死者42人…新録に包まれた鎮魂と誓い

 

【平成の記憶】信楽高原鉄道事故 ハの字にせり上がった先頭車両、死者42人…新録に包まれた鎮魂と誓い

【平成の記憶】信楽高原鉄道事故 ハの字にせり上がった先頭車両、

   死者42人…新録に包まれた鎮魂と誓い

 

平成3(1991)年5月14日10時35分頃に発生した「 信楽高原鉄道列車衝突事故 」

滋賀県信楽町(現・甲賀市)で開催された「世界陶芸祭」に向かうJR西日本の臨時

快速列車と信楽高原鉄道の普通列車が正面衝突した。衝撃で押しつぶされた先頭

車両は、ハの字にせり上がり死者42人、600人超が重軽傷を負う大惨事となった。

【補足】

JR西日本側乗客の30名、信楽高原鐵道側乗員乗客の12名(うち運転士と添乗の社員が4名)のあわせて計42名が死亡、直通下り列車の運転士を含む614名が重軽傷を

負う大惨事となった。衝突した臨時快速列車は乗客で超満員の状態(定員の約2.8倍)

だったことから、人的被害が非常に大きくなった。

 

 昭和61年、旧国鉄の余部鉄橋事故(兵庫県香住町、当時)以来の大事故は、

運行管理のあり方などさまざまな問題を浮き彫りにした。

今月2日に亡くなった、遺族会代表で「鉄道安全推進会議」会長を務めた

吉崎俊三さんは、国に公的な鉄道事故調査の専門機関設置を求め続けた。

平成13(2001)年には、従来の「航空事故調査委員会」を改組した、

航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)が発足、事故原因を科学的に

分析して、事故の再発防止に取り組むようになった。しかし、17年には兵庫県尼崎市でJR福知山線脱線事故が発生、JR発足後最悪となる乗客106人が犠牲となった。

 

 あの日から27年、新緑がきらめく事故現場を訪れた。線路脇に立つ慰霊碑には犠牲となった42人の名前が刻まれ、鉄道事故の悲惨さを訴えかけていた。(柿平博文)

平成3年の出来事

雲仙普賢岳で大火砕流、ソビエト連邦崩壊、湾岸戦争勃発

PKO協力法案可決、横綱・千代の富士が引退

 

背景 Wikipediaより

 

 沿線の信楽町は信楽焼の産地で、当時は「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき

'91」が4月20日から開催されており、信楽高原鐵道は線路容量をはるかに超える

来場者輸送(ピーク時約2万人/日)に追われていた。好評を博し、主催者の予想した来場者35万人に対して、これをはるかに上回る客を集め、ゴールデンウイーク明けの5月11日には入場者50万人を達成していた(最終的には60万人)。

「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91」の開催にあたって実行委員会は会期

37日間の想定来場者数35万人のうち、25%にあたる約9万人を鉄道輸送で賄おうとした。期間中の想定ピーク輸送人員約9千人/日に対して信楽高原鐵道の輸送力が不足(会期前の乗客は平均して2千人/日足らず)であることから、実行委員会は1990年

3月に滋賀県知事名で、信楽高原鐵道・JR西日本の両社に協力を要請した。これを受け信楽高原鐵道は旧来の設備を約2億円掛け大改修し、路線の中間部に当たる箇所に

小野谷信号場を設け、運行本数をほぼ倍増する工事を実施した。小野谷信号場は無人で運用することから信楽高原鐵道は、閉塞方式を票券閉塞式から特殊自動閉塞式

変更し、あわせて車両の進行により信号機分岐器とを自動で設定する自動進路制御装置も設置した。また設備面でも単線で行き違いができなかった旧来の設備では来場客は到底運べないことから、設備改修とあわせJRの車両と運転士をともに借り受ける協定を結んだ。しかしCTCは設置せず、信号および分岐器の動作は列車の運行に

よってのみ決まるシステムであったことが、後述のJR西日本による方向優先テコの

無断設置の遠因になった。

信楽線の配線略図

事故当時の信楽線および貴生川駅の配線略図を示す。当時は信楽線の列車交換

小野谷信号場以外ではできず、また貴生川駅には信楽高原鐵道の着発線が1本しか

なく、草津線には待避線がなかった。

 

信楽線の信号システム

事故当時の信楽線は、閉塞が

貴生川駅--(単線区間1)-〈小野谷信号場〉-(単線区間2)--信楽駅

という構造になっていた。単線区間では、当然のことながら、どちらか一方向にしか列車を走らせることはできない。そのため単線区間の1と2では、信楽方向(→方向:下

り)に列車を進行させるか、貴生川方向(←方向:上り)に進行させるかが自動的に

設定され、列車の運行に従って自動的に信号の現示と分岐器の操作が行われる仕組みになっていた。この機能により小野谷信号場は無人のまま、両端駅である信楽・

貴生川の両駅の出発信号機の操作だけで行き違いができるシステムとなっていた。

小野谷信号場には安全側線がないことから、場内信号機の進入許可の現示は警戒信号(黄黄の2灯)であり、出発信号機の制御点まで列車が進行し、かつ、信号所に入りその先の単線区間の閉塞が確保できたら出発信号機が青信号を出す仕様になっていた。無人信号場であることから、信楽駅から運転士に連絡を入れるよう求める黄色の

回転灯も設置された。なお近江鉄道では単線自動閉塞の信号システムが既に稼働して

おり、黄色の回転灯も近江鉄道のシステムに倣ったものである。たとえば事故時の

ように貴生川駅と信楽駅から同時に列車が発車して小野谷信号場ですれ違う場合であれば、貴生川駅発の列車、信楽駅発の列車双方に青信号を出すと単線区間1が信楽方向に、単線区間2が貴生川方向に切り替わり、それぞれの駅を列車が出発できる。そして両列車とも単線区間を通って小野谷信号場に到着すれば、逆に単線区間1が貴生川方向に、単線区間2が信楽方向に切り替わるので、2つの列車は信号場ですれ違って目的地に向かうことができる。注意すべきは竣工当初、小野谷信号場には下り上りともに

場内信号機出発信号機との間に反位片鎖錠が設定されていたことである。

貴生川駅構内はJR西日本の管轄であるため、信号システムはそのほとんどが信楽高原鐵道側であるものの、貴生川駅の連動装置の変更が必要になることからJR西日本および信楽高原鐵道の両社で分担して設計・施工されることとなった。それぞれ別々の

会社に設計・施工を依頼し、かつ認可通りの設備で連動試験を行っている。しかし

試験後の両社の無認可改造ならびに設計の相互レビューの不徹底が、信号システムの相次ぐトラブル、そして正面衝突事故につながっていくことになる。

原因

代用閉塞取扱の手続き無視と誤出発検知装置の誤作動

小野谷信号場(2017年撮影)
運行再開後に用いられることはなく、事故当日501Dを発車させた下り

出発信号機を含む全ての設備が2021年度までに撤去された。

 

発端は、信楽駅から貴生川駅行きの上り普通列車534D列車を発車させるため、信楽駅の制御盤で出発信号機を出発現示(青信号)にしようとスイッチ(テコと呼ばれる)を操作したにもかかわらず、停止現示(赤信号)のまま変化しなかったことである。このとき下り列車が正しく信楽駅に到着しているにもかかわらず、下りの運転方向

表示が点灯したままだった。分岐器を調べたが線路は開通しており、信号トラブルを疑ったため信楽高原鐵道は保守要員として詰めていた信号システム会社の社員に

点検を命じた。それとともに、代用閉塞である指導通信式の採用を早々に決定。

小野谷信号場で対向列車であるJRからの直通列車と行き違いを実現すべく、誤出発検知装置を頼りにして、指導員となる社員を添乗させ普通列車を11分遅れの10時25分頃に発車させた。この列車には指導員役の社員の他、当日の午後から安全管理などの

査察に来る予定だった近畿運輸局の係官を貴生川駅まで出迎えに行こうとした常務、おそらくは指揮を執るべく乗り込んだ業務課長、夜勤明けで自宅に帰る予定だった

運転士の計4人が乗り込んだ。事故で本務運転士も含め、添乗した4人全ての計5名が死亡し、信楽高原鐵道の乗務員で生存したのは車掌1名のみだった。

代用閉塞を開始する場合、閉塞区間の両端に駅員を配置して対向列車の抑止と閉塞区間に列車がいないことを確認しなければならない。この場合は少なくとも対向列車501Dが小野谷信号場で停車し、代用閉塞の使用を運転士に通告した上で出発を抑止したことを、小野谷信号場に到着した閉塞責任者から信楽駅の運転主任に伝達され確認した後でなければ534D列車は出発させてはならなかった。しかし事故当時、代用閉塞に必要な要員を自動車で小野谷信号場に差し向けたものの、その到着を待たずに列車を発車させてしまった。これにより刑事裁判においても代用閉塞に必要な措置を

取らなかったことにより事故を招いたとして当事者は刑事罰を受けた。

しかしながら、改修した信号システムはトラブル続きだった。貴生川駅の出発信号機を青信号にできないトラブルは4月8日、4月12日の2度、事故当日と全く同じ、信楽駅で出発信号機を青信号にできないトラブルはゴールデンウィーク中の5月3日にも

あった。特に5月3日のケースは事故時の列車と全く同じ534D列車で起きていた。

この時は代用閉塞への変更すら行わず、誤出発検知装置を頼りに10時20分頃に534D列車を出発させていた。対向列車であるJR西日本からの直通列車は小野谷信号場で

停車しており、業務課長は小野谷信号場まで列車に添乗し、自ら手動で分岐器の操作を行って列車を行き違いさせていた。さらにその1時間後の下り列車も代用閉塞に必要な運転通告券の交付を受けず、小野谷信号場に居合わせた業務課長による口頭の要請のまま、小野谷信号場から信楽駅まで運転させていた。そして、5月3日のこの列車の運転士が事故当日のJR西日本乗り入れ快速501Dの運転士であった。事故当日も業務課長が上り534D列車に乗り込んだことから5月3日と同様の解決法を取ろうとしたものと思われるが、列車の運行中は厳禁とされていた信号継電器室での作業も影響を与えた可能性があり、5月3日には有効に作用したこの手法によっても対向の下り臨時快速

列車を停車させることができず、両列車が正面衝突するに至った。

小野谷信号場の下り出発信号機が赤にならなかった理由について、信楽駅構内の信号固着の修理のために同駅の継電器室(信号機器室)において行われていた、運行時間中の信号装置の点検作業が指摘されている。小野谷信号場の出発信号機は先の装置により一度は実際に赤に変えられたが、その作業の影響により、再び青に戻ってしまったと見られている。事故検証において信楽駅とともに小野谷信号場の誤出発検知装置も調べられたが誤出発は検知されておらず、列車は青信号で通過したものとみられる

事故後、警察は実際に車両を動かして信号の動作検証を行った。信楽駅における出発信号機の青信号が出せない現象は、方向優先テコの操作、小野谷信号場の下り場内信号機(貴生川駅側)と下り出発信号機との間の反位片鎖錠の関係、小野谷信号場下り場内信号機の制御接近点の変更工事が複合して発生した現象だと鑑定されたが、事故当日、小野谷信号場の下り出発信号機が誤出発を検知しながら青信号になった理由については検証で再現できず、継電器室でのジャンパー線英語版)による人為的接続の想定ケースを列挙するにとどまった。

両社の無認可改造

事故の発端となった信楽駅の信号不具合の遠因は、信楽高原鐵道とJR西日本が

それぞれ別個に、近畿運輸局の認可を得ずに行った信号制御の改造と、両社の意思

疎通の欠如にあった。

JRからの直通列車が貴生川駅に着くのが遅れ、信楽駅から貴生川駅に向かう列車の方が早く小野谷信号場に到着した場合、小野谷信号場への到着で貴生川駅 - 小野谷信号場間の運転方向が貴生川方向に切り替わり、上り列車が貴生川駅まで到着できてしまう。すると遅れて着いた直通列車は貴生川駅で足止めされてしまい、単線であるJR

草津線を走る他の列車にまで影響を及ぼす事態となる。この問題の解決策について関係会社間での小野谷信号場の信号システムの仕様の打ち合わせ時にJR西日本側から、小野谷信号場の上り出発信号機を抑止する機能の実装として、JR西日本亀山CTCセンター(亀山CTC)に方向優先テコを設置するという提案がなされた。しかし会議に

同席した信楽高原鐵道側の信号システムの設計会社から、JR西日本が信楽高原鐵道の信号機を操作するという信号設備のタブーを指摘され、その場で方向優先テコの設置案は取り下げられた。それを受け、会議では運行管理権の原則どおり、亀山CTCと

信楽駅間との直通電話の設置と、信楽駅からの操作で上り列車を小野谷信号場に

抑止するボタンを設置し取り扱うという合意を得た。

こうしてJR西日本が当初提案した方向優先テコ設置はいったん取り下げられたはず

だったが、後日、JR西日本は信楽高原鐵道に無断でかつ、運輸局の認可を受けることなく、当初案通り亀山CTCに方向優先テコを無届出で設置した。またJR西日本は方向優先テコにより機能を果たせるとして、信楽高原鐵道が工事担当する信号メーカーの工場へ指示し、先の合意を実行するための信楽駅の制御盤上の抑止テコを外させた。ところがJR西日本が設置した方向優先テコは信楽方向に運転方向を設定しなければ機能しないものであった。そのため亀山CTCの運転指令員は一度貴生川駅の出発信号機を青にし、運転方向が信楽方向になったのを確認した後に方向優先テコを入れ、

その後、貴生川駅の出発信号機を再び赤にする操作を強いられた。

一方で信楽高原鐵道も検査合格の日である1991年3月8日に無認可改造を行っていた。小野谷信号場は峠に位置するため、場内信号機手前の地点にあった信号制御点では

上り・下り双方の列車とも急勾配を登り切る前に減速を余儀なくされる(場内信号機の定位は赤信号のためATSが作動し、登坂中にいったんブレーキ操作をしなければ

ならない)。急勾配に加えカーブによる速度制限もあり運転士の間からクレームが付いたため、両方の単線区間において両端駅から小野谷信号場への方向設定が行われた時点で小野谷信号場の場内信号機を警戒信号にするよう改造を行なった。さらに信楽駅到着の列車の進入をスムーズにするために、認可された信号制御システムは信楽駅手前の地点通過により場内信号機に進入許可を出すものであったものを改造し、

小野谷信号場 - 信楽駅間の進路が信楽方向であれば信楽駅の場内信号機が進入許可を出すように改造した。両社の無認可改造は両社間での相互チェックを経ることは

もちろん、結線図・連動図表の交換すらしなかった。しかも両社とも「小規模な

工事」だとして自社内での連動会議・結線会議も十分に行われることは無かった。

こうした両社の無認可改造の結果、貴生川駅 - 小野谷信号場間に列車が在線中に亀山CTCで方向優先テコを扱うと、その機能により小野谷信号場で一度反位になった下り線場内信号機が定位に戻らないことから、反位片鎖錠の関係にある出発信号機は反位のまま戻らなくなった(ただし列車在線中は赤信号を現示する)。その結果、列車の進行につれて方向優先テコの信号が信楽駅にまで伝播し、貴生川駅から信楽駅に至るまで運転方向が下りに固定されてしまうという、JR西日本の意図しない結果になった。このため事故当日の信楽駅の信号機も、方向優先テコを引かれた状態で先行した下り列車によって設定された運転方向が信楽駅到着後も解除されず運転方向が下りのまま固定されてしまった。したがって、逆向きの上りである信楽駅の出発信号機は

赤のまま変わらなくなってしまった。

事故当日が5月3日の再現であれば、仮に信楽駅から上り列車が出発信号機の赤信号を無視して発車しても誤出発検知リレーが作動し、小野谷信号場の下り出発信号機が赤になるはずであった。しかし5月3日の時とは異なり、継電器室での作業により誤出発検知信号が途切れてしまった。運転方向が下り(小野谷信号場から信楽駅方向)

まま在線状態はクリアされていたため、自動進路制御装置の機能によりJRの直通列車は小野谷信号場を青信号で通過し単線区間に入り、信楽発の列車と衝突することに

なった。よしんば誤出発検知装置が正常に機能したとしても、信楽駅からの上り534D列車の出発が遅れ、誤出発検知装置が作動する前に下り501D列車が小野谷信号場に

先着していれば、もはや対向列車は止める術はない。強引な上り列車の出発が時間的に間に合わなかった可能性を刑事裁判での判決は指摘している。

異常時の運用方法の未整備・教育訓練の不足

特殊自動閉塞に改修前の信楽線は全区間が一閉塞の票券閉塞式であり、自動閉塞を

前提とした代用閉塞の必要性は極めて低かった。このことから信楽高原鐵道の従業員は異常時における代用閉塞の訓練を受ける必要性の認識が薄く、閉塞区間が増えた

設備改修後に必要なはずの代用閉塞の実地訓練を行わなかった。行き違い設備を追加する改修工事に着手したのが1990年5月、竣工検査が世界陶芸祭の開催直前である1991年3月であり、ハード面だけでなく運用細則などソフト面においても文字通り

突貫工事であった。しかも信楽高原鐵道の要員不足からJR西日本の乗務員に対する

乗り入れ教育訓練においては、信楽高原鐵道で講習を受けたJR西日本の電車区・車掌区のそれぞれ区長・助役が、乗り入れる乗務員の教育訓練を代行するものであった。

それ故にJR西日本の現業員には信楽高原鐵道の運転取扱心得の教育をはじめ、信楽高原鐵道特有の線路・信号設備、運転取扱、指揮命令系統など十分に周知徹底されず、特に異常時における運転整理の手順については詳細を学ぶ機会はなかった。異常時の訓練は最後まで行われないまま放置され、JR西日本の運転士・車掌にとって異常時におけるマニュアルは事実上、ない状態であった。そして異常時の対応は都度、信楽高原鐵道に聞くようにという泥縄的なものだった。前述のように運用開始後に信号

トラブルに直面した後も、正規の指導通信式による代用閉塞の取り扱いを行わない

まま運転させていた。いずれの機会においても改めて代用閉塞の訓練を実施することはなく、むしろ形式だけの代用閉塞どころか、ダイヤのみに頼る閉塞無視の運転が

信号故障時の運転の実際であった。

 

 

信楽焼きは有名で、毎年催し物が開催されているのは知っていましたが、

毎年、こんなに大勢人が来るのに、なぜこの年だけ事故があったのかと思ったら、

この年、世界陶芸があり多くの人達がこの鉄道を利用していたから。

その前にも、いくつもの原因でトラブルを起こし、解決をしなかった両社が悪い!

ハード面とソフト面の突貫工事も原因の1つであったのが分かりました。

( 無認可で改造したり、信号のトラブル、人為的ミス )が重なった 物申す おばあちゃん パンチ!パンチ! 星

 

 

純ちゃんに嫌な事をしてこないで! 咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、

体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、

体などを痛くしない。 トイレ関係も。脅さないで!  プンプン 爆弾

 

【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!

いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。

禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。

スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、

「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。

 

※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト! プンプン

その技術を使わないで!

 

TV等の撮影やスタッフに付いて行って、ロケや取材等の邪魔をしないで ムキー パンチ!パンチ!

束縛、嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて パンチ!パンチ!パンチ! ( あの三女、お互いを似ているように近づけようとしないで )

人に威圧的な言動、迷惑な行動は止めて。胃の付近に入って来ない、心を読まない、

人に体調不良やネガテなィブな感情を持って来ない、無力感にさせないで、

人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこないで。 トイレ関係 プンプン パンチ!パンチ!

思考低下、頭を空っぽにしないで!人の胸に衝撃を与えないで! 首を痛くしないで!

仕事の邪魔や記憶障害にしない。 目の錯覚、老眼近視、頭をボーっとさせないで、

他人に言われたことを他人に言わさない。心の中に持って来ない、響かせないムキー爆弾パンチ!ブログを書いている時、邪魔しない!自分で考えて書いて。深夜に連絡してこないで パンチ!パンチ!

負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、キツイ気を感じる。

口臭も。 咳込まさない。毒舌禁止、散財させないで、調子づかないで プンプン パンチ!パンチ!

乗り物関係を運転時は邪魔をしない。中枢神経を触って来ない。頭を重くしないで!

人の感情やパワーを抑えない、持って来ない。 口のろれつが回らないようにしない。唇を痺れさせない。卑猥な言葉を言ってこない、人をコントロールしないで パンチ!

マウントを取って来ない、過保護にしない! 頬を痛くしないで!あの親子、両依存

水晶を使って人を脅さない。個人情報保護法、プライバシー侵害しない! ムキーパンチ!パンチ!パンチ!

その力、仕事以外に使わない   人の為に使って、決して悪いように使わないで。

日本には言論や表現の自由がある( 自分達に嫌な事を言われていると思って

咳込まさない、自意識過剰、被害者意識が酷い )

店員さんや美容院の人に嫌な事をしないで、言わさないで ムキー パンチ!パンチ!パンチ!

全責任は、お母さん達に取ってもらう。 もちろん本人にも取ってもらう!

人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて パンチ!むかっ

長女のパワーを使わない! 上記に書いていることは、みんなのことを指す 物申す パンチ!パンチ!パンチ!

 

3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。

アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して パンチ!パンチ!パンチ!

( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )

契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないでムキー爆弾パンチ!パンチ!パンチ!

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート