41歳で免許、趣味のバイクに熱中する多趣味な一面
夕刊フジ 2021.10/11 11:27
今月7日に心不全のため81歳で急死した人間国宝の落語家、柳家小三治(本名・郡山剛蔵)さん。滑稽話の名手として知られ、昭和・平成の落語界を牽引(けんいん)
した名人は、芸道に精進する落語一筋の人生を歩み続けた。
噺家らしい人生の幕引きだ。死去当日も朝から普通に過ごしていたが、夜になって
倒れているのを妻が見つけ、病院に運ばれるも死亡が確認された。
前日6日には弟子5、6人と談笑していたというから、まさに突然の死だった。
肋膜炎や結核など病気と闘う人生だった。2017年には頸椎手術を受け、アルツハイマー病の可能性もあった。今年3月には体調不良で入院したが、5月には高座復帰するなど不屈の精神で生涯現役を貫いた。落語会は来年1月まで予定が入っていたという。
演芸評論家の高山和久氏は「斬り込み方の違いで、同じ噺でも毎回新鮮に
笑えるため、小三治落語を楽しみにするファンも多く、チケットの取れない
落語家のひとりでした。ホール落語では終演時間を気にせず、調子に乗ると
70分、80分と飽きさせずに語るサービス精神旺盛さが人気。
師匠の『長短』『短命』は面白く好きでした」と語る。
「まくら」の面白さにも定評があり、“まくらの小三治” の異名も。40分も50分も
まくらが続き、本題が10分なんてこともあったという。先の高山氏も「その面白さは『 ま・く・ら 』という書籍になり、続編も刊行されたほどです」と話す。
落語にはストイックで、自身も1969年に17人抜きで真打ち昇進したこともあり、
落語協会の会長に就任すると、年功序列となっていた真打ち昇進の基準を変更。
春風亭一之輔を21人抜きで真打ちに昇進させるなど実力主義だった。
芸道を探求する一方、多趣味な一面も。中でもオートバイは41歳で免許を取り、
落語家仲間で「転倒蟲(てんとうむし)」というツーリングチームを作るほどの
熱の入れよう。愛車はヤマハの XJ750E。寄席への出勤もバイクで、上下のつなぎで
寄席や落語会に現れたほどだが、51歳で両手首にリウマチを起こしてからは
乗らなくなったという。何事にもいちずな人柄が至宝の話芸を生んだ。
柳家小三治さん心不全で死去 病と闘い高座に
絶妙な間合いで世界観つくる
人間国宝の落語家柳家小三治さん(本名・郡山剛蔵=こおりやま・たけぞう)が7日、心不全のため都内の自宅で死去した。81歳だった。10日、落語協会が発表した。
故人の遺志により、葬儀は密葬で営まれた。
最後の高座は今月2日、東京・府中の森芸術劇場での「猫の皿」だった。
ひょうひょうとした芸風で大ネタから滑稽噺(こっけいばなし)まで絶妙な間合いで世界観を作り、落語好きから初めて聞く者までを魅了する名人だった。
小三治さんは今年3月の検査入院で腎機能の数値に問題があったとして、約1カ月間
入院した。退院後はリハビリと投薬治療を続け、5月に兵庫県で行われた落語会で復帰した。もともと体が丈夫な方ではなかった。持病のリウマチ、糖尿病と闘いながら
高座に上がり続けていた。17年1月に寄席の高座で「アルツハイマーの疑いがあると言われた」と明かした。ネタを言い間違えたり言い淀むすることはなかったが、
関係者によると物忘れがひどくなったため治療しているとした。
同年8月には「変形性頸椎(けいつい)症」のため手術を受け、3週間休養した。
小三治さんによると、手術は「首の骨を並べ替える」大手術だったそうだが、
同年9月の復帰高座では「これからも一生頑張ります。もっと生きて、
お話を聞いてもらいたい」と意欲的だった。
都立青山高で落語研究会に入部。ラジオ東京(現TBSラジオ)「しろうと寄席」を
15週連続で勝ち抜いた。大学受験に失敗して浪人中だった時、小学校教師の父親の
猛反対を押し切って5代目小さんに入門した。
平成を代表する名人だった。大ネタ、滑稽噺、前座噺まで、小三治さんにかかれば、あっという間に落語の世界に引き込まれる。本題のネタに入る前のまくらのおもしろさでも知られ、まくらに特化した「ま・く・ら」という著書も出しているほど。
独演会を開けばチケットは即完売だったが、小三治さんは初めて落語に触れる人を
大事にしていた。日刊スポーツのインタビューには「落語を初めて聴いた人から
『面白かった』と言われるのが一番好きです。はなし家冥利(みょうり)に尽きる」と答えている。
若手の育成にも力を注いできた。10年に落語協会会長に就任すると、落語家の昇進に関しては実力を重視する方針を打ち出した。通例では一定の年数を務めると昇進
できたが、「育ち状況から判断します。落ちこぼれが出ることもありうるけど
それでいい」と宣言した。その後、春風亭一之輔を21人抜きで真打ちに昇進させる
など、有言実行を見せた。14年に体調面の不安などもあって退任したが、
小三治さんは常に、落語界全体を気に掛けていた。
同年代の人気落語家は古今亭志ん朝さん、立川談志さんとともに落語界を
けん引してきた。01年に志ん朝さん、11年に談志さんが亡くなった後、
人気も責任も背負ってきた。落語界の喪失はあまりにも大きい。
◆柳家小三治(やなぎや・こさんじ)本名・郡山剛蔵(こおりやま・たけぞう)。1939年(昭14)12月17日、東京都生まれ。59年に柳家小さんに入門し、前座名「小たけ」。63年に二つ目に昇進して「さん治」に改名。69年の真打ち昇進後、10代目「柳家小三治」襲名。出囃子は二上がりかっこ。05年紫綬褒章を受章。14年に人間国宝に認定。10~14年落語協会会長。趣味はスキー、カメラ、ゴルフ、音楽など多数。
柳家小三治さん死去 もう薬を飲まなくてもいい
【 落語協会会長コメント全文 】デイリー
落語家で人間国宝の柳家小三治さんが7日午後8時、心不全のため亡くなっていたことが、10日、分かった。81歳。所属の落語協会が公式ホームページなどで発表した。
小三治さんの遺志により、葬儀は密葬の形で執り行われた。お別れの会などは
予定していないという。落語協会会長・柳亭市馬のコメント全文は以下の通り。
◆ ◆
つい最近まで、元気に高座に上がっている、と聞いていたので突然の訃報に接し只々、呆然とするだけです。落語史に、大きな区切りの線が引かれたのは、
確かです。何事にも迎合することを嫌い、派手を好まず、極めて芸人らしからぬ、
孤高の噺家でした。
個人的には、師匠先代小さん亡き後、芸について口やかましい事を言ってくれるのは、小三治師匠だけだったので、いよいよ心細く、寂しくなりますが、「もうあんなに沢山、薬を飲まなくてもいいんだな。」と思うと、少しだけほっとします。
小三治師匠、長い間、お疲れさまでした。本当にくたびれましたねぇ。
どうかゆっくり、お休み下さい。有難うございました。
一般社団法人 落語協会
会長 柳亭市馬
柳家小三治さん 夕食とり入浴後に自室で急死…妻・和世さん発見「本人も全く死ぬつもりはなかったと思います」
スポーツ報知
名人芸を貫き、人生の幕を下ろした柳家小三治さん
人間国宝の落語家・柳家小三治(やなぎや・こさんじ、本名・郡山剛蔵=こおりやま・たけぞう)さんが7日に心不全のため都内の自宅で亡くなったことが10日、
分かった。81歳。故人の遺志でこの日、近親者と直弟子ら約20人で密葬を済ませた。喪主は長男の郡山尋嗣(こおりやま・ひろつぐ)氏。お別れ会の予定はないという。小三治さんは5代目・柳家小さんさんに入門。
早くから頭角を現し、柳派の正統派として話芸を極めた。
昭和、平成、令和を駆け抜けた名人が静かに人生の幕を下ろした。
7日午後7時半頃、小三治さんが自宅2階の自室で倒れているのを妻の和世さんが
発見。救急車で都内の病院に運ばれたが、同8時に死亡が確認された。
マネジャーの倉田美紀さん(42)によると、前日の6日も掃除をしに来た
弟子らと談笑するなど元気で、16日の栃木での落語会を楽しみにしていた。
7日も普段通り夕食と入浴を済ませた後に倒れたとみられる。
小三治さんは長年リウマチや糖尿病などを患い、17年には頸椎(けいつい)を
手術。その後仕事をセーブしていたが、腎機能障害などによる入院治療を終えて
今年5月に高座復帰してからは体調も回復。来年まで仕事が入っており、倉田さんは「本人も全く死ぬつもりはなかったと思います」と話した。今月2日、東京・府中の
森芸術劇場「柳家一門会」での「猫の皿」が最後の高座となった。
小三治さんは生前から「死んだ時の悲しみは、それぞれが心の中でそっと思って
くれればいい」と話しており、10日に東京・落合斎場で親族、直弟子ら約20人で密葬を済ませた。人間国宝認定時に落語協会からもらった着物に、師匠の小さんさんから譲り受けた帯を締めて、天国へ旅立った。本名の一文字「剛」、芸などに優れたと
して「優」を入れた「昇道院釋剛優(しょうどういんしゃくごうゆう)」が法名と
なった。四十九日法要後に東京・四谷の法雲寺に納骨される予定。
柳家小三治さんと柳屋一門
小三治さんは、教員だった父親の反対を押し切って高校卒業後の59年に入門。
17人抜きで真打ちに昇進し、師匠も名乗った「小三治」を襲名した。
春風亭柳朝さん、古今亭志ん朝さん、立川談志さん、5代目・三遊亭円楽さんの
「四天王」より少し下の世代だが、天才肌で柳派の滑稽噺(ばなし)を受け継ぐ正統派として肩を並べるようになり、落語通だけでなく、初心者からも人気を集めた。
本編に入る前の「まくら」はとぼけた味わいで徐々に時間が長くなるも、
逆に評判となり、「まくら」をまとめた著書が出版されるまでになった。
2010年からは落語協会の会長を2期4年務め、年功序列となっていた真打ち昇進の基準を変更。春風亭一之輔、古今亭文菊らを香盤(落語家の序列)を超えて昇進させ、落語界の発展に一石を投じた。14年に師匠の小さんさん、上方の桂米朝さんに続く
落語界3人目の人間国宝に選ばれ、至芸を披露。最近は、弟子に手を引かれ高座に
上がるなどしていたが、座布団の上では衰えを見せなかった。
文字通り生涯現役として、最後まで名人芸を貫いた。
◆柳家 小三治(やなぎや・こさんじ)1939年12月17日、東京都新宿区生まれ。都立青山高校卒業後、59年3月に5代目・柳家小さんさんに入門。前座名「小たけ」で初高座。63年に二ツ目に昇進し「さん治」と改名。69年に17人抜きで真打ち昇進。
10代目・柳家小三治を襲名。10年6月から14年6月まで落語協会会長。
2005年に紫綬褒章、14年に旭日小綬章受章、重要無形文化財保持者(人間国宝)に
認定。家族は妻と1男2女。次女は文学座の女優・郡山冬果。
医師から「アルツハイマーの疑いがあると言われた」と高座で言っていたと。
高座の時は、忘れないで落語が出来て、日常時は、物忘れがひどいと書かれていましたが、本当に病気なら、物忘れがひどいのなら落語の時も忘れていると思います
気が付いたんですが、桂三木助さんが2001年に、立川談志さんが2011年に、
柳家小三治さんが2021年に死亡。3人の師匠である桂小さんが2002年にお亡くなりに。10年後に同じ一門の人が亡くなるのは、偶然なのかな?
ご冥福をお祈りいたします。
東京と大阪の落語は少し違いますが、私は、両方の落語が好きなので、
これからも、みんなと協力をして落語を盛り上げて行って下さい。応援しています
純ちゃんに嫌な事をしてこないで!咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、
体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、
体などを痛くしない。トイレ関係も。しつこく言ってこないで。脅さないで!
【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、
「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!
その技術を使わないで!
束縛、嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて ( あの三女、お互いを似ているように近づけようとしないで )
人に威圧的な言動、迷惑な行動は止めて。心に入って来ない、心を読まない、
人に体調不良やネガテなィブな感情を持って来ない、無気感を持て来ないで、
人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこないで。トイレ関係
思考低下させない、停止にしない。人の胸に衝撃を与えないで!首を痛くしないで!
人をバッサリ言葉で切らないで。深夜に連絡してこないで
仕事の邪魔や記憶障害にしない。目の錯覚、老眼近視、頭をボーっとさせないで、
人に言われたことを他人に言わさない。心の中に持って来ない、響かせない
特にブログを書いている時、いちいち注文を言ってこないで、自分で考えて書いて。
負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、キツイ気を感じる。
口臭も。咳込まさない。毒舌禁止、散財禁止、調子づかないで
乗り物関係を運転時は、邪魔をしてこない。
人の感情やパワーを抑えない、持って来ない。口のろれつが回らないようにしないで
唇を痺れさせない!卑猥な言葉を言ってこない、言わさないで
あの親子、水晶を使って人を脅さない。マウントを取って来ない、過保護にしない!個人情報保護法、プライバシー侵害しない!その力、仕事以外に使わないで! 人の為に使って、決して悪いように使わないで。日本には言論の自由がある( 自分達に嫌な事を言われていると思って咳込まさない、自意識過剰、被害者意識が酷い )
店員さんや美容院の人に嫌な事をしないで、言わさないで
全責任は、お母さん達に取ってもらう。もちろん本人にも取ってもらう!
人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて
長女のパワーを持って来ないで!使わないで!
上記に書いていることは、みんなのことを指す
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。
アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して
( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )
契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないで
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました