2021年9月28日 06時00分 東京新聞

 

 数々の金字塔を打ち立てた横綱も、最後はけがに勝てなかった。

全勝優勝を果たした名古屋場所での土俵下でのインタビュー。「右膝がもうぼろぼろで言うことを聞かなかったので、この一番(千秋楽の照ノ富士戦)ですべて懸けようと思って気合入れてやりました」。結果的に、その一番が最後の土俵となる。

 

名古屋場所千秋楽、小手投げで照ノ富士㊦を下し雄たけびを上げる白鵬=7月18日、ドルフィンズアリーナで名古屋場所千秋楽、小手投げで照ノ富士㊦を下し雄たけびを上げる白鵬=7月18日、ドルフィンズアリーナで

 

 関係者は「名古屋場所の時点で、引退すると決めていたようだ」と明かす。

ただ、全勝優勝したことで決意が揺らいだ可能性もある。

続く9月の秋場所は、所属する宮城野部屋の力士にコロナ感染者が出たため全休。

名古屋場所千秋楽から2カ月余り。熟考の上での決断なのだろう。

 

 組んで良し、離れて良し。四つ相撲でも押し相撲でも対応し、無類の強さを発揮

した白鵬。基本は右四つ。鋭い立ち合いの踏み込みで、左の前まわしを奪い、右も

差して組み止め、相手に何もさせずに寄り切る。全盛期の白鵬の理想の型だった。

年を重ね、体のあちこちに細かいけがも増え、理想の相撲が取れなくなってきた。

たびたび批判されたひじうちのようなかち上げ、荒っぽい張り手、猫だましなどは、立ち合いで思い通り踏み込んでまわしが奪えなくなったことの裏返しだった。

いうまでもなく、鋭い踏み込みを支えていたのは強靱きょうじんな下半身。右膝が万全でない

以上、15日間相撲を取り、横綱として責任を果たせないと判断したようだ。

横綱という地位は陥落することなく、勝てなくなったら引退しか道はない。進退を

懸けた名古屋場所では「本当に肉体的にも精神的にも追い込まれた状態」だったという。照ノ富士という新たな横綱と闘っていく気力も生まれなかったのかもしれない。(平松功嗣)

 

「横綱としての理想の一つ」白鵬の引退を惜しむ声相次ぐ「何やっても揚げ足…可哀想」SUGIZOもねぎらう

2021年9月27日 20時32分   中日スポーツ  

 

白鵬

 大相撲で史上最多の優勝45回を誇る第69代横綱白鵬(36)=本名白鵬翔、

モンゴル出身、宮城野部屋=が27日、現役引退する意向を日本相撲協会に

伝えたことを受け、SNS上では惜しむ声が相次いだ。

 

 事実上の一強時代を築いた白鵬。ギタリストのSUGIZO(52)は自身のツイッターに白鵬との写真を添え、「とても寂しいけれど、最後に全勝優勝で有終の美を飾る

とは、あまりにカッコ良すぎです。歴史に残る本当に多くの快挙を成し遂げてきた、まさに平成の大横綱。大リスペクト。69代横綱(Rock!!)白鵬関、20年間

お疲れ様でした!」とねぎらいのコメント。

 

 また、ネット上では「大きな時代が終わるね。お疲れ様でした」「2000勝、70優勝ぐらいは余裕でいくと思ってたのに。相撲界が大変な時期に支えてくれてありがとう」などの声が相次ぎ、「結局、白鵬が強いままでの引退」「あれだけ勝ちに拘り続けて実際に勝ち続けた姿は横綱としての理想の一つだと思ってます」との声もあった

一方、素行や品格で批判を受けることも多かっただけに「数々の記録は残るが品格のない横綱として記憶もしばらく残る」「ヒールイメージが強すぎて驚きや感慨が

ない」「何やっても揚げ足取りみたいに叩かれて可哀想だった」などと最後まで

注目を浴びていた。

 

 

元横綱白鵬が引退会見「横綱相撲を目指したことも

ありましたが期待に応えることができなかったのかも」

2021年10月1日 21時04分   

引退の記者会見をする元横綱白鵬(代表撮影) 

引退の記者会見をする元横綱白鵬(代表撮影)

 

 大相撲秋場所限りで現役を引退した元横綱白鵬の間垣親方(36)=宮城野=が

1日、東京・両国国技館で引退会見に臨んだ。引退を決意したのは初日から負けなしで10連勝を決めた名古屋場所10日目と明かし、21年前に相撲界へ導いてくれた

師匠の宮城野親方(元幕内竹葉山)への思いを聞かれると、「感謝しています」と

声を絞り出して涙をこらえた。

 

 国技館の大広間に拍手で迎え入れられた間垣親方は、言葉を選びながら

引退の決断に至った経緯を語り始めた。「名古屋場所中の10日目に決めました。

去年の8月に手術しまして、コロナ感染もあり3月に再び右膝を手術し、進退を

かける場所、最後の場所も膝もいうことをきかなくなり、そしてこの場所は10勝、

2桁勝利が目標でありました。初日に必死の相撲で勝ち、一番一番、決して簡単な

取組はなかったと思います。そして10勝の目標を達成したとき宿舎に戻り、

親方をはじめ裏方のみなさんに今場所で引退させていただきますと伝えました」

 

 間垣襲名が認められた理事会で、言動に注意する内容の誓約書を提出した。

そのことがあったからか、手元に準備した数枚の紙に視線を落としながら

答える場面もあったが、素直な心境がストレートに伝わってきた。

師匠との出会いを聞かれると感情が込み上げてきた。モンゴルへのチケット、

家族へもお土産も用意していた帰国前日の2000年12月23日。ギリギリで部屋へ

迎え入れてくれた。しばらくうつむき、「師匠が声をかけてくれて今がある。この

場を借りて師匠に感謝したいと思います…」。そう答えると必死で涙をこらえた。

 

 手荒い相撲内容が横審の批判を浴びた。「土俵の上では手を抜くことなく、

鬼になって勝ちにいくことこそが横綱相撲と考えていました」。それでも、悩まな

かったと言ったらうそになる。「その一方で、横審をはじめ周りのみなさんの横綱

相撲を目指したこともありましたが、最終的にその期待に応えることができなかったのかもしれません。横審の先生方の言葉通り、直したい時期もありましたし、それを守った場所もあったと思います。だけどまた、度重なるけががあり理想とする相撲ができなくなったことは反省していますし残念に思っています」と正直に打ち明けた。

今後は「宮城野親方のように、優しさと弟子思いの親方になっていきたい」。

育てていく弟子たちにも「人に優しく自分に厳しく、義理と人情を持った力士に

育ってもらいたい」。この言葉こそ今までの自分自身の姿を現していると感じた。

 

 

「白鵬は間違っていなかった」 元横綱・稀勢の里の

荒磯親方がインタビューで明かした思い

飯塚さき スポーツライター    

 

 写真:日刊スポーツ/アフロ
 

 去る10月1日、横綱・白鵬が引退会見を行った。数々の大記録を打ち立て、

まさに病める日も健やかなる日も、角界を双肩で支え続けてきた白鵬。

かつて、その大きな背中を追いかけていた一人が、同じく元横綱・稀勢の里の

荒磯親方である。白鵬の引退を受け、現在の率直な思いを伺った。

 

「白鵬がいなかったら、あの体験はできなかった」

 

――一時代を築いた横綱が引退されるというのは、荒磯親方にとって、

率直にいかがですか。

「誰にでも終わりはあります。自分にとってはもちろん、相撲界にとっても、偉大な横綱がいなくなるのは非常に残念ですね。世代交代と言われながらも、最後は全勝優勝して、若手に弱い姿を見せずに引退するという引き際の素晴らしさも、白鵬関らしいなと思います。彼のやってきたことは、やっぱり間違っていなかったんですよね」

 

――白鵬関とはたくさんの思い出があると思います。振り返ってみていかがですか。

「本当に、思い出はたくさんあります。自分は、現役を引退して2年半以上経ち

ますが、つい一昨日のことのような、いまも鮮明に脳裏に浮かぶ出来事ばかりです」

 

――特に印象に残っている場面は。

「館内の歓声です。本当に忘れられないくらい、白鵬関のときは、ものすごい

ものでした。あれは、2013年の夏場所だったかな。自分はまだ大関でね。

初日から13連勝して、14日目に白鵬関と当たったんです。その一番は、初めて声援で皮膚がつぶされるような、それくらいの声の “圧” を感じました。自分は、新横綱で

優勝したこともありましたが、あのときの国技館の歓声に勝るものはなかった。

つまり、白鵬関がいなかったら、あの体験はできなかったんです」

 

写真:日刊スポーツ/アフロ

 写真:日刊スポーツ/アフロ

 

――白鵬関は引退会見で、親方が連勝を63で止めたことを

記憶に残る一番に挙げていました。

 

「いやあ、名前を出していただいて、本当にうれしいです。一生懸命相撲を取っていて良かったなと思う瞬間でした。しかし、まず63連勝した白鵬関がすごいですよね。15連勝するだけですごいのに、それを63連勝なんて…同じ力士として考えにくい。

もう、あの記録に近づく力士は当分出ないんじゃないでしょうか。白鵬関のおかげで、歴史的な相撲を取れてよかったと思います。あの一番があったからこそ、

自分は大関に上がるきっかけをつかみ、横綱にも上がることができました。

もしあの一番がなかったら、いまの自分はいません

 

――白鵬関は大きな壁として親方に立ちはだかりました。

「目の前にいる強い横綱を倒さないと横綱にはなれないんだという気持ちでした。

一生懸命稽古して力をつけないと、白鵬関とは戦えないと思い、大きな目標にして

いたんです。初優勝して横綱昇進を決めた、2017年初場所の千秋楽は、前日に優勝が決まっていましたが、白鵬関を倒さないと横綱になる価値はないという気持ちで

立ち向かいました。本来であれば、優勝が決まった14日目に鯛を持ってお祝いをするはずだったんですが、“まだ明日もあるので、千秋楽が終わってからにさせて下さい” と、当時の師匠の田子ノ浦親方にお願いしたんです。

それくらい、千秋楽の白鵬戦にかける強い思いがありました

 

――白鵬関とは計61回もの対戦がありました。結果は、白鵬関の45勝16敗。

「トリプルスコアくらいつけられてるよね(笑)。でも、負けて悔しかった分だけ

強くなってきましたよ。地位こそ同じ “横綱” でしたが、白鵬関と自分とでは、

記録から何もかもまでがまったく違います。鶴竜関含め、いまは同世代がみんな親方になっていて、白鵬関もこれから自分の部屋を持つと思いますから、いろんな意見を交換しながら、また一緒に相撲界を盛り上げて、強い力士を育てていきたいですね。これからは、いままで現役だったからこそ言えなかった話をしてみたいです

 

荒磯親方の考える「横綱の品格」とは

――親方の土俵人生のキーポイントには、照ノ富士関もいます。いまの活躍を

見ていかがですか。

「照ノ富士関は、ほぼ優勝間違いなしといわれていた2017年春場所で、新横綱で

ケガをしていた自分に負けているんですよね。当時は言葉も交わしませんでしたが、ものすごく悔しい思いをしたはずです。そこからさらに序二段にまで落ちたわけですから、想像を絶するほど何度も悔しさを経験したのでしょう。だから強いんです。

まさに、流した涙の分だけ強くなっていく。自分は、勝てなくなったから引退しただけで、何もいいところはないですよ。照ノ富士関は、復活して横綱にまで上がって、本当に胸打たれるような軌跡です

 

写真:日刊スポーツ/アフロ

 写真:日刊スポーツ/アフロ

 

――照ノ富士関は何が変わったのでしょうか。

「最初に大関に上がった時と今の顔つきが別人になっているんです。経験などが

すべて染みわたると、人間ってあんな風に悟りを開いて落ち着いた顔になってくる

のかと思うと、成長ってすごいなと思います。本当に強い横綱になりました。

『 あきらめたら試合終了 』って、スラムダンクでそんな言葉がありますが、

本当にそうだなと思います。照ノ富士関は決してあきらめずに歩み続け、

日々成長し、本当に素晴らしいと思います」

 

――照ノ富士関はいま、横綱の品格を模索しています。親方にとっての品格とは

どんなものでしたか。

「『 平常心 』。ただそれだけでした。横綱がやれば、それは横綱土俵入りだと

いわれるのと同じで、横綱が『 これが品格だ 』といえばそれが品格であり、

定義はないんです。朝青龍関は『 品格は強さだ 』と言っていましたが、

それはそれで朝青龍関らしくていい。いろんな横綱がいていいんだと思います。

照ノ富士関は、いま改めて品格について考えるというより、いろんな経験があって

ここまできているので、すでに横綱になる準備ができていたのではないでしょうか。

もう十分に品格はあると思いますよ」

 

――「平常心」をどのように保っていたのでしょうか。

「自分自身でコントロールするのは非常に難しいことです。だからこそ『 心技体 』で “心” が一番先に来るのかなと思います。よく、積み重ねが大事だといいますが、

逆に積み減らしていくのも大切だということを、いろんな人から聞きました。積み

上げてばかりだと、心の容量が満タンになって、余裕がなくなってしまうからです。現役時代の自分は、まさにそんな感じだったので、勝った時こそ気持ちを切り替えるという意識をもっていました。勝負師は、負けたら気持ちを切り替えることが

多いと思いますが、勝っても負けても切り替えて、心をゼロに戻す。

何事も、引き算が大事なんです

 

プロフィール

荒磯 寛(あらいそ・ゆたか)

1986年7月3日生まれ、茨城県牛久市出身。第72代横綱・元稀勢の里。

本名は萩原寛。中学卒業後の2002年に鳴戸部屋に入門し、3月場所に初土俵を踏む。入門からわずか2年で新十両昇進を果たすと、その3場所後には新入幕。大関昇進前は、合計9回の三賞を受賞。17年1月場所で念願の初優勝を果たし、その後横綱に

昇進。2年後の19年1月場所で惜しまれながら引退し、年寄「荒磯」を襲名。

今年8月1日付で田子ノ浦部屋から独立し、荒磯部屋を興した。

 

 

元横綱・白鵬「もう、ごまかしは利かない」引退を決意した一番。現役最後の千秋楽の朝に稽古場で見た縁起の良い

「勝ち虫」とは?   宮城野親方(元横綱・白鵬)  

【元横綱白鵬・宮城野親方のTHE CHANGE】インタビュー#4

 

 元横綱白鵬。通算1187勝、史上最多45回の優勝、2010年には63連勝を記録する

など、記憶にも記録にも残る名横綱だ。15歳でモンゴルから来日し、宮城野部屋へ

入門。2001年3月場所で初土俵、それから6年で横綱に昇進し第69代横綱を襲名。

2021年9月場所で現役を引退し、13代目宮城野を襲名した。都内にある宮城野部屋で20年の土俵人生で経験した「CHANGE」を聞いた。【第4回/全4回】

宮城野親方(元横綱・白鵬)

 

「もう限界なのかもしれないな……」「勝つ」ことにこだわり続けた白鵬は、

もがき苦しんでいた。そんな白鵬に声をかけた人物がいた。

「昨年12月に亡くなられた錣山親方(元関脇・寺尾)が、“横綱、力士は32歳からだよ”とおっしゃったんです。親方は39歳まで現役を務められて、30歳前後の時に負傷などで悩んだそうですが、32歳からまた新しい相撲の道が見えてきたのだそうです

17年夏場所で復活の狼煙を上げる38回目の優勝。

翌名古屋場所でV39、九州場所では節目のV40まで優勝回数を伸ばした。

 

 20年秋場所から3場所連続の休場、21年春場所で出場を果たすも、

2日目の相撲で負傷し、無念の途中休場。白鵬はここで大きな決断をする。

数多く抱える負傷の中で、特にネックとなっている右ヒザの手術に踏み切ったのだ。
「もう一度ヒザを痛めたら、人工関節を入れなければならない」と医師に

告げられた白鵬は、再び土俵に上がるためにイチかバチかの賭けに出た。

進退を賭けた名古屋場所

 手術から数日後には、リハビリを開始。休場した5月の夏場所中には、

入院中の病院の屋上で四股を踏めるまでになった。

「力士になってから、2か月間も四股を踏めないことはなかったので、四股を踏めた

時はうれしかったですね。四股などの基本運動はできていたけれど、相撲を取る

稽古は6月中旬まで控えるように言われていたんです。

“焦っちゃいけない” “焦っちゃいけない” と自分に言い聞かせていました。


 ようやく、宮城野部屋の土俵で相撲を取れるようになった時は、(部屋の)

三段目の力士にも負けていたくらいだったんですよ(笑)。

右ヒザに負担を掛けない立ち合いを研究して、“これなら行ける!”と確信。

名古屋場所出場のために、愛知県に乗り込んだのです」

進退を賭けた名古屋場所初日は、小結・明生戦。

「久しぶりの本場所。“待ってました!” とばかりに、テンションは上がりました。

うれしかったんですが、愛知県体育館の空気がちょっと違う。
花道から土俵に向かう時に、いつもよりお客様からの拍手が多いんですよ。

同情の拍手だと思いました。かつて、大横綱・北の湖(のち北の湖理事長)さんは、

“横綱が(観客らに)応援されたら、終わり(引退の時期)だ” とおっしゃって

いましたが、その微妙な空気の中で、私の心にスイッチが入りました。

“ここで終わってたまるか!” ってね」

 

 明生戦、辛くも白星に結びつけた白鵬は、2日目、遠藤を上手出し投げで仕留め、3日目も大栄翔にすくい投げで勝利。4日目は、このところ、力を付けてきている隆の勝との対戦となった。なりふり構わず張り手を繰り出したものの、隆の勝に土俵際まで追い込まれ、紙一重のところで、突き落としが決まって、白鵬は白星を拾った。

「隆の勝との相撲で、力の限界に気付かされました。もう、ごまかしは利かない。

現役引退を決めたのは、この一番です」

それでも5日目、逸ノ城に快勝すると、白鵬はこれまでのペースを取り戻していく。

「力士は勝っていくと、欲が出るものなんですよ。出場する限り、私はまずは10番(10勝)を目指すのですが、とにかく10日目まではがんばろうと思ったんです。

10日目、隠岐の海との対戦に勝って、目標を達成した後、私は師匠、部屋のみんなに自分の決意を話すことにしたのです」

 トヨタスポーツセンター内の宿舎に戻ってきた白鵬は、夜のチャンコを前に

部屋の力士たちを集めた。「みんなにはいろいろとお世話になりましたが、

今場所限りで最後の場所にしようと思っています」呆然とする者、涙をこらえる者、白鵬という存在は、「宮城野部屋」そのものだっただけに、衝撃は大きかった。

現役最後の千秋楽の朝に見た『勝ち虫』

 14日目は大関・正代戦。当たりの強い正代に真正面から攻めていく力は、

今は持ち合わせていない。前夜は考え込むあまり、入眠剤の力を借りて、ほんの

数時間だけ眠ったという白鵬の「作戦」は、立ち合い、仕切り線よりはるか

後ろの俵の前まで下がって、正代の衝撃を軽減するというものだった。

「『もう、これしかない』と思っていました。10日目が終わった時、優勝こそが

私にとっての生きる道だと悟って、最後の2日間は腹をくくって行きました」

 千秋楽の朝のこと。
 現役最後の朝稽古に向けて準備をしていた白鵬は、稽古場を飛ぶものを見つける。

「 黒いトンボ( ハグロトンボ )が稽古場に迷い込んで来たんです。

トンボは前にしか飛ばないから、『 勝ち虫 』と言われて、相撲界では縁起が

いいものとされているんです。最後の相撲を前になんて運がいいのだろうと…… 」

現役横綱から親方へ、まさに人生の転機に表れたハグロトンボ。
こうして最後の土俵に臨んだ白鵬は、土俵に上がる際、土俵に額をつけた。

「土俵との別れを惜しむ、というよりも、感謝の気持ちでした。最後となると、

穏やかな気持ちになるもので、この日は、( 角聖・双葉山関も目指した )『 木鶏 』

になった日でした。長い土俵人生の中で、初めて緊張しなかったんじゃないかな?」

 

 東京から、妻、4人の子どもたちが駆けつけた前で、鮮やかに45回目の

優勝を飾った白鵬は、この日、静かに土俵を去った。

「東京オリンピックまで現役を続ける」とは、父との約束だった。
その約束を守った白鵬は、秋場所後、引退届けを提出。

間垣親方として、後進の指導に当たることになった。

 

 22年には、宮城野部屋を継承。宮城野部屋の師匠として弟子の育成、

スカウトに忙しい日々を送っている。

2月12日には、14回目となる少年相撲大会「白鵬杯」が両国国技館でおこなわれる。日本のみならず、世界各国から選手が集まるこの大会は、「相撲を多くの子どもたちに広めたい」という白鵬の強い思いから始まったものだ。今では、幕内・阿武咲など「白鵬杯」を経て、関取に昇進した力士も増えてきた。

「相撲を愛する人間の一人として、これからも世界中の人たちに、相撲の魅力を

伝えて行きたい。相撲が縁となり、いろいろな輪が広がっていけばいいですね」

取材・文/武田葉月

 

 

■宮城野 翔(みやぎの・しょう)
本名:白鵬 翔(はくほう・しょう)1985年3月11日 モンゴル ウランバートル

 

出身。第69代横綱。2010年初場所から63連勝を記録するなど輝かしい戦績を残す。2021年に現役引退。2019年に日本国籍を取得し、現在は年寄・宮城野。生涯戦歴 1187勝247敗253休。受賞歴 優勝45回/殊勲賞3回/敢闘賞1回/技能賞2回

 

 

元横綱白鵬が引退相撲で涙 宮城野親方、まげに別れ

 

   断髪式で、元横綱・白鵬の宮城野親方に一礼する元横綱・日馬富士

   ( 28日、両国国技館 )=代表撮影

 

大相撲で史上最多の優勝45度を記録し、2021年9月に現役引退した元横綱白鵬の

宮城野親方(37)=本名白鵬翔、モンゴル出身、宮城野部屋=の引退相撲が28日、

東京・両国国技館で開かれ、断髪式では二所ノ関親方( 元横綱稀勢の里 )

現役時代にしのぎを削った親方衆の他、森喜朗元首相やトヨタ自動車の

豊田章男社長ら約280人がはさみを入れた。

同じモンゴル出身で元横綱日馬富士のダワーニャム・ビャンバドルジ氏 がはさみを

入れた際には涙を拭った。現役時代の師匠、間垣親方(元幕内竹葉山)が大銀杏

(おおいちょう)に最後のはさみ。「体の一部がなくなった寂しさがある。( 断髪中は )気持ちの整理がつかず、浮き沈みがあって大変だった」と心境を吐露した。

最後の不知火型の土俵入りも披露。太刀持ちに初場所優勝者として大関貴景勝を、

露払いには「同じモンゴル出身で、叔父さん(元横綱朝青龍)との縁もある」との

理由で関脇豊昇龍を従えた。

宮城野親方は07年夏場所後に第69代横綱に昇進。通算1187勝など数々の史上

1位記録を樹立した。昨年7月に部屋を継承し、師匠として後進を指導している。

断髪式後は土俵に額をつけ「横綱、大関を一日でも早く育て、

再びこの土俵に帰ってくる約束。そして感謝の気持ち」と語った。〔共同〕

 

 

尾車親方の“電撃退職” で “元横綱・白鵬”宮城野親方の早期

復帰が浮上  稽古まわし姿で土俵に立ち続けるその心中は

配信   週刊ポスト

 

 横綱、大関が初日から総崩れで大荒れの5月場所。

そのウラで、八角理事長( 元横綱・北勝海 )を支えてきた

重鎮の退職により、相撲協会内部にも “嵐” が到来している。

 

 元横綱・白鵬の宮城野親方の窮地が続いている。弟子の暴力問題で部屋の

当面閉鎖が決まり、20人の所属力士とともに伊勢ヶ濱部屋へ転籍となった。 

「旧・宮城野部屋の力士たちが気懸かりな状況です。転籍時点で1人が引退し、

残り19人が番付表に載っているが、10人が今場所を休場。古参力士を含めて

多くが引退の意向とされます。伯桜鵬や天照鵬、3月場所で初土俵を踏んだ

力士たちは続けるが、この先も1人、2人と欠けていくのではないか」(担当記者)  

部屋の復活となると、「5年、10年先といったスパンになる可能性もある」

(若手親方)という困難な道のりとされてきた。ただ、ここにきて状況が大きく

変わる動きが表面化した。5月11日、67歳の尾車親方( 元大関・琴風 )の退職が

発表されたのだ。再雇用の参与として70歳まで相撲協会に残れたはずだが、

3年を残して退くことになった。ある部屋付きの中堅親方は「宮城野親方への厳罰を

先頭に立って進めてきたのが尾車親方。この退職で、宮城野の今後の処遇に影響が

出る可能性もある」と話すのだ。

「北の富士さんのように…」

 尾車親方の突然の退職発表をめぐっては、様々な情報が飛び交っている。 

「表向きは『尾車』の年寄名跡を佐渡ヶ嶽部屋に戻すという理由になっている。

同部屋では8年守り続けた関取の座を先場所で失った琴恵光がいる。

今場所は初日から休場。場所後に引退して『尾車』を継承するとみられています。

そのための退職だというのですが……」(前出・担当記者)

 

 尾車親方は2012年から5期10年にわたり協会理事を務め、八角執行部ではナンバー2の事業部長も経験。定年後も影響力は大きいとされてきただけに、衝撃が広がって

いる。前出の中堅親方が言う。「宮城野親方を徹底的に厳しく処分しようと動いた

のが尾車親方と今春から協会ナンバー2となった春日野親方(元関脇・栃乃和歌)。

宮城野親方がスタンドプレーで世論を味方にして、理事、理事長へと出世を目論んでいることに警戒心があった。特に尾車親方は日本出身横綱の理事長にこだわり、最終的には同じ一門の二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)を理事長にもっていきたい。

本当は、同世代のライバルにあたる宮城野親方を、数年前の貴乃花親方のように

退職まで追い込みたかったと言われているほどです」 その尾車親方が協会を去れば

宮城野部屋の早期復活の芽が出そうだが、話はそう単純でもない。尾車親方は相撲界を完全には離れず、スポーツ報知の専属評論家としての連載も改題されて続く。 

「さらに、NHK中継の専属解説者に転じる可能性も浮上している。現在の専属解説者である北の富士さんは体調を崩して昨年の3月場所から仕事ができず、復帰は厳しい

状況。後任に尾車親方が有力視されている。しゃべりも達者で、後任になれば80歳(北の富士は現在82歳)まで安泰です。 また、北の富士さんは退職後も、自身の部屋を丸ごと買った八角理事長を支援。同じ一門の九重親方(元横綱・千代の富士、故人)

潰して八角理事長誕生を後押しした。尾車親方も “第2の北の富士” として、

協会内へ影響力を残すつもりでは」(スポーツ紙デスク)

“強権執行部”への不信感

 電撃退職には様々な計算があったようだが、発表後は思わぬ動きもある。前出の中堅親方が言う。 「若手親方たちから、今回の退職を歓迎する声が出ている。彼らは、現執行部の“歯向かう勢力を徹底的に潰す”という姿勢をよく思っていない。厳罰になった宮城野親方と、弟子の大の里の飲酒問題で軽い処分に終わった二所ノ関親方の扱いが違い過ぎることへの不信感も募っている。尾車親方は、佐渡ヶ嶽親方(元関脇・琴ノ若)を通じて一門、協会に影響力を持ち続けるつもりだろうが、反発も出ている。それゆえ“白鵬包囲網”が弱まるとの見方も出ている」  今春の人事では不祥事の多さを八角理事長に意見した芝田山親方(元横綱・大乃国)が、“閑職”の相撲教習所所長へ左遷されたが、「この処遇も納得しない声が多い。そうした執行部への反発が結果として宮城野親方の復帰時期に影響する可能性はある」(同前)という。  宮城野親方は、伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)の忠告を受けて弟子たちの実家へ挨拶に回り、部屋でも稽古まわし姿で汗をかいている。相撲ジャーナリストが言う。 「どこまで稽古まわし姿で我慢できるかが当面のカギ。伊勢ヶ濱親方は来年7月で定年だが、宮城野部屋の復活は早くても再来年1月場所後の理事選後でしょう。  ただ、そうして伊勢ヶ濱部屋付きの親方として指導するなかで、強い力士がどんどん出る可能性もある。そうなると、執行部の思惑とは逆に宮城野親方の評価が高まることも考えられるのです」  伊勢ヶ濱部屋には尊富士や熱海富士ら有望株が所属し、尾車親方の影響力が残る二所ノ関一門の琴櫻や大の里と昇進争いを繰り広げる。

土俵内外で、ぶつかり合いが続く。 ※週刊ポスト2024年5月31日号

 

 

私、おじいちゃんの影響と貴花ブームで相撲が好きでよく観ていましたが、

急に関取の態度がおかしく( 器物損壊、品格が問われた言動など )なり、

一体どうしたのか? 不思議でしたが、やっと徐々に分かってきました ムキー パンチ!パンチ! 星

 

白鵬がまさかの品格が無くなりケガが多く引退後、部屋を持った後も弟子の不祥事

などが重なり当面の間、閉鎖を余儀なくされましたが、早く宮城野部屋を再開し、

強い力士を作って角界を盛り上げてファンを増やしてほしいです。応援しています。

照れ おばあちゃん 虹

 

相撲協会も今までの考え方ではなく、もっとオープンに今に合った考え方を

取り入れて、力士の育成と親方の指導に当たってほしいですが、その前に自分達の

理事会での票トリを考えないで、自主投票で開かれた角界にして欲しいです プンプン パンチ!パンチ!

 

貴乃花一家( 両親やお兄ちゃん )や部屋も無くなり、貴景勝には頑張ってほしい 物申す

 

 

純ちゃんに嫌な事をしてこないで! 咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、

体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、

体などを痛くしない。 トイレ関係も。脅さないで!  プンプン 爆弾

 

【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!

いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。

禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。

スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、

「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。

 

※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト! プンプン

その技術を使わないで!

 

TV等の撮影でスタッフに付いて行って、ロケや取材等の邪魔をしないで ムキー パンチ!パンチ!

束縛、嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて パンチ!パンチ!パンチ!

人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこないで。 トイレ関係 プンプン パンチ!パンチ!

思考低下、頭を空っぽにしないで!人の胸に衝撃を与えないで! 首を痛くしないで!

仕事の邪魔や記憶障害にしない。 目の錯覚、老眼近視、頭をボーっとさせないで、

他人に言われたことを他人に言わさない。心の中に持って来ない、響かせないムキー爆弾パンチ!ブログを書いている時、邪魔しない!自分で考えて書いて。パンチ!パンチ!

負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、キツイ気を感じる。

口臭も。咳込まさない。毒舌禁止、散財させないで、調子づかないで プンプン パンチ!パンチ!

乗り物関係を運転時は邪魔をしない。中枢神経を触って来ない。頭を重くしないで!

人の感情やパワーを抑えない、持って来ない。 口のろれつが回らないようにしない。唇を痺れさせない。卑猥な言葉を言ってこない、人をコントロールしないで パンチ!

マウントを取って来ない、過保護にしない! 頬を痛くしないで!あの親子、両依存

水晶を使って人を脅さない。個人情報保護法、プライバシー侵害しない! ムキーパンチ!パンチ!パンチ!

その力、仕事以外に使わない   人の為に使って、決して悪いように使わないで。

日本には言論や表現の自由がある( 自分達に嫌な事を言われていると思って

咳込まさない、自意識過剰、被害者意識が酷い ) ムキー パンチ!パンチ!パンチ!

全責任は、お母さん達に取ってもらう。 もちろん本人にも取ってもらう!

人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこない、フリーズが出たので止めて パンチ!むかっ

長女のパワーを使わない! 上記に書いていることは、みんなのことを指す 物申す パンチ!パンチ!パンチ!

 

3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。

アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して パンチ!パンチ!パンチ!

( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )

契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないでムキー爆弾パンチ!パンチ!パンチ!

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート