2022年05月23日 関西TV NEWS
1997年、神戸で起きた連続児童殺傷事件。
当時小学生だった男児が殺害されてから、5月24日で25年となります。
社会を震撼させた当時14歳の加害者、「少年A」から遺族への手紙は途絶えて
います。加害者「少年A」は、事件、そして被害者に向きあっているのでしょうか。
■社会を震撼させた14歳少年による殺傷事件
1997年5月、社会を震撼させる事件が起きました。
神戸市須磨区の中学校の校門前で3日前から行方不明になっていた男の子の
頭部が見つかりました。現場には挑戦状が残され、その後、新聞社に
声明文が送り付けられるなど、事件は異様な経緯をたどりました。
殺人などの容疑で逮捕されたのは14歳、少年Aでした。
少年Aはこの事件の前に小学生4人を殺傷していて、一連の犯行は
「神戸連続児童殺傷事件」と呼ばれるようになりました。
【当時の記者中継】
「残忍な犯行、用意周到な計画、大胆な声明文の送り付けと、どれをとっても
中学生にこんな犯罪が出来るのかと思います。それを明らかにするには、なぜこの
中学生が淳君を殺害したのか、その動機を解明することが一番の近道と言えます」
少年Aに殺害されたのは、当時11歳だった土師淳君。
医師、土師守さんの次男でした。
少年Aは、淳くんの友達の兄、顔見知りでした。
当時の法律では、14歳は年齢が低すぎることから刑事処分の対象にならず、
少年Aは、医療少年院送致の保護処分となりました。
母親との関係から生じる「愛着障害」や「性的サディズム」などが
彼の問題と考えられました。
医療少年院で6年余り、精神科医ら専門家の治療と教育を受けました。
■事件について語るのは「絶対してほしくない」
【法務省関東地方更生保護委員会】
「きょう、仮退院いたしました。時間は9時5分でございます」
2004年3月10日、法務省関東地方更生保護委員会から土師さんのもとに
仮退院の連絡がありました。遺族への通知は前例がない出来事でした。
この日、土師さんは初めて記者会見をしました。
――Q:事件について彼が何らかの媒体で語る、
それについて彼が報酬を得るということも今後考えられるが
【土師さん】
「それについては絶対してほしくないというのは私たちの思いです。
これはたぶん妻も子供もそう思っていると思います」
■一度も姿を見たことのない「A」からの手紙
Aは仕事をし、アパート暮らしを始めていました。しかし、一年半が過ぎたころ、
支援者の前から姿を消し消息が分からなくなりました。
土師さんは被害者遺族でありながら、これまで一度もAの姿を見たことは
ありません。当時は少年審判を傍聴することは、一切認められていませんでした。
Aとの唯一の接点となったのは、命日を前に毎年届くようになっていた
「謝罪の手紙」。
事件の真相を知りたいという思いで、土師さんはその手紙を読んできました。
【土師守さん】
「唯一、彼とつながっていることだったと思うし、彼からの手紙を読むと
いうのは非常に労力が要ることで、精神的にもきつい作業になるんですね。
ですから、悪意を持って見るんじゃなくて、できるだけ良く理解しよう、
いいふうに取ろうというふうに考えながら、読んでいました」
土師さんは、事件翌年からメディアの要望に応じて手記を公表しています。
24年分の手記には、土師さんの心の変遷が見えます。
Aからの手紙を無視することはせず、「変化」や「成長」という言葉で
感想をつづってきました。それは30代になったAにも、届いていたはずでした。
Aの両親の代理人、羽柴修弁護士は、Aからの手紙を被害者遺族に取り次ぎ、
損害賠償の支払いなど、神経の磨り減る役割を25年間、無償で担ってきました。
【羽柴弁護士】
「その間も私、毎年かかわっていたので、その時期がくると毎年毎年…ね。
少しずつ短い手紙が長くなって段々、段々と2013年14年ときた」
2015年の手紙は特別でした。
土師さんは、事件の原因を「彼なりの言葉」で明らかにしたと受け止めました。
ワープロうち、37枚という膨大な量の手紙。
それは、遺族にだけ明かした「秘密」に思えました。
【土師さん】
「夫婦でこれ以上の彼の言葉は難しいのかなと判断して、『ここらへんで、まあ、
区切りをつけようか』というような形の気持ちにはなりました。手紙を信じることにすれば、それ以上読むっていう作業はしなくて済みますので、一つの大きな区切りにしてもよかったのかなというふうには当時は思っていました」
■Aが告白本を出版 踏みにじられた遺族の気持ち
しかし、1カ月後、その気持ちは踏みにじられます。
Aが「元少年A」という匿名で告白本を出版したのです。
その中には性的サディズムの入り口となった体験、
祖母の遺影の前での性的体験について書かれていました。
それは、土師さんが受け取った手紙の中の文章と同じものでした。
【土師さん】
「彼の心のうちはわかりませんけども。少なくとも、私は本を読んでいませんが、
本を書いた後に手紙に圧縮したのだと言うふうに思って、自分自身で思っていますけどね。当然、本を出すっていうことは脚色もしますし、どういう風な形で出すかっていうのは書き手の思うようになるので、それを信じるというのは難しい話ですよね」
――Q:更生の教育はうまくいったと思っていらっしゃるんですか?
【羽柴弁護士】
「今?それは思えないですよね。残念ながら。彼は志半ばで、すんでのところまで
きて、足がかかり始めたときに、下ろしちゃったんですよね。大事な階段を上り
始められたのに。土師さんや(もう一人の遺族)山下さんがそう思ってくれた
ということについては…。糸口が見えたわけですよね。もうちょっとで。
それを自ら、放り出してしまった」
告白本には、手紙は「贖罪の気持ちだった」とありました。
その手紙はもう、5年届いていません。
――Q:元少年Aに伝えることが出来るなら何を伝えたいですか?
【羽柴弁護士】
「難しいね…下世話というか、ちゃんと生きているのかということと、本を出したことで、せっかくみんなの、いろんな人の協力、いろんな人が彼に関わってきたわけなので、そのことを、分かっていてくれているのかどうかですよね。ちゃんと生きているなら同じこと(手紙を出すこと)をもう一度一からするしか、仕方がないのでは。39歳でしょ…まだ。まだ、やろうと思えばやれないことはないですよね」
――Q:手紙をしばらく拒否されていましたけど、届くようになったら
読む可能性はありますか?
【土師さん】
「もちろんあります。いつまでも読まないっていうことがないですので。
こちらが読む、読まないに関わらず、書くということが重要だと言う風に
思っていますので、彼にしてほしいと希望しています」
Aは、まもなく40歳。
事件と向き合うために、Aが手紙を書き続けることを土師さんは求めています。
(関西テレビ「報道ランナー」2022年5月23日放送)
「少年A」を産んだ母親の悲しすぎる思い
息子に「生きる資格」はあるのか 2019/08/07 15:00 PRESIDENT BOOKS
少年Aが実の息子だと知った両親は何を思ったか。逮捕後、面会に行くなり浴びせ
られたのは「帰れ、ブタ野郎」の言葉。それから両親は手記『「少年A」この子を
生んで・・・』の出版を決める。本のタイトルをつけたのは母親だった――。
※本稿は、松井清人『 異端者たちが時代をつくる 』(プレジデント社)の
第6章「『 少年A 』の両親との20年」の一部を再編集したものです。
写真=毎日新聞社/アフロ
神戸小学生連続殺傷事件/須磨署から神戸地検に向かう容疑者。大勢の報道陣や住民の見守る中、神戸地検に向かう土師淳君殺害容疑者の中学生を乗せたマイクロバス=神戸市の須磨警察署前で、山下恭二写す。兵庫県/神戸市。1997年6月29日撮影
少年A逮捕の日
少年Aの両親の手記『「少年A」この子を生んで・・・』が完成するまで、
2年もの長い月日が必要だった。
1999(平成11)年、『週刊文春』の3月25日号と翌週号に内容の一部が先行して
掲載され、単行本『「少年A」この子を生んで・・・』は4月2日に発売となる。
森下香枝記者( 当時、現・週刊朝日編集長 )、渾身のスクープだった。
母の手記と育児日誌、そして父の日記で構成された本の内容は、相当に衝撃的だ。
父の日記は、Aの逮捕当日から始まっている。
〈1997年6月28日(土曜日)――逮捕の日
朝7時15分ごろ、今日は子供達の学校も私の会社も休みで、家族全員その時は
まだ眠っていました。突然、インターホンが鳴り、私が寝間から起きて玄関のドアを開けると、警察の方が二人中に入ってきて、スッと警察手帳を見せられました。
名前までは覚えていません。「外では人目に付くので」と言った後、一人が玄関の
ドアを開め、「息子さんに話を聞きたいのですが……」と言われました。
「はあ、ウチ、息子は三人おりますが……」「ご長男A君です」〉
(『「少年A」この子を生んで・・・』)
フラフラ状態で顔は土気色の母親
こうして、Aは連行された。次いで母親が警察に呼ばれ、ようやく午後6時ごろに
帰宅。6時10分ごろ、父親は警察官から「子供達をどこかに預けることはできますか?」と聞かれる。わけを尋ねても「理由は聞かんといてください」の一点張りだった。言われるまま、Aの弟二人を近所の親戚に預け、帰宅した6時35分ごろ。警察官から「ちょっと淳君の事件で重大なお話があります」と、家宅捜索令状を見せられた。
〈まさか淳君の事件にAが関わっているとは、正直言って想像もできませんでした。
「A君を容疑者として今、取り調べをしています」(中略)
あまりのことに、記憶も途切れ途切れにしか残っていません。妻も同じで、
「お父さん、これ、どうなってるの。もう一回言うて」と混乱するばかり。
「Aが何したんですか? えー、何したんですか?」
私も繰り返し繰り返し、尋ねていたように思います。
妻は、次の月曜に当たっていた町の掃除当番ができなくなることを思い出し、
隣の家に伝えに出ましたが、もうフラフラ状態で顔は土気色でした。〉
「淳君事件の犯人逮捕。友が丘の少年」
〈 そんな動転の中、家宅捜索が始まりました。
私達夫婦は、「えー、えー」としか言葉が発せられず、何が何だか分からないまま、警察官がAの部屋から次々と押収していく品物に対し、「これを指で指して」と言われるままに、ただロボットのように従って、写真をバシャバシャ撮られていました。
8時半ごろ、付けっ放しになっていた居間のテレビの画面に、「淳君事件の犯人逮捕。友が丘の少年」という短いテロップが出ました。
「えっ、こ、これですか? これはAのことですか?」
捜索している警官に妻が尋ねると、「そうです」という短い返事が
返ってきました。〉(同書)
両親はAとの面会を求め続けるが、なかなか叶わない。
「上司と相談したところ、警察の周囲にマスコミが多いので、面会は当分無理です」というのが、須磨署留置場係の説明だ。
結局、Aが須磨署から少年鑑別所に移されるまで、一度も面会は許されなかった。
「帰れ、ブタ野郎」
本の第二章「息子が『 酒鬼薔薇聖斗 』だと知ったとき」と題する母の手記は、
念願の面会がようやく実現した場面から始まる。
〈「帰れ、ブタ野郎」
1997年9月18日、私たち夫婦が6月28日の逮捕以来、初めて神戸少年鑑別所に収容
された長男Aに面会に行ったとき、まず息子から浴びせられたのがこの言葉でした。
「誰が何と言おうと、Aはお父さんとお母さんの子供やから、家族五人で頑張って
行こうな」と、夫が声をかけたそのとき、私たち二人はこう怒鳴られたのです。
鉄格子の付いた重い鉄の扉の奥の、青のペンキが剝げかかって緑に変色したような壁に囲まれた、狭い正方形の面談室。並べてあったパイプ椅子に座り、テーブルを挟んでAと向かい合いました。あの子は最初、身じろぎもせずこちらに顔を向けたまま、
ジーッと黙って椅子に腰掛けていました。
しかし、私たちが声をかけたとたん、「帰れーっ」「会わないと言ったのに、
何で来やがったんや」火が付いたように怒鳴り出しました。そして、
これまで一度として見せたこともない、すごい形相で私たちを睨みつけました。
《 あの子のあの目―― 》涙をいっぱいに溜め、グーッと上目使いで、
心底から私たちを憎んでいるという目――。あまりのショックと驚きで、
私は一瞬、金縛りに遭ったように体が強張ってしまいました。(中略)
15分ほど私たちは顔を向き合わせていたのですが、最後まで「帰れっ」と
Aに怒鳴られ、睨まれ続けていました。
この子は私のせいで、こんなことになってしまったのではないか?
Aは目で私にそう抗議している。《 私のせいなんや…… 》(中略)
私たち親は正直言って、この時点まで、息子があの恐ろしい事件を起こした犯人とは、とても考えられませんでした。どうしても納得することができませんでした。
あの子の口から真実を聞くまでは、信じられない。きっと何かの間違いに違いない。
いや、間違いであってほしい。たとえその確率が、0.1パーセント、いえ0.01パーセントでもいい。その可能性を信じたいという、藁にも縋る思いで、その日鑑別所の
面談室を訪ねたのです。〉(同書)
息子のためであれば、死ねます
家へ遊びに来ることもあった土師淳君が行方不明になると、父親も母親も捜索に
参加している。息子が手にかけたとは思いもせず、遺体の頭部がAの部屋の屋根裏に
隠されているとは知る由もなく、地域一帯を探し回っていたのだ。
我が子の犯行と確信したあと、母親が耐え難い胸の内をさらけ出した一節がある。
〈あの子の行為で淳君、彩花さんはどんなに苦しみ、辛く痛い思いをなさったのでしょうか? ご本人たち、ご家族がAの行為により、どんなに悲しみ、苦しまれたのか?
Aは自分の正当性ばかりを主張し、やってしまった行為の責任を負うことなど、
とうていできるはずもない、ということになぜ気付かないのでしょうか?
息子には、生きる資格などとうていありません。
もし、逆に私の子供たちがあのような行為で傷つけられ、命を奪われたら、私はその犯人を殺してやりたい。償われるより、死んでくれた方がマシ、と思うはずです。
ささやかで不甲斐ないお詫びをされるよりかは、いっそAや私たちが死んだ方が、
せいせいされることでしょう。きっと被害者のご家族は、私たちが存在している
こと自体、嫌悪されているのではないでしょうか。
いつの日かAを連れて、お詫びに行くなどとんでもなく、虫のいい話かもしれません。
被害者のお宅にAが姿を見せたとすると、ご家族の方々に「死んで償え」と罵倒され、たとえその場で殺されたとしても、当然の報いで仕方がないことだと思います。
でも、その時は私に死なせてください。(中略)
私は夫のためには死ねませんが、息子のためであれば、死ねます。
Aのやったことはあの子を生み、育てた私の責任です。〉(同書)
「できれば、この題名にしていただきたい」
ここに母親の悔いと、Aへの愛情が凝縮されている。
『「少年A」この子を生んで・・・』という本のタイトルは、実は母親がつけた
ものだ。ある日、森下記者が戸惑ったような表情で、一枚の紙片を持ってきた。
「お母さんが、『本の題名はこれでどうでしょうか』と言ってきたんですけど……」
「えっ、これでいいと言ってるの?」
「ずっと考えてたそうです。『できれば、この題名にしていただきたい』と……」
編集者には付けられない、思い切ったタイトルだ。両親の手記なのに、母親が一人で全責任を背負おうとしている。そんなぎりぎりの思いが伝わってくる気がして、
一字一句も直さず、そのまま採用すると決めた。
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学校が恐れる"わが子ファースト親"の異常行動
1「帰れ 、ブタ野郎」=泰葉さんが桂小朝さんに「金髪ブタ野郎」と言っていました
2、喧嘩中、私も相手を憎んだら、目がきつくなるとよく言われていました。
3、あの三女が憑依すると、その時の記憶がないし、消えているのに気が付きました
4、1994年春に、自宅のマンションに寝ていると、急に金縛りに(最初で最後?)
2002年5月25日、母親が1階で三男が2階で昼寝をしている時に火事にあい、
三男だけが逃げ遅れ6歳で亡くなりました。私の甥っ子です。
詳しい事は聞いてませんが、なぜ母親だけ助かって、息子は亡くなったのか?と
私にお母さんと話していたら、「可哀相そうだから、あまり触れない方が良い」と
言われたので、それ以上何も言っていないし(本人にも)聞いてもないのに。
2019年くらいに、MBSラジオを聴いていたら、急に「まっくろくろすけ」と聴こえてきたのは、あの三女が憑依して言わせた言葉で、その1か月後くらいに、VS嵐で
ニノがトトロに出てきた丸い黒いキーホルダーをズボンに付けていたのを観ました=あの子がお願いして付けていた ”まっくろくろすけ” だった。
今日一日くらい、大人しくしていて欲しかった
いろんな人が言う思いやりもないと。本当にデリカシーもない
この後に、upしようと書いていたのが消えていた。また、あの長男が消した~
技術者なら、ハッカーになってひとのPCやスマホ、お店のシステムに侵入して
こないで、業務妨害で訴えられる。PCの絶対に富士通は買わない
純ちゃんに嫌な事をしてこないで! 咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、
体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、
体などを痛くしない。 トイレ関係も。脅さないで!
【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、
「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!
その技術を使わないで!
TV等の撮影でスタッフに付いて行って、ロケや取材等の邪魔をしないで
束縛、嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて
人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこないで。 トイレ関係
思考低下、頭を空っぽにしないで!人の胸に衝撃を与えないで! 首を痛くしないで!
仕事の邪魔や記憶障害にしない。 目の錯覚、老眼近視、頭をボーっとさせないで、
他人に言われたことを他人に言わさない。心の中に持って来ない、響かせないブログを書いている時、邪魔しない!自分で考えて書いて。
負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、キツイ気を感じる。
口臭も。咳込まさない。毒舌禁止、散財させないで、調子づかないで
乗り物関係を運転時は邪魔をしない。中枢神経を触って来ない。頭を重くしないで!
人の感情やパワーを抑えない、持って来ない。 口のろれつが回らないようにしない。唇を痺れさせない。卑猥な言葉を言ってこない、人をコントロールしないで
マウントを取って来ない、過保護にしない! 頬を痛くしないで!あの親子、両依存
水晶を使って人を脅さない。個人情報保護法、プライバシー侵害しない!
その力、仕事以外に使わない 人の為に使って、決して悪いように使わないで。
日本には言論や表現の自由がある( 自分達に嫌な事を言われていると思って
咳込まさない、自意識過剰、被害者意識が酷い )
全責任は、お母さん達に取ってもらう。 もちろん本人にも取ってもらう!
人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこない、フリーズが出たので止めて
長女のパワーを使わない! 上記に書いていることは、みんなのことを指す
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。
アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して
( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )
契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないで
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました