

(戦時中、撃墜されたB-29が直撃、大破全焼)。

 

元々は藤山愛一郎氏率いる藤山コンツェルンが設立母体となり、

高級レジデンス( 当時は、アパートメントと称された )として着工。その後、

1964年東京オリンピック開催や高度経済成長期に急増した宴会などコンベンション

需要の増加を当て込みホテルに用途変更。1960( 昭和35 )年に開業しました。

 

 

他に先駆けた「都市型多機能ホテル」であり、TBSやNET(現 テレビ朝日)、国会議事堂からも近く、市川雷蔵が結婚披露宴を挙げ、1968年来日のモンキーズが宿泊。

自由民主党藤山派や松野頼三氏が事務所を構えるなど芸能界、政財界との

結びつきが強いホテルでした。その後、ホテルニューオータニ、ホテルオークラ

東京、東京ヒルトンホテル(後のキャピトル東急ホテル)、赤坂東急ホテルなどが続々と建設されると、経営面で苦戦を強いられました。

 

力道山が刺された場所

 

敷地の地下には高級ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」があり、

豪勢な社交場として政財界や芸能界の大物が、多く出入りしていました。

 

  1963年に力道山が暴力団員に刺され、搬送後の病院で死去した事件の舞台です。

 

このナイトクラブは、ホテルとは別経営でホテル廃業後も

1989年まで営業を続けていたそうです。

 

横井英樹氏による ”独裁”

 

赤字決算が続いた結果、大日本製糖の大株主である横井英樹率いる東洋郵船が

ホテルニュージャパンを買収。横井氏自らが社長に就任しました。

 

 

しかし横井氏はホテル経営については完全な素人。宴会場やロビーにシャンデリアやフランス製の古家具を置くなど、表面上は豪華さを演出する一方、社内では人員

整理、経費削減などセオリー無視の徹底した合理化策を強行します。

「利益第一主義」を掲げた横井氏の “独裁“ に退職者が続出。当初300名いた

ホテル従業員は130名になり、火災発生当夜の当直従業員は、わずか9人でした。

 

利益第一の横井氏は、安全対策予算も削減。館内のスプリンクラーはハリボテ、

消防設備や館内緊急放送回路も故障したまま放置、改正消防法で定められた

防火扉の設置も行っていません。消防当局や専門業者による防火査察や

設備定期点検も拒否し続け、東京消防庁麹町消防署より再三にわたり

「館内防火管理体制改善」指導を受けていましたが、無視していました。

 

刑事裁判の記録によれば「社長の横井英樹は消防当局より『当時のホテルニュー

ジャパンは建物の老朽化が著しかったため、改正消防法に適合させるにはスプリン

クラーや防火扉などの新設のみならず、館内の電気設備や給排水設備の全面改修も

必要である』旨を知らされていた。しかし横井は、関係当局や部下からの進言、

勧告、上申に対して聞く耳を一切持たずに無視し、専ら儲けと経費削減のみで

安全対策への投資はしない方針を貫いていた」と書かれています。

 

火災の状況

 

火元は938号室、外国人宿泊客のタバコの火の不始末が原因とされています。

従業員による非難誘導もなく、加湿空調も予算削減で止められていたため館内の

空気がカラカラに乾燥、客室内の内装にはベニヤ板に壁紙を貼った可燃材が使われており、防炎加工なしの化繊を用いた絨毯やカーテン、シーツ、毛布類も使われて

いたことから、延焼した際に可燃性の有毒ガスが大量発生。

 

 

都心のど真ん中、深夜の大火災に消防はポンプ車48台、はしご車12台、

救急車22台、ヘリコプター2機を出動させ、総勢650名の消防職員と隊員が、

懸命の消火救助にあたりました。

 

 

その結果、宿泊客63名を救出しましたが、実に33名が亡くなりました。逃げ場を

失った宿泊客が窓から助けを求め、転落する映像に世間は戦慄を覚えました。

 

 

 

横井氏への猛バッシング

 

社長である横井英樹氏は火災発生翌日、現場に蝶ネクタイ姿で登場。報道陣に拡声器で「本日は早朝よりお集まりいただきありがとうございます」「9階10階のみで火災を止められたのは不幸中の幸いでした」などと空気の読めない不謹慎発言を連発。「悪いのは火元となった宿泊客」と責任転嫁するコメントを発して、

世間の反感を買います。

さらに火災当時、人命救助よりもホテル内の高級家具の運び出しを指示したと

報じられ、連日ワイドショーをはじめとしたマスコミの猛バッシングを浴びました。

 

難を逃れたビートたけし&吉本芸人

 

ビートたけしさんは「火災当日にホテルニュージャパンに宿泊しようとしたが

持ち合わせがなく、やむを得ず新宿在住の高田文夫さんに金を借り、

そのまま新宿プリンスホテルに宿泊して難を逃れた」と明かしています。

 

また、当時吉本興業が東京での定宿としてホテルニュージャパンを利用していましたが、事件の数ヶ月前に6代目桂文枝さんが「廊下が霞がかっていたり、寝つきが悪い」「追加料金を出すから宿を代えてくれ」と頼み、それ以降、吉本は当ホテルを

使わなくなっていました。

 

その後のこの場所は

 

火災後、東京都より営業禁止処分を受け、ホテルは廃業。

横井氏に対し多額の貸付を行っていた千代田生命保険が競売により売却することで資金の回収を図ろうとしましたが、いわくつきのこの土地を購入する投資家は現れず。結局、千代田生命が自己落札して敷地を保有することになりました。

その間、都心のど真ん中で廃墟のまま放置され続けましたが、14年後の1996年、

ようやく建物が解体。

 

その千代田生命も2000年10月に経営破綻し、その後、プルデンシャル生命がこの土地と建設途中のビルを買収。森ビルと共同でオフィスと外国人向け高級賃貸住宅から

成る「プルデンシャルタワー」として再開発し、2002年12月にオープンしました。

 

 

調べていくと矛盾点が出てきましたが、本当は、昨夜upしたのが本当です。

横井さんがトランプ氏に売却しようと提案したのに対して、

千代田生命が難色を示したのが正解です。( 占い師の母から聞きました )

そして、従業員が宿泊客を誘導したのも本当です 照れ おばあちゃん 虹 

 

やっぱり横井さんは、「利益第一主義」でけど、表面上は、豪華な物を置いたり

していましたが内は、従業員や設備には、お金をかけなかったというより、

そうさせられたという方がいいのかもしれませんね。

商才ある人が、消防署の指摘を無視をするようなことはしないと思います 物申す パンチ!パンチ!

 

ホテルニュージャパン火災(1982年)の5年後の1987年2月8日、

( 裁判で争っている間 )聖観世音菩薩を建てられました。伝承内容が

「ホテルニュージャパン火災で亡くなった人のみたまの安からんことを祈る 」

最後まで、気遣いが出来る人だったのが分かりました 照れ おばあちゃん

 

1960年3月22日がホテル・ニュージャパン開業し、1982年2月8日に火災発生。

偶然にも、ミュージシャン福山雅治さんの誕生日2月6日の2日後に火災。

デビューが1990年3月21日の30年前と1日後に開業。この火災時、あの三女が21歳。

 

30年というと、三浦春馬さんが30歳と3カ月に自宅のクローゼットで首を吊って

亡くなっているのを所属事務所アミューズのマネージャーが見つけました ムキー パンチ!パンチ!パンチ! 

 

それにしても、このホテル、いわくつきの物件だったんですね。

2.26事件や力道山が刺殺させたり、最後は火災で・・・。

亡くなられた人達のご冥福をお祈りいたします。

 

 

純ちゃんに嫌な事をしてこないで! 咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、

体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、

体などを痛くしない。 トイレ関係も。脅さないで!  プンプン 爆弾

 

【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!

いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。

禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。

スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、

「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。

 

※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト! プンプン

その技術を使わないで!


 

TV等の撮影でスタッフに付いて行って、ロケや取材等の邪魔をしないで ムキー パンチ!

束縛、嫉妬や執着、妬み、依存を止めて、人に嫌な事をしてこないで パンチ!パンチ!

人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこない。イレ等禁止 プンプンパンチ!パンチ!

思考低下、頭を空っぽにしないで!仕事の邪魔や記憶障害にしない。 目の錯覚、

老眼近視、他人に言われたことを人に言わさない。心の中に持って来ない ムキー爆弾パンチ!

ブログを書いている時邪魔しない!自分で考えて書いて。深夜に連絡してこないパンチ!パンチ!

負けず嫌いも程々に高圧的な態度禁止。口臭も。咳込まさない。毒舌禁止、

散財させないで、調子づかないで、無理強いしないで プンプン パンチ!パンチ!

乗り物関係を運転時は邪魔をしない。中枢神経を触って来ない。頭を重くしないで!

人の感情やパワーを抑えない、唇を痺れさせない。人をコントロールしないで パンチ!

マウントを取って来ない、過保護にしない! 頬を痛くしないで!あの母親のパワーが

胃の付に感じて、あの子が後ろに憑き、あの三女が遠隔でコントロールしてくるの

止めて!あの親子、両依存水晶を使って人を脅さない。個人情報保護法、

プライバシー侵害しない! 日本には言論や表現の自由がある ムキーパンチ!パンチ!パンチ! 

その力、仕事以外に使わないで人の為に使って、決して悪いように使わないで。パンチ!パンチ!

 

全責任は、お母さん達に取ってもらう。 もちろん本人にも取ってもらう!

あの長男、人のPCやスマホに侵入してきて、ハッカーのようにしてこないで パンチ!パンチ!パンチ!むかっ

長女のパワーを使わない! 上記に書いていることは、みんなのことを指す 物申す パンチ!パンチ!パンチ!

 

3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。

アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して パンチ!パンチ!パンチ!

( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )

契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないでムキー爆弾パンチ!パンチ!パンチ!

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート