たまごっちで遊んだ噂や生い立ちは?

 

1997年に起きた「神戸連続児童殺傷事件」が日本中を震撼させてから25年余り。

酒鬼薔薇聖斗母親の異常行動が、酒鬼薔薇聖斗の人格形成に影響を及ぼしていたのではと言われています。

酒鬼薔薇聖斗は手記「絶歌」を、酒鬼薔薇聖斗の母親は手記「『少年A』この子を

生んで」を出版していますが、両作品では生い立ちや家庭環境の記述において

食い違いがありました。

凶行に至った背景を酒鬼薔薇聖斗母親の異常行動とともに読み解いていきます。

凶悪犯罪において加害者家族とその家庭環境について話題に上がることが

多くありますが、酒鬼薔薇聖斗の母親も例外ではありません。

これまでも事件前後の「母親の対応がおかしい」とされる行動が取り上げられてきましたが、手記が出版されたことで、より一層注目されるようになりました。そんな

酒鬼薔薇聖斗母の常軌を逸していると思われる行動を6つを見ていきましょう。

異常な行動 ①異常なまでの厳しい躾

酒鬼薔薇聖斗は、三人兄弟の長男(一歳違いと、三歳違い)で、教育熱心な母親と、

多忙な父親の元に生まれます。

母親は二人の弟たちの世話に追われ、酒鬼薔薇聖斗に対し長男だから弟二人の見本になるように、とかなり厳しく躾けます。排尿や排便、食事、着替え、ほか玩具の

片付けに至るまで、スパルタ教育を施していました。

母親に愛されていないと感じた酒鬼薔薇聖斗は、その不満のはけ口として

弟に殴る蹴るの暴力を振るうようになりました。

それを見た母親が罰として厳しい体罰を加え、「やはり自分は愛されていない」と

再び弟に暴力を振るう。そんな負の連鎖が生まれてしまったようです。

 

異常な行動②息子の問題行動をかばう

母親であれば誰しも自分の子供を信用したい・守りたいという気持ちがあります。

しかし酒鬼薔薇聖斗母親の発言や行動には、自らの責任から逃れようとしている

様子が見られます。

また息子の奇行や問題行動から目をそらそうとしていた様子も垣間見えます。

それは事件発覚後のみならず、酒鬼薔薇聖斗の少年期にまで及んでいました。

「ウチの子はそんなことしません」

母親が厳しい一方で酒鬼薔薇聖斗は祖母から溺愛されて育ちます。

小学校五年生の頃に祖母が亡くなったことをきっかけに、酒鬼薔薇聖斗は異常行動に走りました。ナメクジやカエル・ネコを殺めているのを見かねた近所の人が

母親に注意したところ、「ウチの子はそんなことしません!」と逆上したことが

あるそうです。異常な行動や奇行は親としてきちんと対応すべきですが、

現実から目を背けてしまったのでしょうか。

厳しく躾けていたにも関わらず、正すべきところを間違えているように感じますね。

「きっと寂しかったんやわ」

中学校の入学当初、女子生徒の上履きを酒鬼薔薇聖斗が焼却炉に入れたのが

発覚します。その時、酒鬼薔薇聖斗の母親は「女の子は口がありますからねえ」と、女子生徒が嘘を言っているように答えたようです。少年に暴力を振るっていたことが発覚した時も、「六年生になってから仲の良かった友達とクラスが別々になって、

きっと寂しかったんやわ」と発言したこともあるんだとか。

母親は息子の行動をまるで他人事のように答えた上に、被害者家族に対しての

謝罪は一切しませんでした。

異常な行動③息子の奇行に無関心

厳しい躾をしながら、息子である酒鬼薔薇聖斗が内面に抱える問題を知ろうとは

しませんでした。ナイフや斧を所持していることを知ったときも、ネコの死骸が

軒下にあるのを見つけても、咎めることは無く、凶器となるような物を所持している理由を聞こうともしませんでした。普通の親であれば問いただすはずですが、

酒鬼薔薇聖斗の母親は無関心を貫いています。

異常な行動 ④被害者宅でたまごっち

被害者の少年の遺体がまだ発見されていない頃、近所の人たちや被害者家族が

捜索のために家を空けることになりました。たまたま酒鬼薔薇聖斗の母親が、

被害者宅で連絡係として留守番をすることになったそうです。

懸命な捜索が行われる中、なんと酒鬼薔薇聖斗母親はたまごっちで遊んでいた

いうのです。同じ息子を持つ母親として被害者家族の気持ちに寄り添う心があれば、

到底たまごっちで遊ぶ神経にはなれないでしょう。

異常な行動 ⑤お葬式での無神経な発言

一番目の被害者である女児の葬式でも、酒鬼薔薇聖斗母親の不謹慎な発言が飛び出します。殺害され、無惨にも顔も見られないような状況となってしまった女児の両親に対し、「最後やねんからちゃんと見たり。難儀やなあ」と心ない言葉を投げかけて

います。たまごっちといい葬式での発言といい、まだ事件の犯人が発覚していない段階ではありますが、とても思いやりのある人間が出来る行動と発言とは思えません。

異常な行動 ⑥賠償金「月2万ずつ」発言

酒鬼薔薇聖斗が犯人として逮捕され裁判が進み、被害者家族への1億円を超える

賠償金が確定しました。酒鬼薔薇聖斗の母親は「毎月2万円ずつ払います」と発言し、裁判官に叱責を受けます。

毎月2万円ずつの支払いは、支払い完了までに500年かかる計算です。

加害者家族として罪を償う気持ちが全く感じられないの言葉でした。

母親が出した手記「『少年A』この子を生んで」

事件後の1999年、酒鬼薔薇聖斗の父親と母親は「『少年A』この子を生んで」と

いう手記を出版します。母親の育児日記と両親の手記からなる本です。

本のタイトルは母親がつけたとのこと。

手記の出版に至ったのは、印税を被害者家族の賠償に当てるためでした。

父親の退職金だけでは莫大な賠償金を支払うことは到底できなかったのです。

印税の入る口座は、被害者遺族がチェックできるようになっており、

現在もきちんと賠償が続けられています。

酒鬼薔薇聖斗の母親の事件から現在までとは

手記の出版に尽力した記者の森下香枝さんによると、酒鬼薔薇聖斗の母親は至って

普通だったそうです。報道されているような異常な印象は受けなかったんだとか。

手記には遺族に対する謝罪の気持ちや息子を止められなかった悲痛な思いが

綴られています。母親なりに、一生懸命子育てを頑張ろうとした結果、

愛情が暴走してしまったのかも知れません。

現在年金で暮らしているという酒鬼薔薇聖斗の両親。関西のとある地方都市の

古びたマンションで、今も息子が犯した罪を背負って生きているようです。

          ー 中略 ー

【補足】

6月28日に逮捕されましたが、その日の家宅捜索が終わった後に長年住み続けていた実家を離れ、父親・母親・弟2人は親戚の家を転々とすることになります。

マスコミから姿を隠すために、父親と母親は一時的に離婚しています。

また、父親は仕事にも行けなくなったために、東慎一郎の学資保険を切り崩して生活をしていたそうです。ただ、現在は父親と母親はよりを戻し、一緒に住んでいます。

現在は酒鬼薔薇聖斗と縁を切っている?

関東医療少年院に入っていた酒鬼薔薇聖斗は2005年1月に社会復帰しています。

酒鬼薔薇聖斗が医療少年院を出て以降、母親たちは一度も会っていないようです。

手紙等のやり取りもなく、母親は取材に対し「縁切ったんちゃいます?私らと」

答えました。酒鬼薔薇聖斗の所在は不明で、どこで何をしているのか

一切わからないようです。

母親と酒鬼薔薇聖斗との食い違い

酒鬼薔薇聖斗本人も2015年に手記「絶歌」を出版しています。

幼少期の出来事や、少年院を出て以降の生活について書かれているのですが、

家庭環境の記述にはっきりとした隔たりがありました。むしろ真逆と言ってもいい

ほどですが、なぜこんなにも両者で食い違いが起きてしまったのでしょうか。

母親の言い分「至って平凡な家庭」

酒鬼薔薇聖斗の父親は、「ウチは平凡な家庭やなあ」と普段からこぼしていた

ようです。育児を母親に丸投げすることなく、忙しいながらも子どもたちと

関わりを持ってかわいがっていました。

母親は4年で3人の息子を授かっており、歳が近いためかなり苦労したようです。

ときに「お尻をパーンと叩いてたしなめた」ことはあっても、特別厳しいしつけを

した認識はありませんでした。酒鬼薔薇聖斗母親は息子たちに愛情を注いでおり、

手作りの食事にこだわるなど、とても丁寧に育児をしたといいます。

ただ、それは子供への愛情からではなく、理想の母親を演じていたに過ぎないという見方もできます。几帳面な性格だった母親は、「きっちりとこなす」ことにばかり

気を取られていたのではないでしょうか。

手記の中でも「理想の母親をこなしていた」と述べています。

酒鬼薔薇聖斗の言い分「厳しい母親」

酒鬼薔薇聖斗の言い分は母親と真逆で、「とても厳しかった」というもの。

酒鬼薔薇聖斗は幼少期からテレビ番組や時間や友達との遊びを厳しく管理され、

スパルタ教育と過干渉があったと主張しています。母親は酒鬼薔薇聖斗が1才になり

次男が誕生した頃から、酒鬼薔薇聖斗を突き放すようになってしまったようです。

三男の誕生後は不機嫌なことが増え、酒鬼薔薇聖斗に対し口やかましく、

厳しくなったんだとか。

そのため酒鬼薔薇聖斗は、母親に甘えられず同居していた祖母に甘えていたのです。

小学三年生の時の作文では、母親を「えんまの大王でも手がだせない、まかいの大

ま王です」と書いています。躾として体罰を繰り返す母親を心底恐れていました。

酒鬼薔薇聖斗にとって良い母親ではなかった

酒鬼薔薇聖斗にとって家庭は安らげる場所ではありませんでした。

異常行動に発展するほどの歪んだ母子関係だったのです。

事件後の両親との関わりや少年期の異常行動を見ていきましょう。

酒鬼薔薇聖斗から罵声

両親との面会の場で、酒鬼薔薇聖斗が「帰れ!ブタ野郎!」と両親を

怒鳴りつけていたことが手記の第二章「息子が『酒鬼薔薇聖斗』だと知ったとき」で明かされています両親は息子との面会を求め続けましたが、警察はマスコミを

警戒してなかなか許可を出しませんでした。

酒鬼薔薇聖斗と両親が面会を果たしたのは、1997年9月18日でした。逮捕されたのが6月28日だったため、親子の面会は約3ヶ月ぶりということになります。

あの子は最初、身じろぎもせずこちらに顔を向けたまま、                    ジーッと黙って椅子に腰掛けていました。
しかし、私たちが声をかけたとたん、
「帰れーっ」
「会わないと言ったのに、何で来やがったんや」
火が付いたように怒鳴り出しました。
そして、これまで一度として見せたこともない、           すごい形相で私たちを睨みつけました。

引用元:「『少年A』この子を生んで」

この時点まで、酒鬼薔薇聖斗の両親は息子があの恐ろしい事件を起こした

犯人であるとは納得していませんでした。しかし、酒鬼薔薇聖斗の目は恨みや

抗議を訴えており、「私たちのせいだ」と責任を感じたそうです。

当時14歳の少年が鑑別所に収容され長い取り調べを受けることは相当なストレス

です。長い間、親元を離れるだけでも心細いはずですが、ようやく会えた両親に

「帰れ」という罵声を浴びせるほど会いたくなかったのでしょう。

酒鬼薔薇聖斗はそれほど、両親に不信感を持っていたのです。

酒鬼薔薇聖斗の理想の母親像は祖母

酒鬼薔薇聖斗の祖母と酒鬼薔薇聖斗母親は、育児や教育について度々喧嘩していた

といいます。母親のスパルタ教育をたしなめる祖母と、頑として譲らない母親。

幼い酒鬼薔薇聖斗にとって、祖母の存在だけが頼りだったのは間違いありません。

祖母が亡くなったことで酒鬼薔薇聖斗の心のタガは外れてしまいます。

祖母の愛用していた、按摩(あんま)器で自慰を行うことを「冒涜の儀式」と

名付け、どこか近親相姦を思わせる異常行動も見られました。

酒鬼薔薇聖斗の描く深層心理

 

酒鬼薔薇聖斗は過去ホームページを開設しており( 現在は閉鎖されており

見られません )、異常性を感じられる絵を投稿していました。

酒鬼薔薇聖斗本人を描いたと思われる悲しげな顔をした少年の周りに、

「学校へ行きなさい」「殺すぞ」「くず」という殴り書きをしています。

ほかナメクジに関する絵も複数見られ、虐殺していたナメクジと、

家庭の中で心が死んでいた自分をどこか重ね合わせていたのでしょうか。

母親からのゆがんだ愛情表現

酒鬼薔薇聖斗に対しての「立派な子になってほしい」という願いが、

母親の歪んだ愛情に変化したと考えられます。

幼少期の環境がその後の人格形成に大きく関わってくるという仮説が、凶悪犯罪が

起きた背景・加害者を語る上で現在も取り沙汰されるようになりました。

2006年に起きた秋葉原通り魔殺人事件の犯人も幼少期に虐待レベルのスパルタ教育を受けていました。全てに因果関係があるとは言えません。しかし凶悪犯罪が起こる

のを未然に防げるよう、もし身近に不穏な家庭環境に置かれた当事者を見つけた

ときには、周りが救いの手を差し伸べることが出来る世の中になることを願います。

酒鬼薔薇聖斗の母親にも異常行動が見られた

酒鬼薔薇聖斗の母親に愛情がなかったとは言えません。

母親なりに、子どもを思う気持ちから躾をがんばったのではないでしょうか。

母親にとってはそれが普通なことであり、特別厳しいという認識はなかった

ようです。しかし酒鬼薔薇聖斗本人との感じ方には大きな隔たりがあったようで、

異常行動に転じてしまいました。

今も賠償を続ける酒鬼薔薇聖斗の両親。

一生懸命子育てをしていただけなのに、という戸惑いの声もあるようです。

 

 

元少年Aの『家族』~普通の父と厳格な母、

2人の弟…事件の引き金は祖母の旅立ち

 

「少年A」と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは、神戸連続児童殺傷事件の

犯人・元少年Aではないでしょうか。

今回は、神戸事件の元少年Aの『 家族 』にスポットを当て、

事件を違う視点から見ていきたいと思います。

◆普通の父親

元少年Aから、よほど酷い子育てをしたのだろうと想像されますが、

実際は違います。無口ですが、思春期の息子に目配りをし、節目節目にはきちんと

息子に助言や声掛けを行うような、子煩悩の父親でした。[1]

父親は昔から泣かない人で、Aが逮捕されて面会した時も、父親はきつく唇を閉じ、じっと何かを耐えているように見えたそうです。

 

2004年7月、少年院を仮退院した元少年Aは、父親と山奥のコテージで、

 

二日間共に過ごす機会が与えられました。

父親は、Aに「一緒に暮らさへんか?」と問いかけます。

それに対し、Aは、以下のように返答しました。

もし一緒に生活している時に、ニュースなどで自身の事件が      報道された時、みんなの表情が凍りつく事に耐える自信がないから、  少し離れたところから見守ってほしい

そして、Aは、事件後初めて父親に謝罪しました。

幸せな5人家族やったのに、自分が生まれてきたせいで、       こんな事になってしまった。父さんの息子で、本当にごめん。

父親は、声を殺して泣き始めました。

この日が、元少年Aが父親と会った、最後の日となりました。

◆厳格な母親

元少年Aの母親は、長男に当たるAの誕生を親戚ともども大喜びし、

離乳食をすべて手製にするなど、丁寧に子育てをしました。[2]

ただ、Aが1才になり次男が誕生した頃から、母親には余裕がなくなり、

彼を突き放すように育てたといいます。また、母親は几帳面な性格で、Aが幼児期

より、食後の食器の下げ方や敬語の使い方など、かなり厳格に教育してきました。

さらに三男が生まれてからは、睡眠不足もあって、Aにとって母親は

「いつもイラついて」いる人でした。

元少年Aの欲求不満の「はけ口」は弟に向かい、兄弟喧嘩になると

母親はAに体罰を加え、Aは母親を恐れるようになっていきます。

母親はAにとって、安心を与えてくれる「安全基地」ではなかったのです。

 

image

 

元少年Aが事件を起こし、精神鑑定が始まって1ヶ月がたったころ、

突然母親と父親が面会に来たことがありました。

母親と父親は、犯罪者に成り下がったAに対して、いつもと変わらず

優しい言葉を投げかけてくれます。しかし、Aは、

ブタ野郎!カエレッ

と、母親に向かって大きな声で叫びました。両親が帰ってから、元少年Aは後悔し、3日後、再び母親と面会をする事になります。そして、元少年Aは母親に謝罪し、

母親も本音をぶつけてくれた息子の態度に嬉しさの感情を抱いていました。

元少年Aは母親から愛され、そしてAは、今でも母親が好きだと言っています。

◆事件の引き金は祖母の旅立ち

元少年Aの話で出てくる祖母は、同居していた奄美出身の祖母です。[3]

奄美出身なので、おそらく父方の祖母なのでしょう。

そりが合わなかったのか、母親と祖母は、

「Aに厳しすぎる」「子どもの育児に口出しするな」

というケンカを、よくしていたそうです。

祖母は元少年Aにとって、両親以上の存在で、この世で一番愛する存在でした。

学校で目立たない存在で、孤立していたAを、全て受け入れ、優しく包み込んで

くれたのが祖母だったのです。そんな祖母ですが、元少年Aが小学4年生の終わりの時期に、体調を悪くし入院。小学5年生になる頃、亡くなってしまいました。

祖母がいなくなったことで、元少年Aの心は、絶望の海へと漂流をはじめ、

興味の対象はナメクジから蛙、ネコ、人へと移っていきました。

奇しくも最愛の祖母の死が、事件を起こす引き金となってしまったのです。

◆2人の弟

元少年Aには年子の弟が2人います。[4]

幼少期は、毎日のように玩具の取り合いで、弟二人と喧嘩をしていました。

弟二人も結束してAに対抗するので、必ずしもAが悪い訳ではありませんでしたが、下が泣くので必然的に兄のAが叱られていました。

しかし、元少年Aが事件を起こし、少年院へ弟二人が面会に来たときは、

事件を起こしたことに対する、切なる謝罪の気持ちを伝えています。

また、Aが溶接工の会社に入社し、カタコトの日本語を操る中国人の後輩が

出来たときは、「弟に似ている」と可愛がりました。

弟は兄に対し、

「どんなことがあっても大事な兄貴!」「恨んでない」

ポジティブな言葉を送っています。

◆まとめ

これまで見てきた通り、元少年Aの家族は、特別にひどい訳でも、

破たんしているわけでもありません。

むしろ、Aの父親が言っていた

うちは金持ちやないけど、貧乏でもない。ほんま、平凡やなあ

という言葉通りの家庭でした。

しかし、そんな平凡な家庭でも、元少年Aという特大級の「悪魔」が

育っていったところに、この事件の恐ろしさはあります。

私たち人間の心の中には、人間の数だけ「悪魔」が潜んでいることを、

肝に銘じなければなりません。

◇脚注

  1. 東洋経済 2015年6月27日 「絶歌」元少年Aの犯罪、原因は母親にあった?
  2. プレジデント 2019年8月7日 「少年A」を産んだ母親の悲しすぎる思い
  3. 週刊現代 2015年6月23日 神戸連続児童殺傷事件から18年、手記を発表  あの酒鬼薔薇聖斗はここで生きている
  4. プレジデント 2019年8月9日 「少年A」の家族を22年間、支え続けた男がいた

 

上記を読むと、お互いの認識が違うのが分かりました。

母親は、几帳面で厳格な人でしつけにも厳しく、喧嘩もお兄ちゃん(元少年A)に

凄く怒ったので恐れられていた。両親は、元少年Aのことを見て見ぬふりをしていた。

それでも、少年院に面会に行くとお互いに本音を言えてわだかまりもないと思って

いたんですが、この事件で、被害者も加害者家族の人生が180度変わりました 物申すパンチ!パンチ!

 

よく”三つ子の魂100まで”と言いますが、3つまでに、その子の性格というか根性が

決まるので、この年までに、しつけも厳しく、愛情もそれ以上に注がないと

変に性格や根性が曲がってしまうので、気をつけたいですね 汗うさぎ おばあちゃん 虹

 

 

純ちゃんに嫌な事をしてこないで! 咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、

体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、

体などを痛くしない。 トイレ関係も。脅さないで!  プンプン 爆弾

 

【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!

いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。

禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。

スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、

「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。

 

※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト! プンプン

その技術を使わないで!

 

TV等の撮影でスタッフに付いて行って、ロケや取材等の邪魔をしないで ムキー パンチ!パンチ!

束縛、嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて パンチ!パンチ!パンチ!

人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこないで。 トイレ関係 プンプン パンチ!パンチ!

思考低下、頭を空っぽにしないで!仕事の邪魔や記憶障害にしない。 目の錯覚、

老眼近視、他人に言われたことを人に言わさない。心の中に持って来ない ムキー爆弾パンチ!

ブログを書いている時邪魔しない!自分で考えて書いて。深夜に連絡してこないパンチ!パンチ!

負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、高圧的な態度禁止。

口臭も。咳込まさない。毒舌禁止、散財させないで、調子づかないで プンプン パンチ!パンチ!

乗り物関係を運転時は邪魔をしない。中枢神経を触って来ない。頭を重くしないで!

人の感情やパワーを抑えない、唇を痺れさせない。人をコントロールしないで パンチ!

マウントを取って来ない、過保護にしない! 頬を痛くしないで!あの親子、両依存

水晶を使って人を脅さない。個人情報保護法、プライバシー侵害しない! ムキーパンチ!パンチ!パンチ!

その力、仕事以外に使わない   人の為に使って、決して悪いように使わないで。

日本には言論や表現の自由がある( 自分達に嫌な事を言われていると思って

咳込まさない、自意識過剰、被害者意識が酷い ) ムキー パンチ!パンチ!パンチ!

全責任は、お母さん達に取ってもらう。 もちろん本人にも取ってもらう!

長女のパワーを使わない! 上記に書いていることは、みんなのことを指す 物申す パンチ!パンチ!パンチ!

 

3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。

アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して パンチ!パンチ!パンチ!

( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )

契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないでムキー爆弾パンチ!パンチ!パンチ!

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート