衝撃の紅白辞退、全米進出の賭け

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子どもからおじいちゃんまで夢中に(ピンク・レディーのミーとケイ=右)/(C)共同通信社 

ピンク・レディ―のミ―とケイ=(右)

 

 駆け抜けた4年7カ月はピンク・レディーにとって何だったのだろう。

国民的アイドルの輝かしい栄光の裏側で、稼ぎ出した巨額マネーは

アッという間に闇に消えていった……。
 ◇  ◇  ◇
 ミー( 根本美鶴代、現・未唯mie )とケイ( 増田恵子 )。

ピンク・レディーを28回にわたって日刊ゲンダイで連載したのは2010年のこと。

デビューから35年目。5度目の再結成とアルバム「INNOVATION」発売に合わせ、

35年を振り返ってもらう企画だった。

 2人は超多忙だった年月をこう振り返った。
「(移動は)車じゃ間に合わないから衣装の上に洋服を羽織ったまま、

 車を乗り捨て地下鉄で移動した」
「忙しくてコンサート会場からテレビ局までヘリコプターで移動した」
「車から楽屋までの間に5件の取材が入っている状況が普通にありましたね。

歩きながら質問に答えて、途中でちょっと立ち止まって1、2分で写真撮影。

それが終わるともうすぐ次の取材」

 睡眠時間は1日3時間ならいい方、時には1時間の仮眠しか取れない

超過密スケジュールをこなす日々だった。
2人がスター街道を突っ走る中で、転がり込むマネーも巨額になった。

「ペッパー警部」から「UFO」「サウスポー」と、次々にミリオンセラーを記録するレコードの売り上げ、コンサートやグッズの収入……。

もっとも、寝る間もない2人にはお金のことを考える余裕もなかった。

 ピンク・レディーが1976年から81年にかけて稼ぎ出したマネーは350億円とも

500億円ともいわれた。そのお金はいったい、どこに消えてしまったのか。

 裏方でを動かした対照的な2人のキーマンがいる。

事務所に恵まれなかったナゾ

 ピンク・レデューは76年、日本テレビ系「スター誕生!」で見いだされた。

この時、スカウトしたのは、吉田拓郎と結婚する前の浅田美代子らを抱え、

芸能プロをやっていた相馬一比古。2人のために76年に設立された

「T&C ミュージック」のプロデューサーとして辣腕をふるった。
もう一人は「T&C」社長で経営面を仕切った貫泰夫。貫は大物総会屋、

小川薫の中学の同窓だった。東京で証券会社に勤めてから再会したのが縁で、

小川の出資などで「T&C」を設立し、借金を抱えていた相馬の芸能プロごと

吸収して相馬とともにピンク・レディーを世に送り出した人物だった。

 相馬は「スタ誕」でスカウトした時のことを月刊誌でこう振り返った。
「これなら、いけそうだという予感を持って『スタ誕』の決戦大会に、私は出かけていったんですね。イチかバチか、あたってくだけろ、といった気持ちでした」
この時、人気だったのは14社のスカウトの目に留まった清水由貴子だった。

2人組に興味を持ったのは8社。中でも熱心だった相馬とビクターの担当だった

飯田久彦に出会ったことが2人の運命を変えた。
一方、貫は音楽業界特有の金銭感覚に翻弄され、ピンク・レディーの

大フィーバーの陰で経営は火の車になっていく。当時をこう振り返っている。

「世間では500億円儲けたとかいわれますが、実際にT&Cに入ったのは50億円

くらい。それも制作費やなんだかんだで出て行って、ぜんぶ消えてしまった……

もう口座が維持できなくなってパンクしてやめたということです」

(「週刊大衆」83年5月23日号)

 寝る間も惜しんで稼ぎまくったピンク・レディーの2人。

では満足に給料をもらっていたのだろうか。

 

「天国と地獄」の始まりになった紅白辞退

紅白辞退の会見(左が貫社長)/(C)共同通信社

 

 人気絶頂から、わずか4年7カ月で解散したピンク・レディー

舞台裏で一体何が起きていたのか。

「スター誕生!」で見いだされたピンク・レディーのデビュー曲は1976年8月の

「ペッパー警部」。当初オリコンチャート100位にも入らなかったが、

超ミニでガニ股になる斬新な踊りで「新宿音楽祭」を境に人気に火がつく。

11月発売の第2弾「S・O・S」は一気にチャート1位。と同時に「ペッパー警部」も

3位まで上昇し、2人はテレビの音楽番組を独占していく。
売り上げベスト5を挙げると①「UFO」(156万枚)②「サウスポー」(146万枚)

③「ウォンテッド」(120万枚)④「モンスター」(110万枚)⑤「渚のシンド

バッド」(100万枚)。2人が稼ぎ出したのは500億円ともいわれた。

 初任給は5万円。それが80年ごろには月給350万円に。所属事務所「T&C」の

社長だった貫泰夫は「20歳の娘に350万円の月給を出し、5000万円のマンションを

買い与えた」と語っている。それでも莫大な金額が残って当然だが、

事務所は経営難に陥る。お金はどこへ消えたのか。

 ピンク・レディーは78年に「UFO」で「日本レコード大賞」を受賞する。

この年に争ったのは山口百恵、沢田研二らそうそうたるメンバー。その中でも、

日本中を席巻していたピンク・レディーが受賞するのは自然ではあったが、

当時、レコ大は審査員への過剰接待が公然の秘密。事務所社長の貫は「ゴルフに誘い酒の好きな審査員は銀座のクラブなどに招待」と語り、さらにロスで仕事のピンク・レディーの取材旅行と称して、関係者7人をアメリカに連れていった。それは一端に

すぎず、やはり賞取りや人気維持のためにお金をジャブジャブ使っていたようだ。

 事務所専務で音楽プロデューサーの相馬一比古は「儲けた分はプロモートで

還元しちゃいました」と語っている。本当にそれだけだったのかは不明、

今となっては真相はわからない。

■紅白辞退で大きな批判を浴び人気に陰りが…

 ピンク・レディーにとっての大きな転機はその年の暮れ。レコ大を受賞した歌手は直後にNHKの「紅白歌合戦」出場のため渋谷に移動するのが普通だ。ところが2人は11月に紅白出場辞退の会見を開き、レコ大受賞後は新宿・コマ劇場に移動した。

日本テレビの特番に出演するためだった。
この紅白軽視の選択が大きな批判を浴び、人気に陰りが出る始まりとなる。

つまり78年12月31日、ピンク・レディーは天国と地獄を味わったのだ。

 12年前、日刊ゲンダイがピンク・レディーを連載した際、本人たちは

紅白を辞退したことについてほとんど語っていない。

それくらい今も後悔する出来事だったのではないか。

 なぜ紅白辞退の選択をしたのか? 社長の貫は「事情が違うが、美空ひばりだって出場しなかったじゃないですか……NHKのレコード産業に対する考え方が嫌いでね…パッと民放でやれって」と月刊誌で吐露した。

 新興の怖いもの知らずの事務所が、高慢なNHKに盾突いて、

金になる民放を選んだという構図だろうか。事務所の賭けはそれだけではなかった。翌年には全米進出という野望に挑戦する。一定の成果はあったし、ケイが「アメリ

カンドリームってこういうことなんだ」と喜んだが、日本国内では思うほど話題に

ならず、2人はただ疲弊していく。そこにケイの恋愛が重なる。

「相手が同じ仕事をしている人だったこともあって事務所から驚くほど

圧力がかかってきました……NBCの仕事が終わる頃でしょうか。

精神的にもボロボロになって、もう限界でした」


こうして、81年3月31日、後楽園球場での解散コンサートへと向かうのである。

 

2人を独断でスカウトした飯田久彦の慧眼

ミーとケイをスカウトした飯田久彦氏(C)日刊ゲンダイ ミ―とケイをスカウトした飯田久彦

 

 ミー(未唯mie)とケイ(増田恵子)のピンク・レディー。

2人は中学2年の時にケイが静岡・末広中学に転校して運命的に出会った。

 お互いの第一印象は、ケイは他の中学生がおかっぱだった中で一人だけ

マッシュルームカットにしているおませな女の子、ミーは逆光で髪の毛がキラキラ

光っている童話から飛び出してきたような女の子だった。2人は演劇部に所属し、

将来を語り合うようになり、中3の冬に静岡で行われた「スター誕生!」の

オーディションに応募している。この時に本選で優勝したのは藤正樹だった。
その後、2人はヤマハのオーディションを受けたりスクールにも通うようになり、

再び「スタ誕」に挑戦するのは3年後の1974年。決戦大会でプラカードを上げたのはレコード会社3社と芸能プロ5社だった。その中で2人を熱心に口説いたのは

音楽プロデューサーの相馬一比古とビクターの飯田久彦だった。

 ミーは決戦大会での相馬について「一番前に座って真っ先に私たちに

プラカードを上げてくれた」と語った。相馬は「君たちをアメリカの

ショービジネスで勝負させてみたい」と夢が膨らんだ。
ビクターは直前まで、決戦大会で人気がもっとも集中した

清水由貴子(14社)スカウトする予定だった。

ところが、飯田が「独断で私たちをスカウトしてくれた」(ミー)。

■「第2のザ・ピーナッツを」

 ピンク・レディーのデビューは76年だが、その前年にザ・ピーナッツが引退して

いる。飯田はそれが寂しかった。ハーモニーができる新たな女性デュオを探していたところ、「スタ誕」で出会ったのが2人だった。飯田は、5年前に日刊ゲンダイの連載に登場した際、「静岡出身で声質も背丈もザ・ピーナッツとは全然違うけど、2人を

育ててみたいと思って」と当時を振り返ったが、会社ではこってり絞られたようだ。
そして作詞は阿久悠、作曲は都倉俊一、振り付けが土居甫のピンク・レディーの

プロジェクトが動き出す。

 当初、デュオの名前は「白い風船」だった。しかし、都倉の発案で

カクテルの名前からとった「ピンク・レディー」になる。

デビュー曲は阿久や都倉が押す「ペッパー警部」か、それともビクター上層部が押す「乾杯お嬢さん」か。ここでも飯田は会社の反対を押し切ってしまう。
振り付けも物議を醸す。ピンク・レディーを「非常識な感覚でつくった」という

飯田は土居にセクシーなものをお願いした。その結果が、足を左右に開く有名な

ポーズだが、会社の偉い人が集まる編成会議でやってもらったら、「あれはなんだ、天下の伝統あるビクターでおまえは恥ずかしくないのか」と怒られたという。

だが、飯田はこれもはね返してしまった。この時、阿久は「総論賛成はダメ、

やっぱり賛否両論でないと」と慰めてくれたという。

 こうして誕生した「ペッパー警部」は発売当初は売れず、2曲目の「S・O・S」が

大ヒットし、その相乗効果でバカ売れする。ピンク・レディーはこれを機に4年半

以上もスター街道を驀進することになる。そんな常識を覆すところからスタートした

ピンク・レディー。一体、どこで歯車が狂ってしまったのか。

78年の紅白歌合戦の出場辞退や79年のアメリカ進出に対する非難……。

 相馬は「ミーは(アメリカで)2年間でもやる覚悟はできていた。

ケイは自分の尺度で考えて」いたと、かつてのインタビューで答えている。
この時のケイが抱えていたのは結婚だった。世間を賑わせた相手との関係は間もなく終わりを告げたが、「会社から結婚か仕事か選べと迫られて結婚を選びましたが、

その選択でミーはもちろん会社の人の人生まで変えてしまった」と語った。

 ピンク・レディーが稼ぎ出したのは500億円ともいわれる。それはバブルのごとく消えたが、それ以上の記憶を日本中に残したのは間違いない。(敬称略)=おわり

 

 

「ピンク・レディーの役割は終わったという気がしていた」解散、再結成…度肝を抜くはじけっぷりに進化を感じる

 

1980年9月、半年後の解散を発表したピンク・レディー

1980年9月、半年後の解散を発表したピンク・レディー

 

全米進出を果たすなど数々の偉業を成し遂げたピンク・レディーは

1980年9月に解散を表明。翌81年3月31日、後楽園球場におけるコンサートで

4年7カ月の活動に区切りをつける。

「ブームはいつか去る。そうすればこの忙しさも落ち着いて、自分たちがやりたいことをできるようになる。それまでは頑張ろうねと、2人で励まし合っていたんです。でもプロジェクトが大きくなりすぎました。自分の恋愛のほかにも理由はありますが、徐々についていけなくなって私から解散を申し入れたのです」(ケイ)

「アメリカから帰ってきてからはプロジェクトが方向性を見失っていると感じる

ようになりました。ですから私もピンク・レディーの役割は終わったのでは

ないかという気がしていたんです」(ミイ)

解散後の2人は歌手だけでなく俳優としても活躍するなど、充実したソロ活動を

展開。一方、復活を求める声は絶えることがなく、その要望に応える形で何度か

期間限定の再結成を果たす。NHK紅白歌合戦に再出場するなど、その都度、

大きな話題を呼ぶが、特に2003年からの2年間限定全国ツアーは大評判となり

「客席で一緒に踊る」という新しい楽しみ方を生み出した。

「演出家の方の提案で『一緒にピンク・レディーを楽しもう!』というコンセプトを打ち出したら、どんどん盛り上がってきたんです。それがきっかけで中居正広さんの『金スマ波乱万丈スペシャル』に出演させていただいたのですが、スタッフの方が

ピンク・レディー世代で、6曲メドレーのために3着も衣装を作ってくださって。

その熱意がありがたかったし、皆さんに喜んでいただけたのもうれしかったです」(ミイ)

「今回のDVDには『金スマ』の映像も収録されていますが、それを観ると

異常に弾けているんですよね(笑)。かつてはテレビの画面に収まるように

ミイとの距離を詰めて歌っていたのですが、このときは全国ツアーのステージと

同様に、2人の間隔をとって思い切り歌って踊りました」(ケイ)

当時の2人は40代半ばだったが、アイドル時代を上回るダイナミックな

パフォーマンスは視聴者の度肝を抜く。「ピンク・レディーは進化している」。

誰もがそう感じた一夜だった。

 

■濱口英樹(はまぐち・ひでき) 音楽ライター/ラジオパーソナリティー。

雑誌やWEBに寄稿するかたわら、CD/DVDの監修・選曲や楽曲解説を担当。

FMおだわら「午前0時の歌謡祭」に出演中。

近著は「オマージュ< 賛歌 > to 中森明菜」(シンコーミュージック)。

ピンク・レディーがTBSの番組に出演した映像を収めた6枚組のDVD「ピンク・

レディー・クロニクル TBSスペシャルエディション」は19日に発売される

 

ピンク・レディーのデビュー曲から知っていましたが、2曲目が売れて相乗効果で

1曲目の「ペッパー警部」が売れたと。最初から売れたと思っていたので びっくり

この話は聞いたことがあります。あれだけ働いて、火の車だっていうことをTVで 叫びあせる

この2人に期待して、ビクターと事務所がプロジェクトを組んでいたとは・・・。

だから阿久悠さんと都倉俊一さんがタッグを組んで、振付けが土居先生だったのは

有名で、あの踊りや衣装だったんですね。好きな曲が多くレコードを買いました カラオケ 

 

この時代、キャンデーズやピンクレディー、山口百恵さん、アン・ルイス、沢田研二さん達がいて、歌番組が多く観ていて楽しかったです 笑ううさぎ 音譜

 

この時代、占い師さんがいて、いろんなアドバイスをしていたのが分かりました。

そして、その人が土台を作って数年空き、占い師の母が骨組みを作っていた おばあちゃん 虹

 

今は、その建物を完成させるために頑張っている途中です プンプン パンチ!パンチ!パンチ!むかっ

 

今まで、いろんな嫌がらせをされて戦ってきたのが分かりました。

ピンク・レディーの2人も戦っていて、今があるのでありがとうございました。

これからも、みんなで力を合わせてお仕事を頑張ってほしいです 照れ おばあちゃん 虹泣くうさぎ

 

 

純ちゃんに嫌な事をしてこないで! 咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、

体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、

体などを痛くしない。 トイレ関係も。脅さないで!  プンプン 爆弾

 

【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!

いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。

禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。

スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、

「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。

 

※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト! プンプン

その技術を使わないで!

 

TV等の撮影やスタッフに付いて行って、ロケや取材等の邪魔をしないで ムキー パンチ!パンチ!

束縛、嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて パンチ!パンチ!パンチ! ( あの三女、お互いを似ているように近づけようとしないで )

人に威圧的な言動、迷惑な行動は止めて。胃の付近に入って来ない、心を読まない、

人に体調不良やネガテなィブな感情を持って来ない、無力感にさせないで、

人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこないで。 トイレ関係 プンプン パンチ!パンチ!

思考低下、頭を空っぽにしないで!人の胸に衝撃を与えないで! 首を痛くしないで!

仕事の邪魔や記憶障害にしない。 目の錯覚、老眼近視、頭をボーっとさせないで、

他人に言われたことを他人に言わさない。心の中に持って来ない、響かせないムキー爆弾パンチ!ブログを書いている時、邪魔しない!自分で考えて書いて。深夜に連絡してこないで パンチ!パンチ!

負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、キツイ気を感じる。

口臭も。 咳込まさない。毒舌禁止、散財させないで、調子づかないで プンプン パンチ!パンチ!

乗り物関係を運転時は邪魔をしない。中枢神経を触って来ない。頭を重くしないで!

人の感情やパワーを抑えない、持って来ない。 口のろれつが回らないようにしない。唇を痺れさせない。卑猥な言葉を言ってこない、人をコントロールしないで パンチ!

マウントを取って来ない、過保護にしない! 頬を痛くしないで!あの親子、両依存

水晶を使って人を脅さない。個人情報保護法、プライバシー侵害しない! ムキーパンチ!パンチ!パンチ!

その力、仕事以外に使わない   人の為に使って、決して悪いように使わないで。

日本には言論や表現の自由がある( 自分達に嫌な事を言われていると思って

咳込まさない、自意識過剰、被害者意識が酷い )

店員さんや美容院の人に嫌な事をしないで、言わさないで ムキー パンチ!パンチ!パンチ!

全責任は、お母さん達に取ってもらう。 もちろん本人にも取ってもらう!

人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこない、フリーズが出たので止めて パンチ!むかっ

長女のパワーを使わない! 上記に書いていることは、みんなのことを指す 物申す パンチ!パンチ!パンチ!

 

3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。

アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して パンチ!パンチ!パンチ!

( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )

契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないでムキー爆弾パンチ!パンチ!パンチ!

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート