「やっと夫婦らしく」家では「煮物の女王と」
[ 2022年8月18日 13:58 ] スポニチ
「ピンク・レディー」のケイこと、歌手で女優の増田恵子(64)が
18日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。
4歳年上の夫との生活について語った。
ピンク・レディーは1976年にデビューし、1981年に解散も、2010年に再結成。
増田は私生活では44歳で結婚して20年となる。司会の黒柳徹子から「ご結婚の前は
本当に仕事人間だったんですって」と振られると、「とにかく18からデビューして、もう仕事のためだけに生きていたというか、100% お仕事に集中したいと思っていたので、結婚することになった時に、ちょっと大丈夫かなと思って」と振り返った。「仕事とおうちのバランス、おうちのことも100%ちゃんとやりたいし、仕事は仕事で100%やりたいから。ちょっと頑張ってしまった部分もあるかなと思ったりして」と増田。夫からは「ケイ、そんな無理しなくていいんだよ」といつも声をかけられていたとし、「やっと20年経って夫婦らしくなったかなというのと、自分も力が
抜けて両立できるようになったかなと思います」としみじみと語った。
夫は料理好きだとし、「お料理もよく作ってくれるし、私が夜遅い時には主人が
作っておいてくれて、それをいただいたりとか。お休みの時には2人でキッチンに
立って、主人が2品、3品ぐらい作って」と普段の生活の様子を明かした。
今年の正月は2人で過ごしたというが、おせちには役割分担があるとし、
「主人は数の子と鯛の昆布締め、凄くおいしいの。だからお客さんが
見えたときには喜んで下さって」とうれしそうに話した。
自身の得意料理は「煮物ですね。家では “煮物の女王” と呼ばれているので」とし、「お野菜とか鳥の手羽とかおこんにゃくとかもあるんですけど、全部別に煮るんですね。里芋は里芋、ごぼうはごぼうで。それでそれぞれのおだしの分量も変えて。
給食のおばさんみたいにお鍋がいっぱいに」と笑ってみせた。
また夫はおおらかな性格で「私、どちらかというとマイナス思考だったんですけど、主人が本当にプラス思考で、“こんなことがあってね、これどうしよう” とか言うと、
”何言ってんだ、酒でも飲んじゃえばもう忘れるよ、飲も飲も”って言って、
そういう感じの人」と表現。「なので、その日の悩みとか何かを次の日に
持ち越すことがなくなりました。おおらかになりました私も」と声を弾ませた。
【補足】
夫は桑木知二さんといい4歳年上の一般男性。職業はミキサー技師で
株式会社ギルド・ジャパンの社長でしたが、2004年に自己破産を申請した。自己破産後も桑木知二さんは自暴自棄になることなくミキサーとしての仕事は続けています。
ピンク・レディー解散後はソロ歌手として活動していましたが1986年から
芸能活動を一旦休止。その後、徐々に芸能活動を再開すると2001年からは
舞台や声優などにも挑戦しています。
夫との結婚生活はケンカが絶えない!?
実際に生活してみると、夫も自己主張が強くケンカすることも多くあったそうです。
そんな中、雇っていた家政婦さんに、幸せに暮らすための夫婦の秘訣を
伝授されます。夫婦どちらが勝った負けたではなく、お互いに譲り合って
認めることが大切と教えてもらったのです。
その他にも、家政婦さんから様々なことを教えてもらった増田恵子さんは、
それらを紙に書き出しトイレに貼ります。そうすることで、夫の目にもとまり、
次第にケンカがなくなっていったそうです。
「お互いに譲り合って認め合う」夫婦だけでなく、友人や同僚などすべての対人関係において必要なことかもしれませんね。また、家ではお互いの仕事の話はしないと
決めているそうで、一緒に料理したりと幸せな結婚生活を送っているようです。
ピンク・レディー解散後、いろいろ苦労があったと思いますが・・・結婚も。
占い師の母にもアドバイスを貰っていたのが分かりました。
ピンク・レディーと山口百恵さんとは、ライバル同士で切磋琢磨していたんですね。
作詞家、作曲家、振付師、レコード会社、事務所など縁があってピンク・レディーが
作られ、プロジェクトが始まり、解散まで駆け上がって行ったのを観ていました
70年代は、本当に良い時代だったと思います。
これからも心身ともに健康で、家族や友達といつまでも仲良く、
ピンク・レディーとして頑張ってほしいです
ピンク・レディー「解散やめ!」30年ぶりに活動再開
2010年9月1日 15:08 音楽ナタリー編集部
1981年3月31日の後楽園球場コンサートを最後に解散した女性アイドルユニット、
ピンク・レディーが「解散やめ!」宣言を発表。本日9月1日に東京・ビクター
スタジオで行った記者会見で、本格的に活動を再開することを明らかにした。
記者会見が行われたビクタースタジオは今から34年前に2人が初めてレコーディングを行った場所。また、12月1日にリリースされるアルバムのレコーディングは、
ピンク・レディーはミイ(未唯mie)とケイ(増田恵子)からなる2人組で、
1976年8月にシングル「ペッパー警部」でデビュー。
「カルメン'77」「渚のシンドバッド」「UFO」など数々のヒット曲をリリースし、
国民的アイドルとして大活躍を続けた。1979年にはアメリカ進出を果たし、
ラスベガス公演などを実施。帰国後の1980年9月1日に解散を表明し、
翌年の後楽園球場コンサートをもって4年7カ月の活動に終止符を打った。
その後は2005年までに4回再結成しているが、いずれも期間限定での復活。
今回の再結成では「解散やめ!」の言葉どおり、各自のソロ活動とともに
ピンク・レディーとしての活動を永続的に続ける。
記者会見の席上、ミイは集まった報道陣に「ただいまー!」と挨拶。
これまでの再結成との違いについて「今まで何回か復活してきたんですけど、
それはすべて強いご要望をいただいて『そこまで言っていただけるなら』ということでやってきました。でも今回はどなたのご要望もいただかず(笑)、自分たちで決めました」と説明。ケイは「ピンク・レディーの作詞をしてくださった阿久悠先生や、振り付けしてくださった土居甫先生が相次いで亡くなられて。私たちを作ってくださった方がいなくなってしまったということは、ミイともいつまでも一緒にいられる
わけではないと気付いてドキッとして、このままじゃいけないと思ったんです」と、
活動再開に至る心境を語った。
ともに50歳を超えてアイドルとして復活する2人。報道陣から「今はAKB48が
アイドルとして活躍していますが」という質問が飛ぶと、ケイは「私たちはもう、
メンバーからしたらお母さんの年齢ですからねえ(笑)」、ミイは「ライバルとは
思っていないんですけれども、歌番組で “VS” なんて言われたら燃えちゃうかも
しれない(笑)」と返した。
活動再開の第1弾として、ヒット曲「ペッパー警部」「S・O・S」の
“2010年ニューボーカルバージョン” が、9月29日より配信リリースされる。
また、12月1日には2枚組のニューボーカルベストアルバム(タイトル未定)を発売。こちらには過去の大ヒット曲26曲が収録されるほか、解散からちょうど30年となる2011年3月31日に都内某所で行われるプレミアムライブのチケット優先予約応募券が封入される。この音源リリースに先駆け、9月3日には彼女たちの過去の写真を
まとめた写真集「平凡Premium We are ピンク・レディー」が刊行される。
これは往年の芸能誌「平凡」が1号限定で復活し、ピンク・レディーの全盛期の
写真を一挙に掲載した作品。かつてのファンにとってはもちろん、
現役時代の彼女たちを知らない人々にとっても必見の1冊と言えそうだ。
未唯mie、ピンク・レディー解散後の3億円借金生活語る「おうちを建てちゃったりしたのも…」
歌手の未唯mie(64)が24日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」に出演し、
ピンク・レディー解散後に陥った借金生活について語った。
18歳でデビューし、23歳でピンク・レディーを解散。29歳で独立した後、
2、3年で「3億円の借金を抱える状況」になったという。
「おうちを建てちゃったりしたのもあって、全部含めると。自分でもびっくりした」また「それまで人任せにしてきたので、きっと神様がこのままじゃダメだよって、
自分の足で歩き出すための試練を与えてくださったと思います」と振り返った。
経営の猛勉強をし、借金は3年で返済したという。「2年くらいは、1時間、2時間
くらいの睡眠でいろいろ勉強したり駆けずり回ったり」。寝る間もなく奮闘に
「ピンク・レディーのあのころができたのだから、絶対私はできるはず、と思って
頑張りました」。結果、経営に関しては講師になれるくらいの知識を得たという。「経営のセミナーはあるだけ全部受けて、人さまにお教えできるくらいのところまで勉強しました」。
ピンク・レディー時代は、タクシーも1人では乗ったことがなかったとし
「タクシーに乗るのもぜいたくだと思って電車、バスを使おうと思った時に、
チケットも買い方もよく分からなかった」と笑い、3年で返済したことに
「私でもやればできるんだと思いましたね。とんでもない世間知らずだったので、
自分をほめてあげたい」と話した。
この詳しい話は、明日ブログにupします
伊勢物語 第三段 ひじき藻
原 文
むかし男ありけりけさうしける女のもとにひしきといふものをやるとて
詩
思ひあらはむくらのやとにねもしなんひしきものにはそてをしつゝも
二條のきさきのまたみかとにもつかうまつりたまはてたゝ人にて
おはしける時のこと也
現代語訳
昔ある男がいた、心を寄せる女性のもとへ、ひじき藻というものを送ると言って
詩
もしもあなたに私を思う気持ちがあるというならば
草だらけのあれた家でも一緒に寝て欲しいのです
ひじき藻(敷物の一種)ではないが、引き敷いたものには袖をしてでも
二條の后(藤原高子)が。まだ帝にもお仕えしなしで、
普通の身分の人でいらっしゃったときのことでした。
追 記
袖をしいてでも( このころ女性の着物は立派でした )
ここ下りは他の日記でも登場しましす。
この時代は畳などなく座るとこだけ敷物がありました。
もちろん袖を敷いてというのは、それほどをいう和歌のすばらしさです
藤原高子
後の清和天皇の女御となる方。 陽成天皇の母となります
純ちゃんに嫌な事をしてこないで! 咳をさせないで、口臭を持って来ない、
体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、
体などを痛くしない。 トイレ関係も。脅さないで!
【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、
「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!
その技術を使わないで!
TV等の撮影やスタッフに付いて行って、ロケや取材等の邪魔をしないで
束縛、嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて ( あの三女、お互いを似ているように近づけようとしないで )
人に威圧的な言動、迷惑な行動は止めて。胃の付近に入って来ない、心を読まない、
人に体調不良やネガテなィブな感情を持って来ない、無力感にさせないで、
人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこないで。 トイレ関係
思考低下、頭を空っぽにしないで!人の胸に衝撃を与えないで! 首を痛くしないで!
仕事の邪魔や記憶障害にしない。 目の錯覚、老眼近視、頭をボーっとさせないで、
他人に言われたことを他人に言わさない。心の中に持って来ない、響かせないブログを書いている時、邪魔しない!自分で考えて書いて。深夜に連絡してこないで
負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、キツイ気を感じる。
口臭も。 咳込まさない。毒舌禁止、散財させないで、調子づかないで
乗り物関係を運転時は邪魔をしない。中枢神経を触って来ない。頭を重くしないで!
人の感情やパワーを抑えない、持って来ない。 口のろれつが回らないようにしない。唇を痺れさせない。卑猥な言葉を言ってこない、人をコントロールしないで
マウントを取って来ない、過保護にしない! 頬を痛くしないで!あの親子、両依存
水晶を使って人を脅さない。個人情報保護法、プライバシー侵害しない!
その力、仕事以外に使わない 人の為に使って、決して悪いように使わないで。
日本には言論や表現の自由がある( 自分達に嫌な事を言われていると思って
咳込まさない、自意識過剰、被害者意識が酷い )
店員さんや美容院の人に嫌な事をしないで、言わさないで
全責任は、お母さん達に取ってもらう。 もちろん本人にも取ってもらう!
人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこない、フリーズが出たので止めて
長女のパワーを使わない! 上記に書いていることは、みんなのことを指す
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。
アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して
( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )
契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないで
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました