< 日刊スポーツ:2001年10月2日付 >

 

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の10月2日付紙面を振り返ります。2001年の

1面(東京版)は、落語家の古今亭志ん朝さんが死去したことを伝えています。

 ◇ ◇ ◇

 古典落語の名手として活躍した落語家の古今亭志ん朝さん(ここんてい・しんちょう、本名美濃部強次=みのべ・きょうじ)が1日午前10時50分、肝臓がんのため都内の自宅で死去した。63歳だった。今年8月に病院で検査を受け、末期の肝臓がんと

診断された。名人として名高い5代目古今亭志ん生(享年83)の二男として生まれ、サラブレッドとして注目された。

テレビやラジオでも活躍する一方、寄席の高座や独演会にこだわり続けた。

30代からささやかれ続けた6代目志ん生の名跡襲名は、実現しなかった。 

 

 志ん朝さんは聖子夫人(58)ら家族と5人の弟子に見守られながら、静かに息を

引き取った。関係者によると、今年7月下旬の北海道巡業でかぜをひき、8月13日に都内の病院に入院。精密検査で、末期の肝臓がんと分かったが、同20日まで浅草

演芸ホールでの高座があり、病院から通った。高座で顔色は悪く、本人も「声が出なくなってきたので、迷惑がかかるだろうか」と気にしたが、休まなかった。

 

 高座を終えた同23日、都内のがん研究会付属病院に転院する際、聖子夫人が

がんであることを告げた。末期までとは言わなかったが「あっ、そうか」と

淡々と受け止めたという。この時、弟子たちだけに事実が伝えられたが、

周囲は持病の糖尿病の悪化かと思っていた。

9月23日に、病院から帰宅を勧められ、自宅に戻った。

点滴も外し体力は日に日に弱くなったが、大好きな日本酒は楽しんだ。

この日午前8時に容体が悪化、最後は眠るようだった。

 

 志ん朝さんは、自宅和室の布団で静かに眠っていた。

この日夜、落語協会会長の三遊亭円歌(72)、めいの女優池波志乃(46)

中尾彬(59)夫妻ら、弔問客が次々と訪れた。

 

 父は志ん生、兄は10代目金原亭馬生(享年55)と、なるべくしてなった落語家と

思われがちだが、外交官か歌舞伎俳優が夢だった。大学受験に失敗後、父から

「噺(はなし)家になれ。扇子1本でどこだってメシが食えらあ」と勧められ、

押し切られた。19歳で父に入門。父の最初の高座名「朝太」で前座、わずか2年で

二ツ目、5年で真打ちに昇進。24歳は当時の落語協会最年少真打ちだった。

親の七光に決して頼らなかった。

 

 古典落語に精進する一方、テレビ、ラジオで活躍した。立川談志(65)

三遊亭円楽(68)橘家円蔵(当時月の家円鏡=66)といった当代の人気者と並んで「四天王」(円蔵の前に故春風亭柳朝で四天王といわれた)と称された。

三木のり平さんに認められ、役者としての評価も高かった。

テレビ出演も多かったが「私は寄席が本業ですから」と言い続けた。

「老松(おいのまつ)」の出囃子で粋(いき)に登場し、天性の明るさとリアルな

人間描写、スピード感あふれる口調で、古典落語の登場人物に血が通った。

「噺に新しい息吹を吹き込むつもりで、毎日が修業です」。名横綱双葉山と飲み比べしてぶっ倒れたという、破天荒で天衣無縫の名人志ん生とは違い、志ん朝さんは

ち密で完ぺきな話芸を目指した。若手を育てるために「二ツ目勉強会」も開催した。

 

 後輩たちから「朝(ちょう)さま」と敬意をもって呼ばれ、

だれもがその才能を認めたが、志ん生の名跡は継がぬまま旅立った。

 

 ◆古今亭志ん朝(ここんてい・しんちょう)

 本名美濃部強次(みのべ・きょうじ)。1938年(昭13)3月10日、東京生まれ。

5代目古今亭志ん生(ここんてい・しんしょう)の二男。兄は10代目金原亭馬生(きんげんてい・ばしょう)。独協高卒。大学受験失敗後の浪人中に父の勧めで落語家を目指す。57年に父に入門し、古今亭朝太で初高座。59年に二ツ目、62年に真打ちに昇進し、志ん朝を襲名。得意演目は「火焔太鼓」「愛宕山」「三枚起請」「文七元結」「お直し」「強情灸」「船徳」「明烏」など多数。同年に東映「歌う明星・青春が

いっぱい」で初映画、芸術座「寿限無の青春」で初舞台。63年からフジテレビ「サンデー志ん朝」やラジオ番組の司会も務めた。ふりかけ「錦松梅」やサントリーモルツなどのCMにも出演。72年に芸術選奨文部大臣賞、75年に放送演芸大賞、

80年にゴールデンアロー芸能賞を受賞。96年に落語協会副会長に就任した。

日劇ダンシングチームに在籍していた聖子夫人と69年に結婚。

※記録や表記は当時のもの

 

 

古今亭志ん朝の死因とは? 

華麗なる江戸落語の天才噺家の人生 2024.01.23 

古今亭志ん朝の死因 志ん朝亡き後の落語界について

古今亭志ん朝の死因とは?

現在もご健在なら高いお金を払ってもいいから絶対に生で高座を拝見したいと

思えるような落語家がいます。三代目古今亭志ん朝師匠です。

63歳で早世されてしまった。70代・80代の枯れた志ん朝の芸を観たかった。

若くして糖尿病を患い、晩年は入退院を繰り返していた。直接の死因は肝臓がん。

やはり根っからの酒好きが志ん朝師匠の身体を蝕んでいったのか・・

もう少し養生して頂きたかった。

志ん朝師匠は残念ながらもうすでに鬼籍に入ってしまっているので、

もう生の高座を拝見することはできませんが、You tubeや販売されている

CDやDVDで楽しむことが出来ます。

私は、今では志ん朝師匠の江戸前の落語に魅せられ、You tubeで毎日狂ったように

聴いています。皆様にも是非、古今亭志ん朝の凄さ、落語のすばらしさを

知って頂きたいと思います。

古今亭志ん朝 不出の華麗なる江戸落語の天才噺家

古今亭志ん朝の凄さ

華麗さ・スピード感

古今亭志ん朝師匠の落語の特徴はなんといっても歯切れの良さとスピード感です。

現在では、ほとんど聴くことができなくなった生粋の江戸弁を巧みに操り、

まるで江戸の庶民の生活ぶり、息づかいが生き生きと目の前のスクリーンに

映像として映し出されるようです。

落語の初心者でも、若い人にも分かるように江戸の雰囲気をあえて強く出して

います。丁寧かつスピーディーな落語で端正で華やかでありながら、

おかしみがあり、聴く者をどんどん引き込んでしまいます。

 

まるで上質な芝居を観ているかのような高座

 

志ん朝師匠の高座を映像で拝見すると、まるで上質なお芝居を観ているようです。

ただ座布団に座ってしゃべるのではなく、登場人物がそういう動きをしているように立体的に身体を動かしリアリティさを演出しています。表情、仕草、動き、

噺のリズム・・・あたかも登場人物が乗り移ったかのようで本当に凄いのです。

落語の枕や噺の構成のうまさ

 

志ん朝師匠の凄いところはあれだけのスピーディーな落語でありながら、

噺の構成が実にしっかりしているところです。

落語の噺は「枕」「本題」「オチ」で構成されています。

まず、枕で「オチ」の伏線を張ったりお客様が迷いなく「本題」の世界観を

楽しめるようにするために、時代背景や江戸の風習などを説明したりします。

お客様をどれだけ本題に引き込めるか、枕は落語家の個性やセンスが良く表れる

腕の見せ所であり、枕で落語家の実力が分かります。

枕に定評のある柳家小三治師匠は確かに枕は面白いのですが、本題と関係ない

小三治師匠の身の回りに起こった楽しい事をしゃべったりするので枕がやたら

長かったりします。その点、志ん朝師匠は落語に関係ない事はあまり枕では

話しません。時代背景の説明やオチへの伏線が実に巧みで聴く者を魅了します。

 

落語初心者にもおすすめ

 

私は落語に興味があってもまだ聴いたことがない人に「落語は誰から

聴き始めたらいいか?」と聞かれたら、古今亭志ん朝師匠だと答えます。

志ん朝師匠の落語の展開はスピーディーではありますが、とても分かりやすく、

初心者の方でも噺の内容がす~と頭の中に入ってきますし、何度聴いても

飽きませんので、落語鑑賞の熟練者の心も掴んで離しません。

古今亭志ん朝の経歴

三代目古今亭志ん朝のプロフィール

  • 1659年2月 二つ目に昇進
  • 1962年5月 春風亭柳朝とともに36人抜きで真打に昇進。         三代目古今亭志ん朝を襲名
  • 八代目桂文楽の芸風を基調とし、心酔している笑福亭松鶴の豪放さも     自信の芸に取り込み、たちまち人気落語家となる。
  • 喜劇俳優などタレント活動でも人気。多才さを発揮する
  • 七代目立川談志、五代目三遊亭圓楽、五代目春風亭柳朝とともに若手落語四天王と呼ばれ人気を博す
  • 1996年8月 落語協会副会長に就任
  • 2001年 芸術選奨文部科学大臣賞を受賞
  • 2001年10月1日 惜しまれつつ肝臓がんにより死去

古今亭志ん朝の凄さ

芸風の成立

外交官や歌舞伎役者になりたかった美濃部強次青年。落語家になったきっかけは

父・五代目古今亭志ん生の次の一言でした。「噺家なら扇子一本でメシが食える」

この言葉で父親の元に入門して落語家を志したのにも関わらず父親である古今亭

志ん生とは全く違う芸風。幼いころから賭博、酒、たばこに手を出し、親を困らせ

勘当されるなど素行の悪かった志ん生。落語家としての腕は確かで17歳で弟子入りし、早くも21歳で真打に昇進しました。32歳で結婚してかららも妻の嫁入り道具を

質入れし、作ったお金で吉原で遊び使い果たしてしまうという自由気ままさ。

志ん生の芸風においても、自由というか破天荒というか・・・。

酔ったまま高座に上がり、眠り込んだり、次のセリフが酒のせいだか忘れてしまい、即興でセリフをつないだこともあったそうです。

志ん生師匠の頭の中は高座で話す順番だけ決めておいて後は、その時の状況によってアドリブに近い感じでしゃっべていたのではないかと志ん朝はおっしゃっていますが、それでいて多くのファンの心を掴んで立派な落語になるのだから凄い。

まさに唯一無二の存在です。

まさに即興演奏を得意とするジャズプレイヤーのようです。

ジャズファンでもある私からすれば、志ん生師匠はフリージャズを演奏しながら

良く聴くとまともなジャズに聴こえるオーネット・コールマンみたいです。

しかし、息子である志ん朝は父の芸風を継がなかった。

 

親父の落語はブロークンだよ。真似しても仕方がない。

志ん朝師匠は芝居好きの素養があるのか、落語をやるのならきちっとした落語を

やりたかったのでしょう。徹底して練り込んで完成度を極限にまで高め

「精密機械」のような綿密な芸風である八代目桂文楽に傾倒していました。

文楽師匠に加え、敬愛していた三遊亭圓生師匠の芸風も手本にして、

自らの芸風を作り上げていきました。

古今亭志ん朝の凄さが分かる演目

 弟子の与太郎が最近、全く仕事に顔を出さない。この与太郎、仕事はできるが、

世間知らずで無知。心配になった棟梁は、与太郎を問いただすと、家賃を滞納して

いて、道具箱を家主に借金のかたに取られてしまったという。
いくら家賃を溜めてるんだと聞くと、一両と八百という。

棟梁は一両を建て替えて道具箱を返してもらうと家主と話し合うが、

家主は一両八百きっちりと返してもらわないと絶対に返さないと意地を張る。

怒った棟梁、怒涛の如く、凄まじい啖呵を家主に浴びせる。

志ん朝の江戸弁バリバリの啖呵、凄いです。さすがとしか言いようがありません。

 

 貧乏長屋に住む佐平治、仲間2人を引き連れ東海道品川宿にある遊郭へ。

さんざん飲み食い遊んだあと、俺は悪い病に罹っている。治すにはここで長いこと

療養が必要だ、とか言って仲間を帰し、自分は帰らない。宿の若い者からお勘定の

要求があるとのらりくらりとかわしていつまでたっても帰らない。

無一文なのを咎められるとむしろ開き直って居残りを決めてしまう。

この佐平治という男は只者ではない。コミュニケーション能力が最強なのだ。

あっという間に花魁、他の客に気に入られ人気者になっていく。志ん朝が演じる

図々しいながもどこか愛嬌があって憎めない佐平治。雰囲気最高です。

  • 大工調べ
  • 居残り佐平治

 私が志ん朝師匠の存在を知ったのは、お亡くなりになった後でしたので、

「もっと早く生まれてもっと早く知りたかった!」という気持ちです。

最近、著名な芸能人、特にまだ50~60代と若い方の死が相次いでいます。

後年に功績を残すようなクリエイターは、作品を作り上げるには

多大なエネルギーを使い、身体に負担をかけるのだろうか。

志ん朝師匠の死は落語界にぽっかりと大きな穴をあけました。

しかし、後に続く世代が台頭して伝統をつないでいます。

柳家喬太郎、古今亭菊之丞、林家たい平、春風亭一之輔、春風亭昇太、柳家三三・・

さらにその下の世代だと柳亭小痴楽、柳家わさび、蝶花亭桃花、桂二葉、

月亭方正・・・彼らがいる限り、しばらく落語界は安泰でしょう。

 

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古今亭志ん朝が亡くなった10月…一之輔

「 “落語の灯” が本当に消えるかと思った 」

春風亭一之輔   2021/10/17/ 16:00   週刊朝日

春風亭一之輔・落語家
春風亭一之輔・落語家

 

 落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム

「ああ、それ私よく知ってます。」今週のお題は「10月」。

*  *  *

 秋ですなぁ。全国のお客さんから秋の味覚が送られてきます。

最近はシャインマスカットなんて種無しで皮まで食べられるから、ちょっと種が

あるだけで「めんどくさ」なんて思っちゃう……人間というものは贅沢なもの。

ただ今、栗ご飯を作るべく大量の栗の皮を剥いております。

渋皮まで剥き残しが無いよう丁寧に丁寧に、物思いに耽りながら。

 

 そう、本日、10月1日は「古今亭志ん朝師匠の御命日」。20年前。

2001年のこの日、63歳の若さでお亡くなりになりました。私はその年の5月1日に

春風亭一朝に入門。「落語家になる前に生の落語の聴き納めだ」とばかりに、4月上席池袋演芸場夜の部に通いました。志ん朝師匠がトリ、昼は真打ちになったばかりの柳家喬太郎師匠です。勿論、初日から昼夜で居続け……のつもりが、普段は昼夜入れ替えの無い池袋演芸場が3日目から入れ替え有りにしやがって……。日を追うごとにお客が増えていき、千穐楽はドアを開け放し、ロビーまで人が溢れてました。志ん朝師匠のネタは十八番「火焔太鼓」。この一席が私が素人として聴いた最後の落語でした。

 

 その後、体調がすぐれないという噂は聞いてました。ですからお会いする機会も

なかなか無いまま……8月中席浅草演芸ホール昼の部、毎年恒例『住吉踊り』、

志ん朝師匠はこの興行の座長です。私は夜の部の新米前座でした。

初日、早めに楽屋入りして夜の支度をしていると志ん朝師匠がお入りになりました。

「わー、志ん朝師匠……」。本来、初めてお会いする師匠には先輩前座に

お願いしてご紹介して頂くのが楽屋のルールなのですが、師匠はかなりお辛いようで

そんなことを頼める雰囲気ではありません。そんな楽屋での様子を

高座では微塵も感じさせず10日間つとめられ、季節は秋に。

 

 10月1日、新宿末廣亭昼の部初日。2階の楽屋で働いていると

先代の柳家さん助師匠が「志ん朝さん、亡くなっちゃったなぁ」と呟きました。

「さん助師匠がなんか言ってますよ、兄さん」「あの歳だからなぁ、ボケちゃったんじゃないか?」なんて前座同士で話してたんですが、どうやら事実のようでした。

誰かが亡くなっても芸人というのは心で悲しんで、表向きは軽口を叩いたりするものなのです。あの年の10月1日、いや、それからしばらくのあいだ、あんなにまで

重苦しい空気の寄席の楽屋は覚えがありません。全ての芸人に、お客様に、愛され

慕われた師匠でした。名人が亡くなると「落語の灯が消えた」などと

安易に言う人がいますが、あの時は本当に『 消える 』かと思いました。

イラスト/もりいくすお
イラスト/もりいくすお

 

 あれから20年経ち、今日の東京の天気は台風で大荒れ。そんな日でも寄席は

そこそこの入りで、よく笑うお客様。楽屋で芸人は「今日は志ん朝師匠の命日だね」と……殊更話すことはなく、でもその日のネタ帳を捲ると志ん朝師匠が得意にしてたネタが並んでたりします。それぞれが心のうちで偲んでるのでしょう。

 

 そんなことを考えながら、なかなか栗剥きがはかどらず、小一時間でようやく

二十数個。丁寧に綺麗に剥いた栗で炊いた栗ご飯は美味かった。

そんな芸をせねばなぁ、と10月1日に思うのです。

 

春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。

新刊書籍『人生のBGMはラジオがちょうどいい』(双葉社)が発売。ぜひご一読を!

週刊朝日  2021年10月22日号 著者プロフィールを見る

 

春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/落語家。1978年、千葉県生まれ。

得意ネタは初天神、粗忽の釘、笠碁、欠伸指南など。趣味は程をわきまえた飲酒、

映画・芝居鑑賞、徒歩による散策、喫茶店めぐり、洗濯。この連載をまとめたエッセー集『いちのすけのまくら』『まくらが来りて笛を吹く』『まくらの森の満開の下』(朝日新聞出版)が絶賛発売中。ぜひ!

 

たまにTVで落語を観ていました。例えば、小さい時から柳家小さん師匠や月の家

円鏡さんを。でも、志ん朝さんみたいな、江戸っ子のような言い回しじゃなかった

ので、一度TVでも観たかったです。でも、今、youtubuで観れるので・・・笑ううさぎ おばあちゃん星

 

柳家小さん師匠や三遊亭円楽さん、橘家円蔵さん、関西の落語家の米朝師匠や松鶴師匠、仁鶴さんたちと天国で楽しく落語の話でもして、盛り上がっていますか?

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

純ちゃんに嫌な事をしてこないで! 咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、

体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、

体などを痛くしない。 トイレ関係も。 食欲を無さないで。 脅さないで!  プンプン 爆弾

 

【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!

いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。

禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。

スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、

「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。

 

※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト! プンプン

その技術を使わないで!

 

 

TV等の撮影やスタッフに付いて行って、ロケや取材等の邪魔をしないで ムキー パンチ!パンチ!

束縛、嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて パンチ!パンチ!パンチ! ( あの三女、お互いを似ているように近づけようとしないで )

人に威圧的な言動、迷惑な行動は止めて。胃の付近に入って来ない、心を読まない、

人に体調不良やネガテなィブな感情を持って来ない、無力感にさせないで、

人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこないで。 トイレ関係 プンプン パンチ!パンチ!

思考低下させない、停止にしない。 人の胸に衝撃を与えないで! 首を痛くしないで!

仕事の邪魔や記憶障害にしない。 目の錯覚、老眼近視、頭をボーっとさせないで、

人に言われたことを他人に言わさない。 心の中に持って来ない、響かせないムキー 爆弾 パンチ!

特にブログを書いている時、自分で考えて書いて。 深夜に連絡してこないで パンチ!パンチ!

負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、キツイ気を感じる。

口臭も。 咳込まさない。毒舌禁止、散財させないで、調子づかないで プンプン パンチ!パンチ!

乗り物関係を運転時は邪魔をしてこない。中枢神経を触って来ないで。

人の感情やパワーを抑えない、持って来ない。 口のろれつが回らないようにしないで。唇を痺れさせない。卑猥な言葉を言ってこない、人をコントロールしないで パンチ!

マウントを取って来ない、過保護にしない! 頬を痛くしないで!あの親子、両依存

水晶を使って人を脅さない。個人情報保護法、プライバシー侵害しない! ムキーパンチ!パンチ!パンチ!

その力、仕事以外に使わない   人の為に使って、決して悪いように使わないで。

日本には言論の自由がある( 自分達に嫌な事を言われていると思って咳込まさない、自意識過剰、被害者意識が酷い )

店員さんや美容院の人に嫌な事をしないで、言わさないで ムキー パンチ!パンチ!パンチ!

全責任は、お母さん達に取ってもらう。 もちろん本人にも取ってもらう!

人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて パンチ!むかっ

長女のパワーを使わない! 上記に書いていることは、みんなのことを指す 物申す パンチ!パンチ!パンチ!

 

3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。

アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して パンチ!パンチ!パンチ!

( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )

契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないでムキー爆弾パンチ!パンチ!パンチ!

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート